155 まぼろし新撰組
1992.04/角川スニーカー文庫
<電子書籍> 無
【評】う
● 栗本薫版『ホット・ロード』
つまらない世の中にグレていたスケバン女子高生ユキの前にあらわれたのはタイムスリップしてきてしまった新撰組一行だった。
いろいろあってドタバタしているうちにハイパー美少年の沖田総司に告白されたりしたけど、一行は普通に帰りました。
栗本薫が脚本を書いた舞台のノベライズ作品。「新撰組が現代にタイムスリップしてくる」という設定は栗本薫が考えたものではなく、仕事を受けた時点でそういう縛りであったらしい。(このあたりのはエッセイ『アマゾネスのように』に詳しい)
この舞台版の脚本は同人誌『FULLHOUSE special 中島梓名作脚本集』で読めるが、比べてみると、小説版は登場人物か減り、タイムスリップが起きるまでの経緯もはぶかれ、主人公のヤンキー少女が新撰組を眺める心理を中心に据えた作品に変更されている。これは小説化としてなかなか良い英断だ。映像作品にハマっている作家にありがちだが、漫画や映画に比べるとやはり小説は見た目でキャラを立てづらく、エピソードが特にないキャラを増やすと読者が混乱するだけになりがちだ。そこで脇キャラを削って、メインキャラの心理や関係に焦点を合わせるというのは大変正しい。
さて、そうして小説の中心となるヤンキー少女の心理描写であるが、ふっる~~~~~~~い!
九二年の作品であるから二十年以上経ったいま見ると古いのは当たり前だが、そうじゃなくて、はじめて読んだ九四年の時点で「なにこの古臭さwwwww」と盛大に草を生やしていた記憶があるので、本当に古い。九十年代にもなってスケバンという単語を見た時点で爆笑ですわ。
まあ、おっさんになってしまった今となっては若者文化の速度についていけないのはよくわかるのだが、しかし若者相手のレーベルであるスニーカー文庫での出版でこのダサさは辛い。渋いインテリおっさんを見て「片岡孝夫みたい」とスラっと出てくるスケバン女子高生とかどう考えても年齢詐称している。時代劇マニアかよ。その割には新撰組のことあんまり知らないしなんなんだよこのスケバンユキさんは。
そんなユキのはすっぱな喋り方も、親友の佳奈のぶりっ子喋りも、なにもかもが八十年代前半臭しかしなくてとにかく辛い。現代のネットで「( ´∀`)オマエモナー」とか「(,,゚Д゚)< 逝ってよし!」を見てしまった時のようなタイムスリップ感に常に襲われ続ける。
まあ、そもそもあとがきで自分で云っているように、スケバン部分は漫画版『スケバン刑事』と高口里純で、新撰組部分は木原敏江『天まであがれ!』が元ネタという、古い少女漫画の組み合わせでできているから、仕方ないと云えば仕方ないんですけどね……。でも昔も当時も現在も、ドジ様はコテコテベタベタなのは変わらないけど別にその時代ごとの作品はダサくないので、やっぱり薫の感性がデビューしてからパッタリと止まりすぎていたんじゃないかな……。
ま、そういう致命的な古臭さを(これが出版されたのは八十年代前半……八十年代前半……)と自己暗示をかけてごまかすことに成功すれば、すねて素直じゃないけど面倒見が良く素直なユキの語り口は嫌いではない。セックスはしまくっているが恋は知らずという設定に(またいつものきたなあ)という気持ちにはなるが、不良少女がそういう状態になることは男のお姫様よりはずっとリアリティは感じる。
舞台では尺の問題で現代で特になにをしたわけでもなかった新撰組の面々が、近藤や永倉はドカチンを、土方や沖田はウェイターのバイトを、と過去の人間が現代にきてしまって四苦八苦しながら適応する部分をある程度書いているのもベタで悪くない。
新撰組の面々も、沖田は少女漫画の定番であるピュアっ子で、これはおっさんの自分にはまったく興味がないが、定番キャラであるので問題ないだろうし、近藤がただのおっさんなのもいつものことなので問題ないし、土方が知的でクールな美男子なのも、やはり定番として仕上がっているので、少女漫画的には問題ないだろう。特に土方は完璧超人として描かれながら訛っているので格好がつかない、というあたりがなかなかうまい。
だが藤堂と永倉はなんのためにいるのか。特になぜ永倉がいるのか。さっぱりわからない。新撰組ものにおける永倉新八のアイデンティティーである豪傑キャラも最後まで生き残った設定も使われることなく、なぜか年下のお豆扱いされててさっぱりわからない。一方で藤堂平助はひげもじゃの気の利かないおっさんキャラになってるし……。
と、考えてようやく気づく。あ、薫ってば藤堂と永倉間違えて入れ替えちゃってる……藤堂のポジションである年下キャラを永倉がやってて、永倉のポジションである豪傑キャラを藤堂がやってるんだ……年下キャラがほしいから永倉入れてたんだ……うわー……舞台何回もやってノベライズして、なんでこんな盛大な突っ込みどころが残ってるんだろうか……。そりゃエンタメファンタジーであることはわかってるから歴史公証にあんまりうるさいことを云いたくはないが、新撰組古参メンバーの関係性って、新撰組ものの基本中の基本ではずしちゃいけない部分じゃないの……? わかってないなら近藤・土方・沖田だけで良かったじゃん……なんで興味もない永倉を出して恥かいてしまうの……? それで作中で東堂や永倉においしい場面があるわけでもないし……。
また、主人公のユキは家庭に問題があり素行不良になっているのだが、この手のキャラが思いがけぬ異人との不思議な日々を過ごす設定の話なら、彼らとの出会いによってなにか気づきを得て人生を見直したり、人間関係が良くなったりと、とにかくささやかな変化や救い(場合によっては破滅)をもたらしそうなものだが、本当になに一つ主人公の人生や生き方に変化をもたらさず、いったいなんのための話だったんだろう感がものすごく強い。
かといってタイムスリップの理由も戻り方もとってつけた感が強いからSFとしても楽しめるわけないし……。
この設定でこの文体ならもっとまともなストーリーに出来るだろうという感じが強い。
読んでいるときにはそんなにめちゃくちゃだと思ったわけでもないし、少女漫画だと思えばそんなにひどいとは思わなかったのに、本を閉じてから「で、この話なんだったの?」と考えるとどんどんひどい話に思えてくる不思議な物語であった。エンタメとはそういうものだとはいえ、さすがに無内容すぎやしないだろうか……。
一発書きではなく、何回も舞台化してノベライズ化してと改稿しつづけた最終結果がこれなのかと思うと、薫はいくら直しても構成はダメなんだな……という気持ちになってしまう。
ちなみにこの本は最初スニーカー文庫で出た後、おわラブと一緒にルビー文庫で出し直されている。昔図書館で借りて読んだきりだったので、今回再読するにあたって古本を購入したのだが、そのルビー文庫創刊の帯がついていて、折込チラシが入っていて、日焼けはしているもののやたらと綺麗で……と、めっちゃ新古品の気配がする。まあそうだよね……ルビー文庫でホモなしの本出したって誰も買わないよね……熱心な薫ファンならスニーカー版の時に買ってるしね……。切ないなあ……。
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