047 レダ


83.04/早川書房

88.06~08/ハヤカワ文庫

10.01/ハヤカワ文庫


【評】うな


● 栗本SFの集大成にして大失敗作


 はるか未来の地球。管理システムによって統治され、だれもが自由と公平な幸福を得る理想都市ファー・イースト30に暮らす少年イヴは、反社会主義者紊乱者の女性レダと出会う。彼女との出会いを通してイヴは新たな視野を得るが、二人の出会いはやがて都市全体を揺るがす大事件へと発展していく……


 単行本の出版はやや間が空いているが、雑誌連載時期としては『メディア9』の直後に書かれ、世界観もつながっている、続編とみなしても良い作品。『メディア9』の事件を通して、地球人類とスペースマンの隔絶が決定的となった後の世界が舞台になっている。

 栗本薫のSF作品としては最長の作品となるため、栗本SFの代表作とも云っていいだろう。『グイン・サーガ』や『魔界水滸伝』『夢幻戦記』をSFのうちに入れるのならば別だが、いずれも未完であることを考えると、すくなくとも完結作品としては今作が最長となる。

 それだけに、栗本薫のSF、というとこの『レダ』を思い浮かべる人は多いだろうし、悪評の多くなった晩年にいたっても「『レダ』は好きだった」という声はよく聞いたものだった。


 実際、この作品は栗本薫の長編の中でも、めずらしいほどにテーマがしっかりとしている。場当たり的になんでも放りこんでいた『メディア9』と違い、根底にあるのは少年の成長であり、現代の延長線上にある管理社会への警鐘である。中でも「会話」と「性」の管理をこまかく描いているのが特徴的だろう。

 今作の地球では、会話が身振り手振りまでもふくめて形式化され、相手の気分を害さないよう、踏みこみすぎないよう、完全に制御されたものになっている。このいたってまわりくどい会話を丁寧につみかさねることによって、管理社会の窮屈さ、鬱陶しさを理解させ、読者に自然と反発心を植えつけさせる手法はなかなかに見事。おまけに英文を直訳したような堅苦しさが文章に生まれることによって、海外SF作品のような本格的な雰囲気をかもし出す一助にもなっている。良くも悪くも会話がくどいことで有名な栗本薫が、その特性をフルにいかしたSF設定だと云えるだろう。

 そしてこの「会話」から脱却していき、心のままに語るようになっていく変遷が、そのまま主人公の成長をあらわしているのだから、物語の装置としては万全と云える。

 が、問題は成長していく主人公の「男らしさ」なるものが「黙って俺についてこい」的なちょっと笑っちゃうような古臭い男らしさであるうえに、結局書いているのがぐだぐだ話させてしまう栗本薫なので、男らしくなったはずの主人公が結局最後のほうでもめそめそぐじぐじした語りを続けているところだろう。しかけとしては万全であったが、作者自体がそれを使いこなせなかった、としかいいようがない。


 話が前後してしまうが、物語の展開としては、非常にゆるやかで単調なものとなっている。基本的に主人公が新たな人物に出会い、そのたびに問答をして視野を広げていく、という繰りかえしだ。これはあとがきで栗本薫自身がトーマス・マンの『魔の山』などをあげているように、問答によって主人公の内面を成長させ、それによって読者の見識を広げることが物語の主眼であるからだろう。なにせ中島梓の演劇評論本『魔都ノート』においては、今作のことを「教養小説」とまで云い切ってしまっている。正気かと問い詰めたい。

 ともあれ、それほどに問答が話の主軸であるため、その文庫で三冊にもおよぶ長さに反して、登場人物の数は少ない。主人公のイヴ、奔放なレダ、レダの恋人アウラ、優等生のラウリ、イヴに敵意を抱くミラ、人語を話せる改造犬のファン、選民のL・Aと、市長のデイマー・イトウ、スペースマンのキャプテン・ブライ。およそこの九人だけでほとんどの物語がまわっている。そして作中で起きる大きな事件といえば二つか、せいぜい三つ程度。どれほど問答が中心か知れるだろう。

 問答の内容はもっぱらユートピア、ディストピアに関する是非と、そこに住む人々のあり方についてだ。ファー・イースト30の管理を絶対的なものと信じていた少年が、自由に生きる女性のレダを通じて都市のありかたに疑問をもち、その論説で大人たちの欺瞞をあばいていく……というのがおおまかな流れと云える。ユートピア論争は無論、現代社会の問題点を発展させたところにあるため、読者にとっても無関係ではない。

 

 が、そういうこまかいことはとりあえずおいといて、主人公の人間関係のみに着目して話をみていくと、これが存外に低俗でくだらない。この物語の中で起こったことを簡単に云うと「ヒキコモリ気質の少年がフリーセックス万歳の女と知りあって童貞を捨てて一人前の男ヅラしてたら女がメンヘラで自殺した」に集約できる。

 いや、もちろんその女が性欲までも管理された社会において唯一の人間本来の年中発情期を持っていることとか、管理された社会の発展性のなさと発展のみを志向するスペースマンとの軋轢とか、そういう大きな設定との関連はつけられている。つけられてはいるがしかし、この小説がどういう物語だったのかと云えば、それはもう「メンヘラとヤったら女が自殺した」としか云いようがないのだ。

 なぜこんな身も蓋もないことを思ってしまうかと云えば、それは結局、主人公の鬱陶しさゆえだ。

 この主人公、一体作中で何度「僕は変わった」「生まれ変わったような気分だ」と云えば気が済むのだろうか。何度「遠いところまで来てしまった」という物思いにふければ気が済むのだろうか。後年、『グイン・サーガ』や『夢幻戦記』では新刊で出るたびに冒頭で主人公がおなじような物思いにふけるため、たいがいうんざりしてしまったものだったが、この時点からすでにその兆候は出ていたのだ。

 そして今作の主人公のイヴは「変わった」「男らしくなった」と云った数十頁後にはまたおなじようにめそめそもそもそとしはじめる自動リセット機能つきなので、さすがにイライラとしてきてしまう。なのにそんな主人公をみんながちやほやして「あなたは特別」とか云いだすから、納得がいかないことこのうえない。

 数々の問答を通して少年の内面の成長を描くのが物語の主軸で、最後も具体的にはなにも得てはいないが内面は成長したという姿をもって幕としているので、本来ならばそれは美しい幕切れとも云えるのだが、この自動リセット機能つきのガキだとまためそめそもぞもぞしはじめるのではないかと思ってしまい、まったくスッキリしない。

『メディア9』の場合、節操もなく刹那的に展開を変えていたから勢いで押しきれていた部分が、なまじテーマがぶれなかったためにくどいだけになってしまったという感じだろう。


 今作は、その設定、テーマにおいては栗本作品の中でも芯の通ったまともな作品だ。しかしその芯を表現できるだけの主人公の成長を書く技量が、栗本薫になかった、ということだと思う。栗本薫の作品において、キャラクターの成長はクライマックスや大団円において描かれ、そのまま終わることが多い。作中で段階をおって成長していく姿を描くことなど、できなかったのだ。

 大長編の『グイン・サーガ』においてさえ、イシュトヴァーンやナリスの変節は唐突で読者をポカーンとさせる面が多々あったし、リンダがナリスを愛するようになるくだりなども強引だった。『魔界水滸伝』においても安西雄介が禍津神として覚醒して怪物の尺度で物事を見るようになるのは唐突だったし、北斗多一郎と伊吹涼の恋愛も二人とも唐突にキャラが変わっていた。

 そもそも、栗本薫自体が終生若書きの人であって、デビューからまったく成長しなかったとも云える。結局、彼女に書けるのは「変化の予兆」や「希望」であって、変化や成長それそのものを書く技量も経験もなかったのだろう。それが、今作の失敗であり限界であったと思う。

 栗本薫にとっても、この作品は失敗作という苦々しい思いがあったのだろう。文庫版のあとがきは「実のところ、私はこんなものを書いたのだということはすっかり忘れておりました」から書きはじめているし、いつも自画自賛に余念がない薫には珍しく、書き終えたばかりの小説のことを「たいてい、頭の中で思いえがいていた理想の形にはタッチの差や大差でおよんでいないのだから、見るのもイヤなくらいの心境です」とまで述べているのだから、どれほど苦々しかったのか推して知るべしだ。

 しかもこの作品は発刊年数を見ればわかるとおり、一九八三年出版(雑誌連載は一九八一年から八二年にかけて)になるのだが、あとがきでは「これは昭和六〇年に刊行したもので、書いているときには、もう三十歳はこえています」などと書いている。ぜんっぜんちがう。当時の年齢は二十八、二十九歳のはずだ。

 まあ、これは見ての通りに文庫化が例外的にかなり遅かったからの勘違いではあるのだろうが、しかし自分の作品が大好きな栗本薫にしては、希有なほどに距離を感じる物言いだろう。

 世界観においても、結局ジョージ・オーウェルの『一九八四年』をベースに、手塚治虫や萩尾望都のSF作品、竹宮恵子の『地球へ…』などをミックスしただけのもので、独創性というものを感じることはほとんどできない。

 なので、自分の感性と作者本人の態度とをあわせて考えて、今作は堂々たる失敗作だと断言したい。

 

 ……とは云え、決して見所のない作品ではない。出だしの上手さに定評のある栗本薫らしく、都市の郊外で物思いにふける主人公の姿からレダとの出会い、そこからなめらかに管理都市の描写へと移行する冒頭のひきこみ力はさすがだし、自分でもなにに対してなのかわからぬ怒りを抱える同級生ミラの姿は、行き場のない若者の焦りや悲しみを活写していて胸をしめつけられる。作者自体は「しょうもない人間」として描いているようではあるが、都市に定められたとおりに優等生として生きるラウリや、都市の存続にすべてをかける市長デイマーの姿は、どこかしら物悲しく否定することができない。

 なにより、人語をあやつる大型犬ファンの優しい言葉のすべてが心に残る。犬だからこそあらわせる無限の優しさ、人への愛、生きることの喜び……この作品でもっとも読者を癒すのは、間違いなくこの優しい賢者だろう。

 トカゲや蛇などの「我関せず」な冷血動物を好み、猫は自分だけで十分という栗本薫だったが、作中で描かれる動物で魅力的なのは、人間を愛しすぎる犬や馬などの忠心あつい動物達だった。いや、人間キャラにしたところで、ぐねくねとわけわからん理屈で葛藤しているインテリぶったキャラより、スッキリハッキリと主に忠実な犬的キャラの方が愛らしかったのだが、どうも作者本人はそういうのに興味がなかったようで、うまくいかないものだ。

 また、自由気ままで傲慢で生活能力が皆無で人恋しく性に貪欲で奔放で傷つきやすく、ショックを受けると幼児退行しセックス依存症でオーバードーズの気があるというレダのキャラクターはまさしくボーダー、境界性人格障害、ネットでいうところのメンヘラそのもので、三十年も前にここまで正確にそういう女性の魅力とはた迷惑さを活写した作品は少ないのではなかろうか? はじめてこの手のキャラを見た人には衝撃的であったろう。

 そういう意味でも、決して中身のない作品ではないのだ。


 きわめていいかげんな推論かつ余談になってしまうが、もしかしたらこの『レダ』に影響を受けたのではないか、と勝手に思っているSF作品が一つある。SF大賞をとり劇場用アニメ化もされた冲方丁の『マルドゥック・スクランブル』だ。

 濃厚なサイバーパンク、アクション、ノワール、ギャンブルなどが息つく間もなくつまりこんだこの大作の一体どこが退屈な問答に満ちた『レダ』に通じているのだと云われそうだが、少女娼婦が相方に出会うことをきっかけに、戦いと様々な人々との出会い、その対話を通してアイデンティティを確立させていくあの物語は、本質的なところでどこか『レダ』を思わせる。相棒のウフコックが人語を解するネズミであることも、人語を解する犬のファンとの類似を感じないでもない。

 無論、『マルドゥック・スクランブル』はサイバーパンク作品を意識し、ウィリアム・ギブソンを思わせる文体などで知られているし、全体の雰囲気としては『レダ』の正反対にある作品だ。

 だが冲方丁と云えば若いころ夢枕獏と栗本薫に傾倒し、作家になるにあたってその呪縛から逃れるために両者の本を引き裂き焼いたというエピソードも有名だ。二十代半ばの冲方丁が若さを叩きつけるようにしてこの小説を書いているときに、意識のどこかに栗本薫と『レダ』があったとしてもおかしくはないんじゃないだろうか?

 ……などと思ってしまうのは、現在のSF界のどこかしらに栗本薫の足跡を見つけたいファンの願望でしかないのだろうなあ。そもそもハヤカワ文庫で全三巻という部分から連想しただけちゃうんかという気もするし。


 ともあれ、この『レダ』がその失敗もふくめて、読者のなかになにかを残す可能性の高い力作であるのは確かだ。多くの読者が名をあげるのも必然だろう。

 

 ところで最近になって気づいたことがあるんです。旧ハヤカワ文庫版の今作って、表紙イラストがいのまたむつみじゃないですか? まあ当時はいのまた先生大人気だったし栗本薫とファン層重なってたから、普通の人選だと思っていたんですけど、でもほら、世間一般『レダ』って云ったらアレじゃないですか、一九八五年に発売されてヒットしたOVA、国産ビキニアーマーの伝道師『幻夢戦記レダ』じゃないですか。そしてあの作品はいのまたむつみキャラデザじゃないですか。いのまた先生の名をオタ界隈に一気に広げたわけじゃないですか。

 そんないのまた先生に『レダ』という作品のイラストを頼むなんて、もう狙っているとしか思えないじゃないですか。ギャグ? ギャグなの? それとも「あ、いのまたむつみ絵だ。『レダ』? あのアニメの原作かな?」って勘違いさせようという作戦でもあったの? いずれにせよ「レダ」で検索するとビキニアーマーばかりが出てくるのだけは事実なんだ……。

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