関連作 漫画版『優しい密室』(作画:まんだ林檎)
2007.01~2007.11/ジャイブ 全二巻
● ある一点を除けば完璧なコミカライズ
伊集院大介シリーズ第二作目のコミカライズ。
初代助手役となる森カオルと伊集院大介との出会いを描いた物語。
ストーリー自体の評は原作の項に譲り、コミカライズとしての出来のみに関するレビュー。
作画のまんだ林檎はファンであった栗本薫の指名により担当することになったという。BL漫画家であるが、女性向けの男女エロ漫画であるTLやコメディ漫画なども描いている、ライトエロを中心としてわりとなんでもやる系の作家で、比較的ショタ物が多いのが特徴。もっともこの人の本はそんなに読んでいるわけではないので割愛。個人的に読んだ範囲ではコメディ要素のある男女エロものが一番面白い作家だと思う。
あとがきによれば、まんだ林檎氏自身もまたもともと伊集院シリーズのファンだったという。一読した印象ではその言葉に嘘はなく、良いコミカライズの条件に作画者が原作をどれだけ好きかというのがあるが、今作はその点に関しては申し分の出来と云えるだろう。
つまり、今作はコミカライズとしては上質な作品であり、伊集院大介シリーズの入門書としては最適な一冊となっている。
今作と原作の最大の違いは、主人公である森カオルの可愛さだ。それはなにも可愛めの画風やメガネっ娘として手堅いキャラデザインを指しているものではなく、様々な表情や動きの描き方などから、作者が森カオルを可愛いと思って描いていることが明白ゆえだ。特に上巻の表紙にもなっている椅子で足を組んでいるところや、屋上前の階段であぐらをかいている姿など、作中で何度も描かれる一人でいるときのがさつで色気のないポーズの数々が実に可愛く描かれており、自分のような「油断した女の姿」に興奮する性癖の持ち主にはたまらない。(ちなみにこの気持ち悪い性癖の持ち主のあいだではクレヨンしんちゃんのみさえが大変な人気を誇るので、みさえ好きには本作をおすすめしたい)
栗本薫はこの自身の過去を投影した森カオルというキャラを嫌っており、ついには助手役を降板させてしまうに至るわけだが、その点で主人公に対する作者の視点がまるっきり違うのが、原作と漫画版の最大の違いだろう。
一方で伊集院大介もかなり美化され、いわゆる羽生名人のようなぬぼっとしたインテリタイプが好きな人へのド直球となっているが、これは漫画としては違和感のない範囲であり、原作自体が『天狼星』以降イケメン化したこともあって、わりと普通である。かなり腐女子的な視点で可愛く描かれてはいるのだが、そもそも初期の伊集院さんは原作でも可愛いので仕方ない。
今作のストーリーテリングの肝に、第二作ということもあって読者にはすでに探偵だということが知れている伊集院大介を森カオルが怪しみ、事件に対して限られた情報からトンチンカンな推理を組み立てては失敗するという、ドジっ子を見るニヤニヤ感があるのだが、この部分に関しては森カオルの陽気なコメディエンヌとしての魅力が原作よりも強いため、よりニヤニヤ感が高まっている。
大介との会話も、デフォルメ顔を多用した森カオルのリアクションにより、事件の渦中であるのにほのぼのとした空気を出しており、この二人の雰囲気に関しては、原作とは微妙にニュアンスの違いを感じるが、カップリングとして萌えていることが伝わってくる良い出来である。
ミステリーとしても、これは漫画という媒体自体の利点だが、ネームと図のあわせ技で状況整理がしやすく、どのような状況で、どういった筋道で推理を展開させていっているのかが大変わかりやすくなっており、非常に読みやすい。
授業中に手紙が回ってきたり、数少ない学内の男にざわめいたりする女子校の雰囲気も、栗本薫の過ごした七十年代風ではなく現代風にアレンジされ、いま読むにも違和感がないようになっている。(あとがきで作者自身が書いているように携帯電話がないのは現代的ではないが、それは致し方あるまいしあまり気にならない)
基本、原作のストーリーに忠実でありつつ、また原作よりもコメディ調の演出が増えていることもあって大変に読みやすく、伊集院大介という「優しさ」が最大の武器である名探偵の魅力もしっかり出ているため、シリーズ入門編としては最適な一冊と云えるだろう。
ただ、これは栗本薫ファンであるがゆえだが、原作に忠実であるのに、どうも物足りなさも感じてしまう。最大の原因は、まんだ林檎という人が栗本薫ほど学生時代に鬱屈してなかったんだろうと思わせるところだ。いや、BL漫画描いているんだからそれなりに人よりは鬱屈しているのかもしれないが、作品からはコメディエンヌとしてふるまえる、友達のいる人のように見えるので、とてつもなく鬱屈した自意識を抱えていた栗本薫とは、森カオルから漂う面倒臭さのレベルが違うのだ。
そしてそのことが、ラストの伊集院大介に対する気持ちの違いとなっている。
原作の『優しい密室』は、ある種、のちに旦那となった今岡清へのラブレターのような作品である。
原作執筆当時にすでに二人が不倫関係にあったのかどうかは自分には知るよしもないが、栗本薫はまだ前の彼氏とつきあっている時分にハヤカワの担当編集者であった今岡氏に、SFとはまったく関係がない出版前の『真夜中の天使』を読ませ「お前はすごいものを書いていたんだねえ」と云われたことを、何度か語っている。惚気である。栗本薫にとっては否定されることをなによりも恐れていた心の秘密であるホモ小説を初めて見せ、それを肯定してくれたこのときこそが、恋に落ちた瞬間なのだろう。
この瞬間のときめきを創作に落とし込んだのが『優しい密室』の森カオルと伊集院大介の関係である。無論、伊集院大介は今岡清氏そのものではなく多分にアレンジされているが人物形成のベース部分にかなり食い込んでいるモデルである。(初期の創作メモには「さだまさしと今岡さんを足して割ったような」と記されているらしい)
また、後に公開された十代のときに書いた習作や、没後に公開された日記の一部を読むと、栗本薫――というか山田純代少女は、己の自意識やホモ趣味に対してかなり苦悩していたことが窺える。
こうした「あの頃の自分」に、今岡さんのような「わかってくれる人」を出会わせ、その想いを受け止め、焦ることはないのだと諭してあげて欲しい気持ちが、意識的なのか無意識的なのかはわからないが、『優しい密室』という作品には確実にある。
今作が、ミステリーとしての凡庸さやストーリーの地味さに反して、爆発的な人気はないものの幅広い世代にファンがいるのは、こうした不安や焦燥を抱えた少女時代というものが(特に創作に携わろうという気持ちがあるのなら)どの時代の人間にも普遍的に存在するからだろう。
この漫画版は、原作にも森カオルにも伊集院大介にも大きな好意を示し、エンターテイメントとしては原作以上かもしれない部分もありながら、最も大事な核となるその一点に関しては、残念ながら原作にまったく及んでいない。仕方あるまい。まんだ林檎は今岡清に恋していないのだから……。
巻末にはおまけとして短編『伊集院大介の一日』も収録されている。
こちらは原作自体も最高に大介に萌える作品ではあるが、その萌えを十二分に伝える最高のコミカライズである。狭い部屋でゴロゴロ本を読む大介や、家で本を読み続けるか徒歩十分の事務所に出勤するか本気で迷う大介、だらしのない着替えをする大介など、ぬぼっとしたインテリに萌える人にとっては完璧な一作である。
無論、ちょっした日常会話からとんでもない推理を披露して解決してしまう大介の超能力ぶりと優しさも原作通りに再現されており、こちらに関してはまったく文句がなく100点満点のコミカライズとなっている。
本の構成上仕方ないが、むしろこの短編から読むのが一番良いかもしれない。
しかし……コミカライズした人間の罪ではまったくないのだが、『優しい密室』のトリック、原作でも無理めに感じていたけど、絵にしてみるとやっぱり無理がありすぎるよね……ゲーセンのプライズゲームみたいな難易度でしょこれ……100円でとれると見せかけて何千円も沼っていくアレだよこの配置……。
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