172 FULL HOUSE Special 中島梓脚本名作集(同人誌)
1993.09/中島梓事務所
<電子書籍> 無
【評】う
● 梓の作詞家としての能力が辛い
中島梓の手がけた脚本から選抜して三本収録した同人誌。
『まぼろし新撰組―新撰組`92―』『みゅうじかる西鶴』『いとしのリリー』収録。
『まぼろし新撰組―新撰組`92―』
芹沢鴨を切ろうとした近藤・土方・永倉・藤堂・沖田は、タイムスリップに巻き込まれ、気がついたら現代にいた。現代でヤンキー少女と恋をする沖田であったが……
『まぼろし新撰組』の題で角川スニースー文庫より小説版も出たタイトルの原作となる舞台版。元は90年に公演されたため『新撰組`90』というタイトルだった。そもそも「新撰組が現代にタイムスリップする」という設定だけがあり脚本がなにもないところを「助けてアズえも~ん」されて書いたという顛末が『アマゾネスのように』に記されている。そのため、この設定の恥ずかしさに関してはあまり責めまい。
ストーリー的には舞台であり、しかもミュージカルであるため、物語を複雑に展開させる尺がなかったのだろう、普通にドタバタしながらタイムスリップして、現代生活をしながらドタバタして、その場のノリだけで元の時代に帰るというだけの話だ。
舞台であるのだから細かい機微やディティールは演技や音楽にこめられているため、脚本だけ読んで判断するものではないのだが、あまり舞台栄えするようなシーンがあるようにも見えず、舞台で見たい話ではないかな、と思った。なにより、基本ロマコメなので恥ずかしい。笑えないしひたすら恥ずかしい。あ、でも藤堂平助が名前の感じを訊かれて「助平のへいに助平のすけです」とこたえるのはちょっとおもしろかったです。
しかし沖田・土方・藤堂は芹沢暗殺の場にいたというし、近藤も新撰組ものとして必要だから仕方ないとして、なぜ永倉がいるのか。なぜ暗殺に同行したという説のある原田や山南ではないのか。わざわざ選んだのになぜ永倉の影が薄いのか。その後の『夢幻戦記』での扱いも含め、薫の長倉への態度には謎が尽きない。
『みゅうじかる西鶴』
井原西鶴の半生をミュージカル化したもの。
こちらは『好色屋西鶴』のタイトルで長編小説化されているが、やはりミュージカル部分に尺をとられているため、小説に比べるとかなり短くまとまっている。しかし小説が無駄に冗長で無駄なエロシーンばかりだったため、この脚本の方がシンプルにまとまっていて良い。
商人であることをやめ俳諧で儲けようと決心し改名。松尾芭蕉へのライバル心から数だけをこなしまくるスタイル。苦労ばかりかけた愛妻の死による俳諧の質の向上。俳句では収まらなくなった物語欲を満たすための草紙作家への転身。金と名誉を掴み女を弄びながら、どこか虚ろな全盛期。娘を失い、逃避するようになお書く晩年。そして女護々島を求めいずこかへと姿を消す末期。駆け足ながらうまくまとまっている。
とはいえ、この西鶴という題材自体が、栗本薫が自己弁護、自己高揚のためにあつかった題材であり、それが小説版よりなお直截に出ていることに鼻白む気持ちはある。芸術とは呼ばれない、だが大衆には支持されるベストセラー作家の誇りを当時の薫自体もよく書いていたが、しかしそれは逆説的に賞などの権威などから冷淡な目で見られていることに対する明確な劣等感のあらわれでもあった。意識していなければたびたび口にするはずもないのだ。そのちっさいコンプレックスを隠すために、作家としての自分の在り方を元祖浮草ベストセラー作家である西鶴の生き方を借りて正当化しようとしたのが、このミュージカルや『好色屋西鶴』だ。
周囲の人間に迷惑をかけながら書いて書いて書きまくってそのまま物語の中に消えるように死ぬ人生を、栗本薫はまっとうしたわけだが、しかし晩年の作品がアレだったので、どうにもこの作品のラストシーンも微妙な気持ちになってしまう。作者が悪い、作者が。
『いとしのリリー』
女子高生ののぞみは医者の島村ジョーと愛し合い、つきあうことになる。だがジョーには秘密があった。夜になると彼はリリーという少女の人格となり、オカマバーで働き、男の恋人と夜を過ごしていたのだ――
これも後に同名の小説となった。三作の中でも、もっとも小説版で変化している作品だが、こちらは小説版のほうが断然良い。
四姉妹がわちゃわちゃし、オカマたちがわちゃわちゃしている古臭い、いささか失礼なロマコメシーンがほとんどで、肝心のリリーが生まれるにいたった過程や、自分が女性の人格を持っていることを察しているジョーの苦悩、友人に宿る女性人格を愛してしまったケンの辛さなどがさらっと流されているため、設定が活かされていない。そして肝心の主人公の少女とジョーが恋に落ちるシーンは顔だけで惚れているといういつものアレである。薫は面食いだから男同士でも結局は顔(とチンコ)になるけど、男女物だとそこに事件すらなにも起こらないから、ちっともうっとりできない。
演技や歌が加わればまた印象が変わるのだろうが、なにをしたいのかいまいちわからない脚本と云わざるを得ない。
元がミュージカルであるのだから、劇を見た人が脚本を読んで思い出すのが本来の楽しみ方であろうし、脚本だけで評するのもおかしいのだろうが、やはり脚本読む限りではあんまり観に行きたい舞台ではないかな……というのが正直なところだ。なぜ舞台ではコメディをやりたがってしまうのか……そしてコメディはわりと破壊的でないと面白くないのに、なぜ七十年代ロマコメなのか……。野田秀樹だって梓の大好きなつかこうへいだって、笑いは入れていたけどもっと破壊的で、こんなファンロードみたいな内輪受けのぬるい笑いではなかったと思うのだが……。いや、そんなこといったらローディスト達に失礼か……。
そして、歌詞が。歌詞が……。いや、ちゃンと歌で聞けば印象が変わるのかもしれないが、でもあんまりにも歌詞が……。辛い……。
まあ、同人誌だし、舞台を観て気に入った人だけが買うものだろうから悪くいうのもおかしなことかもしれないが、これ読む限りだとやっぱり舞台やめといた方がよかったんじゃないかな……という気持ちしか湧き上がってこないのであった。
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