200 夢見る頃を過ぎても ―中島梓の文芸時評
1995.06/ベネッセコーポレーション
1999.03/ちくま文庫
【評】うな(゚◎゚)
● 文学を読まない評論家、文学を斬る
雑誌『海燕』で約一年連載されていた文芸時評をまとめたもの。
これ、すっごく失礼な本ですな。
いいかげんな気持ちで連載引き受けたというくだりから始まり、「もう十年も小説なんて読んでない」という問題発言をかもしつつ、適当に小説すばるだの文藝春秋だの小説新潮だのの小説誌を買ってきて流し読みしては「つまんなーい」「意味わかんなーい」「知らない人ばっかり「ぶぶぶぶんがく」「これは面白い」「大先生の登場!」みたいなノリで、片っ端から斬ってすて斬ってすてと、もう失礼千万極まりない。どうかと思う。
のに、面白いんだなあ、これが。
あまりにも率直な物言いは共感を生むし、そもそも書き方が面白い。実況中継でもしているかのようなテンションの高い書き口は、まさに中島梓の真骨頂。バカにされた本人はたまったもんじゃないかも知れないが、このノリで斬って捨てられたのならば、むしろおいしいだろ、と思ってしまう。読みたくなるし。
また、この本が94年頃に出版された当時は、自分はここに挙がっている作家や作品をなにひとつ読んだことのない状態だったので、なにを書いてあっても「へー」だったわけですが、今ではいくつか読んだことある作家もいるわけです。そしたら、ぼくの感想と梓の感想がかぶっているのですね、実に。
おれが面白いと思っている作家を梓もほめているし、おれがうぜーと思っている作家を梓も虚仮にしてたりな。(例えば角田光代は褒めているし、奥泉光はギャグのネタにしている)なんつうか、おれの感性は素で梓と同じかよ、と嬉しいようなげんなりするような、そんな感じでした。影響受けすぎたのかも知らんなあ。
正直、文芸時評としてはかなり程度が低いと思う。
この時代に大江健三郎だのW村上だの、いくら売れているとはいえいかにも古いし、そもそもその辺の人についてはデビューしてすぐに『文学の輪郭』などの著作で語っていただろ。進歩なしかよ。新しく読んだ作家について考える気ナッシングかよ。どうかと思うよ、ぼくは。
だから、文芸時評としては、おすすめできない。
文芸をネタにしたエッセイとしては、実に面白い。
時におちゃらけ、時に自虐し、時に調子に乗り、時にまじめになり、軽妙洒脱に文章を切り替え、読者をあきさせることなく最後まで読ませる技量はさすがの一言。 内容がないよう状態でも、このノリ・文章が保たれていたならついていきます、あたし。
保てなかったんだなあ、これが。
ほかの評論本に比べると、いかにも「連載を頼まれたから書きました」感が強く、これが云いたかったというものが見当たらないので、評価は低め。でも、面白いですよ。文学の話をこんなに面白くわかりやすく書ける人なんて、滅多にいないって。
だからもっと文学も読んでいて欲しかったなあ……。
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