173 魔界水滸伝外伝 白銀の神話 本能寺の巻

です

173 魔界水滸伝外伝 白銀の神話 本能寺の巻

173 白銀の神話 本能寺

1993.10/カドカワノベルズ

1995.11/角川文庫

<電子書籍> 無

【評】 う


● つまらん丸


 本能寺の変が起きて蘭丸死んで多一郎は現代に戻りました。特に意外なオチとかはないです。


 いやー、つまんないっすねこの外伝(直球)。

 思わずくだらないだじゃれを云いたくなるくらいにつまらなかったし、そのだじゃれが通じていないんじゃないかと不安になって「あ……あ……上記の『つまらん丸』というのは『つまらん』というのと『蘭丸』をかけていまして……」と解説して場を凍えさせておひらきにしたくなるくらいに厳しかったっすね、この冬の寒さもこの外伝の出来も。


 一巻目のときは、「シチュパロ同人かよ!」「信長が本当に魔人だったって、ありがちかよ!」と思いながらも、有名な戦国大名の数々がクトゥルーに乗っ取られ、そのクトゥルー同士でも勢力争いをし、クトゥルーに乗っ取られているはずの今川義元が実際に会うとただの人間で……と、まかすこの外伝としてそれなりに期待できそうなところはあった。

 なにせクトゥルー十二神とかいって出てきたくせに、ダゴンとタコさまはただのおしゃべりの飲み屋のおっさん、アザトートは二体いる、ニャル様は出会い頭の事故で死亡、他のやつらは出番すらなしでポッと出のラスボスに0コマでやられて死亡、とソードマスターヤマトの四天王よりもひどい扱いだったクトゥルーの神々である。戦国時代で大名の姿を借りて登場するというのなら歓迎するところだ。実際、一巻では比叡山焼き討ちにガネーシャがあらわれて「お前クトゥルーの雑魚扱いされてるのかよ」と思いつつも、インド神話をクトゥルーに取り込むトンデモ展開を予期させたりもした。


 また、今作のメインとなる「多一郎と涼を信長と蘭丸にしよう!」という思いつきも、基本的には「セルフアニパロ寒くない?」と思いつつも、本編での涼の正体やなに考えていたのかが、ノリと勢いだけで流されてまったくわからんままだったので「外伝で前世をやってその辺が掘り下げられるならこれはこれで」という気持ちもあった。


 が、実際は二巻以降は資料(二冊)の引き写しみたいな史実の垂れ流しでろくに戦争することはなく、新しい解釈や着想もないため、歴史物としてもトンデモ伝奇としても楽しむことはできず、クトゥルー勢力は無双の雑魚のように草刈りされていくだけで、一巻で布石したような敵方の勢力争いや今川義元の謎などはまったく触れることなしに終わった。

「妖怪VSクトゥルーin戦国時代」という、これはこれで楽しそうなB級路線は完全に空振りにおわったわけだ。だったら一巻でそういう方向に振るなよ……。


 ではホモカプ同人として読むと、本編で掘り下げられていなかった二人の心情や設定が描かれるのかというと、そっちもガッカリである。普通に戦国シチュエーションパロなんだから、あの状況での二人、この状況での二人、と様々な腐妄想ができそうなものだが、基本的に独り言セックスしているだけのいつもの栗本薫である。

 もじもじしながら付き従ってきた受けにハメたら「愛しています」と云い、その一言で興奮した攻めが「これは運命だ」というようなことを何ページも何十ページもつぶやき続けるこのプレイは、それが無内容で長くなればなるほど閉口してどうでもよくなってしまうのだが、相手が黙れば完全論破だと思ってしまうタイプの、悲しいネット論客のようなパーソナリティを持つ薫は、ついつい長文ゴリ押ししてしまうのだ。ことに最後のセックスシーンで、多一郎が「一度しか云わないぞ」という前置きで「愛している」と云ったかと思うと、そのまますごい長台詞をして何回も「愛している」とうわ言のようにいいはじめたときは、お前のカウントどうなってるんだよ突っ込まざるを得ない。

 おかげでうっとりとする戦国シチュはほとんど描かれることなく、二人の馴れ初めにも事件らしい事件もなく、気がつけば信長が気持ち悪くなってて「なんという……」といつものアレを云いだすだけということになってしまった。戦国ホモ、信長ホモでこんなに劇的なシーンのない作品も珍しいでしょこれ。


 また最終巻は三巻のあとがきで「あと二百枚くらいの内容なので枚数が足りないんだけどまあなんとかなるでしょう」的なことを云っていた時点で不吉な予感がしたものだが、その予感通りに200枚の内容をそのまま倍に薄めた引き伸ばしも辛い。中盤が引き伸ばされてもある程度は我慢できても、終盤に引き伸ばし感があると凄い萎えるよね……。


 この外伝の良いところとして、化け物から人間にしてやった秀吉との関係があるのだが、これも引き伸ばしのせいで微妙な結果になっている。

 秀吉は「別れる前にもう一度信長さまのセックスシーンを覗きたい」というくだらないことを云いだして、これはなかなか秀吉らしい馬鹿らしさと愛嬌があって良いのだが、そのくだりが長い上に、それで別れたと思ったらその後ももう一回お別れシーンがあり、感動のタイミンクがまったくつかめない。

 同様に、信長に仕えていた黒人の九郎を、多一郎の超能力でアフリカに帰すシーンは、その黒人の本能寺後の消息が史書に残されていないことを利用したなかなか感動的なシーンであるものの、アフリカの大地を前にした九郎がぐだぐだと引き伸ばしセリフを繰り返してなかなか駆け出さないので感動のタイミングを完全に逸してしまった。

「信長に仕えていた黒人の消息が知れないのは明智家臣に捕まって南蛮寺に引き渡された後で本能寺時点ではいたはずだろ」みたいな歴史考証的なツッコミはしないが、ぐだぐだと引き伸ばして感動が台無しになってしまったことはツッコミたい。あと「信長に仕えていた黒人は弥助って名前だったと思うけど九郎ってどこから出てきた名前だよ」とはさすがにツッコミたい。歴史考証にうるさこくしたくはないが、本当にどっから出てきた名前だよ九郎って。

 そうして無駄な引き伸ばしでシーンを台無しにする一方で、インスマウス人から人間にされた明智光秀はせっかくの本能寺だというのにまさかの出番なし。前巻で不仲になっていくシーン描いていたのに、肝心の決起の部分は一切ないとか嫌がらせかよ。忠節に励んだインスマウス人がそれでもインスマウスだから認められなくて反乱起こすとか、けっこう面白い設定なのに。


 肝心の本能寺もまるで盛り上がらないし、かといって無常感もないし、結局蘭丸=涼がなんなのかはさっぱりわからないままだし、勝手に多一郎がサイキックツインを連呼していただけだし……。

 挙句ラストでは次回作に出したいという出雲の阿国がだらだらと三十ページくらい出張ってきて、余ったページ埋めるのに必死だな、という感じがしてしまう。後の時代の人間を出してエピローグってのはいいけど、無駄に長すぎだろ……。次回作のちょっとした顔出しじゃねえよ……同じレーベルで同時期に出たけど『バサラ』は別の作品なんだからさあ……。


 そんなわけで、まかすこ外伝としてダメ。お気に入りカップルの掘り下げとしてダメ。歴史ものとしてダメ。と完全にダメな作品である。

 はじめに読んだときからいまいち面白くなかったが、当時は中学生だったから「歴史物あんまり好きじゃないからなー」とか「どうもこの耽美というのは僕には難しいですよ……大人になればわかるのかな……」とか思っていたが、おっさんになりそれなりの歴史物小説とホモ小説を読んだいまとなっては、単に作品としての質が悪いだけだと云わざるを得ない。

 まかすこ本編は角川春樹事務所、小学館と再販されているのに、この外伝は完全にスルーされているのも宜なるかな。「ホモで外伝かよ」と非難や揶揄されることの多い本作だが、問題はホモがどうこうじゃなくてつまらんことである。そしてそれを四冊二年もかけて書いてしまい、本編三部再開の気運を、作者・読者ともに低めてしまったという意味で、読まないでいいというよりも存在しないほうがよかった作品ですらある。

 

 ただでさえ盛り下がって第二部が終わった『魔界水滸伝』は、こうして二年ほどを外伝でつぶし、更にカドカワノベルスでの次回作『バサラ』で一年半ほどをつぶし、約四年の歳月を経て本編が再開するころにはすっかり世間に存在を忘れられていたのでありました……。本当にこの外伝、なにもいいことなかったな……。

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