関連作『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』(著 里中高志)

2019.04/早川書房

<電子書籍> 有

【評】 うな


栗本薫/中島梓の半生を緻密な取材で追った評伝


一読してわかるのは、大変真摯な作者であり本であるということ。

膨大な量の栗本薫/中島梓の著作をよく整理し、栗本薫の関係者への取材も綿密に行っている。特に取材した関係者は、旦那である今岡清や息子の今岡大介、ファンクラブである薫の会のいつもの面々は当然として、実母の山田良子や、エッセイでよく言及されていたピン子さん、中島梓の演劇に出演していた役者に、晩年のアシスタントを務めていた子から、JUNEの同朋である榊原史保美や愛弟子の江守備、果ては大学生時代につきあっていたというTくんまで、よくもまあ見つけたきたなという顔ぶれで、この点に関しては、実に真摯で頭が下がる思いだ。


が、面白い本であったのかというと、その題材に比して退屈で面白みに欠ける本だったと言わざるを得ない。


出て日の浅い本なので詳しい内容への言及は避けるが、端的に言うと前半部分、作家として世に出るまでの部分は、実に緻密に取材してファクトを重ねており、よくできていると手放しで褒められる出来だ。

その結果として浮かび上がる山田純代少女像が「いつも下を向きながら猛烈な勢いで喋り倒し、少ない友達に依存していつもつるみ、漫画にハマってすぐ真似をする」というどこにでもいる痛々しいオタク以外の何者でもなく、僕のことかなって感じでとてもつらかった。結局、成功したコミュ障のイキりを、同じようなコミュ障の読者が支持していただけなんだな、って……。


ともあれ、前半生に関して興味のある人には、とてもよい伝記となっているだろう。


反面、デビュー後、特に九十年代以降の作家的評価の失墜に関しては、「毀誉褒貶が激しかった」程度の描かれ方にとどまっており、有り体に言ってつまらない。


栗本薫/中島梓という作家の人生を俯瞰した時、面白いのは前半の絶頂と後半の失墜の落差であるのはどう考えても間違いない。ファンが離れていって売れなくなった作家はいくらでもいるが、ここまで元ファンがアンチ化する人は珍しいだろう。

しかしそこに対する踏み込みは非常に浅い。


毀誉褒貶の部分に対しても、嫌って離れていく人が多かったことや、一時期べたべたするが些細なきっかけで疎遠になる人が多かったことには言及しているが、その嫌って離れていった人や疎遠になっていった人への取材は一切なく、そのせいで人間像が立体的に浮かび上がってこない。

最後まで好意的に見ていた人々から見た像も確かに重要ではあるが、毀誉褒貶が激しい人であればこそ、本当に嫌っていた人から見た像も見せてほしかった。


また伝記としてはともあれ、「評」の部分に関してはほぼ為されていない。ことに彼女の人生と作品を重ねるようなところでは、ほぼ中島梓のエッセイと私小説「弥勒」「ウルムチ行き」からの抜粋にとどまり、小説に作者の生を重ねて読み解くようなことはほぼしていない。


というか「弥勒」を重要視しすぎている辺り、わかりやすい解答に飛びついた感じで卑俗的に過ぎる。

自分も「弥勒」という作品は評価しているし、栗本薫という作家の一面を知る重要な史料ではあると思っているが、作品を追っていけば分かる通り、無垢なる白痴や弟が重要な存在として登場するのは初期作品に固まっており、結婚後、家を出てからの作品には弟の影はほとんど見られない。


一方で、「弥勒」にもその一端が垣間見えている、自分を理解しない世界への理不尽なまでの怒りに関しては、短編「ポップコーンを頬張って」「ONE NIGHTララバイに背を向けて」等の佳作・傑作をものしているが、そこに絡めるような評もなし。

(余談だが、この怒りはほぼ終生にわたって栗本薫を悩ませた自意識であり、これに関しては著・今岡清「世界でいちばん不幸で、幸福な少女」の方がずっと詳しく描かれていて面白かった。なにが面白いかといえば、このときの旦那のムーブが「翼あるもの 下巻」で描かれた、透に対して世界の代わりに謝ってくれる巽さんの行為そのものなことだ)


この辺り、その時々の自分の人生であった事件や人間関係のトラブルをそのまま小説にしてしまう作家を題にとった評伝としては、非常に面白みに欠けると言わざるを得ない。


大変どうでもいい部分までいうと、伊集院大介シリーズについて「社会派ミステリー全盛の時代に」など書かれており「あー、これねー、わいも自分のブログでそう書いているけどねー、栗本薫をageるために書いた大嘘なんだよなー。あの時代なー、そりゃ仰々しいトリックを用いたものが評価されるのは八十年代後半の新本格ブームまで待たなきゃいけないけどさー、もう社会派ミステリーは全盛期を過ぎて、社会派の重い部分を抜いたような山村美紗とか西村京太郎が売れだしててさー、横溝正史がリバイバルされて売れまくっててさー、そこでまあホームズ型ではなく金田一耕助フォロワーの探偵である伊集院大介が出てくるってのは、わりと自然なんだよねー。フットワークの軽さはすごいんだけどねー。まー、この評伝の作者、わいと同世代だから、当時の空気をリアルタイムで知らないからなー。わいのブログでも見て真に受けちゃったのかなー」とか思っていたら、巻末の参考資料に本当にわいの全著作レビューがあってヒェッってなった。どうでもいいけどカクヨム版のアドレスが載っていたけど、わいの全著作レビューはブログが本丸でカクヨムのは出張版だから……。

まあ、実際にわいの文章を真に受けたかどうかはともかく、当時のミステリ界隈の情勢やSF界隈の空気を調べられずに書いている辺りは、調査が甘いと言うよりない。


あとまあ、早川から出ている以上しょうがないんだろうが、栗本薫界隈での「太陽風交点事件」の言論封殺ぶりは本書でも続いており、なんだかなーと思った。薫も旦那もまじであの件には一言たりとも触れようとしないからなー。


なんかとりとめのない感想になってきたので適当にまとめてしまうが、全体的に「感受性の鋭さゆえにときに苦しみながらも、書きたいという妄執に突き動かされ世界最長の物語を書いた偉大な作家」という方向性にもっていきたいのが見え、そのラインにまったく乗る気のない自分としては「いやいや、騙されないからね」という気持ちになるばかりだった。

ただ著者の感情を最小限に抑え、取材から得られた証言を重ねる手法は、一見客観的な事実であるように見え、栗本薫に関することを良い思い出としてまとめた気分になりたい人にとっては良い本なのではなかろうか。


……あれ?「自分の読みたいものではなかったけど真面目につくってあるしけっこうよくできてるよ」くらいの感想にするつもりだったのに、なんかボロクソに書いてる……。

いや、まあ、ホント真摯だし真面目に書いてあるしそこそこ読みやすいし、この本で初めて知る新事実もいろいろあったし、悪い本ではないと思うよ……。

これ読んで「栗本薫もいろいろ大変だったけど偉大な人だったんだなあ」とか納得する人もけっこういると思うしさ……。


ただあのぐちゃぐちゃの自己愛モンスターのハイパーマスターベーション小説群を、たまたま同じようなクソな自意識を持っているがゆえにいっしょにンギモッヂイイしていた読者としては、そんな適当な綺麗事でまとめられても困るっていうかさ……。まあ死んで十年も経っていまだにぐじぐじ言ってる人間は客にしない方が賢いですけどね……。

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