第二部(8、平湯)
平湯 1972年冬
宏幸は、佐知子との距離が離れるにつれて、鈴代と
は益々親密になっていった。ある日鈴代が、
「うち、スキーセット買いに行きたいんやけど、付い
てきてくれはる・・」
「お安い御用や」
「知ってる店あるやろか・・」
「大学の生協連合と協定結んでるとこ有るさかい、そ
こ行こう。京都にも有るけど、近くの梅田の店にしよ
う」
待ち合わせは梅地下の虹の広場。ここは大阪の北で
は有名な待ち合せスポットである。宏幸が10時に着
くと、近くに行くまで彼女とは気付かなかったが鈴代
は来ていた。今流行りのピチピチの白のホットパンツ
にタンクトップ風の鶯色の長袖のTシャツ姿である。
レイバンのサングラスをかけ、ボディラインもよくわ
かる姿が、宏幸にはまぶしく感じる。
「さあ行きましょう」
阪急三番街を通り、目的の店に向かう。
「73年モデルが出てるが、値引き率悪いし、旧モデ
ルでええやろ・・」
「ニューモデルだからと言うて、上達が早うなる訳な
いわよね」
72年モデルのフィッシャーの板に、赤ネバダのビ
ンディング、それに最近出だしたプラスチックブーツ
等を買い揃え、3割引きで8万7千円になったが、鈴
代はキャッシュで払った。
昼食を済まし、阪急シネマで映画を見ようというこ
とになった。
「うち、これ見たいわ」
「子連れ狼か。去年中村錦之介から萬屋錦之介に名前
変えた俳優やな。入ろか」
実は、宏幸は原作者の小池一夫のファンであり、週
刊漫画雑誌に連載されているので、大学近くの本屋で
いつも立ち読みしている。しかし、映画は結構リアル
で、大五郎の乗る乳母車から仕掛けで出てくる刀に、
相手の足が切断されるシーンで、思わず鈴代は小さな
叫び声を出し、宏幸の腕に顔を寄せ、しがみつくよう
な格好になった。
ストッキングは穿いているが、腿からの体温が伝わ
ってくる上、胸も押し付けられ、宏幸は、そっと鈴代
の腿に手を置いた。
結局、夕方までに金具取り付けてもらうように、ス
ポーツ用品店の人に頼んでおいたが、店の閉店時間に
は間に合わなかった。
「高木君、お願いがあんの」
「なんや・・」
「いつでもええから今日のスキーセット取りに行って
くれへん。うち少しの間忙しくて行けへんの。お店の
預かり書渡しておくから。それと、しばらくそのまま
高木君のうちで預かってくれへんかなあ・・」
「ええよ、鈴代の初すべりの時まで大事に床の間に飾
っておくよ」
12月に入り、学部は違うけれど、大学のセクト仲
間で、平湯の栃尾温泉近く出身の山川悟がいたのを、
宏幸は思い出した。
「31日から2泊で、平湯に行ってスキーしたいんや
けど、宿紹介してくれへんか・・」
「予算どのくらいかな・・」
「出来るだけ安いほうがええな」
「任せとき。二人やな」
山川は、中川屋という宿を、正月料金込みで350
0円で手配してやった。
急行たかやま号は高山には午後1時過ぎに着くが、
宏幸は、今から平湯に行っても中途半端になると考
え、
「高山市内見物しようか・・」
ということで、二人は出格子造りの町家や陣屋などを
見て廻り、3時過ぎのバスに乗り平湯に向かった。
中川屋は宏幸が思ったより高級感がある宿である。
庭園露天温泉に入り、食事を始めようとした7時過ぎ
に、山川から宏幸に、明日夜に宿に尋ねていくと電話
が入った。宏幸は、世話をしてもらったこともあり、
断りもできず了解した。
次の日は丸一日スキーができる日である。平湯温泉
スキー場はこじんまりしているが、パウダースノーが
売りである。宏幸は高校時代から比良山や伊吹山のス
キー場によく出かけており、一応バッジテストも2級
を取っている。
鈴代は、買ったスキーの足慣らしに、宏幸に頼み込
み、12月の中頃に伊吹山に連れて行ってもらい、ど
うにかボーゲンまでマスターした。
「次の日は筋肉がパンパンに張ったわ」
「若い証拠や。年いったら筋肉痛は遅れて出てくるよ
うになるそうや。まあ無理せんと練習しようか。その
うちストック無しでも滑れるようになるから」
「やって見せてよ」
宏幸はストックを2本とも体の前でそろえ、水上ス
キーのような格好になり、クリスチャニアで滑った。
「スキーをうまくなるコツは、足で滑ろうと思わず、
膝で滑るという意識を持つことや」
午前中はもっぱら鈴代へのコーチを行い、彼女がど
うにかシュテムターンを覚えると、午後は頂上まで連
れて行き、何本も滑った。
西日が平湯峠にかかる頃、宿に引き返した二人は、
貸切風呂で、ゆったりと疲れを取った。
食事は、正月でもあり別室に案内された。古い民家
調の部屋である。
「正月らしい料理がいっぱい並んでるんやね」
「食膳酒は梅酒。メインは飛騨牛のホオバ焼きか」
二人は日本酒を注文して、さしつさされつ飲みすご
す。
「結構いける口やないか・・」
「今日は特別よ。料理も美味いし、貴方と楽しい時間
が持てたからよ」
部屋に戻り、しばらくするとフロントから電話が入
った。
「山川や、ちょっと行ってくる。旅館の中の何処かで
飲んでくるわ」
鈴代はだいぶ赤くなっており、
「先に寝ているかも知れへんよ」
山川は意外にも、彼女を連れてきていた。
「高校時代の同級生で川口美紀ちゃん。ところで高木
の彼女は・・」
二人は大学ではめったに顔を会わせることが無いの
で、宏幸の彼女が誰であるかは知らないはずだと宏幸
は思っている。
「飲みすぎて、部屋で寝ているよ」
「四人で飲もうか思っていたのに、そりゃ残念や」
三人は旅館内のラウンジに移り、飲み始める。
「卒業までに、資本論読破する言ったけど、行けそう
か・・」
と、山川が言うが、
「山川は経済学部やから簡単そうに言うけど、理系の
頭ではどうも思考回路が混乱して、中々前に進まんの
や。特に中学社の訳本では、回りくどい表現やからな
あ・・」
「うちは、どこかの党派のような書斎派と違うから、
まあ、気長にやろうや」
「うん。ところで山川、就職は?」
「去年の6月に受けた放送局は、面接の時、機動隊と
の乱闘が元で怪我して包帯巻いてたんで、面接官から
は、下請けやったら紹介する、言われたんで蹴ってか
ら、又4社受けて、やっと9月に、親父のコネで名古
屋の印刷会社に滑り込んだのや。高木は・・」
「土建ブームのおかげで、募集賃金の高い第一希望の
関西組に通ったけど、いつまでこのブームが続くこと
やら・・」
横で聞いている美紀が、つまらなさそうにしている
ので、宏幸は話題を変え、恋愛談義に移るや、がぜん
彼女が乗ってきた。
「高木さん、彼女とは、どこで知り合ったの?」
「中学の時の同級生で、その頃はどうと言うこと無か
ったけど、去年の春に、通学で乗る駅でばったり会っ
たんや。見違えるほど綺麗になっててな・・」
「劇的再会なのね・・。私達と大違い」
「何が違ういうんや?」
と、山川。
「だって、私達、高校2年から付き合いだして、早5
年。そろそろ、考え時ね」
「おいおい、何が不満なのや・・」
「お互いの大学が遠いからって、全然会いに来てくれ
ないじゃない!」
痴話は続くが、酔いも回りだしてきたようである。
結局、三人は1時間余りで切り上げた。
宏幸が部屋に帰ると、鈴代は横になり、うたた寝を
していた。ただし、浴衣のままで布団も掛けずにであ
る。
宏幸は相当酔いが廻っていたので、鈴代の横に倒れ
こんでいたずらを始めた。浴衣に上から触ると、何も
着けていないようである。
用意がええことやなと思いながら、更に手をすすめ
ると、鈴代が目を覚ました。
「だいぶ酔うてはるね。今夜はだめよ」
「なんでなん・・」
「だって、夕べ2つとも使ったやんか。もう持ち合わ
せないのよ」
「じゃ、触るだけ」
「だーめ」
窓の外では、雪がしんしんと降り積もっていった。
章末注記
(1)急行たかやま号は、1999年廃止
・・・「別れの朝 1973年春」に続く。
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