401 浪漫之友 14号(同人誌)

2008.07/天狼プロダクション

<電子書籍> 無

【評】 ―


● ♪背くときも 背くときも


 栗本薫個人同人誌第十四号。

『ヴァンパイア・サーガ5 約束』『ヴァンパイア・サーガ6 再び庭園で』『背くときも』収録。



『ヴァンパイア・サーガ5 約束』

 ヴァンピールとなったのになぜだか自我が邪魔して一族になりきれないサミュエル・ヴァン・ヘルシングは、おなじ時期にヴァンピール化し、いまやすっかり一族になりきっているアル・ロックスターへの恋心を自覚し、いつか自分が黒薔薇館を去ることを予感する――

 第一話で「ホモじゃないのにしゃぶりたくなった」と意気投合したホモが、相手が人間外のなにかになってようやく自分がホモとして惚れていたらしいと気づく話。あれ別に吸血鬼の仕業とかじゃなくてガチのホモの衝動フェラだったんかい。ホモじゃないけどじゃねえだろ。

 話自体は「伯爵とのキメセクは最高に気持ちいいけど俺が欲しいのはこいつの心だったんだ」という、物語の始まりを予感させるもので、ちゃんとストーリーが展開していくなら開始地点としては悪くないと思います。ていうかいつになったらプレストーリー終わるのこのシリーズ……。



『ヴァンパイア・サーガ6 再び庭園で』

 サミュエルと庭園でハメたことで伯爵からお仕置きを受けた従者Xは、ふたたび庭園でサミュエルと出会い、なぜ伯爵がじぶんにだけはあんなに厳しく当たるのかという悩むを話す。愛するがゆえのSMだとXはわからないのだ――

 

 いやわかんねーよ。いつも愛が高まるとSMレイプする栗本ワールドの法則なんて。

 が、唐突にサミュエル・ヘルシングが破滅を受け入れた諦念に満ちた様子であらゆる相手とセックスしまくり「愛してるよ」とストレートにいうセックス聖人になっており、「唐突にキャラ変わりすぎぃ」と思いながら、この森田透化現象にちょっとときめきを覚えてしまっている自分を隠しきれない。わい透に弱すぎやろ……。

 それで、一体いつになったら本編がはじまるのかしら……


『背くときも』

 日本舞踊花背流の家元は男でも女でも抱いては捨てる性に奔放な天才舞踊家だった。花背流を学ぶ光央を日舞でのし上がる野心と父性を求める想いから家元に抱かれることを望むが、家元は彼をすげなくかわし、光央の連れてきた弟分である輝を可愛がりはじめる。淫らな関係を予測し覗いた二人の稽古場が芸のみによる神聖な魂のつながりであったことにひどい衝撃を受けた光央は輝を騙して呼びつけ――


 タイトルのせいで中島梓がピアノ鍵盤を両手で叩いて「♪背くときも 背くときも」って歌いながら好きなものは好きと云える気持ちを抱きしめている光景が浮かんできてしまうのですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 栗本薫が若いころにたまに書いていたが『絃の聖域』以外は特に評価もされず話題にあがることもない芸道小説である。執筆は2002年とあるが、その当時にまだやる気あったんだ……。どのシリーズともつながっていない単品作品であるが、この花背流という日舞の家元ものの長編を以前から考えており、いつか書こうと思いながらいまの自分には家元ものは荷が重いということでちょっとだけ書いて投出していたらしい。で、その花背流という設定だけを使った単品短篇の作品が本作。

 内容は「これ透と良だ……」の一言である。透が良の兄貴分をして連れ回しているんだけど、内心はずっと嫉妬していて、自分が身を汚してでもほしいと思っているものはなにも手に入らず、想像以上のものを後からもっていく良をレイプする、という話としか言いようがない。

 話的には短篇というか、長編のはじまりにしか見えないというか、面白くなるのはこの後だろというか、ここで終わったらなんにも面白くないんじゃないでしょうか……。

 そもそも前半でだらだらと設定や生い立ちを語ってたいそう面倒くさく読む気を失わせてくるのが辛い。


 中島梓の小説道場の名講義の一つに「短篇で二人のキャラの半生を全部書こうとするな」というのがあった。『優しい不幸主義者たち』に対するものだっけな? せっかくゆきずりの二人が心中というドラマチックな話なんだから、だらだらとそこにいたるまでのすべてを説明しようとしないで、冒頭でいきなり心中の話をもってこい、と。

 バーでゆきずりの二人が話すところからはじめて

「娘をさ、犯してきちまったんだ」

「……心中しようか?」 

「……そいつぁいいや」

 で、セックスシーンにもっていって、問わず語りに二人が過去を語り合って、心中して……と、門弟の素人らしいだらだらとした話を短篇らしく大胆に再構成した回があって、いやあれはやはり名講義だった。

 栗本くんのこの出だしで半生をだらだらと書いた短篇には道場主のあの名講義をケンケンフクヨーして書き直してもらいたい。


 書き方のせいでたいそうかったるくなってはいたが、内容と関係性的には天才と負け犬、失われた父性愛の渇望、親の愛を奪う弟への嫉妬と憎愛という、いかにも自分好みなコンプレックスとルサンチマンに満ちた話だったので、レイプした後どうなったのかというところまで含めてちゃんと書いて欲しかった。

 しかし親の愛を奪った弟への憎しみ、というのをしっかりとキャラクターの背景に入れたのは、意外と珍しいのではなかろうか? まかすこの涼くらいか? その涼は攻撃性の低いタイプだったので、憎しみから弟をレイプする、というモチーフは、存外に栗本薫に必要な創作だったのではなかろうか?

 自分を認めない世界への憎しみが弱い者への性犯罪として表出するというのは初期の短篇『ポップコーンを頬張って』を思い出させる。あの若い頃の鬱屈が消えるどころか、よりこじらせてわけわかんない形になっているあたり、栗本薫は本当にコンプレックスと肥大した自意識を抱えた大変な人だったのだな、と感じ入ってしまう。


 栗本薫の芸道小説の類似作品を挙げるなら赤江瀑だと思うのだが、いかんせん瀑さんほど芸道の凄みとか芸キチガイのひどさみたいなものを感じないんですよね……薫は芸道そのものではなく天才とホモセックスにばっかり興味がある人だからじゃないですかね……。

 なんか全体的に惜しいというか、もったいない作品でしたね……まあ、薫自身がいまの自分には荷が重いと思って家元ものさけてたんだし、実際荷が重かったんだろうね……。

 しかしそうして日舞もの長編を書かないでいることに対して「そのうちになんとかしたいとは思ってはいるんですが、あんまりのんびりしてるとこちらの寿命のほうがあやういかもしれない情勢になってきつつあるな(爆)」と、余命一年を切っている段階で自分の寿命を(爆)で語ってしまうあたり、栗本先生の(爆)の使いこなし方はあなどれないものがある。この辺はまじですごいと思うしなかなかできないよ……そろそろ死ぬことについて(爆)って……。



 今回のパワーワード


日舞などをやる男の10人のうち10人までが、そのけがあると思って間違いないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る