魔物と破拳の魔装具

 パチパチと音を鳴らして灰を弾けさせる焚き火。降り止まぬ雪のせいか、完全に冷え切った空気が一騎の頬を張り詰めさせる。肩に掛けるだけだった翡翠色の羽織を着込んでも、この寒さは全く誤魔化せなかった。轟々と燃え盛る炎に雪が溶け込み、音を鳴らす。


「あぁああぁあぁ……全く寒いねぇ……僕は寒いのが苦手なんだよ」

「ウル姉さん、身体小さいもんなぁ。言うて、うちも得意って訳やないけど。亜人な分、みんなよりかはマシやろ」

「俺っちは炎魔力に干渉しやすいッスから、全然平気ッスね」

「こういう時だけ、炎魔術に適正がある奴が羨ましいねぇ……」


 全く訳が分からない魔術師談義を始める三人を他所に、一騎は空を見上げた。

 深々と降り続ける雪。元々、東京住まいだった自分にしてみれば雪は全く馴染みない天候だ。そんな自分でも周りに積もる雪を見ていれば、想像を越えた厄介な天候だと分かる。後数時間でもたてば、辺り一面は雪景色に変わるだろう。


「しかし、本当に本名なのか?」

「うっせぇなッ!! 俺が立浪一騎でそんなに悪いですかねぇッ!! あぁ!?」


 体力の回復と服を乾かすために急ごしらえで用意した焚き火。

 落ち着いてきたところで四人が最初に行ったのは互いの自己紹介だった。


 小柄で誰の目から見ても美少女やら美女やらと絶賛されるほどの端正な顔立ちとスタイル。だが致命的なまでにナルシストな自意識過剰の氷魔術使い。ウルティア・シルヒリット・ヒースクロフト。


 百九十近い高身長であり、これまた美女という言葉が完璧に当てはまり、独特の方言訛りが特徴的。年齢が同じウルティアを姉さんと呼んだりと、何か己の価値観を拘る、風魔術の使い手。ツバキ・ナミヤミ。


 金髪で平均的な顔。何処かチャラそうな雰囲気があるものの中身は至って普通の好青年。少々、自信なさ気で頼りなさそうな炎魔術の使い手。サリバン・レオルフード。


 そして。


「やっぱイッ君の名前が変やと思うのうちだけやなかったんやなぁ」

「変って話かな……正直言って魔物でも、もう少しちゃんとした名前だぞ」

「俺っち、イッキさんのこと兄貴って呼ぶようにするッス」

「しまいには泣くぞッ!? そんっっなに変かッ!?」


 百九十超えの大男。体重の殆どが筋肉のせいともあり、誰が見ても偉丈夫と例えるであろう。礼儀知らずで口も悪く、顔に至っては額から頬に掛けて走る深い傷跡のせいで強面。神童といわれたボクサー時代に顔を殴られ続け、すっかりと強張った顔立ちである、立浪一騎。


 この名前、地球では兎も角、異世界では誰もが三度聞き返すほどに変な名前らしく。ツバキを除く二人は真っ先に偽名を疑ってきた。


「まぁ、一度聞いたら絶対に忘れられない名前だしねぇ。ある意味、愛嬌でもあるんじゃないかな」

「そのフォロー、ツバキに一回言われてるからな……」


 もう何日も過ごしている気分だが、実際のところ自分達は数時間前に会ったばかりなのだ。どうやら自己紹介したところ、一騎を除いた三人の歳は十七歳。つまり自分の一つ下だ。敬語やらに拘らない一騎もあってか、打ち解けるのが速かったのもこれが要因の一つだろう。


「あぁああぁっ。しっかし寒いわぁっ! ウル姉さん、いい加減どっか移動せぇへんと、夜になったら凍え死ぬでっ!」

「そうだねぇ……サリバン、君はダスクリア生まれなんだよね?」

「ウッス。ダスクリア生まれのダスクリア育ちッス」

「僕はダスクリアに着てから短いから分からないんだが、ダスクリアの大寒波はどれだけ気温が下がるんだい?」

「あぁ、そうッスね……今年は気温が不安定で予測できないだなんだってテレビでやってたッスけど……季節始まりならマイナス七度ってところじゃないッスかね」

「マジか……夜で野宿にでもなったら余裕で凍死コースじゃねぇか……」


 まるで北海道のような気温の変わり目だ。確かに肌寒さが続く毎日だったが、流石にマイナスまで落ち込む気温ではなかった。それが、僅か数時間で様変わりだ。これも異世界特有の天候変化なのだろうか。


「でも、ツバキ姐さんの言うとおりッスよ。ダスクリアの大寒波は気温が急激に変わるんッス。結構前の話ッスけど、五分くらいで十度の気温がマイナス十二度まで下がったこともあるくらいッスから」

「ふむ。となると、目下の予定は即時の移動になるんだけどね。ちょっとこっちに集まってくれ」


 そう言って、ウルティアはローブの下の腰に括り付けていた皮袋から綺麗に折り畳まれた厚紙を取り出すと、三人に向けて手招きをする。一騎は湿った岩から腰を上げ、透かさずに駆け寄ったツバキの後ろからウルティアが広げた厚紙を見下ろす。


「地図か」


 厚紙の招待は地図。少し塗れて見えない箇所もあるが、皮袋にいれていたお陰か地図としての役目を果たせるくらいには破けていなかった。


「ダスクリア周辺の地図だよ」

「魔術投影端末やないんや」

「携帯端末も何かと便利だけど、僕としては古典的な物が好きでね。何かに役立つかと買っておいて正解だったよ」


 余談であるがツバキの言う魔術投影端末は、所謂、スマートフォンのような機械だ。

 ユキヒメやアイシスが使っている場面をなんどか見たが、一騎から見ればそれは電力ではなく魔力で動く携帯。もちろん形は異なるが用途は大体が一緒だった。


「で、俺らの現在地は何処だ?」

「"水人龍の水地アメメナーム" がダスクリア王国から……此処だ。川に流された距離を考えると……多分、僕達の現在位置はこの辺だね」

「これまた、随分とうちらは走ったんやねぇ……」


 ツバキの言葉に心で同意した。ウルティアが細く綺麗な指で指を指した場所はダスクリア王国からかなり離れた位置だ。滝に飛び降りたり川に流されたりとダスクリアから離れることになった原因はあるものの、随分とダスクリアから移動したものだ。


「自分らはダスクリアに戻るッスか?」

「それもアリではあるんだけど……」

「あの滝を登んのか? 六十メートルくらいあんだろ。迂回しても結構かかんじゃねぇの?」

「あ、そうッスね。でも、そしてら……」


 ダスクリアに戻るのが一番安全なのは間違いないが、戻ろうとすれば自分達が命辛々に飛び込むことになった大滝を登る必要がある。絶壁が囲む大滝の周りではすんなりと登れしない。上に戻ろうとすれば迂回が必須だ。


「ヤクザ君あらため、イッキの言うとおりだよ。迂回するのにも安全にとは行かないだろう。この辺りまで来ると魔物の縄張りだ。移動するにも警戒は必須だし、それに…」

「滝の上には雷鳳・・・・がおるしなぁ」


 ツバキの言葉に全員が顔を顰めた。

 あの化け物はまだ自分達を諦めていない。恐らく、こうしてゆっくりしている今でも雷鳳は己の鋭い嗅覚を元に迫ってきている筈だ。ここでダスクリア王国へ戻るとなれば、雷鳳と鉢合わせることも考えられる。


「んなら、どうすんだ?」

「……此処から南に七十キロ地点、此処だ」


 ウルティアは少しの思考の後、地図で自分達のいる場所から指を大きく滑らせて、とある地点を指し示した。


「あぁっ!! アルマイア街ッスねっ!」


 そこはダスクリア王国よりも遥かに小さな街が書かれていた。サリバンだけが納得したように声を上げて大きく頷くが、一騎とツバキが目を見合わせて疑問の表情を浮かべた。そんな二人に答えるようにウルティアはまた演技染みた笑みをこぼしながら口を開く。


「ダスクリア王国は主に北方面に街が多い国だが、南に街がない訳じゃない。かなり田舎で魔道車もろくに走っていない場所らしいが、"狩り人”も在沖している街がアルマイア街だよ。この街は都市部のダスクリア城下町まで定期空便もある。事情を"狩り人"に話せば保護してくれるだろう」

「……なるほど、安全な場所に行ってから安全な方法でダスクリアに戻ろうって話か」

「その通り。愚直にダスクリアに戻って雷鳳にこっちから近付くよりか、アルマイア街に向かうのが一番安全だろう……勿論、魔物もいるだろうが、この辺りにいるのは精々、小型級ポルポだけ。僕達で十分に対応出来る」


 魔物の危険度ランクを表す小型級ポルポという言葉。正直、雷鳳しか見たことがない自分からすれば小型級ポルポとやらがどんな魔物なのか分からないが、魔術師であるウルティアが対応出来るというならばその通りなのだろう。


「良いぜ、俺はその案に乗った」

「俺っちも賛成ッス」

「うちも問題なしや」

「決まりだね、皆は準備を始めてくれ。終わったら移動を始めよう。素早く動いても二日はかかる距離だ」


 ウルティアの不敵な笑みに合わせて面々が立ち上がり、地面に投げ捨てていた荷物や魔装具を手にとって準備を始める。唯一なにもしていないのは自分だけだ。何もしていないというより、何もすることがないというのが正しいのだが。


 皆を横目に、ふと自分の拳を見つめた。

 雷鳳を殴り飛ばした時は無我夢中だったが、冷静に考えてみると自分の身体能力は謎だらけ。ハッキリ言って異常と捕らえる域だ。


「(……結局、なんで俺の身体能力はあんな化け物じみたモンになってんだ? 異世界に来たからなんて単純な話じゃねぇだろうし……って考えたところで分かる訳ねぇんだけどな……無事に戻れたらアイシスさんに相談してみるか)」


 なぜという疑問は残るものの、今はこの身体能力が上がっている現状はありがたい。この力であれば、ツバキやサリバンの魔術師達にも引けをとることはない。ボクサー経験がこんなことに役立つとは思いもしなかったが。


「(人生ってのは無駄になんねぇ経験だな)」


 一人で苦笑した頃合で、面々の準備が終わったのか全員が立ち上がる。


「さて、出る前に軽く聞いておこう。みんな、魔装具の残弾は?」


 するとウルティアが徐に言い放ち、自身の魔装具である杖から、小型のマガジンを取り出した。

 この異世界の魔術は機械である魔装具という武器を使って、魔弾という魔力が込められた弾丸を破裂させて扱う。ツバキが教えてくれたように、魔術師である彼らは魔弾と魔装具の二つがなければ魔術を扱えない。つまり、どちらかが欠けてしまえば、そこで彼らは魔術師からただの人へと成り下がってしまう。


「そうか。魔弾って消費するモンだったな」

「せやで。魔弾を使い切るのは魔術師にとって一番気を付けることなんや」


 ツバキ自身も大盾の魔装具から小型のマガジンを手馴れた手付きで取り出しながら一騎の呟きに答えてくれる。今のところ、自分が魔術に関しての知識がからっきしなのを知る唯一の人物だ。気を使ってくれたのだろう。


「俺っちは残弾二十ってところッス。そんな派手な魔術扱えないッスから、余裕ッスね」

「うちは残弾三十三。元々、拡張マガジン使っとるから、うちも余裕じゃけ」

「僕の残弾は十七。とりあえず、十数回の戦闘には余裕で耐えられそうなくらいには持っているね。後は……」


 言葉を途切り、ウルティアの視線は一騎へと向く。


「あ?」

「確認だが、君は人間なんだよね?」

「いや、人間以外に見えるか? ……あぁ、亜人かって意味か? それなら人間だって答えるしかねぇが」

「……確認だが」

「別に一々前置きしなくても良いだろ。んだよ?」

「君は本当に人間なんだね?・・・・・・・・・・・・・

 

 同じ質問を二回。ウルティアの性格上、決して無駄な意味での問い掛けではないのだろう。

 聞いている意味は分かる。

 六十メートルの大滝から飛び降り、雷鳳を魔術無しで殴り飛ばすことが出来る普通の人間なのか・・・・・・・・・・・・と聞いているのだろう。

 分かっている。

 そんな普通の人間―――居る訳がない。


「う、ウル姐さんっ!! ほら、イッ君にも色々あるやる!? せやから、その、聞かない方が世の中人付き合いでええこともあるし……だから……く、くひひ……」


 気まずさを感じたツバキが場を誤魔化すように道化を演じてワタワタと二人の間に入るが、全く誤魔化せない雰囲気に言葉が萎む。

 一騎は頭をかいて、困惑顔を浮かべた。

 正直に言えればどんなに楽か。「自分は異世界から来て、この世界に来たら何故か身体能力が上がってました」と言われて誰が信じる。誰も信じられないことがおきてしまったが余計に厄介だ。

 真っ直ぐとウルティアを見つめ返し、一騎は何処か後ろめたさを感じさせる表情で口を開く。


「……誤魔化すつもりは一切ねぇ。俺は自分のことを普通の人間だと思ってる」

「……分かったよ、そう思っておくことにするさ」


 納得はしていないのだろう。それでもウルティアは苦笑を浮かべて言葉を続ける。


「勘違いしないでくれ。別に困らせたい訳じゃないし、信じてない訳じゃないんだ。君は自分の命をかけて僕を助けてくれた恩人でもある……それに短い付き合いでも君が底抜けなお人よしだって分かる」

「俺が?」

「雷鳳に追われた時、滝から落ちた時、短い時間で何度もあった……君が助けくれなければ僕は死んでいたよ。さて、僕から切り出した話だけど、この件はもう蒸し返すのを辞めよう」


 疑ってはいるのだろうが、それは決して否定的な思惑ではない。

 そもそも、此処まで自分は嘘をついてますと丸分かりなほど嘘が下手糞な男に思うところはない。ウルティアの中で一騎は嫌悪ではなく好意の対象だ。だからこそ、話を打ち切った。


「じゃあ次だ。此処から移動する際、一人だけ魔術が使えないとなると色々不都合なところがある」

「あ? そうなのか?」

「連携に穴が出来ると言った方が良いかな。そこで……」


 ウルティアは腰に括り付けていた杖以外の魔装具引き抜き、


「―――君の魔装具を僕が作るから、使ってくれ」


 衝撃の言葉を言い放った。



◆ ◆ ◆


 クシャリと雪を踏みしめる音が樹海に響き渡る。

 肩に降り積もった雪を手で払い、降り注ぐ雪に当たらないよう、木の下を優先的に歩いた。


 四人は予定通りにアルマイア街を目指して歩みを進めていた。

 もう歩いて二時間ほどだろうか。リスのような小型の獣は何回か見掛けたが、魔物と呼ばれる存在には一度も出会っていない。そもそも、ダスクリア王国周辺は"狩り人”と呼ばれる魔術師で形成された軍隊が日頃から魔物を討伐しているため、この辺りには魔物が殆どいないとツバキが言っていた。

 それでも、生息していない訳ではない。

 注意はしてしかるべきであり、一騎は周辺に目を巡らせながら歩いていた。

 陣形はウルティアを囲むように三角形。戦闘は地図を持った一騎が草木を掻き分けて歩き、ウルティアの両隣にツバキとサリバン。勿論、この陣形で進むにも理由がある。というのも。


「ふんッッ……か、硬ぁっ……よし、よし、入った……」


 ウルティアの意識は完全に彼女の手元に集中している。

 

「しっかし。ウル姐さん、よう、歩きながら魔装具作れるなぁ」

「器用っていうレベルを超えてるッスね」


 そう、魔装具を作っているのだ。

 しかも、自分が使うのではなく、一騎に使わせるために。


「ふん、僕は美しき美女であるながら天才だ。取得率七パーセントと言われる魔装具製作許可持ちなのさ……ツバキ、ちょっと此処を抑えててくれ」

「この辺?」

「そうそう……」


 バラバラにした部品を見事に組み合わせ、元々、杖の形をしていた魔装具を全く別物へと変えていく様はまるで魔法を見ているかのようだ。今から自分が魔装具を扱う、もとい魔術を扱うという現実感のなさに何処か他人事のようにそれを横目で眺めていた。


「あ? つうか、魔力って適正がねぇと使えねぇモンなんだろう?」

「あぁ、そうだよ」

「……俺に適正あんのか? 調べたことなんざねぇぞ?」


 確かツバキは魔力を扱う才能がなければ魔装具を扱えないと言っていた。わざわざ自分のために魔装具を作ってもらっても扱えないとなれば本末転倒だ。しかも、自分は異世界の人間だ。こちらの人間が扱えるとなっていても、それが異世界の人間に当てはまるのかどうかも怪しい。


「適正はあるよ」

「え? あんの?」


 しかし、予想とは裏腹にウルティアはあっさりと答えた。


「雷鳳に追われた時、君の肩に背負われながら僕が魔術を使っただろう?」

「あぁ、使ったな」

「あの時、僕が取り込んだ魔力が君にも流れたんだ」

「……マジで?」

「だから何語だい、ソレ」


 雷鳳が放った雷の砲弾を防ぐため、ウルティアが氷の壁を作り出した時だ。


「魔力適正の調べ方で一番楽なのは、魔力を取り込める人と手を繋いで拒絶反応がでないかを確かめるやり方なんや」

「拒絶反応?」

「魔力が使えない人が魔力を触ると、こう、バチバチってするんッスよ。静電気みたいな?」


 一騎の疑問に二人が答える。確かに、ウルティアが魔術を使ったとき静電気も何も、違和感すら無かったが。まさかそんな簡単な方法とは思いもしなかった。自分が魔術を扱えることも合さり、目を見開いて驚く一騎を尻目に、ウルティアは着々と魔装具を完成へと近付けている。


「予備の魔装具をバラしても部品に限界があるからっ、完成とは言い難いけどっ、ふんっ!」


 ドライバーのような工具で部品と部品を組み合わせながらいう。


「……そういや、イッ君。どうやって魔装具で魔術使うか知らんやろ?」

「知らん」

「潔いッスね……確かに、魔装具使ったこと知らない人からすると分からないッスよね、普通」

「せなら、ツバキお姉ちゃんの出番やなっ!!」


 すかさずに現れるツバキお姉ちゃん。面倒見というか、教えたがりというか。彼女は何処か変に母性が高い。アイシスもそうだが、この異世界の女性はこういった母性を発揮する女性が多いのだろうか。


「難しく言われても分からねぇぞ?」

「別に複雑じゃないッスよ。複雑な魔術以外は全部、魔装具が自動で行ってくれるッスから」

「つうと?」

「せやねぇ。魔装具で魔弾を破裂させて、身体に魔力を取り込む。此処まではイッ君も分かるやろ?」


 仕組みは兎も角、やっていることは複雑ではない。すんなりと頷く一気に、ツバキは言葉を続ける。


「身体に取り込んだ魔力をどうするかは、正直、本人次第なんや。例えば、うちみたいに頭で術式を組み上げて独自の魔術を扱うのも一つの方法や。風印術ふういんじゅつっちゅうんやけどな。これは難しいから、今回の説明では省く」

「簡単な方法があるみてぃな言い方だな」

「めちゃ簡単な方法があるで。魔装具に魔術を登録するんや」

「は?」


 先決過ぎて良く分からない。疑問をそのままに表す一騎にツバキは笑いながら、自身の魔装具である大盾を取り出す。


「魔装具は基本、音声認識が動作の基本や。例えば、うちが風魔装填・・・・・・・っていうと…」


 瞬間、大盾から銃撃音が響き、ツバキの右腕に風が渦巻く。それを見せるように一騎へ腕を出した。


「魔装具が装着者の音声を認識して魔弾を破裂させるんや」


 なるほどと理解しながら、この技術力の高さに息を飲み込んだ。

 これは地球にもあったAIを利用した音声認識の一種だ。こんな簡単なことで、人知を超える力を扱う準備が終わる。やはり、この異世界は地球よりも数段進んだ技術力があると考えて間違いじゃない。


「……それで、簡単に魔術を使う方法ってのは?」

「魔術っていうのは簡単に言えば詠唱っちゅう魔言語で魔力を変換させて起こす現象のこと。例えば、”風よ、吹け”とか…」


 ツバキの言葉に合わせ、そよ風が一騎の頬を撫でる。


「そんな簡単な言葉で魔術扱いなのか?」

「せやで。まぁ、うちが前に使った風の障壁とかを詠唱だけで作り出そうとすると、五分くらい詠唱しなきゃ出来へんのやけど」

「五分も?」


 ツバキが前に使った風の障壁というのは雷鳳の雷の砲弾を見事に防いだ障壁のことだろう。


「せやで。喉がカラカラになって噛みそうな文を長々と喋らんと、あの障壁は詠唱による魔術で生み出せんのや。此処で、気付かへん?」

「……あの時、五分も詠唱してなかったよな。つうか、魔術の名前だけ言ってなかったか?」

「せいかーいっ! これが魔装具の凄いところや!」


 大盾を背中に括り付け、ツバキは言葉を続ける。


「魔装具は魔術を登録出来るんや」

「……そういうことか」


 複雑な魔術を扱おうとすればソレ相応の知識と時間が必要になる。しかも長々とした詠唱も覚えなければならない上に、使うために五分以上の集中が必要。この条件で、人の視界に捕らえられない速度で動く雷鳳のような魔物を前にして魔術を扱うのは難しいなんて話ではない。

 ではどうするのかという疑問はツバキが言ったとおり。


 魔装具に五分の詠唱と魔力操作を登録しておくのだ。


 まるでパソコンで扱うスクリプトやジョブのように。バッチを実行すれば求めていた処理を行ってくれるように、魔装具が音声認識という切っ掛けを元に、人が行うには複雑で時間のかかる作業を一瞬で行ってくれる。

 その結果、魔装具で扱う魔術は人の手で一から行うより凄まじく簡単で早くに扱えるようになる。


「ハッ……知れば知るほどスゲェ道具だな。持ち歩けて武器にもなるパソコンかよ」


 この道具を一から知りたいとなればかなりの時間を有するほど莫大な叡智の塊だ。

 この魔装具はまさにパソコンだ。全てを知らない者でもある程度扱え、知識が深まれば深まるほど多様性に満ち溢れる。とんでもない機械だ。


「大体、分かったみたいやね。魔装具が開発されて、魔物の脅威が恐ろしく減ったのも分かる話やろ。確かに高難易度の大規模魔術に関しては実行者の技量に委ねられる部分もあるんやけど、簡単な初級に該当する魔術なら素人でも簡単に使えるんやで」

「つうことは、俺でも魔装具がありゃ簡単な魔術ならすぐに使えるってことか」

「そうッスよ、俺っちなんか魔術師三日しかやってなくてもなんとかなってるッスから」


  それならば、魔装具が宝の持ち腐れとなる心配はない。


「本来なら魔装具は所持許可試験に合格した人だけがもてるんやけど、緊急事態に限っては許可持ちの人間がそばにいる条件化で一般人に所持が許される。危ない武器には変わりないから取り扱いには注意してな?」

「銃みてぇなモンだろ。軽く扱えるモンじゃねぇってのは嫌でも分かってるっての」

「くひひっ。その辺、うちはイッ君なら安心して任せられるんやけどな」


 氷を生み出したり、風で竜巻じみた現象を起こしたりと、一歩でも扱いを間違えれば人の命を簡単に奪う兵器だ。軽い気持ちで使うつもりは一切無い。

 そうだ。力の怖さは誰よりも知っている


 ―――自分は罪人だ。


 異世界でも地球でも。立浪一騎は人の命を知っている。

 なまじ神童などと呼ばれていたから。

 自分は、あの試合で相手を全力で殴った。懇親の右ストレートが相手の米神を打ち抜いた感触は今も手に残っている。


 あの時。

 あの試合で、俺は――


「はい。出来たぁッ!!」


 突然に響き渡ったウルティアの叫びに、意識が戻る。ハッと気付いた時には、


「……イッ君?」


 此方を戸惑う瞳で伺うツバキの顔が目の前にあった。しまったと思っても既に遅い。きっと酷い顔をしていたのだろうが、ソレを誤魔化すように首を振り、無理矢理な苦笑を浮かべた。


「なんでもねぇよ」

「……い、いやでも」

「おい、イチャイチャしてないでこっちに来いっ!! 君の魔装具だぞっ!! しかも美少女特性だっ!!」

「手料理か…ちょっと待ってろっ!!」


 ツバキの視線から逃れるように背を向け、手招きするウルティアへと近付く。背にヒシヒシと当たる視線に気付かない振りをして。


 ウルティアの傍まで近付くと彼女の手に握られていたのは不恰好な機械仕掛けの篭手だった。まるでありあわせの部品で作りましたと、実際はその通りなのだが、ところどころ無理矢理に曲げられた箇所が見て分かる。元は杖は、ツバキが予備として持っていた短剣などの魔装具なのだ。むしろここまでの形に出来たウルティアの技術が凄いのだろう。


「全員、進むのを辞めてくれっ! イッキの手に合わせるために調整する! サリバンとツバキは周りを警戒!」

「了解ッス!!」

「……うちも、了解!!」


 ウルティアの指示に素直に従うサリバンと、一騎に後ろ髪を引かれながら頷くツバキ。

 申し訳ないと思いながらもソレを気にしないようにしながら、口を開く。


「で、俺はどうすりゃ良いんだ?」

「利き腕はどっちだい?」

「どっちも」

「……両方なのかい? それはまた、珍しいね?」

「スイッチボクサーってのも注目集める原因だったしな」

「すいっちぼくさー?」

「なんでもねぇよ。そうだな、どっちかってぇと右手が使いやすい」

「君は時々、意味分からない言葉を使うねぇ……まぁ、良いや。じゃあ、右腕を前に」


 言われるがまま右手をウルティアへ差し出すと彼女はその両手に抱える篭手を一騎の右腕の側面に当てる。大きさにして手の甲から肘までの長さだ。


「冷てぇ」

「保護カバーなんて無い鉄が剥き出しだからね、この辺りは我慢してくれ。耐寒用の鉄だから、肌に張り付いて皮膚ごと剥がれるなんてことにはならないよ」

「怖ぇこと言うなよ……スゲェ付けたくなくなったぞ……」

「だから心配ないさ。指を真っ直ぐに伸ばしてくれ」


 再び言われたとおり指を伸ばすと、ウルティアの柔らかい手が一騎の指を撫でるように触れる。女性になれていない一騎は素直に顔を赤らめるが、ウルティアはそれに気付かないほど集中していた。


「そんなに入念に確認すんのか」


 顔が赤いのを誤魔化すように言い放った言葉に、ウルティアは指から手を離すと今度は魔装具を弄り出す。


「当たり前だろう。装着型の魔装具は一歩調整を間違えたら腕や指の骨を軽々と折るんだ」

「さっきから付けたくなくなる要素ばっかりだな、オイッ!!」

「兵器なんだから危険があって当たり前だ。剣だって刃に触れれば手を斬るだろう、それと同じさ……しかし、君はデカイねぇ。少し大きく作ったつもりだが、ピッタリだとは……それに、この筋肉……」


 盛り上がった腕の筋肉を目にし、興味深々と言わんばかりにウルティアは恐る恐ると指で触れる。人から丸太といわれたことがある腕は誰もが触りたがってくるモノだが。


「擽ってぇんだけど」

「聞いてくれ。今、分かったんだが僕は筋肉フェチのようだ。ちょっと興奮してる」

「知るかよッ!? つうか触ってる場合かッ!?」


 顔を少し赤らめて鼻息を荒くしている女性は初めてだ。思わず、手を引っ込めてウルティアから逃れる。


「それもそうだ。調整は終わったよ、待機状態で装着してて違和感は?」

「違和感? あぁ……と」


 何時の間にか金具で固定されていた右腕の篭手。拳を握ったり、腕を軽く振ったりしても揺れることはなく、重さも全くない。まるで付けていないと感じるほど違和感は無かった。


「無いようだね。一応、魔装具は装着車の音声にしか反応しないモノだが、それは自作の急ごしらえな魔装具だ。念のため、動作確認しよう」

「どうすりゃ?」

「まず、魔装具を展開させる。拳を握ったまま腕を真横に振ってみてくれ」


 軽く頷き言われるがまま拳を握り締め、腕を軽く真横へ振る。


 それが切っ掛けだった。


「うおおおおぉおッ!?」


 甲高い機械音を響かせ、篭手である魔装具は展開を始める。

 肘の先までだった篭手は一瞬で右肩まで伸び、右腕全体をすっぽりと覆う。各個のパーツはそれぞれ形を変えていき、まるで重装鎧の右腕部分だけを切り取ったかのような重々しい篭手へと姿を変えた。指の先までを完全に覆うソレは、武器でありながら防具。


「ふむ、我ながら急ごしらえでも良い出来だ。魔装具を四つも組み合わせた甲斐があるね」

「……鉄男みてぇな腕になったぞ」

「うん?」

「い、いや、なんでもねぇ……スゲェな、マジで」

「いや、だからソレ何語だ……本当とか信じられないとかの意味かい?」


 これが魔装具。

 実際に見るのと装着するのでは話が違う存在感だ。身体能力が上がっている自分だけなのかは分からないが、恐ろしく軽い。軽いからと言って、それが軽装には繋がらない。見た目は重鎧と比べても遜色ない。


「スゲェな……」


 我ながら語学力がないと思うが、他に例える言葉が全く思い付かない。

 腕に取り付けた魔装具を感服と言った様子で見続ける自分をおかしく思ったのか、ウルティアは小さな苦笑と共に口を開く。


「魔装具の中でも珍しい魔装拳さ。取り扱いし易いし、使い勝手もいいんだが人を選ぶ。遠距離の魔術も全く使えないタイプだしね」

「遠距離が使えない?」

「魔装具にだって種類があるのさ。僕が使う魔装杖は遠距離魔術特化。ツバキが持ってる魔装盾は防御魔術特化、サリバンは魔装脚だから撹乱特化だね」

「つうことは俺のは近距離特化ってことか」

「その通り。さて、ソイツの使い方だけど……」


 自分が取り付けた魔装具改め、魔装拳を指差し口を開こうとした時。

 

 微かに草木を揺らす音が耳に届く。


 風ではない。木々に降り積もった雪が地面に落ちる音でもない。それはまるで、倉庫で鼠が動き回るかのような確かな存在感が感じられる音。

 呆けていた顔から一転。一騎の目に険しさが帯びる。目線は魔装拳から周りの景色と移り、雰囲気を張り詰めさせる。

 その変わり様に、苦笑交じりで喋っていたウルティアも顔に真剣を表した。


「……何か聞こえたぞ」


 二人の動作から一拍遅れ、談笑していたツバキとサリバンが腰を落として警戒を強めた。

 この何かが動く音は一騎以外には聞こえていないようだ。それが警戒を更に一層強める判断基準となった。

 自分達のいる場所は雪が降り続ける樹海だが、少し開けた場所であるが故、動き回るには問題ない。視界も空間もある程度だが確保出来ている。


 音は右から。

 腰を落とし、腕を何時でも動けるように振り、まるでリングに上がる瞬間のように頭を戦闘へと切り替えた。


「ツバキ、君は聞こえてるかいッ!?」


 一騎の反応に素早く反応し、ウルティアは右方向を睨みながらツバキへと声を掛けた。人間である自分やサリバンよりも亜人であるツバキの方が基礎となる身体能力が高いからの問いだ。


「うちも聞こえたッ!! 右から三匹のなんかがおるッ!!」

「イッキ、君はッ!!」

「三匹くらいだッ!! 動物じゃねぇぞ、コイツはッ!!」


 カサカサと動く音は複数、三匹くらいの何かだ。ツバキと意見が一致してるところを見るに数は間違いないだろう。ソレは確実にこちらに向かってきている。

 猶予は一分も無かった。

 戦いにおいて選択の速さは勝利と敗北を握る。ゲームに出てくる魔物と違い、こっちの魔物は戦う準備を待ってくれる相手ではない。


「ウルティッ!! 俺が前でテメェが後ろだッ!!」

「っ……」


 咄嗟の判断力は知識深いウルティアより自分が上回っていた。

 一騎の叫びにウルティアは僅かに目を見開いて動揺するが、すぐに顔を引き締めて腰から魔装杖を引き抜く。


「了解だッ!!」

「ツバキとサリバンは其処で待機しろッ!!」

「お、俺っちもッスか!?」

「魔弾だって無限にある訳じゃねぇだろッ!! ちった節約しとけッ!!」


 魔力がなくともまともに動けるのは自分だけ。サリバン達は魔弾がなければ魔術が扱えず、身体能力も一般人とは言わないが高が知れている。ならば、ここで優先的に動くのは立浪一騎という自分だ。


「来るでッ!! この鳴き声は―――”ガブリア”やッ!!」


 一騎の支持に従い、素直に距離をとるツバキが叫ぶ。



 『ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ』



 瞬間、耳裏を撫でる不快な声が響く。

 現れた化け物を例えるならば、黒く濁った体毛で覆われた大猿。

 太く不気味なほどに長い手足。歪な黒毛。口は三日月のように割れ、まるでピエロのよう。膨張した身体は血管が浮き出ており、筋肉の塊であった。

 次々と姿を現し、その数はツバキが見極めたとおりの三匹。


『ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ』


 まるで嘲笑っているような顔だ。不快感がこみ上げ、背筋をぞわりと撫でる様な気持ち悪さを感じる。


「なんだこの気持ち悪いサルッ!?」


 思ったままを叫ぶと、ウルティアがすぐに口を開く。


「“ガブリア・スコッティ”だよッ!! 小型級ポルポの別名・動く猿型ゴキブリッ!! ああぁあぁあ気持ち悪いッ!?」

「強ぇのかッ!?」

「クソザコ筆頭の魔物だッ!! 精々、大人二三人を嬲り殺せるくらいの強さだよ!!」

「いや、十分強ぇだろ、ソレッ!?」

「魔術を扱えるなら大した事無い!! こいつ等は自意識過剰の塊で常に油断しまくっているし、獲物をわざと殺さずに泣き喚く姿をみて喜び変態さッ!! 打ち殺してもなんら問題ないッ!!」


 随分と醜悪な生態の魔物のようだ。ウルティアに至っては”ガブリア”の事を汚物をみるかのような目で睨み、顔を顰めている。


『ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ』


 うろたえるウルティアを”ガブリア”は人を馬鹿にしたような顔で見つめている。ニタニタと笑っているかのようだ。


「魔物ってのはこんなんのしかいねぇのか……」


 どんな魔物でも人の天敵であるのだろう。思わず悪態を吐き捨て、魔装拳を真正面に突き出した。ふざけた面にストレートを叩き込んでやろうとした時、


「イッキッ!!  君の魔装具に装填した魔弾の属性は無属性だッ!!」


 ウルティアの叫びが足を止めさせた。

 何をと言い掛けた瞬間、


「魔術を使えッ!!」


 目線は自分の右腕に装着された魔装拳に向いた。


 ―――人は何時だって道具を使う


 脳裏に思い出したツバキの言葉が囁く。


 人の叡智が生み出した天敵を殺しえる最強の兵器。


 魔の力を取り込み、人外の力を操る。



「叫べ、”魔力装填”とッ!! それは君の力に変わる言葉だッ!!」



 ウルティアの熱い叫び。ガブリアの不快な鳴き声。


「っ……」


 息を呑んだのはイッキではなくツバキだった。

 

 立浪一騎が普通の人間でないことに逸早く気付いたのは他ならぬ彼女。

 物心が付く前の子供ですら知っている常識を知らず、天使の翼エンドゥルという生まれた時から全ての国家に存在しているバリアを見た事が無い青年。身体能力は亜人である自分の数倍は高く、あの雷鳳ですら魔力無しで殴り飛ばせる。


 異質だった。


 そんな人間がいる筈無い。

 音に聞く夢物語だってもっとマシな人間を詠う。


 その青年が。



「ハッ……魔術って奴か……」



 その立浪一騎が人を魔術師という人外へ変える魔力を取り込んだ時、



「叫べや、良いんだろうッ!! 簡単なモンじゃねぇかァッ!!」



 其処に立っているのが、もし、魔物ではなく、一人の男ならば。それは―――




「”魔力―――」




 ―――それは。




「―――装填”だぁアアアアアアァアァアアァアアアアッ!!」





 轟いたのは雷鳴にも似た爆音だった。

 次の瞬間、頭の中で次々と不可解な文字が飛び回り始める。文字と文字がぶつかり合い、そして稲妻のように光りは溢れた。鈍痛のようにズキズキと身体が痛み、捻じ曲げられていくような感覚が渦巻く。例えるならソレは身体を作り変えられているかのようで。止めたくとも、もうどうすることも出来ない。

 だが、不思議と抵抗する気が起きなかった。

 まるでソレが当たり前のようで。待ち望んでいた物がピタリと手に入ったかのような。右腕の魔装拳から流れ込んでくる魔力は、自分の欠けていた何かのようで。


「……あ?」


 途端に顔の右半分に火照るような熱い感覚が広がる。

 焼けるほどではないが、火照るというには生温い。まるで頬に燃え盛る火を近づけられているかのようだ。ふと、魔装拳に目を向けると翡翠色の靄が身体全体を包んでいた。


「ボケッとするなッ!! ”ガブリア”が来るぞ!!」

「あ?」


 ウルティアの叫びに目線を向けた。


 ぎひっ――と鳴き声が一つ。

 

 この巫山戯た態度が隙だと想ったのだろう。四方に広がっていたガブリア達は一斉に雪の地面を蹴り飛ばす。舞い散る粉雪。砂煙のように視界を塞いだ雪は自分とガブリア達を覆い隠す。


『ぎひっ』


 慈悲など欠片も無く振るわれる暴力。


「あ、兄貴ッ!?」


 丸太のような太いガブリアの腕が風を切り裂いて一騎へ襲い掛かる。悲鳴にも似たサリバンの叫びと共に、


「―――ッ」


 身体は無意識に反応し、反射で飛び出る腰の入った拳が”ガブリア”の腕と激突する。


『ぎひっ……?』


 惚けたような”ガブリア”の声が無常に響く。事故でぶつかり合った一騎の拳とガブリアの拳は拮抗する間もなく、ガブリアの腕が弾け飛ぶという結果で終わる。それどころか、勢い止まらぬ拳は胴体の中心を綺麗に打ち叩き、波打つ水面のように”ガブリア”の体が揺れると、


『ぎギギギギイひっギィィイイイイイィイッ!?』


 爆音と共に大木へと”ガブリア”を吹き飛ばし、叩き付けた。

 悲鳴のような叫びが樹海に木霊する。


 無意識で放った拳は手加減など微塵も無い全力の力だった。


『ぎぃ、ぎぃ!!』

『ぎぃ!?』


 ソレは獣の本能か。無残に散った仲間の姿を目にした”ガブリア”達は叫び戸惑い出す。完全に侮っていた人間、つまりはエサが自身を殺し得る化け物だと今更に自覚したのだろう。


「……これが、魔術?」


 目まぐるしい変化についていけず、呆けた馬鹿面をウルティア達に向ける。が。


「違うはボケッ!! それは君の馬鹿力だろうがッ!! それが魔術とか魔術師に喧嘩売ってるのかッ!?」

「あ? 違ぇのッ!?」


 少し気障っぽさが隠った台詞はすぐにウルティアに否定される。


「元々、雷鳳打っ飛ばしてた奴がカブリア殴り殺したくらいでビビるのかッ!? そっちの方が怖いわッ!!」

「確かに」

「納得すんのかッ!! どうにも君はアベコベな常識持っているなぁ……魔術は音声認識によって発動するんだ!! 君の魔装拳に登録してある魔術は一つだけ!!」

「お、おうッ!!」


 意識を再び切り替え、魔装拳を構え直す。

 視線を魔物であるガブリアに向けると、ガブリア達は一騎を完全に敵として認識し、小刻みに身体を揺らしながら腕を振り回していた。

 一種の威嚇なのだろう。襲い掛かってくる気配はまだない。


「音声は“アキレウス”だッ!!」

「アキ……あ!? なんだそれ!?」

「魔術言語である“強化レスム”と身体の意味を持つ“身体アーヌ”。併せて、アキレウス!! 意味は――」


 ウルティアはそのまま言葉を続けようとしたが、



『ぎひぃぁひぁぃいぃぎぎぃッ!!』


 二匹のカブリアはソレを待ってはくれない。

 すっかりと積もった白銀の雪を蹴り飛ばし、二匹は同時に高らかに飛び上がると大腕を振り上げる。単純な攻撃だったが、人を肉片に変える暴力の塊だ。


「――兎に角、叫べッ!! 後は魔装拳が勝手に最適化してくれるッ!」


 舌打ち混じりにウルティアが叫ぶ。


「あぁ、クソッタレッ!! 初めての魔術がこんな急かよ――」


 腰を落とし、


「――“身体強化アキレウス”ウゥゥウッ!!」


 声が掠れるほど叫んだ。 

 顔の右半分に火照るような熱い感覚が広がり、それはまるで魔力に反応しているように鈍く続く。

 身体から何がが抜けていくと共に、周りの地面が衝撃でひび割れる。筋肉が盛り上がり、筋肉質だった身体は、まるで現役時代の研ぎ澄まされた刃のような完全な肉体にに変わっていった。見た目だけではない、全てだろう。身体から魔力が失われていく感覚を感じながらもそれと同等の漲るような力が身体に潤っていく。


『ぎひぃぁひぁぃいぃぎぎぃッ!!』


 瞬間、カブリアの丸太のような大腕が襲い掛かった。


「イッキ――」


 ウルティアの声が届く。 


「ジィッ……シャァアラァッ!!」


 その前に、霞むほどの速さで振り抜かれた右ストレートがカブリアを一瞬で捕らえ、大木へ吹き飛ばす。続く左のフックが二匹目のカブリアを地面へ叩き付け、汚れたドブのようなカブリアの鮮血が真っ白な雪を汚す。


『ぎひぃ……』


 大木に叩き付けられたカブリアがずるりと大木を滑り地面へと落ちていく前に、


「ッ――」


 一騎は神速の踏み込みで近付き、


「おぉおぉォ――ラァアアァッ!!」


 さながら砲弾のような右拳がカブリアを撃ち抜き、そのカブリアは大木を軽々とへし折って遙か彼方へと鮮血を撒き散らしながら吹き飛んだ。


 それは攻撃と言うには生易しい力だった。


 あれは、破壊だ。肉体を破壊しうる拳の一撃。


「ッと……あ?」


 拳を振り抜いた姿のまま、何が起きたのか分からないのか固まる一騎。目線でカブリアを追ってみると、粉砕された顔や身体から大量に血を流し、ぴくりとも動かない。


 カブリア達はその一撃で既に絶命していた。


「……やった、のか?」


 思わず、後ろを振り返り仲間達に疑問を投げ掛けると、其所には様々な表情を浮かべた仲間達。

 

 まず予想通りと言わんばかりに満足気な顔で頷くウルティア。


 その隣で一騎と同じく口をあんぐりとあけて驚愕しているサリバン。


 そして、何故か火照った頬に潤んだ色気を醸し出す瞳でこちらを見つめるツバキ。



「……あ?」


 そして、身体に纏っていた翡翠色の魔力が消え去るのと同時に、何度目かの呆けた声を漏らしたのは一騎だった。

 

「……いやはや、予想通りだね。元々、身体能力がゴリラの亜人並みに人外だった君が身体強化を使えば、それはもう魔術といって過言じゃない物だ」

「……身体強化だ?」

「今、君が使っただろう? 僕が初期魔術として登録していたんだ……しっかし、なんて威力だ。普通の殴打でコレか……」


 使った覚えがまるでないが、魔術師であるウルティアがそういうのならばそうなのだろう。全く実感がない事象に困惑の顔を浮かべる一騎に、ウルティアはゆっくりと一騎に近付き、何故か作り笑いと分かる笑みで肩を叩いてくる。


「さて、一騎。先天性魔力影響症に聞き覚えはあるかな?」

「はぁ? 先天……なに?」

「よし、無いんだね。では、先に言っておこう。僕は悪くない」

「……」


 結論を全く話さないウルティアに嫌な予感が胸に広がる。

 よくよく見れば、サリバンの視線がずっと一騎の顔に向いている。いや、顔と言うよりは、右頬に、だ。

 そういえばと、脳裏によぎったのは魔力を身体に取り込んだときの違和感。頬に妙に熱い感覚があった。


「たまぁぁぁにいるんだよね、魔力の性で容姿が変わっちゃう人」

「……容姿が変わるだ?」

「僕はね、うん。似合っていると想う。君の顔にピッタリだ。すごく良いよ。だから心配ない」

「なに? え、なに? お前の言い方だと俺の顔…」

「似合っている。それは間違いない。大丈夫だ。僕は嘘が嫌いだ」


 全く本題に入らないウルティアに一騎は半目を向けながら視線がヒシヒシと当たる頬を指で撫でる。

 ざらりと、肌にしては不思議な感触を感じる。


「……おい、ウルティ」

「まぁ、待て。ゆっくりと落ち着いて。言いかい? よし、この手鏡を見るんだ」


 するりとウルティが手鏡を手に持ち、一騎に向ける。

 そこに映ったのは。



「………は?」


 見慣れた自分の顔と、頬に描かれた波の模様の刺青・・・・・・



「魔力って言うのは厳密に言えば人の細胞。もっと遡るとDNAに干渉して、自身に眠っている力を解放する。まぁ魔術の威力が上がったり、魔力が練りやすくなったり、先天性魔力影響症は良いとこ尽くしなんだけど……」


 刺青。



「なッ……」

「容姿が変わるって言う致命的なデメリットがあるんだよね。すっかり忘れてたよ。てへぺろっ!」


 暢気なウルティアの声と、


「――――なんじゃごりゃあぁああぁあぁあぁああぁああぁあぁあぁあッ!?」


 一騎の悲痛な叫びが雪降る樹海にただ木霊した。


 こうして、生まれて初めての魔術は終わりを迎える――

 


 

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