037 グイン・サーガ10 死の婚礼

82.05/ハヤカワ文庫


・第二部陰謀篇完結!(完結したとは云っていない)


 モンゴールの公子ミアイルが暗殺され、レムスとリンダを擁するアルゴス軍がパロを目指し進軍を開始したころ、首都クリスタルを占領するモンゴール軍はそれを知らぬまま、公女アムネリスとクリスタル公アルド・ナリスの婚礼の準備を続けていた。だが、それは様々な陰謀が絡み合う、死の婚礼であった……


 九巻のレビューのあとに放置という、大変キリの悪い状態だったので「ははあん、こいつやる気なくしたな?」という感じだったのでしょうが、正解!やる気は常にない。いや、忙しいの事実ですけどね……。

 だが、こうしてしばらく離れた状態から復帰したときにこそ、グイン・サーガというか栗本薫の異才を感じる瞬間でもある。

 正直、漫画でも小説でも、複数巻にまたがる作品を長期に渡って読むのは辛い。なにが辛いって、新刊が出たときには前の巻の内容忘れていて、読み始めても「あれ~これなにしてるとこだっけ~?うーん、しゃあないから前の巻を読み直すか」ということになるんだけど、やっぱりそれはめんどくさくて、「まあいずれ時間と気力がある時にまとめて読むか」となったら、もうアウツ……!滅多なことがない限り本当に読まれることはなく積読が増え続けることになるのです……。


 その点、グイン・サーガは凄い。うろ覚えなのに巻のはじめで拒絶される感じがなく、なんとなく読んでいるうちに前巻の内容を思い出していき、気がつけばこれまでと同じテンションで読める体勢になっている。

 当たり前のようで、これをできている作品は意外なほど少ないし、小説ともなると本当に少ない。初読のときも、一年間読まない時期や二年間読まない時期があったのに、すんなりと戻ってくることができた。グイン・サーガが長期に渡って読まれ続けたのは、このリーダビリティの高さによる復帰のしやすさが要因の一つだろう。

 ……ところでこの復帰しやすいって話、この全著作レビューのいろんなところで何回も云っている気がしてきたね……。


 さておきこの巻、ナリスが作中初の死んだフリを披露し、傷心のアムネリスがクリスタルから去っていくまでを描いている。

 正直「普通の小説に比べて展開遅いなー」とか「なんかキメるはずのシーンでキマりきらない文章が入ってくるなー」とか「なんぼ恋に恋して浮かれている表現だとしてもアムネリスの描写くどくてうざいなー」とかも思ったのだが、なんだかんだで総合的にはなぜか面白い。


 悪役であるはずのモンゴール陣営が、田舎ヤンキーみたいなわかりやすい内輪もめとポジションの奪い合いで泥臭い人間臭さを見せる一方で、善玉であるはずのパロ側が陰気な工作ばかりを仕掛けていて、しかも味方同士でも腹を見せずに別の陰謀を企てていて全貌がみえないところなど、人を善と悪に分けない描き方は見事である。

 その中で、陰気な謀略の中心であるナリスが一番イヤミな役回りを生き生きとこなしているところなど、キャラの魅力を存分に感じさせるし、同じ陣営なのに別の陰謀を企てているヴァレリウスの変なところで明るい感じもいいた味を出している。シリアスな流れで「あんぽんたん」と罵声を飛ばしたり「このヴァレリウス様が」などと独白している剽軽なインテリぶりは、ナリス病にかかってうわごとをつぶやき続けることになる後年からは想像もつかない。それでいて主役級を食わない感じがまたいい。完璧な名バイプレイヤーだ。なぜナリス病に罹患してしまったのだろうか……。

 あと中盤からただのボケ老人になっていたルナンが、一本気でありながらも頭も回るしナリスを諌めることもできる、頼りがいのある武人として描かれているのが、なんというか「そんな時代もあったね……」という感じでしたが、いつか笑える日はまだ来ていない感じです。


 全体の流れとしてはパロ反乱軍の決起にむけて素直に流れていながら、定期的に「えっ」と思うような文章や展開が紛れ込んでくるのもうまい。小説道場で「諸君らは素直過ぎる」と何度も云っていた意味がよくわかる。

 全体的にはまっすぐ進んでいるのに、あるきながらよそ見をさせて逆側の頬をぶっ叩くようなストーリーテリングは、「なんかここ順調すぎて退屈だなー。なんかぶちこむか」というその場のノリと感覚だけで余計な伏線をぶち込んでいる気がしてならないのだが、この読者視点に立った時に退屈そうなポイントを自然と抑えるセンスこそが、ベストセラー作家に必要な感覚なのだ。

 惜しむらくは、適当にふちこんだ伏線をちゃんと回収するセンスはなかったことだが……。


 さておき、そんなわけでストーリーは知っているのに、いや知っているからこそ、ストーリーテリングの小技の効き方がよくわかる感であった。特に終盤に「アムネリスは、もはや二度と踏むことのないパロの地をあとにしたのである」という先々のストーリーを示唆する文章を入れるタイミングが完璧だった。多少退屈なシーンが続いたあとにこういうの入れてくるの、本当に「そういうとこだぞ」って感じだ。


 あとアストリアスくんの思い込みの激しいストーカーぶりと落ちぶれ方が可愛そうだと思いましたけど安定したキモさで良かったです。(文章を書くのに疲れてきたので急激な小並感)

 あと「グインで拷問といえばここ」なランズベール塔にまつわる血まみれなバックボーンも、「この作品はすみずみまでディテールを考えられているんだな」と勘違いさせてしまう濃密さで、いま思うに八割方はその場での口から出まかせなんだろうけど、この時期は本当にタイミングも密度も適度でうまかった。


 そしてあとがきでは第一巻の癩病に関する改訂や結婚の報告。結婚しましたをちっちゃいフォントにするところがかーいらしい。自キャラを流行りのアニメや漫画のキャラと比べるところなんかもかーいいし、それを「注釈……いらないですよねえ。常識だし」と太字で書いてしまうところなどもかーいらしい。栗本薫ってこういう作家だったなあ。

 ありていにいうと、やっぱり大人になって読むと薫のあとがきは痛いし恥ずかしいのだが、この読者との距離感の近さ、作者がいまこの瞬間を生きている感じは、その痛さも含めて魅力的だ。澄ましたインテリ面するだけだったり、無難な言葉を並べてお茶を濁すだけの作家が多い中で、この生身感にはどうしても惹きつけられてしまう。一部の人にとっては作品を読む際のノイズにもなってしまうだろう痛々しいあとがきだが、グイン・サーガ読者がかくも熱狂的であったのは、このあとがきから感じる「この人こそぼくの・わたしの世代の作家なのだ」という感覚のためだろう。

 もっとも、そのダダ漏れっぷりのせいで、読者と感覚がずれてからは叩かれやすくなってしまったわけだが……。


 なんか久しぶりに読んだせいで、この巻の感想というか「あー栗本薫ってこうだったなー」という感想になってしまったが、総じていうと第二部の締めくくりとして過不足なくまとまった巻と云えるだろう。第一部辺境篇から地続きなのに、気がついたらまったく異なるテイストの話になっているところなど、実に見事だ。こりゃ普通に考えて、パロ奪還まで読むの止まらなくなるでしょ。

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