第二部(6、萩津和野)

  萩津和野 1972年夏


 宏幸の大学の夏休みは、7月11日から始まり9月

10日に終わる。今年も小遣い稼ぎにアルバイトの予

定を入れたが、その前に佐知子との旅行を最初の3日

間で組んだ。

 待ち合せは京都駅朝8時と決めたが、宏幸が駅に着

くと、いつもは遅れて来る佐知子がもう来ている。

「今日は早いな。雨が降るかも知れんで。そやけど、

旅行に行く格好やないけど、どないしたんや・・」

「実は、朝早くに実家から電話があって、父親が入院

したの。だから悪いけど上高地行けなくなったわ」

「そら大変やな。どこが悪いんや・・」

「過労なの。最近工務店の金回りが悪くなって、金策

に走り廻ってたけれど、心身ともに疲れはてたみたい

で・・」

「どれくらいで帰れそうや・・」

「1週間くらい病院で様子見ると、お母さんが言って

るわ」

「いや、そうやない。佐知子が、いつ頃京都に帰って

くるか聞いたんや」

「何言ってるのよこんな時に。父の心配してくれたの

と違うの。冷たい人」

「ごめん、ごめん」

「場合によっては、夏休み中岡山かも」

「どんな具合か、電話おくれや」

「わかったわ。新幹線の時間無いから、行くわ」

 宏幸は、直ぐに上高地の宿泊先に電話を入れ、予約

をキャンセルした。そして、その夜、アルバイトの世

話をしてくれた、中学生時代の同級生の黒田鈴代にも

電話を入れた。

「14日から行く言うてたけれど、明日からでもええ

か・・」

「ええと思うよ。結構忙しいから」

 鈴代と宏幸は、同じ駅から電車に乗り込むが、時間

帯が異なるので、高校卒業から今までに二人は出会っ

たことは無かった。ところがこの春、宏幸が大学の校

門でビラ配りをする為に早く出かけると、駅でばった

り鈴代に出会ったのである。

 それから、宏幸は毎日のように昔の思い出を語ろう

と、通学時間を早めだした。その中で、彼女が門真の

電機会社に、高卒で入社したことも知った。そのうち

に、実は佐知子に内緒でデートらしきものも何回かし

た。

 デート代はいつも、

「高木君は学生さんやから」

と、鈴代が出してくれていた。

 夏が近づき、アルバイトを探していることを鈴代に

話すと、

「うちの会社に来たらええよ。毎年バイトの学生さん

募集してるから」

ということになり、行くことに決めてしまったのであ

る。

 宏幸は、毎日の行き帰りが更に楽しくなった。そん

な時間は、すっかり佐知子のことを忘れてしまうよう

である。

 8月に入り、その工場も、九日間の夏休みが有る。

おまけに、佐知子も9月にならないと帰れないと宏幸

に連絡があった。そこで思い切って、

「いつもデート代出してもろてるし、バイト代も入っ

たんで、一回奢らしてえな」

「そんなん、気い遣わんでええよ」

「旅行に行かへんか・・」

 一瞬鈴代は返す言葉を無くして、じっと宏幸の小さ

な目を見つめた。

「何よ急に。どこ行くんや・・」

「萩と津和野や」

「泊りがけね」

「いやか・・」

「高木君、彼女いるんでしょ・・」

「この春別れたから、今はいないんや」

と、宏幸は、やや下目がちに言ったが、鈴代は疑わし

そうに、下からすくい上げる目で、

「信用してええの・・」

「ほんまやて。他に彼女がいたら、こんな頻繁にデー

トでけへんやろ」

「ええわ。でも今から宿なんか取れるの・・」

「大丈夫や、17日の盆開けやからすいとったわ。仮

予約したんや」

「計画犯ね」

 宏幸にとって西方向は気がかりだが、行く所が岡山

を通り越すから大丈夫とタカをくくったようである。


 二人の旅はうまく行ったようで、SLにも乗れたの

で鈴代も大喜びした。小郡からバスで秋吉台を往復、

津和野で一泊する。次の朝は霧が川面を覆っていた。

「朝霧がでてるから、今日もええ天気になりそうや」

「どうしてわかんの?」

「霧が沸くのは放射冷却が原因。放射冷却は雲がない

からおこる。ということは、高気圧圏内に入っている

証拠やな」

「なるほどね」

 津和野は人口1万人前後の町だが山陰の小京都と呼

ばれ、ナマコ塀や白壁が映える町で、殿町の堀割には

鯉が泳ぐ。宏幸が、

「上賀茂の社家町に似ているなあ」

「映画の撮影ができそうなとこやね」

「今年放送された、新日本紀行で有名になったから、

人出も多いなあ」

「鯉もたくさん泳いでいるのね」

「なんでも坂崎出羽守が鯉の放流を奨励したそうや」

「坂崎出羽守って・・」

「元は宇喜多氏の一族で、関が原の戦いでは東軍に味

方して、家康から津和野を領地として貰った人や。も

っとも、千姫事件が元で、わずか16年でお家断絶に

なったけどな」

 森鴎外旧邸宅や三本松城址をめぐり、二人は午後3

時過ぎの列車に乗って、益田駅乗換えで東萩へ向かっ

た。

 萩は津和野と違い、幕末明治の動乱の渦中を経た町

で、武家屋敷が数多く残っている、毛利氏三十六万石

の城下町である。

「吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、数え上

げたらきりがないな」

「聞いたことある名前ばかりやね」

「薩長土肥いうて、徳川幕府を打ち倒す原動力となっ

た藩の一つの、長州から出た人たちや」

「そういや、高木くんは中学で歴史得意やったこと思

い出したわ」

「好きなのは戦国時代やけど、これくらいは誰でも知

ってるもんや」

 宿はクーラーの付いていない和室だったが、暑さを

忘れ熱く語る宏幸の歴史ばなしを子守唄にしながら、

宏幸の腕の中で、いつしか眠りについた鈴代であっ

た。


 翌日二人は、レンタサイクルで散策する。

「どこのおうちでも、夏みかんがなっているわね」

「明治維新で失職した、武士の暮らしを少しでも支え

ようとして、植えることを奨励されたらしいのや」

 指月城に登り、松下村塾の藤棚前で写真を撮り、午

後からは昨日来た経路を戻る。小郡から岡山までは特

急で行き、3月に開業した山陽新幹線に乗換え、新大

阪で下車をする。ホームを歩いていると、鈴代が、

「高木君は、うとうとしていて気がつかなかったかも

しれんけど、姫路を過ぎた頃、横を通った女の人が、

私の直ぐ前で立ち止まって、しばらく貴方のほう見て

たよ」

 宏幸は表情を変えずに、

「ほう、誰やろな。いくつくらいの人やった・・」

「私達と同い年ぐらいかな。ロングヘアーで、ジーパ

ン穿いて化粧っけなかったわ」

 宏幸は佐知子だと確信した。しかし、隣に座ってい

る鈴代とは、しゃべってもいなかったので、多分二人

の関係はばれとらんやろと思った。

・・それにしても早う帰ってきたな。・・

 しかし、9月に入るまで、佐知子からの連絡は何も

無く、宏幸も連絡しなかった。そして宏幸と鈴代は、

9月の初めまでのバイトが終わっても関係は続いた。


章末注記

(1)小郡駅(吉敷郡小郡町)は、2005年の山口

  市等との合併を見据え、2003年に新山口駅に

  改名された。

(2)千姫事件:大坂城落城時、家康が「お千を助け

  出した者に、お千を(嫁に)やる」との話を聞き

  つけ、(当時は宇喜多を名乗る)坂崎が豊臣方の

  武将から千姫を受け取って、徳川方に送り届ける

  が、家康が約束を守らなかったので、抗議の憤死

  したとされている。しかし、真相は違うようだ。


(参考文献)

ブルーガイド 山陰 1974年版  実業之日本社



・・・「上高地 1972年秋」に続く。  

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