334 六道ヶ辻 たまゆらの鏡―大正ヴァンパイア伝説

04.05/角川文庫


【評】う


● 栗本薫くん、四級!


※このレビューは中島梓の小説道場の文体模写で行われております


 道場をはじめる!

 今回は残念ながらというか、なかなかの不作であって、一作しかなかった。その一作もまた、どうにも残念な出来というか、ま、内容に関してはおいおい説明するので今はおいておくとしましょうか。いい機会でもあるし、今回はこの作品を中心にちょっとシリーズ展開というものに関して一席ぶってみようかな、などと思うております。


 さて、その件の作品ですが、栗本薫くんの『六道ヶ辻 たまゆらの鏡 ―大正ヴァンパイア伝説―』(なげータイトルだな)であります。

 かなり厳しくいくので覚悟して読むように。


 ストーリーは「大正時代、明治維新前の気風の残るある片田舎の街に、突如として外国から美貌の伯爵が訪れ、人々を魅了する。同時に、周囲の村々では奇妙な殺人事件が連続して起きる。その死体からは、なんと血が抜き取られていたのであった」というもの。

 この設定で、しかも「大正ヴァンパイア伝説」というタイトル。小生のようなひねくれ者は「ははあ、これはひっかけなのであろうな」と当然のように思い込んでいたら、あにはからんや、なんとこの伯爵様は本当に吸血鬼であらせられた。しかもアルカード伯爵ご本尊であらせられるという(笑)

 いや、失敬、思わず笑ってしまったが、キミは少々素直すぎるのではないかな?

 一応にも二応にもこの斎門伯爵(と名乗っているのですよ、アルカード様は。呵々々)の正体というのが、物語の中心となっているなっているわけでしょう? それをタイトルの時点でばらしてしまっているというのは、どうにも興が殺がれるというものだよ、栗本くん。どう考えても「大正ヴァンパイア伝説」という部分は不要、むしろ作品の楽しみを損なわせる蛇足であると小生は断言するよ。

 添付してある「あとがき」とやらを見ると「友達と話しているときにこの単語が出て、その単語からこの物語を着想した」とあるから、なるほど、君自身は思い入れのある言葉やも知れない。だからと云って、それをそのままタイトルに使ってよいというものでもあるまい。自身の中でそう呼ぶのはかまわないが、他人に見せる「顔」とも云えるタイトルにこんなわかりやすすぎるものを使ってはいけない。安易に過ぎる。

 安易というのは、この作品のすべてに横溢されている特徴とも云える。「大正ヴァンパイア伝説」という単語から着想を得た、それはよかろう。しかし、得た着想をなにもひねらずに物語を書いてはいけない。いや、書いてもいいが、そんな安易な思いつきだけのものを人に読ませてはいけないのだよ。

 確か栗本くんはプロ志向だったと記憶しておるから重ねて強く云うが、いいかね、思いつきだけで書いたものを読者に提示しては「いけない」のだよ。「望ましくない」のではなく「してはいけない」のだ。わかるかな?

 プロというものはだね、読者からお金を頂戴しておるのだよ。だからこそプロフェッショナルであるのだ。どんなに優れた技量を持とうと優れた作品を世に残そうと、それをもってたつきを得ぬものはプロとは呼べないのだ。逆もまた然り。どんな稚拙で俗なくだらぬ作品しか残し得ぬとしても、それをもって食べているものはみなプロフェッショナルなのだ。


 この意味がわかるかな栗本くん? 我々創作者はね、すべて人のたつきを横から掠め取って生きておるのだ。よく云って、人から恵んでもらって生きておるのだ。河原乞食という言葉を知っているかな? 昔は歌舞伎役者はそう呼ばれていたのだよ。いまでは放送禁止用語かも知れぬがね、これが虚構を演ずるものの本質なのだ。乞食なのだよ。

 わかるかな? 「だからこそ」本気で真摯に取り組まねばならぬのだ。「思いつき」ではなく、そこから発展した一夜の夢を虚無の白紙の上に築き上げなければならぬのだ。その夢の与えてくれるささやかなひと時に、読者は自らの血肉をもって稼いだ金銭を与えるのだ。その意味が理解できるかね? わからなくてはプロにはなれぬよ。これだけは断言しておこう。次作に取りかかるよりも、一度この点について深く考えることが先決だ。


 いささか話が逸脱してしまった。作品の評にうつろう。と云っても、先にも云った通り、安易の一言である。

 突如現れた美貌の伯爵、その正体はヴァンパイア。その同胞たる美少年、かれらによって人外と化した美少女、しもべたる人狼。そして彼らを追って現れる若きヴァンパイアハンター。まるでどこかで見たような登場人物の見本市ではないか。

「いや、これらのありふれた設定を大正時代に持ちこんだことに意味があるのだ」と云うかもしれないが、だからと云ってほかのすべてを安易にして良いわけではない。同人誌のパロディ小説ではないのだ。

 それに、キミの発想はいささか時代遅れなのではないかな? 少女漫画の『ポーの一族』あるいはアン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』ないしはその映画版『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』を下敷きにした作品なのであろうが、これら一世を風靡した作品の後には、多数の模倣作や類似品が出たものだ。それらの中には志の低い駄作も多かったが、趣向をこらした傑作もまた少なくはなかった。それらの後継作に、キミは触れていないのではないかな?

 読書量がすなわち技量とはならないが、自らの手がけようとしている分野に関して常にアンテナをとがらせ、情報を刷新していくことは作家にとって必須の技能なのだ。まずは多くの吸血鬼ものに触れてみるべきだ。そうすれば、自分の着想がいかに安易なものであったか気づけるはずだろう。安易さの中から生まれたキャラクターには、生命の息吹が足りないのだよ。そこが最大の問題なのだ。


 次に、文章に関してだが、長い。だらだらしすぎている。

 キミはこれを「時代がかって雰囲気のある文章」だと思っているかもしれないが、なに、いちいち説明が迂遠で鬱陶しいだけだよ。たしかに、こうした迂遠さが物語を効果的に盛り上げる場面も存在するがね、全編がこれでは疲れてしまうばかりだ。ストーリーが安易で薄いうえに、文章にメリハリがないのでは、読者はなにを楽しめばいいのかわからぬよ。

 ことに前半はひどい。はじめの半分、これは丸々カットしても問題がないくらいだ。この程度の舞台設定、2Pくらいでちゃっちゃっと済ませてしまえばいいのだ。読者が楽しみにしているのは、そんな部分ではないでしょ? 思いついた設定だの人間関係だの小道具だのを全部書く必要もない。必要なものを必要なときに必要なだけ書けばよいのだ。

 だれかと友達になるとき、あるいは恋人になるとき、その相手の過去なり人間関係なりを全部把握する必要はないでしょ? それと同じことなんだよ。必要に応じて知っていけばいいのだ。読者を新しい友達だと思って、与える情報をコントロールするのだ。ちょっと難しいテクニックかな。まあ、がんばって設定を説明するのはキミも疲れるが読者も疲れるよ、ということだ。

 後半も、これは三分の一くらいに縮めるとちょうど良い。

 つまり、全体で50枚の短編、ないしは100枚程度の中篇にするしかない話なのだ。長編で書きたいならもっとストーリーを根本から練り直さないといけない。


 あと、これは気になった点なのだが、キミの作品はちょっと説明に説得力が欠けるというか、力技に過ぎるのではないかな?

 後半、ヴァンパイアハンターが現れて「あいつは吸血鬼なんだ」と告発するけど、これ、証拠がなにもないよね。いくら初対面の人に熱弁されてもさ、それで見知った人を「そうか、あの人は吸血鬼だったんだ」と得心しますかね、普通の人は。初対面の相手を疑うだけでしょう? 同様に伯爵の誘いもうわっつらの言葉だけで、なにも吸血鬼たる証拠を見せてくれてない。

 これ、ちょっと見方をいじわるにすると、スケコマシが吸血鬼ぶって田舎の女の子をだまして処女喰いを企んでるようにしか見えないよ。

 確か、キミがけっこう前に書いた作品、たしか『ゲルニカ1984』だったかな? あれらにも「相手の熱弁を聞くだけで非常識な設定を納得してしまう主人公」が出てきたけど、普通の人だったら、これ、主人公がだまされているだけだと感じるよ。ところが、今作でも「ゲルニカ~」でも、相手の主張が本当に正しいのね。これ、読者に納得させるのを力技でごまかそうとしているだけだよね。

 こういう悪い癖は、早くに直しましょうね。力技で強引にもっていくより、納得のいく展開を見せたほうが、お互いにいい気持ちになれるものですよ。


 ここらでちょっとだけ褒めておくと、斎門伯爵が、吸血鬼の姿が映るという「たまゆらの鏡」を求めてわざわざ来日した、という設定はよかったよ。いかにも吸血鬼らしい気の長い話しだし、吸血鬼が鏡を欲しがるって云うのが、なんとも可愛いではないか。

 なのに、もったいない。肝心の鏡を手に入れるくだりは「探してるよ」「ついに手に入れたよ」だけで、なんのひねりもないし、描写もないし、ストーリーに一切絡んでこない。ここを膨らませれば、なかなかに面白い作品になったかもしれないのに。せっかくタイトルにまでしたんだから、もうちょっと鏡をストーリーに絡ませるのは必然だったのではないかな?


 なんだか前提の話しが長くなってしまったが、そろそろはじめに云っておいたシリーズ展開の話にうつろうか。

 この作品、彼女の構想している大河作品『六道ヶ辻』シリーズの一作らしくて、だからタイトルにもそうついているのだ。ま、それはよろしい。

 問題は、だ。後半に出てくるヴァンパイアハンター、これがシリーズお馴染み(らしい)人物で、そこがサプライズになっているんだが、逆を云えば、いままでのシリーズを読んでいないと、まったく楽しくないのだ。ストーリー自体の結末もこの人物に関わるもので、つまり、作品の後半がいままでのシリーズにまったく依存してしまっているのだね。これは良くない。

 シリーズ同士の微妙なつながりを楽しんでもらいたかったのかも知れないが「知っていると楽しい」と「知らないとつまらない」では大違いで、これは後者に属するものだ。二巻三巻とタイトルに表記されているものなら仕方があるまいが、いみじくも単独タイトルとして提出されているものなのだ。単品として楽しめないといけない。この点においても、この作品は読者を置いてけぼりにしてしまっている。

 それに、これはもう、読者としての単純な感想なのだがね、このシリーズの中心にいるらしいこの大導寺竜介なる人物。

 なにやら旧家を再興させて軍部や政治にも太いつながりを持った稀代の傑物らしいのだが、どうにもその英傑ぶりがこちらに伝わってこない。作品ごとにキャラクターが違っているのも、一人の人物の多面性というよりは、設定と展開により適当に変えられてしまっているようにしか受け取れない。あるいはいっそ、シリーズすべてにこの人物が出てきて、全体を通すと一人の英雄の一代記になっていればそれはそれで面白い趣向なのだが、出てくる作品と出てこない作品がまちまちなので、どうにも意図がよくわからないのだ。なんとなく思いつきで出しているようにしか思えない。


 シリーズ展開の話をもうちょっとしようかと思っていたが、案に相違して別の話しが長くなってしまったため、そろそろ枚数が尽きてしまうので、この辺にしておこう。

 ただ、一言これだけは云っておかねばなるまいが、小生、なかなかに栗本くんのことを買っておる。だからこそ叩きがいがあるし、色々と云いたくもなるのだ。これは貴重な資質であるので、くさらずに精進して欲しい。まずは四級から。化けてくれることを期待している。

 ちと慌しくなったが、これにて道場を終える。礼!

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