168 野望の夏
1993.06/角川ノベルズ
1997.06/角川文庫
【評】うな
● 夏と云えばエロ
平凡な生活を続けていたOLの夕香はある日、歳下の不良青年にナンパされ、彼の直情と荒れ狂うSEXにまきこまれるうちに、彼女の中にいたメスが目覚め始める。下品なミニスカートを履き、会社をさぼって青年に連れまわされる夕香は、気がつけばアイドル誘拐の片棒を担がされることになっていたのだが……
題材としては『天国への階段』に収録されていた短編たちの系譜に連なる、なにものでもない人間の狂気を描いた話だろう。違いとしては、エロシーンがやたらとあるところだ。この時期の栗本薫は後述の『グランドクロスベイビー』や『好色屋西鶴』など、ホモではなく男女物のエロ小説を連発していた。思うところがあったのか、オファーがあったのかはわからないが、結果としていずれも特に話題になることはなく、薫自身もこの時期だけでスパッと止めて後年はホモセックスばかりになっているため、いったいなんだったのだろうという気持ちばかりが残る。
さておき今作。
あらすじからわかる通り、セックス&クライムのピカレスク小説であるわけだが、根本的な問題がある。
これはもう男として云わせてもらうと、栗本薫の男女物のSEXシーンでは、ぼくの下半身のティムティム・バートンはずっとビフォア・クリスマス状態なのである。これはいまのおっさんのぼくではなくて、初読した当時の、シザーハンズのように常に危険な状態であった中学生時代のぼくのティムティム・バートンがそうだったのである。「性癖は人それぞれだから……」とは云っても、当時のぼくのティムティム・バートンは親父が買っていた週刊ポストの処女当てクイズにすらビートルジュースを垂れ流さんばかりにシザーハンズ状態だったのである。そんなエロ・ウッドをピクリともさせないエロシーンに意味などあるのであろうか?
ストーリー的には、アイドル誘拐計画というのがなかなかキャッチーな設定ではあるものの、紙幅の比重が大きくエロシーンに偏っているためか、描き方はかなりイージー。ひょんなことからはじまった悪事が想像以上に大きくなっていってしまう顛末を、しっかりとディティールを詰めて描いていれば普通に面白くなりそうだったのに、もったいないことだ。書き方次第では、今作こそ栗本薫版『悪魔のようなあいつ』にもなれたものを。
もっとも、栗本薫が描きたかったのはそうしたクライムストーリーの面白さではなく、平凡な生き方をしていた人間がひょんなことから自分でも知らなかった自分を発見していく過程なのだろう。そういう意味では前年の『シンデレラ症候群』と非常によく似た作品である。破滅型の人間に惹かれ、破滅的な自分が引きずりだされていくというのは、自分としても好みなテーマだ。
しかし前述の通り、紙幅の多くがティムティム・バートンがチョコレート工場に行きたくならないようなしょっぱいエロシーンに費やされているため、その心理も薄味になってしまっており、どうにも長編一冊の内容があるように思えない。エロシーンを減らしてページ数を半分にすれば、初期短編に通じる栗本薫らしい作品に仕上がっていたと思うのだが。
「夏が終わった」とするラストシーンも、中・短編ならば切れ味の良いオチと思うこともできたろうが、長編でこれではいささか唐突というか、ページ数が尽きたし適当に終わらせとくか感がある。これが男同士だったら心中していたはずだ。
結果的に云えば、先人たちの描いたセックス&クライムストーリーに比するものではなく、あまり見どころのある作品ではない。が、栗本薫ファンとしては、良い意味で栗本薫らしからぬ挑戦を感じる作品でもあった。今作の失敗を活かし、犯罪のディティールを詰め、ティムティム・バートンがビッグフィッシュになるエロシーンを書けるように研鑽していたら、あるいは一皮向けた作家になっていたかもしれない。
もっとも、本作が失敗であるという認識が薫にあったかどうかは定かではない。
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