018 グイン・サーガ6 アルゴスの黒太子

1981.06/ハヤカワ文庫

<電子書籍> 有

【評】 うなぎ(゚◎゚)


● ええ!?ナリスがカッコイイのかい!?


 グインの率いるセム・ラゴン連合軍に敗れたアムネリスは、首都トーラスの金蠍宮へと呼び戻されていた。まだ戦えると息を巻くアムネリスに、父ヴラド大公が命じたのは政略結婚であった。時を同じくして、パロの第三王位継承者アルド・ナリスはモンゴールの占領下にある首都クリスタルへと潜入することに成功していた――。

 さまざまな策謀が渦巻く中原へと舞台を移し、第二部「陰謀篇」開幕。


 タイトルの示す通り、アルゴスの黒太子スカールの登場巻である。

 が、本当に登場しただけで別になにも活躍はしておらず、この巻の主役は名前こそたびたび出ていたものの登場するのは初めてのクリスタル公アルド・ナリスだ。そう、今日では痛々しいメアリー・スーの代表的な存在として知られる、年がら年中くちびるをとがらせている男のお姫さまのナリ公である。

 自分がこの六巻以降をちゃんと読み直すのは、そう、かれこれ二十三年ぶりにもなろうか。単巻で完結している外伝はたびたび読み直したものも多いが、本編を読み直すのはさすがにしんどいし時間もかかる。


 ――それは事実だ。が、それ以上におそれもあった。なにせここからの十巻ほど続くパロ奪還の物語は、基本的にナリスが主役である。そして僕はこの時期のナリスが、好きだったのだ。仕方あるまい。ティーンエイジャーの僕は、策謀をめぐらす陰険なインテリが大好きだった。まかすこでも多一郎が好きだったし、三国志なら孔明が好きだった。バリバリの中二病であり「なんとか勉強をせずに頭が良いと周囲に思わせる方法はないだろうか」と日々考えている若者に、ナリスに惹かれるなというのは無理な話だ。中年になった今でも努力せずにインテリ面できる機会があれば積極的に掴んでいきたいタイプなのだ。暗黒微笑したいのだ。へんなでかい羽団扇とかもっていたいのだ。

 だが、様々なところで書いている通り、七十巻くらいにさしかかると「ナリスはやく死なねえかなあ」とぼやき、ヤオイ趣味のない人は読むなと薫が何度も予防線を張ってるナリス同人を読んでは(このメンヘラカマ野郎殴りてえなあ)と思うような人間に、ぼくはなってしまったのだ。

 そして「それでもあの頃のナリスはカッコよかった!……多分カッコよかったと思う……カッコよかったんじゃないかな……ま、ちょっとは覚悟しておけ……」という複雑な感情を抱えて生きており、要するに「冷静に読み直してみたら昔っからただのメンヘラカマ野郎じゃねえかよ!」と思ってしまうのが怖くて、避けていたのだ。

 だが、初読時にグイン・サーガを本当に面白いと思いはじめたのも、この陰謀篇からであった。覚悟を決めて読み直すのだ!


 で、その結果。

 ……か、カッコイイ……ナリスが普通にカッコイイよ……物腰は丁寧だけど別にカマ野郎じゃない……むしろ身内にはけっこう男らしい口調で話してる……ちゃんと武人の感じがある……それでいて巧みに眼前の相手の機微を読み、的確に嫌なことをする機転もある……カッコよかったんだ……ナリスは本当にカッコよかったんだ……!

 いやあ、驚いた。そりゃただのめんどくさいメンヘラとわかってしまったいまとなっては、初読時の底知れない魅力は薄れているが、それでも十分なほど魅力的でミステリアスで男らしさも人を惑わす美貌も備えた人物である。

 命令することになれた物言いは『パタリロ!』のバンコラン少佐。美貌にそぐわぬ強情さは『摩利と新吾』の鷹塔摩利。ためらうことなく自分を殺すことを命じる貴族の魂は『クォ・ヴァディス』の退廃貴族ペトローニウス。絶体絶命の危機にあっても退屈そうな眼差しは『ルーンの杖秘録』のユイラム・ダヴェルク。登場するなり早速拷問を受ける姿は『伊賀の影丸』の村雨源太郎。

 栗本薫が様々なところで好きだと公言した漫画や小説のキャラの魅力が、矛盾することなくアルド・ナリスというキャラクターに集約されている。「これが私の思う良い男だ!」という叫びが、はっきりと聞こえる。


 冒頭のプロローグ、鎧兜で姿を隠したナリス一行が、名も無きパロの一兵士の助力で門を抜けるという、わりとなんてことないシーンから、なぜかすでに面白い。無造作に面頬をおろして兵士に素顔を見せるナリスの豪胆さ。すかさず口封じのために柄に手をかけるルナンの冷徹な忠臣ぶり。ナリスに気づきつつも「拷問された時になにも知らないと叫んで死にたい」と事情を聞きたがらない名も無き兵士。一瞬で示されるそれぞれの人物像のなんと的確で魅力的なことか。(兵士が水筒まの水に混ぜてくれたなけなしの葡萄酒のうまそうなこと!)

「自分と波長が合うからって過大評価してただけかな……」と思うことの多い栗本薫の文章だが、いや、上手い。上手いよ。この頃の栗本薫はどう考えても抜群に上手い。ストーリーが斬新なわけでも描かれる光景が奇想天外なわけでもないのに、なぜかものすごくひきこまれる。


 一章は金蠍宮に戻ったアムネリスとヴラド大公のパロ籠絡のための政略結婚の陰謀。パロの同盟国アルゴスで、アルゴス王に嫁いだリンダ・レムスの叔母と、たまたまアルゴスを訪れていて災禍を免れたベック公の会話を中心とした、パロの現状のまとめとこれからの展望、そしてなんとなく顔を出したスカールの登場。

 新登場のキャラを違和感なく出しながら、五巻までのおさらいをしつつ、パロの都クリスタルへとすべての駒が集まっていく流れをスムーズに書いている。


 二章ではラゴンの勇者ドードーとの決闘を中心とした、グイン一行のノスフェラス出立までの経緯。五巻に入り切らなかった部分のフォローのようにも見えるが、急速に少女漫画的な不器用ヤンキーとツンデレお姫さまになるイシュトヴァーンとリンダは微笑ましい。一方で、がっぷり四つに組んでから力負けしそうになったところを踏ん張って持ち上げたというだけの地味極まりないグインとドードーの決闘を、じっくりとページ数をかけて描く筆致は、ノスフェラスのじりじりとした日差しを感じられるような原始の熱がある。


 三章四章は、クリスタルに潜入していたナリスがいろいろ企むも結局捕まって拷問されたりするくだり。ナリスの魅力は先に書いたが、同じくらい驚いたのがナリスの爺である聖騎士侯ルナンが、忠節とともに武も知も老獪さも備えた老武人として描かれていることである。いつの間にかナリス様ナリス様いいながらナリスのことをなにもわかっていないし肝心のことをなにも教えてもらえないまだらボケの要介護爺さんになってたからなルナン……こんな初期からいてそれなりに出番もあるキャラなのに「ボケじじい、裏庭でクビ吊ったってよ」「ふーん」くらいの、FXに失敗した名も無きニートみたいに最期が処理されてたからね……あ、ネタバレしまくってますね……すいませんね……。


 ともあれこのくだり、モンゴール側にはナリスを傀儡の婿にしてパロを支配しようという陰謀があり、そのモンゴールの現地占領軍では黒騎士隊長カースロンが総大将の白騎士隊長を追い落とす方策を画策し、ナリスはもちろんバロ奪還のための企み模索すしつつモブ醜女のひがみ根性丸出しの逆恨みで足元をすくわれるなど、大きいものから小さいものまで人々の目的が錯綜し、まさに陰謀編のはじまりを告げるに恥じない巻となっている。

 ことにその陰謀の作戦としての新しさよりも、そこに宿る情念を重視したような描き方は栗本薫ならではだ。


 冷静に読むとナリスは「このクリスタル公がクリスタルに帰ってきたからなんとかなるのだ」というわりとお花畑な思考で動いており、ちっとも遠謀深慮をめぐらせていないのには驚きだったが、それでも魅力的に見えるのにはなお驚きだ。この人、人の顔色を読んで即座に嫌がるようなことをするのが異様に上手いだけで、なんにも考えてないんじゃなかろうか……。

 そして仮面舞踏会が開かれ、バロの貴族たちが「やだあのモンゴールの隊長、部下より先に来るなんて社交界のルールも知らないのねプークスクス」するシーンなどが丁寧に描かれ完全にクリスタル=京都感を演出しつつ、占領しているモンゴールの野卑さとパロの鼻持ちならさ双方が相容れないものであり、善悪の戦いではないのだということを自然に理解させる流れは巧みである。

 そして四巻かけて「くっ殺せ!」感を高めてきたアムネリスがナリスと対面し、顔見て即落ちというチョロさを披露。二コマでチンコに負けるレベルの即落ちっぷりに、元祖くっ殺系女騎士の実力を見た。これは薄い本不可避。


 他にも「あれこんなに最初からヴァレリウスって出てたのかアニメで改変されたのかと思ってた」とか「数十巻後に唐突に息子と没交渉の冷たい母親にされてたラーナ大公妃が普通にナリスと会ってる……」とか「リーナス坊ちゃんもこのころわりと有能設定だったんだな……」とか、とにかく後年で無能にされたナリス周辺の人々が軒並みまともで衝撃的であったが、全体的に明らかに面白い。

 

 細かいところを云えばナリスにとってリンダとレムスは正確には「いとこの子である」と書いた数十ページ後に、「ナリスは亡くなった王兄の息子」というやっぱりどう考えてもリンダムスのいとこそのものの説明があったりして、薫ってば書かなくてもいいこと書いて矛盾を増やす癖は若い頃からだったんだなあと感慨深くなったりもした。

 あと細身の剣に「ムイピア」とルビが振ってあって「あー、字が汚くてレがムに見えちゃったパターンか」とか先代の王のことを「先生」と書いてあって「先主と先王のどちらの字を読み違えたのかな?」など、わりと早川の仕事っぷりを疑いたくなるような誤植が散見されたりもした。でもこの時期の薫は「誤植は私も被害者なんだ」と主張していたけど、著者校ちゃんとすれば気づけますよね……そんなだから「ワープロソフトがちゃんと漢字変換してくれないのが悪い」とか云うようになるんやで……。


 そういう後の巻を知っているかゆえのツッコミどころや悲哀はあるものの、この巻自体は、やはりシンプルに面白い。辺境篇から話がぐわっと広がるし、文章は上手くて引き込まれるし、登場人物は現代とはちがう価値観を持つ場所で自分の人生を生きている感じがし、そしてナリスがカッコイイ。

 最高のエンタメの、最高の幕開けだ。

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