第一部(4、新年会)

  新年会 1970年正月


 学園紛争盛んだった1969年も、宏幸は怪我もせ

ず無事終えた。明けて70年早々、遊び仲間が左京区

にある佐藤の下宿に集い、新年会を開いた。メンバー

は、宏幸に浜田と、女性は香織と由美子が参加。佐知

子は年末から岡山へ帰省して、まだ京都へ帰っていな

かった。

 ビールを飲みながら、昨年公開された映画の話題に

移った。香織が、

「ねえみんな、明日に向かって撃てを見たことある人

いるかしら」

「私、ポールニューマンのファンだから封切られて、

すぐ行ったわ」

と、由美子が答える。

「最後の台詞と場面が印象的だったなぁ。撃ち合いシ

ーンの音だけで終わらせたんだから」

「レッドフォードロバートとロスキャサリンの、三人

の関係も微妙な感じやったな」

「ロバートレッドフォードと、キャサリンロスでしょ

う、高木くん」

「何言うてるんや、中学校の英語で習うたやろ。英語

では、名が先で姓が後の表現になると。だから日本語

訳すれば、姓が前になるんやないか」

「でも、人の名前は、ひっくり返さず言うもんよ」

「じゃあ、由美子は英語で自己紹介する時、メェイア

イイントロデュースマイセルフ、アイムフクモトユミ

コ、と言うとるんやろな」

「いいえ、ユミコフクモトよ」

「おかしいやないか。ひっくり返さずに、そのまま言

うと言うたやんか。中国人や朝鮮人でも、英語では、

姓、名の順で自己紹介してるで。姓が先は漢字圏の文

化や」

「そう言われればそうね、気をつけるわ。高木くんっ

て、結構論客ね」

「当り前や、明治の官僚によって敷かれた、脱亜入欧

を何時までも盲従することないんや」

「でも、ポールニューマンのあのビビッドな青い目が

たまらないわ」

「戻っとる、戻っとる」

 だいぶ皆のメーターが上がってきた。

 みんなは二十歳を向え、酒も遠慮なく飲めるのでピ

ッチも早くなり、その分廻りも早いので、2時間もす

ると、ゴロリと横になり、うとうとするものも出だし

た。

 宏幸は、少し酔いを醒まそうと外へ出て、ぶらぶら

と西へ歩く。暫く行くと、下鴨神社のこんもりした森

のシルエットが浮かんできた。まだ9時前だが辺りの

人通りは殆ど無い。

 後ろから、二人連れの足音がしたので振り返ると、

背の高い佐藤の左腕に、ぶら下がるように由美子がく

っついてきている。

「俺が出ようとしたら由美ちゃんもついてきたんだ。

だいぶ酔うてるみたいなんだ」

「そんなら風にあたろう。川に降りてみようか」

 三人は高野川の左岸の遊歩道に降り、岸辺で由美子

を真ん中にして座る。佐藤が、

「由美ちゃん、寒くないか」

「平気よ。それに寒くなったら両側から風除けになり

なさいよ」

「わかりましたよ。まるで女王様みたいやな」

「違うよ、今はロスキャサリンの気分よ」

「それじゃ俺がニューマンポールで、佐藤がレッドフ

ォードロバートかいな」

「高木くんの小さい目はビビッドじゃないもん。だか

ら佐藤君が私の好きなニューマンポールよ」

「やっぱりな、俺の方がモテルタイプだな」

「ちぇ、ええ加減にしいや」

「れも、高木くんも好きよ」

「ありがとさん。だいぶ酔いが廻っとるな」

「こんなに静かで暗い所や、二人とも狼に変身するか

も知れんよ」

「今夜は、満月と違うから安心してるわ」

「俺たちはバンパイアかいな」

「寒うなってきたから戻ろうか」

と、佐藤が立ち上がり促す。

「私、まだここにいたいの。高木くん、残ってよ」

「しようがないなあ。佐藤、暫くしたら戻るから、雑

魚寝させてくれよ」

「うん、多分他の二人はもう雑魚寝してると思うわ」

 二人だけになり、暫くすると由美子がお尻をいざら

せて寄ってきて、上目使いに、

「高木くん、コートの中に入れてよ」

「こうか」

 宏幸はダッフルコートの引っ掛けを外し、由美子を

包み込むと、震えが伝わってきた。

「やっぱり寒いのやないか、痩せ我慢するなよ。帰ろ

うや」

「いやっ」

と、由美子は大胆にも宏幸の太腿の上に乗ってきた。

「きつく抱きしめて。今だけは、さっちゃんのこと忘

れて」

 バルキーセーターを通して、柔らかなものを押し付

けてくる。

「佐知子とは、まだそんな関係やないんやで」

「よく喧嘩してるの見かけるけど、仲の良い証拠よ」

「困った娘やなあ」

と、戸惑いながらも、宏幸は要望にお答えした。

 由美子の唇から伝わってくる息に、宏幸は甘い香り

を感じ取った。


 章末注記

(1)脱亜入欧:政治や文化を、アジア一辺倒から抜

  け出し、ヨーロッパに目を向けること。

(2)パスポートは1996年頃から、中学英語も2

  002年から、姓、名の順に英字表記されるよう

  になった。



・・・「比良山 1970年春」に続く。

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