028 心中天浦島

81.11/ハヤカワ文庫

10.04/ハヤカワ文庫


【評】うな


● あふれでる古臭さをあなたに

六編を収録したSF短編集

『遙かな草原に…』

 ある惑星に降り立った探査隊が見たのは、ミッキーマウスにそっくりな原住生物だった。思わず一匹連れ帰り、地球についた直後、大騒ぎが起きる。その惑星が跡形もなく消えてしまっていたのだ。

 一発ネタとしか云いようがない作品で、そのネタの一発性も特筆するようなものでもない。未成熟であることの輝きを謳いあげたのは、若書きという感じでよいが、それも栗本薫のいつものアレで済んでしまうのではないか? という気持ちは否めない。

 結果として印象に残るのは「ミッキーマウスって単語、こんなに堂々と出していいの?」ということばかりであった。

 とはいえ、小動物が老成した話し方と愛情をもって人類に接している、というのはなかなかに癒されるものであり、このあたりの設定はのちの長編『レダ』に活かされている。


『ただひとたびの』

 反逆の罪で彼女が追放されたのは、遥か昔に文明の滅びてしまった惑星だった。そこで自決を望んでいた彼女だったが、不思議な感覚が彼女を南へと導く。果たしてこの無人の星でなにが待っているというのか……

 良い意味でも悪い意味でも古い。そんな古さを感じるSF。

 SF自体がそうだとも云えるのだが、栗本薫のSFには反骨精神が基本にある。今作もそうしたレジスタンスな作品で、それはいいのだけれど、基本的に栗本薫にあるのは「えらい人の云ったことや世間の風潮にはとりあえず逆らう」と反抗期丸出しの精神なので、作品の根本にある思想に深みがないんだよね。もっとも端的にあらわしているのが『魔界水滸伝』の主人公の雄介のセリフ「時にはただ負け組だからというだけの理由でそっちに与した」というもので、本当にただの中二病なんですよね、反抗の仕方が。浅くてうすっぺらいの。

 しかし、残念ながら、だからこそ栗本作品の反逆精神が自分にしっくりくるんですけどね……当時、若い読者に受け入れられたのも、そのうすっぺらさゆえだったんじゃないかな?


『優しい接触』

 もうずっと長いこと戦争を続けている二つの種族。その戦いの中、ミラ8は船から放り出され、近くの惑星に不時着する。そこで出会ったのは、同様に不時着してきた敵対種族の人間、ユーリだった。はじめは反感をあらわにする両者だったが、次第にひれかあい……


 ゼントランとメルトランが出会ってデ・カルチャーしたって話。いや、マクロスより古いですけどね、本作は。でもまあ、本当に話の内容自体はマクロスだったので、ネタははじまった瞬間にわかってしまったし、新鮮味はまるでなかった。

 ただ、小姓制度をもとにした種族の性的な設定は面白みはあったし(たぶんル・グウィンの『闇の左手』あたりから着想を得たんだろうけど)こういう「設定上、ホモが出てこざるを得ないのよ」という話のほうが薫のホモ趣味が良いほうに出ると思うね。



『心中天浦島』

 スペースマンのテオは少女アリスと出会い、恋に落ちる。ウラシマ効果で二人の年齢は近づき、ならび、ついには逆転してしまい、アリスは別の男と結婚していた。そして最後の航海で、テオは百年もの時を隔て、変わり果てた地球に帰って来たのだが……

 ウラシマ効果の生む悲劇を人形浄瑠璃の『心中天網島』とひっかけてつくられた本作。このタイトルは見事な本歌とりだと思う。ロマンチックだし、悲劇的だし、天浦島でSFだとわかるし、栗本薫らしからぬ良いタイトル。

 しかし、そのタイトルゆえに仕方ないのだが、心中するのがストーリーをつまらなくさせていた。だってワンパターンだし。とりあえず終わらせ方に困ったら心中するし。

 栗本先生って、ラストで錯乱させることが多いけど、あんまうまくないんだよね、錯乱の描写が。勢いで押し切ろうとするし、作者が「こいつは錯乱してる」と考えて書いてるから、わざとらしくて怖くないし、気持ちがはいらないんだよね。錯乱している人の内面ってさ、もっと自分なりの論理が成り立ってるものでしょ。その辺を書いて欲しいなあ、作家として。

 とは思うんだが、錯乱を「錯乱ですよー」みたいに書いてしまう作家は多いし、多いというか一部の異常な人をのぞいてほとんどそうだし、仕方がないのか。

 しかし、一部の作品ではうまいんだけどなあ、栗本先生の錯乱描写。でも多分、それらの作品では錯乱だと思って書いてないんだろうね。作者自身が正気のキャラのつもりで書いているのが、はたからみたら狂気にしか見えないだけなんだろうね。

ともかく、話自体はオチが二秒くらいでわかってしまうような単純なものだし、主人公のはぐれ者意識が中二病まるだしで鬱陶しいけど、おおむねいい話ではある。

 現代を戯画化して誇張表現した未来の文化はわかりやすくも怖いし、脇役もなかなかいい味出してる。特に同僚のマックスは主人公よりもよっぽどスペースマンの悲しみを出せていていい。特に長い旅立ちを前にして口にする台詞は良い。


 これでまたやっと、冬のなかで夏を思い出して、恋いこがれていることができるな


この台詞は一つ所にとどまることができないくせに人恋しい人間の悲しさをよくあらわしている。故郷は遠くにありて思うものという真理の切なさが、短いセリフにうまくつまっている。脇役のこういうくさい台詞が、昔の栗本作品を支えていたんだよな。


『ステファンの六つ子』

 銀河の片隅で、ある巨大な種族が組織の末端部分を切り離した。切り離された組織ははじめて個を得、喜びと悲しみを感じていた。その頃、地球ではステファンという男が、五つ子となる我が子の誕生を待ち望んでいた。

 パンタの同名曲に着想を得たそうだが、ほんとにもう、着想を得ただけで、ストーリーも糞もない。

この内容でこのページ数は長い。この長さでやるのならば、この種族の設定をもっと詳しく煮詰めるべきだったんじゃないか? そう思ってしまうのは、この辺に関してもっとうまい作家や作品を思い浮かべてしまうからだが。

例えば神林長平は『プリズム』で全体から切り離される末端部分をもっと論理的かつ情緒的に書いて見せたし、小林泰三なども異種族などを書くときには理工学系の知識を交えながら非常にいきいきと描くのでひたすら感心してしまう。

 対して栗本先生は言葉頼みでなんとか読者を騙くらかそうとしているから、ちょっとというか、かなり子供騙しの感じがあるんだよね。話のしめ方も無理があるというかなんというか、だからなんなんだ、この話は、みたいな感じで釈然としないし。

 ただ、個の喜びを描いた点では、やはり若書きっぽくて良い。


『黒い明日』

 相次ぐ子による父殺しの犯罪。そんな中、同僚の里村が呟く。 「息子が自分の子だとは思えない」

 直前の『ステファンの黒い六つ子』のアンチテーゼとなっているようなところは面白い。だけどあいかわらず狂人がなんの根拠もなく思いこんでわめいているのを主人公がきいて「そうかも……」とか思うだけの話なので、「モルダー、あなた疲れているのよ」の一言で終わらせてしまいたくなる。

 こういう思いつきに対して客観的なデータを提示しつつ感情論にもちこむのがいい作品だと思うのだけど、栗本薫は思いつきと感情だけだからなあ。共感できないと「なに云ってんのこの人」で終わるんだよね。栗本薫の賛否がわかれるところって、結局そこだよね、客観性とかデータの欠如という。そしてオタクとかマニアの半数くらいはデータ派だから、そりゃSFオタクにもミステリオタクにも叩かれるよね、栗本せんせーは。


 全体としては、栗本薫のSF短編集の中では一番どうでもよかった。

 読んだのがほかの作品より遅かったというのもあるけど、どうもここに収録されている作品はどれも借り物くさいというか「SFといえばこうでしょ」みたいな、安易なイメージで作られている作品が多い気がするんだよね。

 というか、もっとざっくりと云ってしまえば現代もののSFは読めるけど、宇宙だのエイリアンだのが出てくると、その設定の借り物くささと臨場感のなさ、そして古臭さにちょっと失笑しちゃうんですよね。

 栗本薫本人はわりとスペースオペラの安っぽさに否定的な言動をとっているんだけど、本人の書くSFはスペオペの安っぽさはそのままに壮大さとSF理論をなくしたような話ばかりで、だからなんか恥ずかしいんだよね。

 文体模写だけで短編を書くことで有名な栗本先生ですけど、SFは文体模写だけじゃ書けなかったんじゃないかなあ、結局。

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