038 神州日月変 上・下

1982.05/講談社

1985.06/講談社文庫

<電子書籍> 有

【評】 う


● インパクトのないB級作品の存在意義とは……


 江戸の町で評判の娘たちが、次々と神隠しにあうという事件が起きる。事件を追う同心・古河雷四郎の前にあらわれるのは、死人を蘇らせる老人に、白子の姫と狂剣の浪人、何者かのあやつる魔犬の群れ――神州を揺るがす怪異を描く長編時代伝奇。


 戦前の作家、国枝史郎の未完の大作『神州纐纈城』と、栗本薫が後に現代語訳も手掛けた滝沢馬琴『南総里見八犬伝』へのオマージュとも云える作品。

 国枝史郎は1943年に亡くなっているため栗本薫の世代の作家ではないが、『神州纐纈城』は1968年に復刊され、そのときに三島由紀夫に高く評価されたりしている(ってさっきグーグル先生がそう云ってた)ので、その流れで読んだのだろう。

 上下巻に分かれ、各巻それぞれ文庫で400ページ超の大作のため、まずは上巻のみの感想を記す。


 長い作品ということもあり、出だしはなかなかゆったりとした筆の作品である。序章の怪しげの術を使う老人の出現はともかく、その後の第一章で主人公の雷公こと古河雷四郎の紹介にも等しいくだりに50ページ近くかけたり、第二章もその主人公がのんべんだらりと神隠しの調査をしているだけだったり、正直いってかなり退屈ではある。が、この前半の展開の遅さゆえに、力士のごとき大兵肥満でありながら剣の達人であり、頭も切れるがのらりくらりとしたしゃべり方でいまいち掴みどころのないという雷公の茫洋とした魅力が伝わってくる。

 栗本作品の主人公でいうとグインと伊集院大介を足して二で割ったあとにあざみさんの体重を足した感じであろうか。あまり主人公らしからぬ外見と性格で、栗本作品の中でも異彩を放つ人物でありながら、ページが進むごとになぜか魅力的に感じてくる不思議なキャラクターである。頼りになるのかならないのかいまいちわからないのが良い。

 またその相方なのかライバルなのかわからぬ浪人・百済源蔵は、ひねくれ者で恋に生きる狂人という栗本薫の時代物にほぼ十割の確率で出てくるいつものアレだが、敵か味方か曖昧なポジションに置くと輝くキャラであることは確かである。

 

 のったりした速度で展開していくなか、上巻の中盤でようやく無関係に見えたあらゆる事態が「平野」という謎めいた地に集束していることがわかってくると、 ようやく面白くなってくる。ちなみにこの平野という土地は栗本薫作品にちょいちょい登場する架空の小都市で、現代ミステリー『双頭の蛇』などでも舞台になっている。架空の郷土史などもいろいろと考えていたらしい。

 そうした平野に向けて雷公が百済源蔵と旅立つと、勝ち気なスリの少女と遭遇してついてこられるようになるわ、鵺が出てくるわ、怪しげな術を使う中華風姉妹が出てくるわと話が急速に動き出して、こうなると新キャラと新設定を出し続ける風呂敷広げマラソンをしているときが一番輝く栗本薫のこと、安定した娯楽作品となってきたところで上巻は終了。



 下巻ではいよいよ謎めいた平野の地に足を踏み入れ、玄武城なる敵の拠点で大暴れする活劇となる。

 敵は怪しげな術を使う老人に、人狼の一族、悦楽に耽る妖婦――と、ベタな道具立ては揃っている。

 が、正直、物語の調子が活劇の方向に振れば振れるほど、あまりおもしろくはなくなってくる。単純に、筆の迫力が足りないのと、チャンバラシーンがいまいちだからだ。これは女性作家にはありがちな欠点で、栗本薫の最大の欠点でもあるのだが、戦闘シーンを強キャラを強いと見せるためだけのものとしてしか捉えておらず、戦闘シーンそのものを楽しむように書けていないのだ。

 別に戦闘そのものを楽しむ必要のない物語ならそれで良いのだが、こうしたチャンバラ活劇ではやはり戦闘シーンそれ自体を楽しみたいものだ。栗本薫は男性向けの漫画や小説から強い影響を受けているが、戦闘シーンを面白く書こうという意欲がまったくないため、いざ戦いはじめると肩透かしを喰らうことが非常に多い。

 そのため今作はハッキリと云ってしまえば設定や展開に栗本薫の実力――というか性情がまったく追いついていないのだ。

 

 まあ、でもそういうトンデモバトルを楽しむ作品でもないだろうしな……と気を取り直しながら読み進めていくと、ここから激しくネタバレしていくが、城の地下で巨大ロボットが眠っていて、味方の一人が歴史を変えようとする敵の陰謀を阻止せんとするタイムパトロールのアンドロイドであることがわかったりして「あ、トンデモB級漫画路線として読んでいいんですね」という気持ちになる。

 そしてトンデモB級路線として評価すると、もうダメである。ダメダメである。

 こうしたなんでもありのインパクト勝負の作品とするには、単純に発想が弱すぎである。こちとらラスボスだと思われていた両性具有の兄が菩薩型巨大ロボットに乗って日本帝国軍人の祖父にビンタをかましてジャイアントさらばを決めるような、勢いだけですべてが進んでいく90年代チャンピオンを読んで育った世代である。ろくな描写もされていない巨大ロボットが江戸時代にあった程度ではおどろくことなどできないのだ。しかもこの巨大ロボット、動くことなく動力をうしなってお役目御免である。動けや。暴れろや。なんのために出てきたんやお前。肩透かしするならせめてどれくらいヤバイロボットなのか具体的に語って盛り上げてからにしろや。

 そのロボットの動力というのがさらわれていた娘たちだというオチなのだが、ロボットの動力が女ってゼオライマーかよっていうのはおいといて、八犬伝になぞろえて娘たちが八人なのだが、五人くらい影が薄すぎて誰だっけ状態なのはどうなのか。物語のキーになるヒロイン八人くらいちゃんと目立つイベント用意してあげてよ。あとスリ少女はすぐに出番なくなったてエピローグまで出てこないし、もうちょっとキャラ活かせよ……。

 いや、そういう細かいことはいいとして、やはりとにかくインパクトがない。時代劇にロボット出す程度で驚かせられると思われてはガッカリである。いくら古い作品とは言え82年といえばジャンプではもう車田正美が『リングにかけろ』を終わらせて『風魔の小次郎』の連載を開始している時分である。翌年には『北斗の拳』がはじまってしまうのである。濃さと勢いで勝負するようなストーリー展開をされてしまったら、こちらも同年代の濃い作品と比べざるを得ないのである。いつまでも七十年代の気分でいてもらっては困るのである。

 過去の作品と比べても山田風太郎の諸作品に奇想もエグさも筆の迫力もまったく届いていないのである。頂点の作品群と比べてどうこうというのは下品な気もするのだが、インパクトで勝負するとはそういうことなのだ。みたことのない景色を見せてくれなきゃなのだ。ライバルは永井豪や石川賢でなくちゃいかんのだ。それをええい、雑な巨大ロボットといつものクトゥルー的なエイリアンで誤魔化しおって。こんなもので八十年代の読者がビビると思っているのか。ましてや21世紀の世に残れると思っているのか。われわれはもはやチンコ一刀流で顔面を両断し誤チェストがまかりとおる世の中に生きているのだぞ。もっとちゃんとトンデモを真面目にやってくれ!


 後に文庫版『魔剣』のあとがきで、今作の終盤を書いていて、まちがったことをしている、こういうものは未完にするのがただしいのではなかろうかと思った旨が書いてあるが、要するに薫はなにかが起こりそうな予兆を書くのは上手いが、いざ全力のなんでもアリを描くことになるとたいしたものが書けなくてガッカリになるだけなのだ。浦沢直樹かよ。まあ晩年に浦沢直樹よく読んでるって云ってたしな……。


 ともあれ、B級作品にしてはテンポが遅く、着想にインパクトが弱く、ラストにすっきり感も足りないため、ダメなB級作品としか言いようがない出来である。結局、この手の作品をやるには栗本薫はパワーが足りないのだ。言い訳臭いのが栗本薫の良いところでもあり悪いところでもあるのだから、従来の路線をちょっとだけはみ出して悪ぶってる、皆勤賞の不良みたいな立ち位置が栗本薫には一番良いのだ。このようなルール無用のインパクトとフェチズムだけで勝負するアウトローの土俵に立とうとしたのが間違いである。

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