341 とんでもぐるめ―あずさ流極楽クッキング

04.10/グルメ文庫(角川春樹事務所)


【評】う 


● ご飯はとんでもじゃない方がいいと思いました


 中島梓が自サイト「神楽坂倶楽部」で不定期連載していたコラム『とんでもグルメ』からいくつかを抜粋、編集して出版したもの。

 コラムの内容は、梓のお薦め料理に語ったのち、レシピなどを解説していくというもの。


 自分は上記の「神楽坂倶楽部」を、たまに見ていた。よって、この本のもとになったHP上のコラムもいくつか読んだことがあるのだ。

 なので、まず一読して「あれ?」と思った。

「あれ? 神楽坂倶楽部だともっとひどい文章じゃなかった?」

 結論から云うと、ここに収録されてものも決して褒められたような文章ではない。無駄に長く、おばちゃんのおしゃべりそのままに一文のあいだで話があっちこっちにそれていき、結局なにが云いたいのかわからないような頭の痛い文章が多い。それでも神楽坂倶楽部に載っていた文章に比べると、ずっと読みやすくなっているのだ。

 冒頭の文によると、編集者の勧めで顔文字は排除したそうだが(でも(爆)を取るのは拒絶。なにそのこだわりやめて)それだけとはとうてい思えない。

 記憶違いだったのだろうか、あのひどい文章は過剰に幻滅していた自分の脳内が生み出した幻だったのだろうか……そうだよな……プロの作家があんな読みにくい文章を垂れ流しているわけないもんな……幻……そうすべて幻だったんだ……。

 初読時にそう思い、元のコラムの文章を探して読んでみたところ、……うん、ちがう。明らかに短くなってた。これ、一度推敲されてる。

 うわー、なんだよ、推敲するだけでやっぱりある程度はマシな文章になるんだな~。いや、それでもプロの文章としてはひどいと思うが、推敲しないよりはずっとマシだもの。これだったら普段の作品も推敲すりゃいいのに……。

 故人に云っても栓のないことではあるが、なぜ梓はあんなにも推敲や校正を嫌っていたのか。プロとしてそれらをちゃんとやっていればあんなことにならなかったろうに、と切ない想いが止まらないのであった。


 さて、内容に関して。

 21世紀版中島梓の文章は、やたらと世間への不満と実体のない謎のdisに満ちていて読むのが辛いものが多いのだが、本書は基本的に「あれうめえ」「これうめえ」「~~大好き」というノリの文章がメインで悪意がないため、食いしん坊の文章として普通に受け止めることはできる。

 それでも時折「外食はまずくて食えたもんじゃない」的な一言が入ったりしてちょっとイラッとしたりすることはあるが、そのちょっと前のページに「近くに『てんや』ができて嬉しい」など本音が書かれていたりして微笑ましくなったりもする。嘘を吐くときに前後の統一性をとろうとしないのが梓のあさはかで可愛いところであり、小説家として致命的なところである。

 

 しかし、では食べ物エッセイとして優れた作品なのかというと……うーん、ごめん、それは頷けないですね。比較的面白い部分は約二十年前に書いた『くたばれグルメ』の劣化コピーに過ぎないし、そうでない部分は実にどうでもいいおしゃべりがほとんどで、呼んだ先から脳内からこぼれ落ちていってしまう無内容さ。

 また、実は梓は昔からわりとそうではあるのだが、食い物の表現が、なんというかこう「それ食い物の表現に使っちゃダメだろ」というような、雑な言葉を無造作に使ってくるので、食欲が減退することがままある。この本では特に(多分)混ぜご飯のことを「汚いご飯」と表現していて、「お前それは刑務所かなんかで食わされるのかよ」って感じで実にげんなりした。うまそうな下品食いには定評のある薫さんではありますが、さすがにここまでくるとついていけないです。


 紹介されている料理に関しては、意外と普通だ。

 どうも編集者がセレクションしたようで、コンビーフご飯のような本当のとんでもレシピが載っていない。なので良くも悪くも普通。残念である。

 そもそも「それみんな知ってるから」みたいな普通の料理が多く、そこに梓流の一手間を加えるというパターンが多い。そしてその一手間は必要なくない? というものばかりだ。

 とはいえ普通に作れば普通に食べられそうなものばかりなので、別にそんなにとんでもではなかった。


 ただ、レシピ本としては役に立たない。

 なにせ分量がまったく書いてない。ほとんどの味付けが「自分の好みで適当に」くらいに書いてあるので、おまえ、それでうまく作れるやつはこんな本読まないでもうまく作れるわいと思わざるを得ない。 また、調理の手順が改行の少ない文章でだら~と一気に説明されるので、どういう料理法なのか、理解も想像もし辛い。

 特に笑ったのが、ビビンパで、ご飯や他の食材の分量は書いてないのに、なぜかひき肉だけ200gって書いてあったところだ。肉から他の量を逆算するのであろうか? 梓の食卓は肉本位制が敷かれているのであろうか?


 この本を読むかぎりでは、梓流の味付けのコツは簡単である。


1 サラダ油の代わりにバター・オリーブオイル・ごま油のいずれかを使用する

2 同じようなもの(ドレッシング二種類とか、ルゥ二種類)を混ぜて使う

3 コクが足りない時は生クリーム。一味欲しいときは味の素

4 最後にチーズをのせてオーブンにかけて仕上げる

5 卵とじ


 これらの工程を2~3種類をやればなんでも梓味になる。マジお薦め。ただしどう考えてもカロリーが高くなる工夫で諸刃の剣。

 あとは、食材はとにかく種類をたくさん用意して、たくさん混ぜまくるほどうまい、という思想を感じる。ちなみにこの思想、栗本先生のすべての創作における根本思想でもありますよね。


 以上のことをまとめると、まあ、あまり読む価値を感じる本ではないな、というのが結論である。梓家の食卓を一部でも再現したいという奇特な人間のみ、手にとってみると良いだろう。



 て、そんなに人間が実際に作中で紹介されていた料理を作ってみた感想をいくつか書いておこう。


・オニオングラタンスープ

1 玉ねぎのみじん切りをあめ色になるまでじっくり炒める

2 お湯を適量入れ、塩胡椒などで好みに味付けする

3 フランスパンのうえにかける

4 とろけるチーズを乗せてオーブンにかけ、チーズが溶けたら完成


 うまい。

 というか普通すぎるのでまずくなる余地がない。

 しかし味付けという肝心の部分が各人任せなので、これはレシピとして成り立つのだろうか?

 フランスパン、久しぶりに食べるとうまい。


・キノコのバター炒め

1 キノコをスライスし、バターで炒める

2 とろけるチーズをかける


 うまい。

 だがこれはレシピと呼べる代物なのだろうか?



・翌日おいしい焼きカレー

1 昨晩の残りのカレーを用意する

2 ご飯のうえにのせて、真ん中に卵を落とす。

3 チーズを乗せてオーブンにかける

4 卵が好みの固さになったら完成


 うまい。しかしこれはカレーそのもののうまさであり焼く意味を感じない。

 単に目玉焼きとチーズを載せただけではないだろうか?

 わざわざオーブンにかけるなどという時間をかける意味がわからない



・煮物をあげる

1 昨晩の残り物の煮物は揚げる


 煮物はその時点で料理として完成されているので、その一手間はいらないとぼくは思うのだ。わざわざ揚げるという行為になんの意味があるのか? 油だろうか? 油っ気の少ない料理の代表的存在である煮物に油分を足したいという動物の本能がさせているのだろうか? 大人しくカツなりコロッケなり鳥の唐揚げなりをつくるべきではなかろうか?

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