127 魔都 恐怖仮面之巻

1989.07/講談社

1990.08/講談社文庫


【評】うな



● 舞台のことはいい思い出にして欲しかった


 売れない作家、武智小五郎がある日迷いこんでしまったのは、ありえないはずの明治四十八年の日本。そこでは彼は名探偵として人々に尊敬される存在だった。

 現代に失望し、明治大正時代を好ましく思っていた武智は、この時代こそが自らのいるべき世界だと確信し、名探偵として怪人・恐怖仮面と対決することになるのだが――




 んー。

 んんんんんんんんんんんんんんんんん。

 これねえー。これって評価に迷いますよ。

 好きなんだよね、この作品自体は。この作品でやりたかったこと、なんかすごくよくわかるし、最後のあたりとか、いま読んでも泣ける。

 でもねえ、作品としての完成度でいうと、ねえ。

 ネタバレしつつ説明してしまうと、現代に倦んでいた主人公が、理想の世界に逃げ込み、そこでなお敗れ、現代に戻ってきて現実の美しさも再認識し、そのうえでなお再び理想の世界を求める、というもの。 傷つきはじき出されてもなお理想の世界を求めてしまう切なさはいい。


 なにがまずいかっていうと、そこで表現される理想の世界たる明治四十八年の日本、これがちっとも目新しいことがないうえに、べつに魅力的でもなんでもない。この一点に尽きる。

 どうも栗本先生は大正浪漫・明治浪漫とやらにこだわりがあるようなのだが、これ、どうにも彼女の手には余るというか、ありていにいって向いていない、と思うんだよねえ。おれがあんまりそっち属性がない人だからなのかねえ。

 でも、彼女の大正浪漫系作品は、ほかの作品よりもさらに一段と評価されていない気がするのですよ。彼女がやる大正浪漫・明治浪漫ってのは、なんだかね、おかまの人が女よりもクネクネしているのと同じで、狙いすぎて不自然なんだなあ。自分のものにできていないっていうかさ。

 だからして、本作のメインとなる明治四十八年の描写の数々。これはかったるいの一言。そのくせやたら長い。だから駄作、と断じられても仕方がないとは思うのだが。

 思うのだが……

 プロローグとエピローグは好きなんだよねえ。

 現実逃避の一つの形とその終焉、未来。文章の断絶で終わるラストの切れ味のよさ。後味。

 これらはなんとも好きなものだから、困ってしまう。


 この作品、そもそも舞台のために作られた作品で、彼女の理想であり投影であるのだろうね。肩に力が入りすぎている。

 この舞台自体は評判的にも経営的にも大失敗だったはずで、だからここで辞めておいてもらえればねえ、みんな幸せにねえ、なってたかもねえ。

 まあ、終わってしまったことは仕方がないさ。

 ぼくたちは未来に向かって歩んでいかなきゃならないのだよ。

 そして

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