020 あずさのアドベンチャー`80
文藝春秋 81/06
文春文庫 85/02
【評】うな(゚◎゚)
●あずさ、大いにインタビュる
文芸春秋に連載されていた、各界の著名人に会って、そのことを書いていくインタビューエッセイ。連載されていたのは題名どおりに1980年から81年。
『あずさと淋しい占い師たち』は、当時天中殺とかなにやらで占いブームだったので、有名占い師数名に会いに行くあずさの話。
この項で一番に印象に残る人は、インタビュー中に自らの道を否定した和泉宗章氏。
求道者であるがゆえに、自らの歩んだ道を否定する姿は、職人の一つの究極の姿として印象深い。
また、その対極にあるのが門馬寛明氏。当時の占い界最大派閥の長であり、彼の話にはやたらとプライドや権勢欲が滲み出していて、逆に面白い。
どんな世界でも、パワーゲームというものは存在するのだなあ、と考えてしまう。
まったくの門外漢なので占い師の勢力図などというものが本当にあったのか、いまもあるのかわからないが、神秘の世界の裏にある生々しい銭と権力争いは、まさに淋しい占い師という感じだ。
あずさ、手堅く聞き、手堅くまとめています。
『あずさと侵略者始末記』は、インベーダーブームの終わりの時期に、タイトーやナムコやインベーダーチャンピオンの人などに話を聞きに行って、最後にかるくインベーダーなんかしちゃったりする話。
最後の最後までそうだったが、栗本先生ったらゲームクリエイター世代に少なからぬ影響を与え、その内容もゲーム的なるものに親和性の高い作家でありながら、ゲームに対してやたら冷淡で反発的なんだよね。その反発具合がうかがえる一本。
ていうかさ、いまさら云うのもなんだけど、あずさ先生のゲーム観って、このインベーダーの時代で止まってしまっていたんじゃないの? 気のせい? いや息子の大介くんはゲーム好きだったみたいだから、そんなことないとは思うんだけどさ……。
さておき、あずさの話というよりも、今となっては、このファミコンすら出ていない時代の、テレビゲームの未来に対する考察というのは、もうなんともむずがゆく面白い。
このあとファミコンブームが来て、どこの家庭にもゲーム機の1台はある、なんて状況、そりゃ想像できなかったろうねえ、なんてしみじみしちゃう。
『あずさとダイエット天国』は文字通りダイエッター達へのインタビューと、ダイエットに関するよもやま話。
基本的には予想通りの内容であろうから、なにも云うべきことはない。
やたら「私はテレビ映りが悪いだけ」「私は痩せている」と主張する中島先生が、ありていに云って面白い。アハハハハ、とトシちゃん笑いをしたくなるくらいに面白い。
そうかあ、「太っていたら性格も歪んでいることに気づいたから痩せた」ってかあ。じゃあ晩年の中島先生もやっぱり太ったせいで歪んでいて、痩せていたら治ってもっといいもの書けたのかなあ(遠い目)。
『あずさとグルメ地獄』は「うまいものうまいものってうるさいんじゃ! 人間なんでも食ってりゃ生きていける! お前ら頭病んでるんじゃねえの? ちょっとは考えてみろよ!」というようなことを云っているだけの、後の『くたばれグルメ』につながるようなエッセイ。
どうもこの回、ろくに取材もしてないし、締め切りがきちゃったから薄い内容を文章の勢いでごまかしただけなんじゃなかろうか。薫にはよくあることなので仕方ない(仕方なくはない)。
『あずさのバンド始末記』は作家や編集者を集めてバンドを作って、遠藤周作と一緒にライブをしたよっていう話。ほんとうにそれだけの話。
やっぱ注目の一文はこれかなあ。
「私はもうずっと前に、自分がミュージシャンとしての才能に恵まれておらぬことを知っているし」
ホント、知ってたはずなのに、いつの間に忘れちゃったんだろうね、中島先生……。
『あずさと突撃レポーター』は梨元勝を中心とした突撃レポーターのお話。
梨元勝といえばあの軽佻浮薄な態度だが、しかしまあ、このエッセイを見る限り、かれは心の底から軽佻浮薄で、徹底されているからむしろ許されている、そんな人なのだなあ、とわかる。
そんな梨元勝もすでに鬼籍に入ってしまったいまとなっては、突撃レポーターとはなんなのだろうかという気持ちがいや増すばかりである。
『あずさと「作家養成所」』文芸科の先生とか学生さんに話を聞きに行く話。
行ってみると学生たちは中途半端な態度であまり書いていない。
んでもって梓は「小説家になるために必要なことはただ一つ。小説を書くことだ」という結論を出している。まったくもって至極ごもっとも。ワナビが理屈ばかりでなにも書かないでなにも残さず年だけ取っていくのはいまも昔も変わっていないのだと実感してしまう。グサグサと刺されながらそう思うぼくなのであった……。
『あずさと流行作家』は川上宗薫、笹沢佐保、半村良の三人の流行作家にインタビューしちゃう梓。
川上宗薫の期待を裏切らないでたらめな生活に萌え。
半村良の職人魂に萌え。
笹沢佐保の書いて書いて書きまくる姿勢に萌え。
かれらに刺激され、今日もあずさは小説書きに燃え。そんな話。
いやあ、でも、やっぱ三人とも面白いこというし、すげえなあ、うん。
そしてこういう、読者の創作意欲をかきたてる文章を書かせたら梓の右にでる奴はいねえなあ。読んでたらおれも無性に書きたくなったもの。前段の作家養成所とのくだりもいい対比になっている。
意欲を掻き立てたいワナビにおすすめ。
『あずさと淋しいアメリカ人』はあずさがアメリカをうろちょろして「ここは想像どおり」「ここは想像と違う」「これがディップ、ははあ、アメリカですなあ」とアメリカ文化のことを無邪気に知ったような顔をして話すだけの話。思うことは特にない。
『あずさと二人の作家の肖像』はアーサー・ヘイリーとレイ・ブラッドベリの、二人の国際的作家にインタビューする。
ごめん、おれアーサー・ヘイリーって知らないし、一年かけてボーっと休みながら構想を練って、それから半年寝かせて、そのあと一年半かけて書くというアーサー先生のやりかたはまどろっこしくてイライラする。
男だったら書きたいものを書きたいときに書かんかい! と殴りつけてやりたい。
一方、ブラッドべりはぼくもファンですが、もちろんな梓も大ファンで大興奮。
それにしても、ブラッドベリ先生の理想主義というか、ピュアで綺麗過ぎる主張の数々は、ヤクをキめているかマイケル・ジャクソンかじゃないとありえないレベル。あのブラッドベリじゃなければなんて偽善者だと呆れていたところだったぜ。
素敵過ぎる人って、それはそれで迷惑だなあ、と思ってしまうのであった。
総じて、インタビュアーとしての梓はなかなか悪くない。特に作家へのインタビューは本人が浮かびあがるような、なかなか素敵な仕上がりになっている。
いまとなっては80年という時代の古さを「当時を知れて良い」とするか「いまさらそんなものを知っても……」と思うかで本としての価値が大きく変わるだろう。
自分としては、当時を知る資料として、なかなか悪くないかな、と思う。
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