第二部(1、木曽路)

  木曾路 1971年春


 春休みの4月初め、国鉄中央線奈良井駅に宏幸と佐

知子が降り立ったのは、桜見には少し早いが、春らし

い、ぽかぽか日和の日だった。

 奈良井は旧の宿場町で、格子戸や出梁造りの古い家

並みが、江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気

のある人気の観光地である。

「奈良井千軒と言われ、木曾路一番の宿場町やったそ

うや」

「宏幸、見てよ、うだつや猿頭も付いているね。建築

を学んでて参考になるわね」

 ぶらぶらと、歩き始める。

「駕篭が軒下に置いてあるけん、写真撮ろうよ」

「時代劇に出てくる町駕篭と違い、屋根だけの簡単な

もんやなあ」

 二人は散策を30分ほどで切り上げ、奈良井から薮

原までは列車を使わず、歩いて鳥居峠を越えることに

なった。 

 北斜面からの登りなので、肌寒く感じたのか、二人

ともセーターを着込むが、直ぐ汗を拭きだす。

「峠の茶屋はあるかしら」

「昔は峰の茶屋というのがあったと、ガイドブックに

書いてあるな」

 約2時間余りで鳥居峠(標高1197m)に着いた。

「鳥居峠は大分水嶺や」

「分水嶺って、どこにでも有るのかしら」

「京都府やったら北山山系、滋賀県は琵琶湖の北側を

通っているんや」

「琵琶湖の北側って、以外な感じ」

「滋賀県の川は、瀬田川以外はすべて琵琶湖に流れ込

み、その水は、南湖の先の瀬田川から宇治川、淀川を

通って、太平洋側の大阪湾に流れ込んでるからそうな

るんや」

 下りは南斜面で暖かそうである。正面に御嶽山を見

ながら、九十九折れに進むと、少し窪んだ日陰の道際

で、佐知子がヒトリシズカを見つけた。

「変った花ね。ブラシみたいな形しているよ」

「花の可憐さを愛でて、静御前になぞらえたものらし

いんや」

「静御前って、何?」

「源義経の彼女やがな。佐知子は歴史に弱いなあ」

「こっちの地面から、若芽出しているのは何かしら」

「蕗の芽かな。もう少し大きくなればフキノトウにな

って判るのやが」

 平地に下った薮原には、SLが停車している。

「C60貴婦人の現役や」

「東海道線ではもう走っていないの」

「京都駅の西の梅小路には飾ってるけど、実際に動い

てるのに出会えるとは感激や」

 薮原からは再び列車に乗り、南木曽で降りてバスで

庚申塚に行き、民宿に泊まる。

 島崎藤村の言うとおりで、「木曾路は山の中」であ

る。泊まり客は二人だけだったので、風呂も家族風呂

状態になり、夕食は囲炉裏傍で山菜料理が出た。

「宏幸、このおひたしは昼間見たのと同じ蕗の若芽じ

ゃない。採ってくれば良かったね」

 横で聞いていた、宿の女将が、

「どこで見つけられましたの」

「鳥居峠から少し下った、林の中ですけど」

「あのあたりなら、蕗とよく似ていますが、ハシリド

コロでしょうよ」

「ハシリドコロ・・」

と、二人が声を合わす。

「摂ってこなくて良かったですよ。毒草ですから」


 次の日、大妻籠の宿場を後に旧中山道を登っていく

と、男滝、女滝に立ち寄るコースが現れてきて、1時

間ほどで滝に着く。落差は大きくはないが、流量が多

い滝である。

「宏幸、コブシが咲いてる」

「残念でした。よう似てるが、あれはタムシバや。花

の下に葉っぱが有ったらコブシや」

 そこから、車道を横切り再び旧道を行く。

「このへんの雰囲気ええなあ」

「立場茶屋跡は、あと10分くらいかしら」

「この辺にトイレないかなあ」

「どうしたの」

「どうもシグレてきた、我慢できんわ」

と、言うや否や宏幸は道をそれて山中に分け入った。

 しばらくして、

「ふぅう、危ないとこやった。昔から胃腸が弱くて、

高校生の時も、授業中に我慢できずにトイレに駆け込

み、級友に笑われたこともあったのを思い出したわ」

「大変だったわね」

「起きがけに行っても、朝めし食べて又行きとうなる

こともあるんや」

「直せないの」

「小学校の時から、三人兄弟のうち、俺だけヨーグル

ト食べさされてたんやけどなあ」

 急な上りを登り切ると馬籠峠。石畳が多く残るとこ

ろである。

 峠を下ると、舗装された道が多くなり、大きな水車

小屋を過ぎて30分ほど下ると展望台に着く。桜がち

らほらと咲き出している。

「もう少しで馬籠宿や。藤村の故郷で、夜明け前の舞

台になった所やなあ」

「この辺まで来ると、平日でも人が多いのね」

 二人は、妻籠を出て3時間で山口村の馬籠宿に着い

た。午後は町中を散策して、もう一泊することになっ

た。

「ここも囲炉裏があるお宿ね」

「70年余り前に作られたそうやから、丁度19世紀

末頃の明治時代やな」

「何でも、当時大火災があって、ほとんどのが焼失し

て現在の姿に再現されたと、お宿の番頭さんから聞い

たわ」

「明日はバスで坂下駅経由して、田立駅から田立の滝

を見に行こうや」

「坂下って、夏にフォークジャンボリーの会場になっ

ている所ね」

「よう知っているなぁ」

「だって、宏幸が去年行きたがってたでしょう」

「そうやった。バイトの都合で行けなかったんや。岡

林の生の歌聴きたかったなぁ」

「岡林って」

「♪きょおのぉお 仕事はつらかったぁあ」

「いきなり歌わないでよ。それに宏幸って歌下手ね」

「佐知子が早う寝付くように、子守唄代わりに歌った

ろう思てたのに」

「気分悪うなるけん、耳栓して、おやすみなさいする

わ」

「そんなあ」


章末注記

(1)長野県木曽郡山口村は、越県合併により200

  5年に岐阜県中津川市に編入された。



・・・「槍ガ岳 1971年夏」に続く。

  

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