143 魔界水滸伝20

1991.06/カドカワノベルス

1993.07/角川文庫

2004.04/ハルキ・ホラー文庫

2017.02/小学館P+D BOOKS

<電子書籍> 有

【評】 う


● 壮大な打ち切り投げ捨てEND


「これは涼だ!」生命の根源たる惑星ユゴスの海と融合を果たす多一郎。旅のすべてはこのためにあった――それは先住者でも人類でもない新たな生命の誕生の瞬間だった。だがそのとき、あらたな生命を滅ぼすため、次元の彼方よりタナトス生命体が襲来する――第二部「地球聖戦編」完結!

 

 なんやこの話……ひどすぎるでしょ……

 役行者の結界内でスローライフして子作りしている相模忍たちで50ページ。ユゴスの海の上でぼけーっと突っ立ってる多一郎をみんなで勝手に物思いにふけりながら見ているだけで100ページ。唐突にあらわれたポッと出のラスボス、タナトス生命体とうやむやに戦って50ページ、ちょろとエピローグで役行者と忍が「加賀四郎たちは未来にいるよ。行く?」「行きます」第二部完。

 スローライフと物思いにページ使いすぎでしょ……一巻分のイベントがなかったからって物思いをずーっと続けるのやめろや……最終巻なのにずーっとどうでもいい物思いにふけってるのホントやめろや……。

 前巻ですっかり威厳のなくなったクトゥルーさんはすっかり地球人そのものの思考回路で地球の動物にいちいち例えて話してくれるし、何万年も生きているとは思えない人間的な死生観の哲学(爆)を語りはじめるし、なんやこれ……クトゥルーがインターネットに徘徊している自称論客のおっさんみたいになっとるで……ここまでクトゥルーが威厳も恐怖もなにもないおっさんになるなんて驚きだよ……(なおこの数年後、グイン外伝でさらに威厳のないおっさんとして登場する模様)


 とにかく単純に、面白くない。

 ずーっと物思いにふけってなにも起こらないのが三分の二くらい続いているので面白いわけがない。

 これまでがハイペースにイベントが起きて、ラストバトルを前に一休み的に物思いにふけるならまだわかるが(それでも長すぎるけど)、ここまで毎巻のように物思いにふけっていたから「またかよ。なげえな」としか思わないし、この長い旅路とやらも、そもそもなにもしていないに等しい旅だしさ……感慨にふけるような内容がないから辛いよ……。

 前巻のラストで「あ、これ涼やん」「あ、ほんまや」ってあっけなく納得していてなに勝手に納得しとるねんと思ったら、この巻ではみんなして「あれが涼なんて信じられない」とか云いだして、ホントもうめちゃくちゃだし。なんやこれ。ていうか涼はなんなんだよ本当に。生命の根源たるユゴスが次代の種の父親を探していたにしろ、なんで地球で普通に人間やってたんや。なんで伊吹の家で育てられてたんや。目がピカーンってなって多一郎と会話してたのはなんだったんや。なんで首なし死体でうろついてたんや。雄介と竜二の兄弟だという第一部ラストの唐突な設定はどこいったんや。本当にもう、なんだったんだ……。そもそもこんな生命の根源だのなんだのにするなら素直に女でいいだろ……ホモにしたほうが不自然だろ……涼が男でなくちゃいけない理由が作中になにひとつないじゃん……普通にライバルにさらわれてそのまま相思相愛になってしまう寝取られヒロインでよかったじゃん……。


 ラストバトルもラストバトルで、本当に唐突に虫が飛んできて「タナトス生命体だ!」と命名してポエムしながら戦ってたら気がついたら戦闘終了してそのままみんな行方不明だし、なんなのこのエンド……。はたから見てると少年漫画誌の連載漫画が「あと三回で終わらせてください」と云われて投げやりに皆殺しにした打ち切りエンドにしか見えないよ……。これ読んで打ち切りだと思わないやついないだろ……。

 打ち切りなら打ち切りで「作者は悪くない」と思うことができるけど、このあとホモ外伝だらだらと出して、続編の『新・魔界水滸伝』も出ているから、決して人気がなくて打ち切られたわけじゃないんだよね……ほんとうにもうなんなのこれ……。


 こうしてあらためて一部・二部を通して再読してみると、むちゃくちゃな話である。

 クトゥルーものとしては原作設定の数々を無視しまくって進み、ニャル様ガメラ説が出てきたりアザトートが二体いたりクトゥルー十二神という異次元Jr代表チームが出てきたりして、もうちょっと真面目にやってくれよと云いたくなる。

 キャラの性格も外見も設定もなにもかもがコロコロと変わり、なんのために出てきたのかわからないキャラや設定が山盛りだ。

 だがそれでも、そういう支離滅裂さも含めて、第一部は最高のエンターテイメント作品だった。こまかい欠点をあげればキリがないが、現実世界が崩壊し、異様な世界へ足を踏み入れる瞬間をここまで活写した作品は希有であり、次から次へと登場する一癖のある登場人物は、活躍するときを想像するだけでワクワクさせた。主人公の雄介が変転につぐ変転の果てに地球軍を結成し、妖怪と人間が連合となりクトゥルーたちと戦うことを予感させた第一部ラストの高揚感は本物だ。


 だが、材料調達は得意だが調理ができないタイプの作家である栗本薫は、第一部という最高の素材をもてあまし、ちょろっといじくってすぐに「いーらない」と集めたキャラのほとんどを捨ててしまった。

 これがクトゥルーとの戦いの末、あるいは壮絶な人類同士の戦いの末の壊滅であれば、その虚しさもまた物語の彩りとなっただろうが、実際はほとんど戦うことなく、なんとなくフェイドアウトさせるというひどさ。その場のノリだけで大量に買ってきた食材を使いみちがわからないので冷蔵に入れといてそのまま腐らせる老いた母のような所業である。


 これが面白くしようとして力量が足りなくて残念なことになってしまったならまだ許せる。作者自身が息子の愛した特撮番組『超新星フラッシュマン』のちゃちさにのけぞりながら「気持ちはわかる」と述べたように、その果たしたかった浪漫を愛することができる。

 だが、第二部は明らかにいろいろなものから逃げている。軍隊としての戦いを描くことから逃げ、クトゥルーの異質な生命体と戦うという怪獣バトルから逃げ、様々な陣営の思惑が交錯する謀略戦から逃げ、「俺は誰だ」という自分探しとホモという、これまでの積み重ねと関係ないようなところだけを掘りさげ続けた。まさか20巻も続いたこの作品が、当初からかかげていた 

 結局、栗本薫の小説は、掘り下げて書いてしまうといつも「自分はなんなんだ」という強烈な自意識と、「キモいストーカーのSMホモが好き」という趣味の二点のみが表出してしまう。本質的にそれしか興味がないからだ。

 ストーカーのSMホモにしたって、そこまで激しく求められたいという卑劣な誘い受け心理でしかない。親の愛を独り占めする弟にコンプレックスを持っている伊吹涼が受けになったのは、障害者の弟に親の愛を独り占めされたという被害者意識から抜け出せなかった栗本薫の分身であるのだから必然だったのだろう。

 そう考えると、荒ぶってやたらと行動をしているがなにしたいのか自分でもわかっていない雄介と、コンプレックスをこじらせているだけの凡人である涼は、正しく栗本薫の分身として主人公たるべき二人であり、その二人をどんどん大物化していくのははじめから無意識に定められていたのかもしれない。

 だがその自我の分身の肥大化が、ストーリー的に自然になっていれば読者も感情移入して楽しく俺Tueee感にひたれたろうが、雄介のパワーアップは特に戦闘もなく修行も禅問答ちょろっとするだけであり、涼にいたっては何者なのか最後の最後までよくわからない。

 この辺りは、自分のコンプレックスや欲望を投影したキャラであるということに無自覚で有りすぎたのではなかろうか。創作は精神カウンセリングに似ているとは薫自身が何度も云っていたことだが、どうも自身の精神はカウンセリングできなかったようだ。自己の欲望をちゃんと捉えられていないから、読者にもその欲望が充足される楽しみが与えられない。お筆先だ何者かに事実を欠かされているだけだと寝言をいう暇があったら、作品を読み直して自分というものを考えて欲しい。


 まったく、なにが「どこかに実在する世界の光景を受信しているだけ」だよ……。受信しているだけならこんなにボロボロ矛盾が出まくって設定がコロコロ変わるわけないだろ……。

 お筆先だ、何者かに書かされてるだけだ、という厨二病作家は現代でもたくさんいるけどよお、あんなのはお前、自分が蓄えてきた人生経験や様々な創作物の記憶の海から、自分の欲望やコンプレックスというフィルターを通して濾過抽出しているだけなんですよ……「物語だから」という形で自分をごまかすことによって、はじめて自己の秘めた内心が外の世界に出ている状態がお筆先なんだからよぉ。抽出された物みてちゃんと自分をカウンセリングしてよ道場主……。なんで自分だけは別世界を受信してることになるんだよお……。


 なんかまかすことあんまり関係のない愚痴になってきた。

 だが、根本にあるのは、そういうことだ。揃えた最高の食材の発する「こう使ってくれ」という要請に答えられずに逃げ、自分探しとホモをはじめてしまったから、第二部は残念な作品になっていき、しまいにはそれだけをぶつぶつ云っている支離滅裂な作品として投げやりに終わってしまった。

 別に自分探しもホモもやってもいい。ちゃんと妖怪&人類連合VS古き者どもの戦いをやってさえいれば。むしろ両立させれば、最高のエンタテイメントでありつつ、栗本薫独自の文学作品でもある無二の作品と成り得ただろう。


 ホモカップル推しでダメになった、超能力バトルや和風伝奇のノリが通じるのが昭和までだった。それらはたしかに事実だろう。

 だがやはり「作者が物語から、自らの生み出した登場人物から逃げた」。それがこの『魔界水滸伝』がダメになった最大の理由であり、あてのない逃亡の果てにある哀れな末路がこの第二部の終盤なのだと思わざるをえない。


 しかし、これを読んでよく冷めなかったな、あの頃の俺……。なんとか感動しようとしてたもんな……この仏教的な観念論や聖書からの引用を理解すればきっと感動できるんだと思い込もうとしてたもんな……。まあ若かったしな……。普通に考えて、ここまで読んでまだ続き読みたいとは、そりゃあまともな人間は思わないよな……。


 そんなこの第二部完結から四半世紀……まだ読んでぶつぶつ云っているおっさんの年の瀬は、まかすことともに終わろうとしているのであった。切ないね……

 さあ、年始はホモ外伝『白銀の神話』だ!(もうゴールしてもいいかな……?)

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