010 絃の聖域
80.08/講談社
82.12/講談社文庫
97.04/角川文庫
12.05/講談社文庫 新装版
【評】うなぎ
● 名探偵登場
長唄の安東流家元の邸宅内で、女弟子が何者かに殺される。安東流では旧家ならではのしがらみと憎愛がもつれあい、どんな事件が起きようとも不思議ではない状態であった。
警察もお手上げの事態の最中、家庭教師として雇われた青年、伊集院大介が、複雑に入り組んだ安東家の内実を解き明かしていく。
名探偵・伊集院大介登場。
栗本薫初の本格ミステリー長篇にして伊集院大介シリーズ第一弾。薫先生が書きたくてたまらなかった名探偵物の登場だ。
吉川英治文学新人賞受賞作品でもある。ちょっとあなた、信じられます? 吉川英治文学賞ですよ? 吉川晃司文学賞じゃないですよ? あの薫先生が吉川英治文学賞だなんて、いやあなた、昔はなにが起こっているかわかったものじゃないわねえ。壁に耳あり人に歴史あり。
ところがどうしてどうして。しっかり吉川英治文学賞にふさわしい格調高い作品なのですよ。もう一度云いますよ? 格調高いんです、この作品。あの栗本薫の作品なのに格調高いんですよ! いやあ、晩年から入った新規のファン(がいるとしたら)が聞いたら驚くだろうなあ、うふふふふ。えへへへへ、あはははは。
設定自体はオーソドックス。ある長唄家元の邸内で起こった女弟子殺人事件。状況は内部犯を指している。ところがその屋敷は夫婦親子すべてがお互いを犯人と名指しする憎愛の渦巻く家だったのだ。
という感じで、怪しげな美貌の婦人ありーのホモの美少年ありーので、いかにもなキャラ立て道具立て(というか横溝正史作品でよく見たような設定)で事件の謎が深まっていき、最後に浮かび上がってくるのは芸事の怖さであり美しさであるのだ。
ミステリーとしてみたときには、驚きという意味でのインパクトはない。しかし本作は、ラストシーンの格調高さ、美しさでは比肩するものの少ない芸道小説の傑作であるのだ。
長唄に興味もないしまともに聞いたことのないおれにさえ(あるいはだからこそか)三味線のかなでる悲しくも美しく冴え渡る凛とした音色がたしかに聞こえ、そして残響となって耳に残った。
あの音色のためだけにでも読む価値のある大作。文字だけで構成されているはずの小説の向こうから音楽が聞こえてくる瞬間というのは、たしかにあるのだ。
一作目であるため、伊集院大介シリーズとしての魅力は薄い。伊集院大介自身も、この時点では金田一耕助となにがちがうのかわからないレベルだし、助手役との軽妙なやりとりがあるわけでもない。が、逆を云えばシリーズ物のくさみがないため作品としての完成度があがったと見るべきか。
だが今作の最大の価値は、松本清張全盛時の、だれもかれもが社会派ミステリーで時刻表ミステリーでご当地旅情ミステリーで、という時勢の中で、乱歩正史の路線を継承した作品を作り、名探偵を産み出したことにある。
八十年代後半に新本格ブームが起こるまでの数年間、名探偵の系譜を守っていたのが栗本薫と伊集院大介であることを忘れてはいけないだろう。
しかしそれにしても、ラスト「クオド・エラド・デモンストランドゥム」と告げ、顔を赤らめる大介は萌えるでございますな。
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