151 シンデレラ症候群

1992.01/新潮文庫

<電子書籍> 無

【評】うなぎ


● 文章力が光る佳作


 秋葉誠一は二十五歳の独身会社員。だれからもお坊ちゃまとからかわれ、会社のOLたちのモーションにうんざりしていた彼は、ある日、夜道で話しかけてきた女に対し、とっさに譲二なる名を名乗り、普段とはちがう、粗暴な男を演じる。悪いジゴロとしてふるまい、その女、リズと深い関係になる秋葉。しかし、一週間後、リズが無惨に殺されているのが発見され……



 うまい。

 面白いというよりもなによりも、このうまさに舌を巻いた。なんだこれ、なんて小説のうまい奴だ、といまさら感心した。それも、見せつける類の超絶技巧ではなく、あくまでも物語を自然に支えるための技巧だ。そのさりげなさが憎い。


 まず、主人公の独白、その遠まわしで、幾分頼りない言葉遣いに、主人公の情けなさと人間味があらわれ、同時に、かれの見る街の景色、会社の風景が、どことなく色あせたものとして読者にうつり、かれの感じている虚無を言葉の端々から感じられる。序盤から言葉少なに語られる母との確執が、わずかな言葉でどんどん積み重ねられ、次第に読者の中でクローズアップされていく書き方も、なんともうまい。

 はじめは主人公と自分とに距離を感じ、多少はいりこみにくさを感じないでもなかったが、ほんのちょっとした部分で「あ、おれもそう思うことあるかも」と思わせて、そこからはもう、一気に読ませる。


 リズと出会い、なんとなくの苛立ちから乱暴な言葉遣いをし、それがきっかけで別の人格を装うにいたる経緯は、ひどく自然で、いかにもありそうだ。うまい。

 また、次第に誠一と譲二の人格が乖離していく様子も、無理を感じさせないのがうまい。特にうなった個所が、中盤、誠一の物思いが、いつの間にか譲二としてのものに入れ替わっているくだり。あまりにも自然で、どこが契機で変わったのかわからず、その部分を読み直したのだが、なおわからない。それでいて、一連の物思いの前と後では明らかに人格が変わっている。

 まるで別人のような誠一と譲二が、あくまでも同一人物であるというなによりの証左として、印象深い。この部分は狙ってもなかなかできるものじゃない。ほかにも、中盤での誠一と譲二の入れ替わり箇所は、いずれも自然かつ凝ったシチュエーション、文章で表現され、面白い。

 譲二が「あんただって、別の自分になりたいって思うことぐらいあるだろ」と云われ「そんなこと、一度もねえよ」と答え「あんたみたいなのはそうだろうね」と云われるくだりは、地味にぞくっとする。いまこの瞬間に別のペルソナをかぶっている人間が「ならあんたは幸せものか、おめでたいだけさ」と云われるこの皮肉。ちょっとした会話に、こうした行き届いた配慮がある。


 脇役の配し方もうまい。ニューハーフのリズも、おなべのサムも、レズのマスターも、みな、自分の人生を生きていることが感じられる。言葉の端々に、悲しみがあるし、たくましさがある。

 配慮といえは、会話のタイミングもいい。地の文がつづくくだり、会話でさっと流すくだり、重くからみつく独り言のくだり、すべてが読者を飽きさせないように配慮されている。だから一気に読める。また、これは彼女の悪癖でもあるのだが、中盤で、普通の作家なら丁寧に埋めていく部分を、感情過多で一気に物語を巻いていくやり方は、だれを少なくさせて、自分好みだ。


 うまいと云えば、ホモを出さずにいられない自分の性癖を隠すのもうまかった。女だと思っていた相手が、殺されてからニューハーフとわかる、という。それではじめて、なぜ彼女がああも女性の戯画のように過剰になよなよとしていたのかわかる、と。

 自分の趣味を満足させながら、読者には自然で、かつニューハーフの悲哀というものまで表現できる。狡猾とすら云いたい手口だ。奥ゆかしい。この奥ゆかしさはどこへ消えたのか。まあ、それはいいか。


 この作品の白眉は、やはりニューハーフのリズと母親だろう。なんともわかりやすく愚かで、しかし、悲しく、理解できてしまう。粘りつき絡みつき、ぐずぐずと腐っていく。そんな女の負の一面を、見事に表現している。これが書けるのに、なんで自分がその愚かさそのままにハマッて――いや、そのことはもういいか。


 で、ここまでベタ褒めしてると、なんで昔読んだときは「普通かな」なんて思ったのだろうと不思議だったが、読了してわかった。

 これ、最後の十五ページくらいがぐだぐだで、ありふれてるんだ。いつもの逆パターンか。

 巻き展開過ぎて、一部に感情的な無理がある。サムへの気持ちとかね。母親との対峙も、もっとちゃんと書くか、読者に想像させるか、どっちかにすりゃいいのに、中途半端に説明したせいで、無理を感じるばかりのどうでもいい仕上がりになってしまった。

 また、読んだ当時は冬彦さんブームからもほど近く、「結局またマザコンかーよ。母子癒着かーよ」という気持ちもあった。だがまあ、今の目でみるならば、これは良作といっていいだろう。


 とにかく、勉強になった。そしてまた、読み直して気づいたのだが、これ、ホラーの『家』やJUNE物の『いとしのリリー』と、ほとんど同じモチーフで描かれている、三部作といってもいい作品なんだな。

 子供の立場から描かれた今作。

 母の立場から描かれた『家』。

 母との関係をばっさり切って、子供同士の共依存を描いた『いとしのリリー』。

 よく見てみると、すべて構成まで似ている。


 面白いのは、母と子を中心に据えた今作と『家』は、同じように中盤までかなり良いのに着地に失敗し、逆に母との関係はほとんど描かなかった『いとしのリリー』は、中盤ぐだぐだなのに着地だけ完璧だった。

 おそらく、彼女は、母と子の問題に関して、納得のいく答えが出せないままだったのだろう。晩年のエッセイや日記でも、母の抑圧、影響について言及することがよくあった。

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