372 第六の大罪 ―伊集院大介の飽食―

06.09/講談社

08.11/講談社文庫


【評】う


● 出オチの徹底したミステリー短編集


 伊集院大介シリーズ短編集。

『グルメ恐怖症』『食べたい貴方』『芥子沢平吉の情熱』『史上最凶のご馳走』以上四編収録。

『グルメ恐怖症』

「私は殺される」

 伊集院大介事務所を訪れた190㎏の巨漢は告げる。グルメライターとして名を馳せた彼は、親友にして編集長である男に長期計画で肥え太らされ、それによって殺されようとしているのだと云う……


 まて、まてまてまて。

 出オチ? 話の出だしで云ってたことがそのまま真相ってどうなの? いや、いちおう心理的なよくわからない言い訳がついてたけど、とにかくそれってどうなの?

 つうか大介ちゃんと探偵の仕事しろよ。



『食べたい貴方』

「夕食になにを食べたい」「貴方」

 五十八歳のチンピラ、佐藤はあせっていた。組長に命令され、接待をしている得体の知れないガイジンがけったいなことを言い出したからだ。ホモにしたってまさか自分のような不細工のおっさんを望むわけもあるまいし、しかしそれでは「食べたい」とはどういう意味なのか……


 まて、まてまてまてまて。

 だから最初の数行がそのままオチになってるってどうなの?

 つうかヘッタクソ。ヘッタクソ。構成がヘッタクソ。

 まあ、いいよ、このネタで一本書いても。

 しかしだね、薫君。まずホラーで行くのかミステリーで行くのか、それを最初に決めなくちゃ。一つの食材があったとして、普通はそれを中華風フレンチ懐石料理になんてできないのだよ。いや、超絶テクニックをもったシェフならできるのかもしれんがね(笑)君はちがうでしょ?

 だったら、和風なのか、中華なのか、フレンチなのかイタリアンなのか、それを最初に決めなくちゃダメなのだよ。そしてほかの料理をきっぱりあきらめる。で、大まかな方針を決めたら、次にどの料理にして、どういう感じに仕上げるか決める。さっぱりなのかこってりなのか、そういう大雑把なのでいいから、とにかく決める。

 作り始めるのは、それからなのだよ。食材が手に入ったからって、なにも考えずに鍋にぶちこんでたら、キミ、闇鍋にしかならんよ(笑)ま、闇鍋がうまくいくこともあるがね、それはいわゆる料理の腕じゃないでしょ? 偶然とか奇跡とか呼ばれる代物だ。

 薫君も当道場に来たからには、手に入れたいのは偶然ではなく、確かな腕前、でしょう? だったら、勘に任せたいいかげんな闇鍋調理を即刻やめたまえ。いや、食べるのがキミだけならば良いのだよ? それは個人の自由だ。

 しかしいみじくも人に食べさせよう、読ませようと思ったのなら、確かな知識と経験によって作られた一品料理でなくてはならぬよ。我々創作家は読者の金をいただき、時間をいただき、なにより期待と夢を背負っているのだ。

 後半のくだり、これは枚数稼ぎだね。こういうのもやめたまえ。読者には伝わるよ、こういうの。枚数を稼ぎたければ無駄なシーンを長くするのではなく、必要な事件を一つ起こしたまえ。

 そもそも小生だったらこのネタで書こうとすら思わないね。「人を食った男」が本当に人を食っていた。こんなネタが面白くなると思ったのかね? 本当に。では「夢見がちな人」が本当に夢を見ていたら面白いのか? 「(話が)いつもすべる男」が本当に地面をすべってたら面白いのかね? 「冷たい男」が死んで冷たくなったら面白いのかね? 「熱い男」が本当に燃えて死んだら面白いのかね?

 ちと面白い気もするな(笑)。

 ともかく、安易さは敵だ。ひねれひねれ。ひねってひねってひねりきったと思っても、そこは読者の想定内だ。そのままねじりきってやっと読者の裏をかける。そういうものなのだ。

 それとね、きみ、薫君。きみはなかなかお歳を召しているようだが、だからと云って主人公を同年代にすりゃいいってものではない。きみがどんな人生を送ってきたのか小生は知らぬがね、きみが五十代の男性を描くというのは、これは明らかに無理だよ。どう見ても言動のすべてが大学生以下の小僧にしか見えん。

 もっとこう、自分で感覚のつかめる年齢・性別をチョイスしたまえ。なにも五十代の男でなければ成り立たない話でもあるまい。なにはともあれ、精進するように。とりあえずは五級。本当は級外にしたいくらいなんだぜ。



『芥子沢平吉の情熱』

 大介が学生時代に出会った屋台の親父、芥子沢平吉はラーメン狂いだった。かつて中国東北部でふるまわれた幻の一杯の味を再現するために一生をささげていたが、ある日、一ヶ月間の謎の失踪をとげ、その間の記憶を失って沖縄で発見される。平吉が云うには、記憶を失う直前に幻の一杯をついに再現したというのだが……


 味の素ってそんな昔からあったっけ?(調べたらなにげに一九〇八年にはうま味調味料は作りはじめられていたらしい。ビックリ)とか、栗本先生のラーメン知識はチキンラーメンに偏りすぎてるとか、いろいろと突っ込みたいことはあるような気もするんだが、なんかもう、なにもかもが死ぬほどどうでもいい。

 ……と思っていたのだが、読んで十年経ってもオチが示す人生の虚しさをよく覚えていたので、けっこう気に入っているのかもしれない。初期伊集院短編に通じる味わいのオチではあるし。



『史上最凶のご馳走』

 伊集院大介事務所に訪れた依頼主は、有名な中華料理人だった。

 彼は有名なテレビ番組の料理バトルの食材として、十匹のワニを用意したという。ところがそのワニが逃げ出して行方不明だから、大介に探してほしいというのだ。探し始めると、すぐにほとんどのワニは見つかったが、肝心の巨大ワニだけが見つからない。そしてその夜、依頼主はワニに頭を食べられて死亡する。だが、大介はこの事件の裏にべつのものを感じ取っていた……


 わりとまともにミステリーにしようという意図は伺えた。

 でもさ、おれ、設定説明された段階で「ああ、また自殺ネタね」ってわかっちゃうんだよね。デビュー作でそのネタやってから、いったい何回おんなじネタ繰り返してんだよ、ホントにもう。

 切れ者の息子が「切れ者と呼ばれている私としたことが」みたいな台詞を自分で云ったりしてアホの子にしか見えなかったりとか、そういう突っ込みどころは多々あるんだが、とにかくネタがわれまくってるのがミステリーとして痛い。

 それにしても、かつて小説道場で「外人の台詞をカタカナにするな。漫画じゃないんだ。今度やったらぶっとばす」とまで云った栗本先生が、晩年はコンピューターだの外人だのの台詞をほとんどカタカナにしたり、今作では中国人に「アルアル」しゃべらせたり、ぶっとばされたいのかしらん? ていうかぶっとばしたい。

 あと、昔の栗本先生は、変質的なまでに読点を打ちまくっていたはずなのだが、なぜ、昨今の文章は、こうも読点がすくなく、読みづらいのでしょうか。

 栗本薫の文章は、よく、ひらがなだらけと揶揄されるが、それは実際問題そうなんだけど、それ以上に、かつては、ひらがなだらけだからこそ、見栄えが良くなるよう、読みやすくなるよう、丁寧に、細かく読点を挟むことによって、独特の、うねるようなリズムを作り出し、長文をするすると読ませ、難しい設定も、長台詞も、キャラクターの感情も、スムーズに理解させ、読者を作品世界に没頭させたはずなのに、なぜ、漢字をひらくことを強化させ、読点を減らすという、およそ最悪の選択肢を、彼女は選んでしまったのだろう。



 総じて出オチなのでミステリー短編としてはいずれも楽しめない。

 それを抜きにした物語としてもあまり楽しめるものではないんだが、食という逃れ得ない欲望に対する悲喜は、栗本薫にとってもっと突き詰めるべきテーマだったんじゃないかと思うので、もったいない気がする短編集であった。

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