関連作 漫画版『鬼面の研究』(作画:まんだ林檎)
2009.05/ジャイブ 全二巻
<電子書籍> 有
● 森カオルショタホモ化問題
伊集院大介シリーズ第三作『鬼面の研究』のコミカライズ。
作画は前作『優しい密室』に引き続きまんだ林檎氏が担当。
下巻巻末に短篇『伊集院大介の私生活』収録。
『優しい密室』が好評だったのか、そのまま次作である『鬼面の研究』もコミカライズ。
あとがきによると、遡って『絃の聖域』にしなかったのは男性読者には厳しい作風であるのと、せっかくだから森カオル続投させたかったからのようだ。
出会いを描いてフェードアウトしたらなんのための主役だったんだよ感があるから森カオル続投はわかるが、それにしても『鬼面の研究』とはまた地味なものを……。伊集院・森コンビでやるなら他の長編、例えば……例えば……。
あ、ないじゃん。
『絃の聖域』は森カオル未登場、『猫目石』はどちらかというと『ぼくら』シリーズ寄りの話なので伊集院シリーズのコミカライズとしては不適格。『冒険』と『私生活』は短篇集。『天狼星』はミステリーではなく怪奇小説だし、そもそもこの冒頭で森カオルは謎の結婚をして助手役を引退してしまっている。例外的に晩年に出された『樹霊の塔』が時代を遡って伊集院・森コンビ時代の話になっているが、あんなものコミカライズしても誰も喜ばないし、そもそも前作でちょっとときめいた感じで終わって次に『樹霊の塔』なんぞやったら胸糞悪いクソビッチストーリーにしかならないではないか。
うーむ、そう考えると、本当に『鬼面の研究』しか選択肢はなかったのか……。大介・森・山科トリオ時代が圧倒的に安定感があって面白いからシリーズがそれで続いていたかのような錯覚があるけど、三人が揃っていた時代って全体で見るとめっちゃ短いんだな……なんか切ないよ……。
ともあれ、『鬼面の研究』のコミカライズである。
前回の少女漫画風から一転してスタイリッシュな表紙になり、大介と森カオルだと思しき人物がスーツ姿に。
「なんで横溝正史パロみたいなこの話で『トリック』風だか『アンフェア』風だかわからんけど近年のミステリドラマ風スタイリッシュスーツ姿やねん」とツッコミを入れたくなるが、読み始めてみると作中ではふたりともまったくスーツなんか着ていないので「だからなんでやねん!やるんだったらいっそ作中でも原作無視してスーツで決めてろや」という気持ちになる。
まあ、純粋に表紙デザインのみで見た場合はこっちのほうが好きではありますけどね……。
で、中身なんですが、まず森カオルがショタホモ化していて「おいちょっと待てや」という気持ちになります。
いや、性別は女性のままなんだが、なぜか髪が脱色されて短くなり、胸も小さく、服装もトレーナーとジーパンなどがメインとなり、BL漫画の年下の受けキャラにしか見えなくなっている。つうか作者が書くBL漫画の受けそのものである。なんで女子高生が十年経ったらショタになっとるねん。お前が大介とベタベタしてたまにきゅんとしてたらただのショタホモやないか。『絃の聖域』がショタホモネタだから避けたのになんでここでショタホモ突っ込むんや。
わいはこの時期の森カオルはデビュー直後の薫当人そのまんまみたいな感じでイメージしていたから、このショタホモ化にはまいった。あとがきで「おっさんだらけで華がないから一部のキャラを女性に変更した」とあるが、華が欲しいならなぜ森カオルをショタホモにしてしまったのか。
だが、明らかにこのショタ森カオルはまんだ林檎氏当人の自画像と系統が似ている。森カオルのキャラは前作の時点でわりと原作のお嬢さまキャラからアレンジが加わっていたが、どうやら薫が自己の分身として生み出した森カオルを、漫画化に当たったまんだ林檎氏も自己の分身としたようだ。そう解釈すると、それはそれでアリなのかなという気がしないでもないが、でもぼくはノンケなのでショタホモちょっときついっすね……。いや、男っぽい女の人はカッコイイのもボーイッシュなのも好きなんですが、性別女のショタホモはちょっとちがうっすね……。というか、ショタホモが好きなら『仮面舞踏会』にすればよかったじゃん……アトムくんで存分にショタるべきだったじゃん……。
と、わりと内容以前に「なあにこれえ」感にあふれてしまったが、内容も前作に比べるといまいちである。
ミステリー漫画、ことに原作付きのものにとっては宿命的なものでもあるのだが、今作はとにかくネームの量がうるさい。原作にあった説明セリフがネームとしてページ内にあふれていて読むのがしんどい。これでも原作から大幅に削っているのはわかるし、閉ざされた山村の因習やら家系やらを説明しなきゃならないのでネームが多くなってしまうのもわかるのだが、それでもめんどうなものはめんどうだ。今作を漫画として面白くするとなると、もっと伝わりづらい要素を大胆に削る抜本的な改変が必要であったと思われる。
結果として、原作に忠実ではあるがあんまり面白くない作品となってしまっている。
そもそもの問題として、今作を00年代も終わろうという時期にコミカライズするというのが、わりと無謀なのだ。
ストーリー自体は、原作通りに山奥の村にテレビ撮影で訪れたスタッフが次々と殺されていくという連続殺人もので、あからさまに横溝正史を意識した、むしろパロディといってもいいものとなっている。トリックというか事件の経緯も「物理的には可能だけど人間心理的にわざわざそんなことやるか?」という、本格ミステリ批判の常套句である「リアリティがない」と云われる類のもので、栗本薫ミステリとしてはミステリ的な辻褄合わせをかなりがんばってしている作品である(辻褄が合っているとは云っていない)。さらに原作では解決編の直前に「読者への挑戦状」までついているというのだから、完全に本格ミステリの戯画である。
こうした外郭、テレビ取材という設定、およびストーリーのオチなどからわかるように、本作は本格ミステリへのオマージュであると同時にパロディであり、テレビ文化への反意・警鐘を書いた作品でもある。新本格が勃興しその後もミステリーが幾度も変質した現代、テレビ文化が力を失いつつある現代では、そのまま描いても作品のもつ妙味がなにも出てこない。
かといって横溝風ミステリーとして普通に読むには、助清さんもいないし逆さまになって池に突き刺さってたりもしないので、いまいちインパクトに欠ける古臭いだけの地味な作品である。
原作は綾辻行人が好きな作品として挙げたこともあるほどだから、本格ミステリ不足の八十年代前半ミステリマニアになにかを突き刺すものがあったのは確かだろうが、その刺したものがなんだったのか、あまり考えずに原作をなぞってしまったのが本作の敗因だろう。
いやまあ、他の人の評価は知らないから勝手に負けたとにされても困るかもしれないが、伊集院シリーズのコミカライズ計画はここで終わっているので、あまり商業的な成果は出せなかったのは確かだろう。『伊集院大介の冒険』『伊集院大介の私生活』、あと単行本未収録のもいくつかと合わせて、短篇シリーズを漫画化したほうがよかったんじゃないかなあ。
その『伊集院大介の私生活』より表題作を漫画化したものが下巻の巻末に収録されている。
これは最近出かけるたびに変なものばかりを買って帰り、山手線に乗ったまま何周もぐるぐるする伊集院大介を、森カオルと山科警部が尾行して謎を突き止めようとするコメディ調の話。
元がコメディで進行しつつちょっといい話にして落とすという安心の作りなので普通に面白く読める。
が、大介が買う雑誌が『微笑』から女子高生向け雑誌に変えられているのはいただけないわね……。
この『微笑』というのは、栗本薫が不倫騒動で騒がれたときに、ことさらひどく取り上げた女性週刊誌だ。その雑誌を大介が買ったことに対して森カオルと山科警部がものすごく『微笑』を馬鹿にしたようなことを云うのが、私怨丸出しで楽しい名シーンなのだから、あそこは『微笑』じゃなくちゃいけないんだ……!
いやまあ、とっくの昔に廃刊になっているからそのまんまやっても古い読者にしか伝わらないだろうけどさ……でもせめて女性週刊誌にして欲しかった……。
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