144 名探偵は精神分析がお好き(共著:木田恵子)

1991.06/角川書店


【評】うな


●名探偵ほぼ関係ないだべり本


 臨床精神分析家である木田恵子氏との対談本。

 この時期、中島梓は心理学に凝っていて、アリス・ミラーの『魂の殺人』をやたら賞賛したり、唐突に「自分は多重人格者である」などとあとがきで云いだして「ダメだこいつ……早くなんとかしないと……」感を醸し出したりしていたのだが、その一環として木田恵子氏の著作を読み、新聞の書評で褒めたことが縁で対談という企画本。


 上記の通り、わりと成り行きで対談しているからか、どうも「こういう内容について語り合った本です」と一言で説明しづらい。タイトルだけを見ると古今の名探偵の行動がどれだけ精神分析的であるかを専門家と語る本のように思えるが、そんなことはまったくなく「伊集院大介のやってることって精神分析みたいだよね」「わかり哲也」というだけである。

 ではなにを語っているかというと、木田氏の方は「こういうお客さんがいましたよ」という体験談で、梓の方は「こんな感じでミステリーから気持ち離れてったんだよねえ」「現代病んでるよねえ」「オカンマジファッキン」という内容である。


 人間の気持ちを軽視してトリックばかりにこだわるミステリに辟易して、事件に際した人間の心理を描くことに傾倒していき伊集院大介であまり大きな事件を書くことがなくなっていく過程や、その反動で大介に似合わないとわかっていながらヒーロー的な役割の『天狼星』を書いたが賛否両論であったことなど、伊集院シリーズの分岐点となる時期の葛藤が語られているのは、シリーズファンとしてはなかなか面白い。実際、大きな事件を扱わない『伊集院大介の私生活』や『伊集院大介の新冒険』辺りは、優しい探偵である大介の個性がもっとも発揮され、物語として面白かった時期であると思う。なのになぜ末期はあんなことに……いや、それはミステリ編で散々語ったからもういいんだった……。

 まあ、薫がトリックもの書かなくなったのは、単にボロクソにけなされたから拗ねたり怖くなったりしたようにしか、ぼくには思えないんですけどね……。


 梓はそれなりに共著の作品があるのだが、どうもお互いの才能がシナジーして思わぬ結果が出る、といったことがまったくないように思われる。お互いがいつも通りで、特に噛み合うこともなくそのまま終わった感じになりがちだ。だからなのか、この本も対談後の補足である、梓がいつもの語りをやっている第四部が一番面白い。やはり梓の持ち味は一人でほっといたら勝手にヒートアップしていくところだろう。それでも長めの補足に過ぎないためか、盛り上がりきることもなく、やや唐突に本書は終わっている。

 中島梓としては、こうした心理学の勉強やオタクを中心とした現代人の考察は、この時期並行的に書いていた『コミュニケーション不全症候群』として結実するので、この対談はそのための準備でしかなかったのではなかろうか。

 本書は木田恵子氏の『喝采症候群』の副読本として読むのがもっとも正しい気がする。


 ところで本書で中島梓は「自分にはストーカーがいて、冷たくあしらっていたら本名で呼ぶようになった。嫌がることをわかってわざとやっているんですね」みたいなことを云っていて「ぼくのことかな?」という気持ちになりました。いや、この本が出た当時のぼくは小学生だったはずだから別人ですけど。

 ちがうんだよ純代ちゃん。ぼくは作家としての栗本薫や中島梓ではなく、鬱々とした根暗少女であるデビュー前の山田さんや、作家ではなくただの面倒くさい人である純代さんについてツッコみたいときに本名を呼んでいるだけなんですよ……!(あ、それこそがまさに嫌がることですね)

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