269 六道ヶ辻 墨染の桜

1999.04/角川書店

2002.11/角川文庫


【評】う(゚◎゚)


● 最古参腐女子の面倒さを描いた力作


 戦前の上海で若くして謎の客死を遂げた大導寺乙音。そのおよそ六十年後、彼の死の詳細を知るべく藤枝直顕と大導寺清音は、乙音の婚約者であり件の上海行にも同行した妙蓮院笑子へと話を聞きに行く。乙音と生き写しの清音を見て感極まった笑子は当時の乙音と清顕の祖父である藤枝直顕、乙音の兄である竜介について語りだす。それは「あなたたちのおじいちゃんたちでいろんなカップリングのホモ小説書きまくっていたの」という古参腐女子の壮大なナマモノ萌えトークであった……。


 これは大変に評価に困る作品である。

 構成としてはムチャクチャで、だらだらと事件もなにもない自分語りが続いたかと思えば、バタバタと殺人事件が起き、その動機とかは結局デビュー作以来の伝統のアレで、長い割にはミステリーとして見るべき部分はなにもないという、後期栗本薫にありがちな小説である。客観的に見て褒められる作品ではないし、個人的に云ってもまったく好きな作品ではない。

 だが、六道ヶ辻シリーズから一作を選ぶなら迷うことなく本作を選ぶし、栗本薫作品全体の中でも特筆すべき作品であるだろう。なぜなら今作は誰かの二番煎じではない、栗本薫にしか書けない「古参腐女子の半生物語」だからだ。


 冒頭と結末を除く本作のほとんどは、80歳の老女、妙蓮院笑子のひとり語りによって進行する。この笑子女史は大導寺家の遠縁で、一度嫁に行ったがすぐに離縁し、その後は独り身のまま、わずか数作の小説を世に出した人物となっている。そして戦前に友人でナマモノホモ同人を書いていた現役最古参腐女子である。

 刊行当時の初読時、この笑子女史のモデルは森茉莉であろうと思った。

 説明するまでもないだろうが、森茉莉とは若き日の栗本薫に多大な影響を与えた耽美小説『恋人たちの森』をものした、近代BL史の開祖とも呼ぶべき作家だ。晩年のエッセイでも『アラビアのロレンス』撮影中の一枚の写真を見て「オマー・シャリフがピーター・オトゥールを愛しているのがひと目でわかった」など現在の腐女子となんら変わりのないことを熱弁していた永世名誉腐女子である。

 名家の子女であり(森鴎外の娘である)、二度の結婚に失敗して独り身で作家業を続け、周囲からは「子どもがそのまま大きくなったような人」と評されたという森茉莉の姿と、「夢見る夢子ちゃん」と作中で評される笑子の姿は容易に重なる。

 だが、いま冷静に読むと、その大部分は栗本薫自身に重なる部分も多く、女子学校での人間関係の描写は『優しい密室』とも酷似しており、森茉莉そのものと云うよりは、森茉莉をベースに自分の体験や感情をミックスした「戦前の時代に自分が生れていたら」というなりきり作品であろう。


 今作の時代設定は、シリーズ前作である『大導寺竜介の青春』の数年後であり、内容的にも前作で示された、藤枝直顕に恋する

竜介の弟・乙音の心情が大きな軸となっている。直顕が竜介に抱いていた恋心を昇華・解消するのが前作の大きな軸の一つであったが、その直顕に乙音は恋をしている。だが同性への恋着を思春期の一過性のものとして通り過ぎることのできた直顕は、乙音の想いも同質のものであろうとし、ただの良い兄貴分として振る舞い続けており、その事に乙音は苦悩し、異性の親友である笑子にその懊悩を相談しているというのが本作の設定だ。

 そしてその笑子がナマモノ大歓迎の生粋の腐女子であり、親友の乙音を題材として、ホモ同人を書きまくっているのが今作の独自性だ。その内容も直顕×乙音の王道から竜介×乙音の近親モノ、3Pもの、後に自分の実兄が乙音と仲良くなると実兄が横恋慕してレイプする話など、モデル本人には見せられないような小説を書きまくっては親友にだけこっそり見せて「卑猥だわ鬼畜だわ」とひそかに騒ぎまくっているという、なんとも生々しいものとなっている。

 モデルにした当人たちとまったく関係のない話している最中に(昨日レイプさせてアンアン喘がせていたなんて云えない……)とか(作品上でレイパーにされてるなんて思ってもないたろうなあ)みたいなことを思っていたりするところなど、本人は真面目なのにアホらしくて妙に面白い。この辺りは大学時代につきあっていた彼氏を題材にホモ小説を書いていたという栗本薫の実体験がなければ書けないところだろう。腐女子が嫌いな人種が見たら最高に嫌がりそうなこのリアリティこそが本作の真骨頂である。

 世情は戦争に傾いていき、笑子自身は卒業を控える緊迫した状況のなか、友人の恋愛相談を聞いては妄想たくましくしていき、うまく書けないことや、結局現実に比べたら自分の小説など絵空事なのだろうかと悩む現実離れした姿は、まさしく若き日の栗本薫の似姿だ。同性愛作品に興じてしまう自分を変態だと苦悩する姿は、BLが市場として確立された現代人には書けないものだろう。

 

 今作はこうした「夢見る夢子さん」である笑子の心理描写にほとんどの尺がとられ、2つ起きる殺人事件の顛末や種明かしなどに主眼は置いていない。今作のミステリとしての仕掛けは、その夢子さんである笑子主観による昔語り、特に謎めいていた乙音の行動や心理が、結末部で話を聞いていた現代人の清顕によって「客観的に行動だけを拾って常識で考えるとこうじゃね?」とひっくり返されるところにある。現実を目の前にしながら見たいようにしか見ていなかった人間の欺瞞を暴く、実に栗本ミステリらしいどんでん返しだ。

 また、この六道ヶ辻は、栗本薫が若い頃に書いた自作短歌集『花陽炎』をベースに作られたシリーズであると当初から語られていたが、それがもっとも色濃く出ている作品でもある。渦中の人である乙音は作中で短歌集を出しており、彼の心情をあらわすものとしていくつもの短歌が作中に登場するからだ。この短歌の意図をどう読み解くかが作品全体の謎解きになっているところなどは、悪くない仕掛けだ。特に笑子が「ホモの秘められた恋情を切々と描いた短歌なのね」と思っていたらまったく違っていたところなど、わりと爆笑である。


 今作の優れたところは、そうしたどんでん返しが後味の悪い方向ではなく、むしろ爽やかな、切なさの方向へと向っているところだ。この独特な読後感は栗本薫作品でも稀なものである。ある種、腐女子のドリーム小説とも云えるし、人によっては悪夢とも云えるオチでもある。

 

 作品の系譜としては、『優しい密室』に連なる、オタク女子の青春を描いた作品と云えるだろう。ミステリとして見ると、いつもの通りに「またその死に方かよ」「いつものように証拠なしかよ」「牽強付会すぎるだろその推理」というのが連発するので評価できないし、冒頭に書いたとおり、個人的にも好きな作品ではない。

 だが、簡潔に云うと「プライドは高いのに自己評価は低い面倒くさいオタクとメンヘラの恋愛が成就するのは半世紀以上かかる」というこの話は、この時期の栗本薫が、かなり強く自分自身を打ち出した、彼女にしか書けない作品であるのは間違いない。この作品が好きな人は、おそらく栗本薫という作家……ではなく、栗本薫個人の人格を好ましく思うタイプではなかろうか。

 いずれにせよ、今作によって六道ヶ辻というシリーズでやりたいことの大部分は書ききってしまったのではないかと思う。それゆえに次作『死者たちの謝肉祭』は途中でガス欠したみたいな作品となり、シリーズ自体も尻すぼみで自然消滅してしまったのだろう。

 栗本薫自身が亡くなってしまったいま、故人を偲ぶという意味で読むのに非常に適した一作である。

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