044 黒船屋の女

82.12/文藝春秋

85.11/文春文庫


【評】うな


● 薫大好きファム・ファタール


 ある夜、主人公が偶然に助けた女は、竹久夢二の描く絵を思い出させた。彼は、彼女こそ自分が長年さがし求めていた「運命の女」であると直感した。しかし彼女のまわりでは次々と殺人事件が起こり……。


 またファム・ファタールを題材にした作品。

 悪意と打算でつくられた事件の中心に、無垢なる狂気をもった「女」が存在し、それがすべてをひきずりまきこみ破滅へと導いていく……

 本来、弱者であるはずの存在が、弱者であるがゆえに強者をより苛烈な滅びへと押し流していく。

 戦わずして勝利する、女というものの性質を描いた、ミステリーの佳作。いや、ミステリーとしてはそんなに出来がいいとは思わないが、けっこう面白い。


 この頃の栗本薫の特徴として、主人公がだれよりも物語の世界、いわば幻想の世界に憧れ、その世界の一員になりたいと願いながら、最後まで部外者である、というのがある。

 今作では「運命の女」の導く破滅の世界に憧れながら、しかし主人公は生き延び、彼女たちだけが幻想の彼岸に行ってしまう。その取り残されることこそが悲しみであると読者は思わされる。

 さよう、すぐれた読者であり、語り手であるということは、すなわち物語を作り出し演じる当人にはなり得ないということなのだ。

 語り手であるほどに憧れながら、演じ手にはなれぬ――だからこそ、だれよりも熱意を持って語り、彼岸へとゆくかれらを愛しながら見送ることができる。

 ゆえに彼女は「現代の語り部」であった……んだけどなあ、もう。


 ストーリー自体は凡作の域を脱しない本作だが、現代世界に大正浪漫を現出させようとした心意気と、置いていかれるものの哀惜とが物語に彩りをそえ、なかなかの作品にしている。

 大正浪漫をしたい、でもまさかねそんなことできない、そんなあなたにおすすめ。

 大正浪漫物だと、後年に『魔都 恐怖仮面之巻』や『六道ヶ辻』シリーズなどがあるが、がんばって大正や昭和初期時代そのものを描いたそれらよりも、現代に残る大正の香りに魅せられる本作の方が出来が良いのは、皮肉というか栗本薫らしいというか……である。

 やはり彼女は「本物」ではなく、悲しいほど本物に魅せられた「まがい物」でしかないんだよなあ。だが、だからこそ書ける作品があり、これはそんな一つであるのだ。

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