061 ベストセラーの構造
83.12/講談社
87.01/講談社文庫
92.10/ちくま文庫
<電子書籍> 有
【評】うなぎ
● 梓、知的中流階級を斬る
「活字離れ」が叫ばれながら同時にタレント本がミリオンセラーを連発する時代を斬った長編評論。
前項の『道化師と神』で「梓に評論なんて無理!むりむりむりむりかたつむりよ!」と云った舌の根も乾かぬうちになんだが、この本の梓は鋭い。
本書は文学評論ではない。タイトルの通り、ベストセラーを生み出す構造、すなわちベストセラーとなる本を買ってしまう大衆の心理や、その背景を刳りだす社会評論だ。題材として一部の本の内容にまで足を踏み入れもしているが、あくまで語られているのは大衆についてである。
本書の出版された一九八三年は、『窓ぎわのトットちゃん』が四五〇万部売れ、『なんとなくクリスタル』が一〇〇万部売れていた時代だ。そうしたヒットの生み出したのは自らを「知的中流階級の上」として認識している人間によるものであると、中島梓は喝破している。
この論旨を要約することは自分には難しく、興味を持ったら本書を読んでくれとしか言いようがないが、さまざまな社会を横断し、時に舌鋒鋭く、時に洒脱に語られる中島梓の筆は読むものを引きつける。
知的中流階級の証明として求められた五木寛之・野坂昭如。彼の笑いに同調することで自らを近いレベルにいると知的虚栄心を満足させた筒井康隆。完成と時代性のみによって書かれ「その気になれば自分もこれくらいは書ける」と思わせた田中康夫。あらゆる作家作品を、あけすけに、ばっさりと求める読者の心理を斬りつけている。
実は以前に読んだ時は他人事のように読んでしまったのだが、ここに刻まれている「知的中流階級の上」を自認する人々の心理とは、まさしく自分の惨めな自意識にほかならぬことに気づき、感じ入ってしまった。ことに筒井康隆を「十三人でするべき黒ミサを十三万人で成立させたマスター・オブ・セレモニー」であるとする指摘は、栗本薫に依存し、自己を高めたつもりになっていた自分そのものだ。
マスメディアの流す情報というもの、そこに漂う自意識、そうしたもののあらわれとして、本書はベストセラーの構造を解き明かしている。
無論、本書の著された時代と現代とは三十年以上ものの年月が流れ、状況は大きく変わっている。バブルの崩壊、テレビゲームの出現、ビデオの普及、ライトノベルをはじめとするより短小軽薄な文学の氾濫、そしてインターネットの出現と、それにより噴出した無名の人々の声。八十年代初頭に叫ばれていた出版不況などという言葉が可愛く思えるほど、二〇一〇年代の出版界は貧しく厳しくなり、もはや崩壊寸前だ。
だがそうした状況による変化は、本書に指摘された「知的中流階級」を自認する人々の性質と深く結びついており、現代社会を解き明かす一助として本書は大いに役に立つだろう。
そしてまた、本書はそうした読者の性情を暴きたてる非難する論、ではないことにも感銘を受ける。
こうした状況を鳥瞰したうえで、中島梓は物語の実作者として、それでもまだ熱意をもって待ち続けてくれる読者にこたえられない出版側、作者側の不明を恥じている。そしてこの感覚はこの後に出版された文庫版『文学の輪郭』に収録された『《ロマン革命》序論』、および『わが心のフラッシュマン』という、彼女の物語論へとつながっていく。
『文学の輪郭』のような若書きではなく、『道化師と神』のようにジャンルへの想いが目を曇らさず、『わが心のフラッシュマン』ほどに人を選ぶ持論に行き過ぎていない本作は、評論家・中島梓としてはもっともフラットな地点にある、万人向けの良書だと云えるだろう。
――もっとも、後に自分の売上が赤川次郎ほどにはならないことに対して言い訳じみた自己肯定をしていたことを考えると、この論を通して彼女が云いたかったのは「私の本がミリオンに達しないのは中流階級に優しくないからであり、私は彼らに優しくするつもりはないから仕方ないのである」という、ある種の自分への慰めのような気もしてしまうのではあるが。
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