367 夢幻戦記 15 総司無明陣(上)

2006.05/ハルキ・ノベルス

<電子書籍> 無

【評】 うな


● 最後だけ面白いという打ち切り漫画展開


 謎の集団に襲われた総司を助けたのは、総司を狙う宇宙の魔女プロセルピナこと秋篠御前だった。幕末の混乱を利用するため志士を利用している彼女のもとには、勤皇に目覚めた藤堂平助の姿があった――


 驚いたことにここにきて普通にストーリーが面白い。

 力をつけるために幕末をより大きな混乱に導こうとあらゆる勢力に加担する宇宙の魔女・プロセルピナ。一万年の未来から自分たちの世界を救うためにクロスポイントである幕末への干渉を続ける未来人・清河八郎。ただ前世の私怨により総司を追い続ける怨霊・秋月修羅王。

 幕末を舞台に人外の化け物が勢力争いをしている姿がいよいよ明らかになり、プロセルピナは藤堂を勤皇の志士へと引き入れ、清河八郎は新撰組をまるごとクローン人間にすり替え、妖怪がいよいよ跋扈してきた京都から、気がつけば総司は三ヶ月の時空間移動。しかも移動していたのは時間ではなくて平行世界間だった。

 似て非なる世界にとまどう総司の前にあらわれたのは、はざまの世界にある寺の土蜘蛛の住職(野々村さん!まかすことか朝日とかいろんな作品に出てくる野々村さんじゃないですか!)であり、彼からさまざまな事実を知らされた総司にら消えていた東海公子の力と記憶が蘇える。

 ついに詳しく語られる総司の前世、東海公子リーンと銀河帝国の姿。青竜惑星アトランの崩壊の真相。総司が夢で訪れる謎の白い部屋と白嶺老人、そして少女まりあの正体。

 そしてリーンの記憶から引き戻されると、そこは池田屋事件の渦中であり、目の前には秋月修羅王の姿。修羅王を切った総司の口から漏れる、青い喀血!


 ばらまいてきた敵対関係が集束し大きな戦いの火蓋が切って落とされたことを感じさせ、妖怪と戦い平行世界を移動し前世の伏線を回収しつつ、新撰組最大の事件へ一気に話を進め、総司が人間でないことを思わせる意外な展開での引き。

「天帝に仕えているのは東海公子リーンじゃなくて夢幻公子ルシファじゃなかったっけ……?」とか「青竜星アトラン六千万の民がいつのまにか二十億の民に増えてる……」とか突っ込みたくなる部分もあるが、このストーリー展開の速度は良い。大変良い。

 精神生命体による銀河帝国は「また『幼年期の終り』だ……オーバーロードだ……」とは思うものの、『新・魔界水滸伝』のさらに先の時代を思わせ、《調整者》による惑星文明への介入は『グイン・サーガ』とのつながりを想起させる。

 その銀河帝国の姿が仏教神話の世界を思わせるところも悪くないし、東海公子リーンが父である天帝に逆らって追放の憂き目にあった事件の真相が、愛のためではなく気まぐれと意地でしかないところも、ひねくれていて魅力的だ。


  根本的に設定は古臭いし、文章は迫力に欠け、すぐにだらだらと長台詞で説明してくるところは変わらないのだが、この速度でストーリーが進行するのなら全然許せる。肝心のところではぐらかすような寄り道だらけの曲がりくねった展開も、これまでの説明との整合性に欠ける設定も、ちゃんとストーリーが進んでいるからそんなには気にならない。悪くない。これは悪くないトンデモ具合ですぞ。

 沖田総司を題材にした幕末B級SFが、ついに本格的に開幕したのだ!


 まあ、この巻で中絶なんですけどね。



 こうして初めて夢幻戦記全15巻を通して読んでよくわかったことがある。

 要するに栗本薫の後期の欠点は「無駄に長く展開が遅い」。ここにほとんどが集約されているのだ。

 古臭さも、恥ずかしさも、だらだらとしたしまりのない会話も、ストーリーがちゃんと進んでいるうちは「栗本薫ってそういう作家だからね」と笑って済ますことができる。少なくとも自分にはできる。なによりまともな進行速度なら栗本薫最大の欠点である美形キャラの過剰な描写や持ち上げの量が物理的に減るのであまり気にならなくなる。

 今作が三倍の速度で進行し、5巻の時点で15巻までのストーリーを進めていれば、もっと評価されていたのではあるまいか? 今作は15巻の時点でようやくストーリーの折り返し地点といったところに見える。つまり全十巻の作品にするのが適量だったのだ。それでも普通に考えたら十分な長編だ。

 人気がなくて打ち切られた作品が、打ち切りが決定してからは展開の速度があがって露骨に面白くなるということがよくあるが、今作は完全にそれである。もったいつけて面白いシーンをやらないで、どうでもいいシーンばかりだらだらと書いているからつまらなかったのだ。

 

 今作は史料を読み、丁寧にそれを追って書いてはいたが、栗本薫のような作家の場合、それはむしろ逆効果でしかなかった。そもそも歴史物なんて、史料がある限りいくらでも伸ばすこと自体はできるのだ。それをどの観点から、どの範囲を切り抜いて読者に見せるのか、それこそが大事なのであり、調べたことを一通り書いてしまうような栗本薫の書き方は、いらない情報だらけで退屈なだけだ。

 無論、全部書きたい、書こう、という姿勢の作品で面白いものもある。 だが、それはライフワークと呼ばれるたぐいのものであり、一人の作者が一生で一つしか書けないようなものだ。そしてそういった書き方を、栗本薫はすでに『グイン・サーガ』でやっている。ライフワークと同時進行で似たような書き方をした作品をはじめてしまったのが、間違いなのだ。

 基本的に、栗本薫は二兎でも三兎でも追ってすべて手に入れないと気がすまないタイプの人間だ。結果的には不幸なことに、若いころは体力と気合にものをいわせて、それを可能としてしまった。そして、年をとって感性と体力がにぶっていることも認められず、若いころのような無茶をして大失敗するということを繰り返した。要するに『年寄りの冷や水』である。実年齢はそんなにいっていなかったが、衰えを自覚できないものの行動はすべて『年寄りの冷や水』だ。猛スピードで書き続けるグインと平行して書く作品なのだから、立ち上げの時点で作品の書き方を考えるべきだったのだ。


 正直、今作に関してはかなりどうでも良いと思っていた。13巻かけてようやく芹沢鴨を殺し、しかもまったく盛り上がらない新撰組ものなんて、どう考えてもダメダメだからだ。だが、14・15巻を読んで、はじめてもったいないと思った。はじめからこの速度で、SF展開を前に出して進めていれば、そんなに悪くはない作品になっていただろう。どだい栗本薫に歴史物は無理だったのだ。歴史上の人物がちょろっとでてくるB級SFが身の丈に合っているのだ。史料を読みこむより、よくわからない部分をごまかすいつものやり方を選ぶべきだったのだ。完全に自分のキャパシティを見誤っている。『白銀の神話』や『バサラ』のときに歴史物に向いていないと気づくべきだったのに。

 自分の能力も残された時間もなにもかも過信し、すべて台無しにしてしまっているのが栗本薫の作家人生なのだ。


 が、しかしそれも致し方あるまい。栗本薫という作家の魅力の本質は、まさにその身の程知らずにある。劣等感と全能感のあいだで悶え、それでも自分は特別なはずだと鼓舞し、良識にとりあえず反発する精神性こそが彼女の最大の武器であり、冷静に見るとありきたり作品の数々が妙に輝いて見えたのは、その若さゆえだった。

 グイン・サーガ、魔界水滸伝、夢幻戦記と、彼女の長編シリーズの主人公がすべて「自分でもよくわからない超パワーをもっていて世界中から狙われまくっている」という、冷静に考えると恥ずかしい設定なのは偶然ではなく、「説明も証明もできないけど私は絶対に特別な人間のはず!」という中二病マインドのあらわれである。正直さすがにワンパターン過ぎるとは思うが、だがそれで良いのだ。

 子供の精神と大人の知識。それが栗本薫という作家の魅力だった。

 そこから脱した作品を書くには大人になるしかなく、そして彼女は大人になろうとすることはなかった。それでも人が若いころのままでいられるはずもなく、ゆえに年齢に応じて感性も体力も落ちていき作品から魅力は失われていった。四十歳を越えてはじまったこのシリーズが商業的にも作品的にも失敗に終わるのは、最初から決定づけられていたようなものだ。


 わかっている。わかっているんだが……それでも「ああ……若いころの栗本薫に全十巻くらいで書いてほしかったなあ」という気持ちが、どうしても捨てられない。むしろ長さがちょうどよいから代表作になっていたかもしれないのに……。

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