002 ぼくらの時代

78.09/講談社

80.09/講談社文庫

05.04/新風舎文庫

07.12/講談社文庫


【評】うな∈(゚◎゚)∋


● 時代を象徴したデビュー作


 某マンモス私大に通う二十二歳の青年、栗本薫は、アルバイト先のテレビ局でアイドルのおっかけをしていた少女たちが殺されるという事件に遭遇する。

 なりゆきから、バンド仲間の信とヤスヒコとともに事件の解明に乗り出すことになった薫だったが……



 栗本薫はこの『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。ちなみに乱歩賞はベストセラー作家の輩出率が非常に高く、大衆文学の賞としてはかなり格が高い扱いになっている。だれがそう決めたのかというと栗本薫先生が何度もそう云っていたのでそうなっているのである。

 のちに栗本薫は「この作品は賞を取るために書いた」などとえらそうなことをほざいているが、なに、ちょっとした強がりとプライドが云わせた成功後のたわごと。実際はけっこうドキドキしながら「こういうの書いたら受けがいいはず! 頼むからそうであってくれ!」と祈りながら全身全霊を込めて軽めに見せかけて書いた力作だろう。どう見てもツンデレです。本当にありがとうございました。


 ともあれ『ぼくらの時代』だ。栗本薫の鮮烈デビューである。実際、これはわかりやすい「受ける」小説であった。

なにせ「(当時)歴代最年少」の「女性作家」が書いた「若者言葉」で書かれている「いまどきの若者」をテーマとした「ミステリー」であるからだ。

 生まれる前の自分が当時の文壇の様子を知るはずもないが、近年で云えば「綿矢りさ芥川賞受賞」くらいのインパクトがあったはずだ。残念ながら栗本薫は美人ではなかったが、当時としては破格に若く、性格にはコケティッシュな魅力もあり、知的でもあった。

 作品としても第一に格段に読みやすく、第二にキャラクター設定が良い意味でテレビドラマ的であり、第三にそれなりに意外なオチがついていた。これで売れないわけがない。

 実際のところ、完成度としても、こういう形のミステリーで、これほどテーマと文章が直結し、普通に面白い作品というのは滅多に見ない。七十年代であるがゆえの「ふっる~」という印象にさえ目をつぶれれば、いまでも楽しく読める秀作だといっていいと思う。

 ただ、難を云えば中盤の展開に無理と無駄があった気もするが、これは以後の栗本薫のデフォルトとなっているので、深く考える必要はない。それが栗本薫なのだ。


 総評すると「栗本薫風味がいやな人でも読める栗本薫」であり、気楽に読みたいときにはおすすめできる。それだけに、栗本薫慣れしてしまった薫ジャンキーには物足りない作品であるのも事実。やおい要素は、奇跡的なほどに少ない。

 しかし冷静に読むと「やたら読みやすい文章」「ちょっと滑ってるキャラの言動」「中盤のぐだぐだ感」「オチでむりやりいい話にする強引さ」などなど、後の栗本薫流創作メソッドのほとんどが詰まっていることにも気がつく。栗本薫はやっぱり最初から栗本薫だったのだ。


 隠れた見所として「あとがきで男であるかのようにコメントしている栗本薫」というのもある。

 作中の主人公が「栗本薫」であるというところを意識し、作者と作中人物をわざと混同させようとした小賢しくも小粋な演出である。

 ただ、薫マニアとしてうがった考え方をさせてもらえば、この時期、彼氏がいなかったんじゃないかな? そのため女である自分を、自分内で隠蔽させていた時期だったんじゃないかな? なんてことも頭をよぎる。たしか大学卒業前に最初の彼氏と別れてから、のちの旦那である今岡清と出会うまで、そういう話はなかったと思う。

 大学卒業からデビューまでのこの時期、実家の自宅警備員をしていた彼女が鬱屈していたのはまちがいのないことで、現代でもそういう鬱屈したオタク少女が気がついたらボクっ娘になっているのはよくあることで、そういう意味でも栗本先生(というか山田純代ちゃん)はオタク世代の先駆け的存在であったのはまちがいない。どちらにせよ、こんな推測は本人からしたら鬱陶しいことはまちがいないだろう。


 余談ではあるが、この年は自分が産まれた年でもある。さらに云えば今作の発刊日と自分の誕生日は二週間と離れていない。

 野田秀樹はよく冗談で「坂口安吾が死んだ年に生まれたからおれは安吾の生まれ変わり」と云ったりするが、それと同じような感じで、自分が生まれた年に栗本薫がデビューしていたことに対して「おれは栗本薫の後を継ぐために生まれてきたのだ」と思っていた時期が、おれにもありました。ちなみに自分はもっとも尊敬する作家である筒井康隆や、好きな少女漫画家である山岸涼子とおなじ九月二十四日生まれである。これはもうなにか運命を感じずにはいられない。そう思わないか? あんたも!

 最初の感想から栗本薫となんの関係もない著者の自分語りがはじまってうんざりさせている向きもあるかもしれないが、この本は全体に「感想文という名の自分語り」になっているので、クレバーな評論が読みたかったという方々は、一切の望みをここで捨てよ。


 この『ぼくらの時代』、講談社のハードカバーで出て、その後に講談社文庫になり、ここまではいいとして二〇〇五年になって新風舎で再文庫化され、さらにのちに二○○七年に講談社から新装丁版が出されている。

 そう、あの自費出版詐欺で悪名高い、いまは亡き新風舎である。晩年の栗本薫は、個人的に開いていたワークショップの関係で、新風舎とも昵懇にしており、その関係で新風舎で再文庫化されているのだ。

 不本意ではあったろうがデビュー作であり、自身最大級のヒット作でもある本作を汚すようなことまでしてしまう、それが晩年の栗本薫失落ぶりなのだ。

 作品外でも栗本薫にまつわる様々なことを感じさせてくれる、まさにデビュー作らしい、ある意味「作家のすべてがつまった本」になってしまっているのが本作なのだ。合掌。

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