第一部(7、綿向山)

  綿向山 1970年秋


 11月に入り、宏幸は思い切って佐知子を両親に紹

介することも兼ねて、自宅へ彼女を招いた。最初は尻

込みしていた佐知子だったが、直接宏幸の母親から電

話を入れられたので承知した。

 そして、彼の計画では、そのまま泊めて、次の火曜

日は必須科目の製図と選択科目の測量をサボり、滋賀

県の日野にある綿向山に彼女を連れて行き、静かな山

で紅葉を楽しむつもりだ。

 交通の便も考え、初めて車での山行にしたのは、こ

の9月に中古のサニーを親に買ってもらったからであ

る。若者に人気のスポーツセダンで、出物を待ってや

っと手に入れた。走行距離は二千キロ程だったので、

快調に走るようである。

 名阪国道を名古屋方面に走り柘植から甲南に抜け、

国道307号線を日野の松尾北で右折して、しばらく

行くと左手に目指す山が見えてくる。

 音羽の交差点を左折、右手のやや高い田んぼの中を

走り、山裾からの道悪林道の終点が登山口である。

 古ぼけた山小屋に登山届けを放り込み出発する。薄

暗いジグザグの道を、何度か折り返しながら登り、三

合目の林道を横切り、もう少し行くと小さな広場があ

り、ひとまず休憩を摂った。

「紅葉も見ごろね。あの木はなんて言うの」

「ブナや。この辺りは原生林のままやから、郷愁に誘

われるな」

 五合目の小さな避難小屋あたりからは視界が開けて

くる。勾配も緩やかだ。佐知子が唄いだす。今流行っ

ている曲だ。

「♪あなたと、肩寄せ、歩いていても・・」

 宏幸も一緒に唄い、トワエモア風にハモる。

「♪・・そうよ、貴方は似ている、初恋の人に・・」

 唄い終わると、お互いに微笑んで見つめあう。

「佐知子の初恋はいつやったんや」

「小学校の5年生ごろかな」

「どんなふうやったんや」

「忘れたけん」

「嘘つくなよ。正直にしゃべらんと置いて行くぞ」

「相手の子が学級委員長、私が副やったかな。そんな

関係で、よく二人で打ち合せする機会があったんよ。

その子は結構やんちゃだったけど、正義感の強い子だ

ったわ」

「それで、佐知子が熱上げたんやな」

「正解」

「どうなったんや」

「その子は、岡山大学の付属中学に行ってしまって、

それっきりよ」

「話、中抜いたなぁ」

「次は宏幸の番よ」

「俺は小六かな。4年生から入っていた鼓笛隊で、ベ

ルリラを敲いている子がいて、その子のショートパン

ツから出ている足が、まともに見られんかったんや」

「結構うぶね」

 あれこれと初恋談義が進むうちに、行者堂のある七

合目に着いた。ここからは直登で勾配もきつくなりだ

す。冬道と呼ばれる道を辿り竜王山への尾根道を右に

少し行くと、綿向山頂上(標高1110m)に到着。

登山口から2時間丁度で登れたのである。

 頂上には、今年の9月に、日野町の青年達が作った

2.5m程の石塔があり、50年後に開けるというタ

イムカプセルを埋め込んだと、銘盤に書いてある。

 東側の開けたところで昼食を摂る。西の風が少し吹

いているが、晴天で鈴鹿山脈が一望できる。

「手前が雨乞岳で少し右の尖った山が鎌ガ岳。左へ竜

ガ岳と、フクジュソウで有名な藤原岳で、そして標高

が1242mの鈴鹿の最高峰、御池岳や」

「福寿草って、お正月なんかに見かける花ね。山では

いつごろ見られるの」

「3月か4月頃かな。来年行こう」

「遠くに見える、白い山はどこかしら・・」

「よう見つけたな。高い山はもう冠雪しとるから判り

易いなあ。あの方向やと御嶽らしいな」

 下りは、西の急階段を降りると南西の山々の展望も

良く、紅葉も始まっている。

 九合目を少し下がった所から、道をそれて左へ下る

と金明水がある。岩肌に差し込まれた導管から、けっ

こうな水量が出ている。

「飲めるのね」

「唯一の水場や」

 佐知子が先に手ですくって飲む。

「水が甘く感じるわ」

 登山道に戻り、七合目手前で、来た道と合流する。

 二合目にかかる頃、佐知子が赤い実の成る、低い木

の植物を見つけた。先っぽに小さな実がいっぱい付い

ていて、拳大の大きさである。

「マムシグサの実や」

「物騒な名前ね。蝮の好物なの」

「春に咲く植物やけど、苞と言う葉の変形したものの

形が、蝮の頭のように見えるとこから付いた名前やそ

うや」

「赤く熟れておいしそうね。猿や鳥が食べないのかし

ら」

「毒を含んでいることを知っていて、動物達は見向き

もしないそうや。触るだけで手が爛れるから気ぃ付け

や」

 帰り道は、鈴鹿スカイラインを三重県側に越えて、

湯ノ山温泉に立ち寄りる。

 1時間弱で、また、車中の人となる。

「アルカリ性ラジューム泉で、美人の湯と書いてあっ

たな」

「少しは美人度があがったかしら。どう?」

「・・・」


 章末注記

(1)二人が登った11月10日と言う日は、199

6年に日本最初の日付高度の山として制定され、毎年

記念イベントが行われている。


(参考文献)

アルペンガイド 鈴鹿美濃1992年版 山と渓谷社



・・・「六甲山 1970年冬」に続く。

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