065 美少年学入門

1984.06/新書館

1987.11/集英社文庫

1998.10/ちくま文庫 

<電子書籍> 無

【評】うな∈(゚◎゚)∋


● 根暗オタク少女の空回りカワイイ


 JUNEとかJUNEとかJUNEとかに連載されていたエッセイをまとめたもの。


第一章『少年派宣言』

『COMIC JUN』の創刊号に掲載された、美少年とはいかなるものかということを書いた謎の宣言文である。ちなみにJUNとはJUNEの前身となった雑誌で、三号目から改題して『JUNE』になる。

「美少年はただの年若い男ではなく、永遠の受動態であり、滅びの代弁者である」などなどの非常に厨二病的な文章であり、要するに女性の「大人になんかならないぞ、反抗してやるぞ」というピーターパンな気持ちを少年の姿に仮託した反社会的な意思・思想を宣したもので、やはり怪文書のたぐいである。

 でもこういう面倒くさいオタクが必死で自分を理論武装して仲間意識を駆り立てようとしている文章、ぼくは好きだな!


第二章『美少年学入門』

 前章の宣言に続いて『JUNE』の2号から8号まで掲載されていたエッセイ。ちなみに8号で休刊しているのでずっと載っていたということになる。

 内容は文字通りに、自分の思う美少年とはいかなるものか、というものを梓が講義という名でくっちゃべっている、ようするに腐女子の萌えトークである。大変個人的なツボを話しているので、タイトルとは裏腹にまったく門外漢の勉強にはならない一方で、それくらいに人れぞれのドリームで定義などないのだということが学べるので、一周回ってタイトル通りに名講義とも云える。

 どれくらい個人的なことを語っているかというと、まず最初の項目である美少年の年齢の定義が「十七から二十七、でもジュリーが二十八になったから二十八もギリギリあり」というくらいに個人的である。

 こういう感じで美少年にらしい名前とか、美少年に似合う服装とダメな服装とか、自分が萌えた美少年キャラの数々とか、そういうものがものすごいハイテンションで羅列され語られていく。本当にもうとまらない萌えトークの嵐である。

 これが、もう、なんというか、可愛いのである。合間合間に(初恋の人なんだもん!悪いか!悪いか!)とか(そんなカッコして原宿なんかに立ってるやつらぶっ殺してやったるッ!)など補足というかセルフツッコミが入るのがたまらない。時折、別名義である「あかぎはるな」との架空の対談が入るところなど最高だ。最高に「教室の片隅にいるいつも本読んでる無地区なあの子が急にニヤニヤしてべらべら喋りだした」状態だ。

 この連載がデビュー直後のものであることもあってか、実に「やっと機会を得た!輝く瞬間がきた!」という感じで、根暗少女が若干ちょっとかなりとても痛々しくはしゃいで空回りしている様子は本当にイタ可愛い。今の僕は当時の梓よりも一回りおっさんになってしまったこともあってか、正直、萌えてしまった。わいは老若男女問わず他人には伝わりにくいようなことをべらべらしゃべっている痛い人が好きなんじゃよ……。


 萌える萌えないはおいといても、JUNEすらなかった七十年代に古の腐女子がどのような少年漫画や映画、小説からホモ萌えを得ていたのかが、跳ねるような若々しい筆致で書かれているのが、微笑ましいと同時になかなか興味深く資料価値が高い。『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥールや『ベニスの死す』のビョルン・アンドルセンの写真が掲載されているのもわかりやすくなっていて、編集もグッドである。特に梓がいたるところで熱弁している漫画『伊賀の影丸』の拷問シーンがちゃんと抜粋掲載されているところは素晴らしい。実物を見ることによりシチュ的な「なるほど」という気持ちと「えっ、この絵で!?たったこれだけの長さのシーンで!?」という気持ちとが沸き起こり、純代少女の腐力の高さを感じることができる。

  

第三章『美少年の輪郭』

 こちらは漫画家たちとの座談会が三つほどおさめられている。座談会の参加者は竹宮恵子・木原敏江・青池保子・ささやななえ・増山法恵・羅亜苦・中島梓。

 竹宮・木原・青池・ささやは説明するまでもないだろうが有名な少女漫画家。ささやななえはJUNE編集長の佐川氏の妻でもある。増山法恵は竹宮恵子のマネージャーを長年勤めていた人。羅亜苦という人は初期のJUNEで何度か漫画が掲載されていたが自分もよく知らん。

 基本的には「あの漫画のこのキャラが良かった」などの萌えトークであり、それぞれの作家がそれぞれの「らしい」萌えを語っていて面白い。同時にやはり古の腐女子たちの萌え探求の姿を察することが出来、変わっていくもの変わらないもの、双方を感じることができて資料価値も高い。


 笑えるという意味ではたのきんトリオに燃えている竹宮・増山の布教に対して「こんな頭の悪そうなジャリのなにがいいのさ」と全力で冷水をぶっかけているところである。いるいる、一緒に萌えているときは一番暴走するくせに自分の萌えツボからずれているものに対して異様に冷淡な性格の悪い腐友。

 だが全然知らない梓が写真だけ見ておとなしい方がマッチ、ヤンチャな方がトシちゃんだと思っていたところなどは、この数年後に独立するトシちゃんと事務所に尻尾握られておとなしくなるマッチのことを考えると、なかなか正鵠を射ていることにおどろく。あの当時はだれもマッチがあんなにしょぼくれた薄汚い権力の犬になるとは思わなかったもんなあ……。


第四章『花の美中年学入門』

 こちらは第二章の直接の続きとなるような、復刊した『JUNE』の創刊号から掲載されたエッセイ。

 第二章の時期から二年弱が経って「美少年の時代は終わった!これからは中年だ!」ということで大人の男について語っている項である。

 やはりテンションの高い腐女子の萌えトークであり、とても面白い。『戦場のメリークリスマス』でヨノギ役として出演依頼を受けたジュリーが「デビット・ボウイがやる予定の役なら出る」と断った話などの面白いエピソードの数々を、この項目で知ったんだったなあ。

 ただ「大事なものを積み重ねて身動きのとれなくなった大人がそれを捨てる瞬間が美しいのであって、捨てるものがアイドル趣味などではいかんのだ」など、まあ言わんとする事自体はわかるのだが、梓は攻めの趣味に関してかなり保守的でファザコン入った「強く守ってくれる男じゃなきゃダメ」志向なため、自分のような軟弱なモラトリアム世代にはいささか鼻白むところも多い。

 また連載の後期には出産直前・直後になっているため、テーマをほぼ無視して美赤児の話をしたり、さらに美赤児の項で自分がホモ小説をいかにして書き始めたのかの話になったり、いささかフリーダムすぎる感があり、正直、第二章に比べてあんまり可愛げがない。

 冒頭の「美少年の時代は終わった」というのもそうだが、結婚・出産と女としての絶頂期を迎えたことで、全体的にちょっと調子に乗ってるのが滲み出ているのだ。まあ卑屈な根暗を調子に乗せるとだいたい感じ悪くなるから仕方ないよね……ぼくも調子に乗るとすぐ感じ悪くなるしね……。


第五章『少年愛幻想』

 こちらは『風と木の詩』完結を記念しての竹宮恵子との対談と、『摩利と新吾』完結を記念しての木原敏江との対談をそれぞれ収録。

 対談風景の写真が掲載されているのだが、しかし梓もけーこたんも女としても作家としても絶頂期ということがあってすごいパワフルな、美少年奴隷の一匹や二匹は地下室に飼っていそうな風格を醸し出している。

 対談の理由が理由だけあって、どちらも漫画家の方が主で梓はファン代表として普通に作品について話しているため、梓ファンというよりは竹宮・木原ファンにとって価値の高い対談だろう。というか梓ファンの自分ですら「いまはお前の話はいいから」という気持ちになった


 どちらもそれぞれの作品の続編を書く予定を示唆しているが、『摩利と新吾』は青年となった鷹塔摩利の外国でのエピソードを描いた『ユンター・ムアリー』は描かれたが、一冊だけなので続編というよりはファンサービスみたいな番外編。ちなみに個人的にはしまりんご描いてた時代よりも八十年代中盤くらいからのドジ様の画風のほうが好きなので『ユンター・ムアリー』はけっこう好き。

『風と木の詩』の続編はジルベールを失った後のセルジュの人生を描く長編と描かれているが、こちらはついに竹宮恵子自身の手では描かれず、七年くらい経ってからマネージャーであった増山法恵が「のりす・はーぜ」という名義で小説として『JUNE』誌上で連載・出版している。だがみんなが知ってる名作の続編であるにもかかわらずあまり話題にならなかった気がする。自分も読んだことはない。

「名作の続編であるマイナー作品」という厄介な存在のためか、わりとレアな存在であり現在ではプレミア価格で取引されたりしている。風木が何度も再販され電子書籍化もされ現在でも手に入れやすいのに対して、こちらは全然手に取りやすくない。一緒に電子化とかしてやってよ……こんなことになるならちゃんと自分で描けよけーこたん……と思うばかりであるが、冷静に考えて細腰プリケツの美少年がいない状態で長編を描くなんてけーこたんにできるわけないので、そもそも計画が無謀だったのだろう。


 まあそんなわけでまりしんと風木の副読本としては悪くない対談です。


特別付録・小説『遊戯―アルカディアより―』

 こちらは文字通りのおまけの短編小説。執筆は七二年で七八年に改稿とあるので、大学生時代に書いて小説家デビュー決定後に改稿していることになる。

 ストーリー的には昭和初期の軍学校に通う受けの美少年と彼と交友する攻めの少年、受けと婚約している年上の少女の日々を、受けが病没するまでを描いていている。

 今作はいかにも習作らしい習作で、ストーリーらしいストーリーはほとんどない。シーンもぶつぎりのようにほとんど1ページごとに移りかわり、受けが不器用で無骨な攻めや、従順な婚約者に安らいだりムラムラしたり意地悪な気持ちになったりするのを、ほとんど無差別に羅列したような作品になっている。

 ではどこを楽しむのかというと、森茉莉の影響を受けまくっている文体である。影響を受けているというか完全に森茉莉のまねっこである。だがそれだけに品格があり、森茉莉分を求めている人にはなかなか悪くない作品になっている。怪しげな大輪となる兆しを端々に感じさせながら、ついに性も愛も知ることなく死んでいく少年の姿は、まさしく第一章で宣したような一瞬のきらめき、現象、幻想としての美少年そのままであり、商業作品であまり見受けられないような娯楽性の低さと趣味性も含めて、本書の末尾に添えられるにふさわしい若書きの小品である。

 


 全体的に云うと、内容的にはやや散漫であるもののとても面白く、三十年以上経った現在では、当時の腐女子の趣味や想いが、若く情熱的な筆で書かれているという資料価値も高い名著である。いまとなっては古臭い美少年観も含めて、当時を知る人間は当時を偲んで、知らない若い世代には当時を知るために読んで欲しいオススメの一冊だ。


 しかし、『タナトスの子供たち』と立て続けに本書を再読したのだが、こんなに可愛げもありふざけた言動の端々から聡明さが滲み出ていた子が、わずか十五年であんなに感じ悪くなってしまうなんて……といささか切なくなってしまったよ……時の流れは残酷だね……。

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