162 アマゾネスのように

1992.11/集英社

2008.10/ポプラ文庫

<電子書籍> 無


【評】うな(゚◎゚)


● 癌にして君を離れ――ない


 中島梓が九〇年末に乳癌が発覚し、三週間の入院をして片方の胸を切除して退院した件の詳細と、一年後にそれを振り返ってみての感慨をまとめた闘病記。


 その時点の作者の状態、読者各自の状態によって本に対する印象が変わってしまうというのはよくあることだが、作者の死後七年を経過したいま読むと、やはりかつてとはずいぶんと異なった感想を抱いてしまう。

 なにせ自分がはじめて読んだときには梓の乳がんは完全に過去のことだった。とっくに手術は終わり、三年経過して再発もせず、当人はバリバリと小説を出しまくっていた時期であり、ただの思い出話を聞く感覚で読んでしまった。また自分自身も十代であり、がんというものは遠いもののように思えていた。

 だが、ご存知の通り、この本の記憶が遠くなりつつあったころに中島梓に膵臓癌が発覚し、それが原因で二〇〇九年に逝去してしまった。また私事ではあるが、現在身内に癌患者がおり、自身の年齢もこの本当時の梓とほとんどおなじになってしまった。幸い自分は大病を患うことなくきているが、それでも二十代に比べるとがくりと健康が遠ざかり、精神的に病気が他人事ではなくなってしまった。そしてまた、自分の人生に迷いを感じている時期でもある。

 そうした状況でこの本を読むと、以前とはずいぶんと違って感じられてしまった。


 この本の最初の章『霹靂』は、乳癌が発覚する直前の多忙な日々を描いている。舞台『魔都』が気合のほどには受けず、出来も興収も70点程度の出来に終わったことに対する中途半端な気持ちと、背水の陣の気持ちでついに自らのヒット作を題にとった舞台『マグノリアの海賊』に挑もうとする中島梓の気持ちが、多少感傷的に書かれている。なにせ「私には芸術作品だのジャンルに新風を吹き込む驚天動地の作品なんか作れはしない」とまで云っているのだ。(もっとも「けれども必ずファンを泣かせ、そのキャラの本当の人間のように身近に感じさせる、そういうものでしかありはしなかったのだ」と続いているが)

 

 ともあれ、そうして順風満帆ではないが多事多端な日々の中で晴天の霹靂であった癌発覚のどたばたが描かれる前半、入院中の生活が当時の日記をもとに描かれる中盤、退院後の生活が描かれる後半、という構成になっているのだが、基本的におどろくほどごはんの話が多い。食事のメニューを日記に残す習慣があり、入院中に関しては旦那への報告とこの本を書くためのメモを兼ねて詳細を原稿用紙四〇〇枚ほど書いていたためであったからだが、それにしても食事に関する記述が多い。本当に多いしよく食べているし、その一食一食にいちいち語りたがる。いつものことではあるが、食に執着がないと云いながらこれである。どうも記述を信じるなら一回一回の食事量は少なめなのだがよく間食しているという、典型的な太る生活パターンをしている。これは結局、晩年の闘病エッセイ二冊でもおなじなので、本当に食べることが好きだったのだろう。

 よって、中盤の入院生活のくだりはかなりの部分が食への記述で埋められており、ぶっちゃけ途中から「もうご飯の話はいいから」という気持ちにもなってくるのだが、それでもどうにもこの時期の梓の文章は読まされてしまう。内容以前に、この筆で語られる物が読みたくて仕方なかったあの頃の気持が蘇ってくる。


 そしてまた、改めて読むと、この人はずいぶんと旦那に依存していたのだな、と思う。本来はぶつけるあてのない運命に対する不満や怒り、自己にぶつけるべき内省を、すべて旦那にぶつけていたことが文章の端々から窺える。小説家として休まず働きながら、舞台や他の活動にも血道をあげるストレスを、旦那で処理していたのだろう。その生活はこの大病の前後でもまったく変わらない。むしろ退院後に加速すらしている。

 この後、旦那は舞台活動が本格化し生活が厳しくなるだろうこと梓に告げられ、九二年に早川書房を退職し家庭に入ったのだが、忙しいのはわかるがなぜ収入が減るのに会社を辞めるのか? という疑問があった。しかし、この乳癌時の顛末が、家庭に入ることを後押ししたのだろうか、と思う。自分が悪かろうが八つ当たりだとわかっていようが、それでも自分を肯定してくれる相手が必要だったのだろう。そうした心情が、旦那へあてて書いた入院日記からひしひしと伝わってくる。


 こうした入院生活の実情(主に食生活)とそれにまつわる気持ちの移り変わりを詳細に描き、手術の末に無事に退院した後、一年以上が経ってからの決意を、いつものように妙にドラマチックに、悦に入った感じで書いて、この闘病記は締めくくられている。その決意とは人生はいつ終わるかわからず、だからこそ一冊でも多く本を書き舞台をやるのだ、というものだ。

 実際、この後の薫はワープロ執筆に完全移行したことで小説執筆速度がさらにあがり、舞台熱もより高まり『グイン・サーガ 炎の群像』、『天狼星』という大金を投じた大舞台を興行している。そしてどんな毀誉褒貶を受けようがとにかく書きつづけ、病床にあっても最後の最後まで書くことを止めずに亡くなった。

 その決意と生き様を、しかし美しいと思えないのが、いまの自分の悲しさだ。


 このすみやかに読者の心に入り込み、やみくもに心を捉える彼女の文章は、奇しくもこの時期を境とするように衰えはじめた。

「舞台への傾倒が過ぎた」「ワープロへの完全移行が悪かった」「借金返済のために書くようになったのがいけない」「彼女の性格上の必然であった」原因はいくらでも思い浮かぶし、このブログでも折に触れて根拠のあるものないもの、色々書いている。

 実際の正解なんてわかりはしない。だが、この九〇年の入院と生還が天の配剤であったというのなら、それは止まって動けなくなることをおそれる彼女を強制的に立ち止まらせ、己のやるべきこと、やれることの範囲を考えさせることだったのではないか、と思う。それは彼女が二十代でもっとも影響を受けた書であるアガサ・クリスティ『春にして君を離れ』が、期せずして田舎の駅で数日の立ち往生を喰らい、半生を振り返り己の欺瞞に気づく物語であることを想起させる。


 タイトル『アマゾネスのように』とは、乳癌の手術で片方の胸をうしなったことを、戦いのために片胸を切り落とす女戦士アマゾネスに例えたものだ。事実、彼女は死ぬまで戦いつづけた。だがひたすら前線に立ち続けることで「なにと」「どのように」戦うべきかまでは考えていなかったように自分には思われる。

『グイン・サーガ』『魔界水滸伝』という未完の長編シリーズ二つに、放置されたいくつかものシリーズ作品と無数の単品作品。テレビタレント活動。そして舞台脚本、演出と、栗本薫/中島梓の仕事のキャパは確実にオーバーしていた。そしてそのキャパオーバーは終生変わることなく、ただ質が落ちつづけながら終わりが見えぬままに刊行され、またいくつもの作品が放置された。そして自分のような面倒くさい元・愛読者ばかりを増やした。

 この本で熱意をもって描かれる舞台『マグノリアの海賊』の上演は作品としての質は観ていない自分にはわからぬが、この入院以外にもトラブルにまみれ、スタッフは失踪し、彼女の脚本料払われず、中島梓事務所に上演の映像は残されず、数年後には「二度と再演はできないだろう」と自身で語るものとなった。

 そしてこの本に幾度も登場する中島梓事務所社長や当時のマネージャーともトラブルがあり縁が切れ、華々しい芸能人や作家たちとのつきあいも、この本をピークとしてどんどん彼女の話には出てこなくなった。


 無論、人との出会いも別れも人の世の常であるから、彼女のこの後の生き方にのみ原因があるとは云わない。だが、彼女の作家としての致命的な欠点は、感性は年齢にしたがって衰えていったのに、終生若書きの人でしかなかったことだ。それを見直すために、自分では決して止まることのない彼女に対して天が与えた強制的な休日が、この入院であったのではないか、という気がしてならない。梓は「全方位的ご都合主義」なのだから、天がその機会を与えてもおかしくはない。

 だが自分の云っていることは結果を知っているものの戯言でしかないのだろう。『春にして君を離れ』の主人公も結局、自己欺瞞の中へ帰っていくことを選んだ。それだけのことなのかもしれない。

 

 本の感想から大きく離れてしまったが、記憶力を活かして細かいことも書いてあり、発病にいたる過程やその前後の性的な自信に関することも赤裸々に書かれているので、乳癌闘病記としてはなかなかの良書ではなかろうか。なにより脂の乗った梓の文章が良い。二〇〇八年の『ガン病棟のピーターラビット』の発刊に合わせる形でポプラ文庫で出版されているので、二〇一六年現在でも比較的手に入りやすいだろうし、二冊を読み比べると良きにつけ悪しきにつけいろいろと感慨深くもなれる。――十五年で本当に文章ひどくなっちゃったな、というのが自分の感慨のほとんどではあるが。

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