第三部(4、伊吹山)

  伊吹山 1974年春


 由美子との再会で、宏幸の山登りも頻繁ではないに

しろ再開された。

 その頃の建設業界は、大阪万博以後も公共工事の発

注が多く、二人は休みの取りづらい中での逢瀬を楽し

むとともに、近場の北山山系や比良山系、鈴鹿山系を

走破しだした。

 伊吹山(標高1377m)は鈴鹿山系ではないが、

その北側にそびえる独立峰で、全山石灰岩に覆われ、

植物の宝庫として名高い。またスキー場は、関西から

も名古屋圏からも交通の便が良いこともあり、宏幸が

高校時代に何回か滑りに行った山である。

 ゴールデンウィークの始まる10日ほど前には、山

頂近くまでのドライブウェーが開通する。しかし、そ

れまでの春の山域は、いつ行っても花と残雪が楽しめ

る上、静かな山であるとガイドブックに案内されてい

る。

 宏幸は、4月の半ばに由美子を誘った。

 今日の由美子の出で立ちは、紺のタータンチェック

シャツに、グレーの綿パンである。光沢のあるピンク

系の口紅も宏幸には印象的である。

 宏幸の運転で、名神高速は彦根で下りる。そこから

山麓までは30分弱で着く。今の季節ならそのまま三

合目まで車で上れるのだが、由美子にとっては初めて

の山でもあり、あえて一番下から登ることになった。

 神社横の登山口から、杉林の中を急登すると一合目

で、一気に視界が開ける。

「ハンググライダーの練習をやってるね」

「最近、テレビでも紹介されていたスポーツやな。南

を向いた斜面だから、これからは南風の上昇気流が頻

繁になり、練習にもってこいの季節や」

 スキー場の中に付いている、草付き登山道を登る。

春風と陽気で、二人は直ぐにセーターを脱ぎ、半袖に

なった。

 朝方からの春霞も薄れてきて、

「今日は頂上の展望も期待できそうやな」

 登山道脇のワラビやヨモギを由美子が見つけた。

「ヨモギは子供の頃に、転んでケガした時には、よく

揉んで貼ったりしたわね」

「止血作用が有るからな。今の季節やったら、おひた

しや草餅にもできるで。このあたりは、昔から薬草が

自生していて、織田信長もこの辺りに薬草園作ったそ

うや」

 やがて、三合目が見えるころ、ポツンと一本の大き

な木に桜が咲いている。

「ここで小休止や。今年二回目の花見と、しゃれ込も

うやないか」

「タクアン持ってきていないよ」

「長屋の花見と違うで」

 三合目のホテル横を通り、しばらくはスキーゲレン

デを登る。

 そして、五合目のスキーリフト終点からは樹林帯の

登山道を通りながら、ジグザグの急登が続き、春の花

々が登山道脇に現れる。まずイブキハタザオの群生、

そしてスミレやタンポポの競演が続く。

 やがて、潅木も少なくなり、見晴らしの良い登山道

になるが、

「夏場は木陰が少ないので暑うてかなわんのや。そや

から、夜間登山が有名で、麓からは懐中電灯の長い列

が続くのがわかるんや」

「涼しそうね」

「山頂に着いたら、日の出まで仮眠するのやけど、結

構冷え込んだのを思い出したわ」

「高木君は、高校時代から、山登りやってたんだった

わね」

「ここに大きなお花畑が有るのを、図書館で知ったの

がきっかけや」

 ようやく九合目近くから勾配も緩くなり、お花畑と

残雪が見えてきた。

 山頂は大パノラマである。

「北の遠くに見える真っ白い山が白山、南は手前から

霊仙、御池岳、藤原岳と鈴鹿山系が続き、西側は琵琶

湖を挟んで、比良山や比叡山が見えるやろ」

「ここからジャンプしたら、琵琶湖に飛び込めそう」

「スキーすると、その感じが味わえるで」

「冬にも連れてきてね」

 ランチの用意にかかる。

「暖かいスウィートコーン入りのクリームシチュー。

ちょっと豪華やな」

「今の季節は、材料を茹でて持参しても痛まないから

ね。即席スープの素を入れて、温めればすぐ出来上が

りよ」

 出来上がったコッヘルを交互に渡しながら、宏幸が

言う。

「頂上付近のお花畑も綺麗やけど、取っておきの穴場

に、昼から行こう」

 二人は、まだ車が一台も止まっていない駐車場を抜

け、ドライブウエー道を少し下り始めた。除雪がまだ

終わっていないので、車道には雪の大きな塊がごろご

ろしており、雪解け水が盛んに車道を洗っている。

「伊吹山は積雪の世界記録を持っているんや」

「どれくらい?」

「確か、11m以上やったと思う」

 伊勢湾と、若狭湾に挟まれた場所は、本州で一番狭

く、冬の季節風の通り道になっており、伊吹山にぶつ

かり、多くの雪を降らせるからである。

 しばらく行くと、北尾根登山口と書いた分岐が現れ

た。分岐を北に下り静馬ガ原、燕平へ続く道を行く。

「1株から二本の白い花が立っているから、これはニ

リンソウね」

「正解や。白い部分はガクで、花はその中の部分や。

ところでニリンソウの花言葉は・・」

「知らないわ」

「優しい心や。由美子にぴったりやな」

「ありがとう、努力するわ」

「じゃ、あの群生している紫色の花は何かな?」

「えぇっと・・」

「カタクリや。昔は、あの根っこからデンプンを取っ

たんや。それがカタクリ粉。でも今は何からカタクリ

粉作るか知ってるか・・」

「知ってますよぅ。ジャガイモでしょ」

「料理する時、袋の裏側見たな」

「いいえ、料理教室の先生に教わったの」

「由美子が料理教室通うてるの初耳やな。それでか、

最近デートの度にうまい料理作ってくるのは・・」

「気付くの遅いよう、だ」

「いつも薄味の関西風で、よおできとるわ」

「お世辞でもうれしいわ」

 宏幸は、もっと先の国見岳まで行きたかったが、

由美子が料理教室に行く予定があるので、御座峰(標

高1090m)で引き返し、往路と同じコースで下山

した。


(参考文献)

アルペンガイド鈴鹿美濃       1992年版

                   山と渓谷社



・・・五色ガ原 1974年夏 に続く。

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