逃走と白銀へ変わる樹海

『――ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォォォォオォオォォォォォッ!!』


 深い樹海の中で獣の雄叫びが響き渡る。木々を薙ぎ倒し、岩を砕きながら獲物を狙う獣は熊のような姿をしており、熊と例えるには余りにも禍々しく巨体過ぎた。獣は口から零れる涎をそのままに、その人を軽々と斬り裂く鋭利な大爪を振り翳し、目の前を走る“男女四人組”を追い掛けていく。


「うおおおおおおおおおぉおぉぉおおおおぉおぉぉおおおおぉおぉぉおッ!? やっぱ彼奴、脚速えぇええええぇええええぇええッ!!」

「ああぁあぁあああぁあああッ!! 脚がプルプルしてきたんだけど、誰か美少女を背負う名誉が欲しい奴はいないかなァアアアァッ!?」

「もうさいっっっっあくやっ!! なんでウチが熊の化け物に追われないとあかんのぉおっ!?」

「俺っち素直に逃げなかったの今更ながら後悔してきたんスけどオオォオオォオオオォッ!?」


 草木が覆い繁る深い深い樹海。何処を見ても同じ風景なせいか、ダスクリア王国を飛び出して数十分立っているというのにまるで進んでいる気がしない。しかも、後ろからは自分達を喰らおうと暴れ狂う化け物に追われているとなれば疲労も増してしまう。

 異世界に来てしまい、どういう訳か身体能力が格段に上がっている一騎は元々、神童などと言われていたボクサー時代は一二時間は平気で走れたのだ。それを考えれば、まだまだ走れる余裕がある。

 ツバキは見た目通り、体力には余裕があるだろう。サリバンに至っては一騎と同様に汗を流していても余裕たっぷり。


「はぁッ……はぁッ……んぐッ……ッ!!」


 問題なのはウルティアだ。

 魔力を使い、どういう訳なのか身体能力を上げているらしいが、彼女は小柄で細身、見た目通り体力が全くない。鍛えている様子すらないとなれば彼女の体力も既に限界だろう。このまま走っていれば早々にリタイアするのは彼女だ。


「クソ、おい!! ウルティアッ!! 後でセクハラだなんだなんて言うんじゃねぇぞッ!!」

「お、おおぅっ!?」


 苦肉の策だが、仕方ない。

 ウルティアの細過ぎる腰を無理矢理に掴み、尻に手を乗せると米俵を運ぶように肩に抱えた。女性特有の柔らかさに場違いながら心臓が一瞬だけ跳ねる。我ながら余裕だなと内心で苦笑した。


「つか、軽ッ!? お前、肉あんのかッ!?」

「あ゛ぁ゛ッ!! 誰が貧乳だ、ゴラ゛ぁッ!!」

「言ってねぇわッ!?」

「此処は絶世の美少女を肩に抱く喜びを噛み締めるところだろうがッ!!」

「自分で言ってて恥ずかしくねぇのッ!?」


 抱えなくても平気だったのかと脳裏に過ぎるが、それが空元気だとすぐに分かった。乱れた呼吸は自分の首下を擽り、身を捩るまでもなく全てを委ねている。玉のような汗も頬を伝っていた。

 しかし、これは非常にマズイ状況だ。

 雷鳳を民家街から遠ざけることには成功したものの、自分達が死の危険にさらされているのは変わらない。横目で暴れ狂う雷鳳を除くが、あれでは余程のことがなければ獲物を諦めないだろう。

 思わず奥歯をかみ締めた。

 

「だぁああああああ畜生おおおぉおぉぉおおおおぉおぉぉおッ!! どうすんだよッ!! 雷鳳なんざそう出逢うモンじゃねぇんだろッ!!」

「その言い様だと君は戦った事があるみたいだね?」

「俺の顔と腹にドデカい傷跡残しやがった上に天国と地獄を言ったり来たりするハメになったんだよッ!! 忘れたくても忘れられるかッ!?」


 ウルティアがその言葉に一騎の顔を見つめる。頬に奔る痛々しく大きな傷跡。服に隠れているが、背中や腹にも似たような傷跡が無数に入っている。どれも、たった一体の魔物に付けられた傷痕だ。その傷を何故かウルティアは興味深気に指で突く。


「おおぅ……傷跡ってプニプニしてるんだな……」

「なんでんな能天気なんだテメェはッ!?」

「なんだ、不満かい。仕方ない、私の美女ほっぺを突いて良いぞ。特別だ」

「はたき落とすぞッ!?」


 頬を一騎に向かってドヤ顔で突き出すウルティアに米神を震わせながら吼えるが、全く堪えた様子がなく、彼女は自分の首にしがみつく。そんな二人の様子を見ていたツバキが、唐突に走りながら両手を合わせ出す。まるで何かを思い付いたと言う動作に三人の視線が集まった。


「……ちゅうか。あの化け物、うちらを狙ってるんやろ。はたき落とせば、あの化け物はウチらを無視しない?」

「良い着眼点だ。確かに誰もが目を惹く。いや、惹いてしまう美女が野に放り出されれば、彼奴は麗しき僕を襲うだろう。しかし冷静に考えろ。この世から絶世の美女が一人失われるんだよ、良いのか、男共」

「「………」」


 何故か自信満々に言うウルティアに、サリバンと一騎が見つめ合う。数秒の沈黙のち、ウルティアが頬に冷や汗を垂らしながら口を開いた。


「くっくっくっ……あれだぞ。その……やったら泣くぞ。末代まで呪うからな。やるなよ、絶対やるなよっ!!」

「フリだ、フリが来たッスッ!! 俺っち知ってるッス!! これ落としても大丈夫のサインッスよッ!!」

「マジで?」

「おぉぉおおぉッ!! この抱擁を死んでも辞めないからなァッ!! はたき落とされたら決死の覚悟で貴様らの脚を引っ掛けてやるからなァああぁああぁぁぁあああッ!!」

「痛だだだだだだだッ!? ご、ゴリゴリ後頭部に骨が当たってんだよド貧乳ッ!!」

「あーぁ、言ったな貴様ぁ!! 貧乳じゃないですぅッ!! 着痩せするタイプなだけですぅ!! ちょっと人より控え目なだけですぅ!!」

『コォルルル――――ガァアアァァァアアアァァアァァアアッ!!』


 言い争いをしながらも逃走を辞めてはいない。まだまだ余裕がある獲物が感に障ったのか、雷鳳は今までにない雄叫びを上げ、魔の力である雷を口へと収束し出した。その行為が何の意味なのか、散々と味わった一騎達は直ぐに気付いた。


「あれもしかして撃ってこないッスか!? 撃つッスよね。あれ絶対撃つッスよねッ!?」

「サリバン、盾になれッ!!」

「うちらのために頑張ってサリー!!」

「皆には良い奴だったと伝えておこうっ!」

「薄情過ぎッスッ!? 無理無理無理無理ッ!! ごめん、今だから言うけど、俺っち、魔術師歴“三日”なんスよおおぉおおッ!!」

「「「はァッ!? 三日・・ァッ!?」」」

『コォルルル……――――ガァッ!!』


 衝撃の告白後、驚く間もなく雷鳳の口から雷の砲弾が放たれる。バスケットボール程度の球体上の塊。見た目より遥かに膨大な魔力が籠められた破壊の一撃は優に四人を肉片に変えるどころか、辺りを更地に変えてしまうほどの絶大な威力を持つ。躱せぬ程速く、躱した所で雷鳳に追い付かれる。


「やっべぇ……ッ!!」


 どうすると考える暇も無い。雷の塊は一瞬で要の真後ろまで迫った。


「そのまま動くなよっ!! 水魔装填ッ!!」


 すかさずにウルティアが腰に取り付けた魔装具を引き抜く。機械音を響かせ、四角の機械は可変して形態は杖へと変わった。銃撃音が鳴り、魔弾に込められていた魔力はウルティアの体内へと吸収。術式は仮想によって組み上げられ、


「"術式開放エウレテリアー"ッ!! "氷点の大壁クリュゴタッロス"ぅッ!!」


 物理の存在へと創造される。

 魔装杖の先端から放たれた氷の礫は音速の速度で地面を撃ち抜き、刹那、四人をすっぽりと覆い隠すほどの巨大な氷の壁が形成された。


「すっげっ!! 魔術はなんでも有りかよッ!!」


 一騎が驚きの声を上げると共に雷は氷の壁にぶち当たり、弾け飛ぶ。


「不純物をタップリ染み込ませた氷と水の壁だ。雷なんて地面に流してしまえば何の問題も無い。まぁ……」

『ガァアアァァァアアアァァアァァアアッ!!』


 氷の壁が鋭利な一本角に打ち砕かれ、また化け物の姿が現れだした。


「アレは氷の壁で止められないんだけどねっ!!」

「なんで姉さんはドヤ顔なんっ!?」

「マジでどうすんスか、これ!? このままだと喰われる未来しか見えないんスけどッ!?」


 サリバンの叫び、命辛々に走っている三人の答えは沈黙だった。

 言われなくとも分かっている。だが、どうにかする方法がないのだ。倒すことも不可能、追い払うことも不可能。残された選択肢は終わらない逃亡だけ。自分の拙い知識を振り絞っても、魔物をどうにかする方法など思い付かない。身体能力が何故か高まっている自分でも一日中走り続けることは不可能だ。

 どうすると思考に問い掛けても答えは沈黙。

 無意識に顔を顰めた。


「いや、このまま真っ直ぐ走ればなんとかなるさ」


 そんな時だ。

 ウルティアの何処か演技染みた台詞が耳に届いたのは。


「なんか考えがあんのかッ!?」

「姉さん素敵やッ!! ぜひともうちは聞きたいんやけど!? 今ならなんでもやる気概じゃぁッ!!」

「俺っち、アイツから逃げ切れるならなんでもやるッスぅうぅうう!!」


 まるで救いの手だ。縋るような目を一心に受けるウルティアはニヤけた笑みを一瞬で変え、真顔に変わる。


「今なんでもやるって言ったね?」


 その一言は三人の背筋に嫌な予感を奔らせた。

 今まで如何なる時も自分を誇るナルシストな彼女が打って変わった顔で平坦に呟いたのだ。


 絶対にろくでもない方法だ


 ウルティアを除いた三人の頭に過ぎった言葉は同じだった。

 そもそも。雷鳳を民家街に行かせない為に魔物が蔓延る樹海に逃げると自殺染みた提案をあげたのはこの女なのだ。出会って数時間しかたっていない関係でも分かる。ウルティア・シルヒリット・ヒースクロフトという女は平気な顔で無茶なことを言う。

 そのウルティアが真顔になるほどの提案。


「姉さんッ!! 一応、聞きたいんやけど何するか教えてくれんッ!? それ絶対安全な方法って言える作戦でええんよねぇッ!?」

「ふっ。僕を誰だと思っているんだい? 天才かつ絶世の美少女と名高い僕だよ? むしろこれ以外に最善な逃走方法はないと言える」

「うちは何するか聞いてるんやけどぉ!?」

「簡単さ。全員、周りを見てみろ。僕らの逃走経路を案内してくれる道筋がたくさんあるだろう?」


 周り?

 肩に抱えているウルティアの言うがまま、一騎は視線を雷鳳から外して辺りを見回した。

 真っ先に視界に捕らえたのは、少しばかり抜かるんだ地面。気付けばぬちゃりと音が鳴るほど湿った地面を自分たちは駆けている。その次に見えてくるのは、一つ。


「……川?」


 水面だ。

 何時の間にと心で呟いた。気付けばすぐ真横にはかなりの大きさを誇る大川が見えていた。生い茂った木々のせいで見えていなかっただけで、四人はまるで大川を辿る様に走っていたのだ。

 だが、これが道筋なのか?

 疑問が浮かぶ一騎のすぐ真横で、ウルティアは言葉を続ける。


「ダスクリア王国の南方。樹海の湿地帯さ。生い茂る草木で見えないが、ここから更に十数キロ進めば、ダスクリアが誇る大湖である"水人龍の水地アメメナーム"がある」

「湖だぁ!? そんなんがどうやったら逃げ道になんだよッ!!」

「滝だよ」


 ぴしゃりと答えたウルティアに一騎が口を紡ぐ。

 

 滝。滝?

 

「高低差約六十メートルの巨大な滝さ。上流から見渡す景色はダスクリア百景の観光ブックにも載っているほど美しい。まぁ、僕の美しさには負けるけどねっ!! 兎に角、このまま進めば大滝の天辺にでる筈さ。そこまで行ければ、後は一気に雷鳳を突き放せる逃走経路が見える」


 自信満々な発言を聞き流し、三人は認めたくない事実を受け止めるように考えた。

 自分達が駆ける真横には幅三十メートルはありそうな大川だ。川の流れは自分達が進む方向に急速な速さで流れている。ウルティアが言うとおり、滝があるためだろう。さて、此処でまた考えを深める。進行方向に滝があるならば、そこは絶壁というなの行き止まりだ。もし、滝の真上にでて尚、逃げようとするならば。


 逃げようとするならば。

 



「ぶっちゃけて言うけど、僕達はこれから高低差六十メートルの滝に紐無しバンジーを行う」




 滝に飛び込むしか道がない。



「嘘やろ」



 雷鳳の叫びが木々に反響し木霊しているというのに、ツバキの呟きだけがハッキリと聞こえた。三人の抜かるんだ地面を踏みしめる音だけが無心に響き、不思議と静寂を作る。正気かコイツはという顔でツバキとサリバンが一騎の肩に背負われているウルティアを見つめ、


「嘘やろ」


 ツバキがまた呟き、


「僕は嘘が嫌いだ」


 ウルティアは真顔で答えた。


「ハアァアアァアアアアァッ!? ちょ、ちょっと待てやテメェッ!? それマジで言ってんのかッ!? マジなのかソレッ!?」

「まじ? 何語だい、ソレ?」

「う、嘘やろぉおおおぉおおおぉッ!? うち、五メートルくらいなら軽々飛び降りれるけどぉッ!! 飛び降りれるけど、六十メートルは絶対に無理やあぁあああぁああぁッ!!」

「ああぁ……俺っち、今日死ぬんだ……絶対に死ぬんだ……"水人龍の水地アメメナーム"って魚の死体がいっぱい浮いてるもん……一緒に俺っちの死体も滝つぼに浮かぶんスね……」


 "水人龍の水地アメメナーム" 

 異世界アルマの言語で、意味は水龍の死体置き場。不穏な意味が込められているのには当然のように理由がある。ダスクリアは山に囲まれた王国であるが、水源にも恵まれている。飲み水は豊富だが、不思議なことに水産物は全く取れないのだ。その面たる理由となっているのは"水人龍の水地アメメナーム" 

 高低差六十メートルという急激な滝は水流を見事に狂わし、他の川から迷い込んだ魚を水面や川岩に叩きつけ、殺してしまう。

 水に生きる生物すら死せる。それが"水人龍の水地アメメナーム" 


『――ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォォォォオォオォォォォォッ!!』


 人が飛び込めばどうなるかなど考えるのは容易い。

 三人の顔が、雷鳳による恐怖とはまた違う恐怖で顔を真っ青に染めた。


「安心したまえ!! 僕が無策で自殺紛いの方法を取ると侮って貰っては困るっ!!」


 そんな三人を思ってか、ウルティアがこれまた自信満々に叫んだ。


「さすが姉さんやぁっ!! うちは信じっとったでぇっ!!」

「僕の考えでは四十五の確立で全員無事に生き残れる作戦がある!!」

「それ死ぬ確立の方が高くねぇかッ!?」

「雷鳳に追いつかれたら全員が雷鳳の排泄物になるんだ。生き残る方に賭けるしかないだろう!? 僕だってこんな自殺したくないわッ!!」

「あぁああああぁああ!! 自殺って認めたッスねッ!?」

「こんなん僕を含めて誰が考えたって自殺に決まっているだろうがッ!!」


 そうこうと物議をかましていても、走る脚は止めていない。

 一騎の横で流れる大川はグングンと流れを強めており、水流も荒れ狂っていた。水が流れ落ちる轟音もだんだんと聞こえ始めており、滝がすぐそばにあると教えてくる。もはや、やっぱり辞めたなどといって引き返せる場所ではない。


「アァ、クソッタレッ!! 俺は死ぬつもりなんざこれっぽちもねぇからなァッ!! どうやって死なねぇように飛び降りるんだッ!?」


 覚悟を決めるしかない。心を無理矢理に納得させた一騎は、言い出した張本人のウルティアを見る。


「残念ながら、それを教えている時間はなぁい!! でも一言だけ言うなら、誰か一人でもミスを犯したら全員お陀仏だッ!!」

「このタイミングで言いやがって……ッ!!」

「滝が見えてきたで、みんなッ!!」


 ツバキの声に、一騎は真正面へ視線を映した。

 そこに広がるのは絶壁だった。大陸でそこだけが刳り抜かれたと思うほど、すっぽりと抜けた大穴。無数の川はその大穴へ流れ、大量の水が大音を立てて落ちている。正しく大滝という他にない。地球で例えるならばナイアガラの滝だ。

 そこへ。大滝へ足を止めずに走るのは、滝に比べてちっぽけな人である四人の人間。


 あぁ、正気じゃない。

 頭で悪態をつく一騎だったが、身体は正気じゃないことを行おうとしている。


 大滝まで後、十メートル。


『――ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォォォォオォオォォォォォッ!!』


 そこで、雷鳳が吼えた。

 本能か知性か。獲物である四人に何かを感じたのか分からないが、身体に纏う雷が一段と強まり、雷鳴が一騎の真後ろで鳴り響く。それはまるで逃がしてなるものかと叫ぶ狩人のようで。心は焦燥感を湧きたてる。

 奇しくも、雷鳳の叫びは此処が正念場だと皆に理解させた。

 滝に飛び込む覚悟が決まってなくとも、それしかないと思わせてくれた。


「―――さぁ、覚悟を決めて行くよッ!! 水魔三重装おおぉおおおぉお填だぁああッ!!」


 大滝まで後、三メートル。

 最初に動いたのはウルティアだった。一騎の肩に乗ったまま彼女は器用に魔装杖をくるくると回し、魔弾を三回破裂させて魔力を身体に吸収した。そして、その勢いを殺さずに杖を雷鳳でなく一騎達の進行方向へと向ける。


「“氷鎖ひょうさ牢獄ろうごくを汝が承り、断罪の束縛を無数の鎖となりて放ち、縛れ”ええぇええッ!!」


  何十もの氷で造られた鎖が何もない空中から出現し、生い茂っている木々の太い幹と一騎達の身体を縛り結ぶ。弾力の欠片もない鎖だ。それでも。


「これがロープ代わりかよッ!!」

「何もないよりマシだろう!! ゴリラの亜人っぽいヤクザ君以外は鎖に身体が千切られたくなかったら魔力身体強化を切らない様にするようにッ!!」

「誰がゴリラだッ!?」

「全員、鎖を掴んだままッ」


 大滝まで、五十センチ。

 迷いだらけの頭で、


「―――飛ぶぞおおおおぉおおおぉおおおッ!!」

「―――うち、なんでこんなことしてるんやろうなあああぁああぁあああああッ!?」

「―――俺っち死にたくないッスううぅうううううぅうううッ!?」

「―――うおおおおおぉおお怖えぇええぇえええええぇええッ!!」


 四人は大滝へと身を投げた。


『――ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォォォォオォオォォォォォッ!!』


 流石の雷鳳も大爪を地面に突き刺して、共に身を投げそうだった身体を止めた。おのれと言わんばかりの咆哮は一騎へと突き刺さる。だが、そんなことを気にしている余裕など無かった。


「おおオォオオオオォオオオオオォオオオオオッ!?」


 風圧が頬の肉を引っ張り上げる。視界に広がっているのは遥か真下に広がる湖と轟音で跳ね唸る滝つぼ。無意識に身体に巻きついた氷の鎖とウルティアを両手に握り締める。


「姉さあぁあああぁああああぁんッ!? 次はどうすんやぁああああぁああッ!?」

「落ちる場所は此処だッ!! 全員、摩擦で手が千切れる鎖を手放せッ!!」


 瞬間、氷の鎖面白いくらいに滑り始め、一騎の手に激痛が走る。当たり前だ、これはゴムでもなんでもない、言うなれば氷の塊。素直に鎖を掴んでいればウルティアの言うとおり手が千切れてしまうだろう。

 全員が言われるまでもなく氷の鎖から手を放したタイミングで、ウルティアは落下の強風に飛ばされまいと一騎の首にしがみ付いたまま、ツバキへと叫ぶ。


「ツバキッ!! 風の魔術で上昇気流を巻き上げろッ!!」

「いや、そんなん出来へんけどぉおおおぉおおッ!?」


 ツバキの叫びがすぐに帰り、


「え?」


 ウルティアの呆けた声を聞いたのは一騎だけだった。

 凄まじく嫌な予感が再び頭を過ぎる。


「ね、姉さんんんんんんんんんんんッ!?」


 嘘だろと言わん悲痛な叫びを上げるツバキに、ウルティアは焦った表情を浮かべる。だが、すぐに首を振ると、すぐ近くで同様に落下していくサリバンへと視線を向けて大口を開く。


「ま、待てッ!? じゃあ、サリバンだッ!! サリバン、炎の魔術で皆を抱えて落下速度を下げるんだッ!!」

「いや、そんなん出来ないッスけどおおおおおおぉおおおおおおぉおおッ!?」


 そして、同様の叫びが帰り、


「え?」


 再び一騎の耳に呆けた声が聞こえた。

 もはや疑うまでも無い。

 これは、つまり。


「テメェ、完全な作戦ミスじゃねぇかああああアアァああアアアアアアァアアアアアアアアァアッ!?」

「嘘やろ、姉さあぁああぁああああぁああああぁあああぁんッ!?」

「あれだけ自信満々だったのになんでッスかああああああああぁあああぁあああッ!?」

「全員、各個に対処するんだああぁあああぁああああああああぁああッ!!」


 雄叫びでも叫びでもない、ただ単なる叫びが滝つぼに響き渡る。

 サリバンとツバキはそれしかないだろうと言うかのように魔装具を振り上げ、魔力を身体に吸収していた。ツバキは風を、サリバンは炎を魔術で操る。自分一人だけというならば、この二人はなんとか出来る技量があるだろう。

 問題は、自分とウルティアだ。


「おいおいおいおおおおおおいいいいいッ!! ウルティッ!! テメェ、俺たちはどうすんだよオォオオォッ!?」

「ウルティってなんだい!! 愛称か!? ちょっと気に入りそうだ!!」

「言ってる場合かアアァアアアッ!?」

「ちなみに聞くが、君は実は凄腕の魔術師で隠された力とか持ってないかなぁっ!?」

「持ってねぇよタコオォオオッ!!」

「た、助けてくれたらキスくらい考えてやるぞっ!! 美少女の熱いキスを貰う機会を君にあげたいと僕は思っているんだけどぉっ!?」


 ウルティアの魔術は氷、もっと辿れば水だ。落下を抑える風も、自身を宙へと浮かせる炎もない。水なのだ。なりふり構ってられないと一騎の首にしがみ付き涙目になるウルティアを一騎は抱えた。


「あぁああぁ、優花に似た顔で泣きそうになりやがって、畜生がッ!!」

「何か策でもあるのかいっ!?」

「ねぇよ、出たとこ勝負に決まってんだろッ!!」


 どうこうとしている時間はない。

 この高低差、例え落ちる場所が水面だとしても落ちたときの衝撃はコンクリートに叩き付けられる事と変わりはない。

 もはや、異世界に来て身体能力が上がっている自分の耐久力を信じるしかないのだろう。

 グングンと迫る滝壺の光景に、一騎は身体を無理矢理に捻って足を向ける。


「ウルティ、息を吸い込めェッ!!」

「ッ……!!」


 胸の中でウルティアが頷く。

 自身も深く息を吸い込み。


 凄まじい衝撃を一切緩めることなく、二人の身体は六十メートルの高さから滝壺の水面へ叩き付けられる。


 轟音、爆音、水飛沫、血の味、暴れ狂う水流。


 全ての事象が自然の猛威となって一気に襲い掛かる。鼻の奥に鋭い傷みが響く。水が口の中に広がり一瞬で喉を詰まらせる。自分が上を向いているのかどうかすら分からない。


「ぐぼっ……ッ」


 身体がぎしりと傷んだ。何処かしらの骨にヒビでも入ったのだろう。

 微睡む意識。不思議と気持ち良い揺れに眠りを誘う睡魔。冷たい水の感触が身体を冷やし、擦れる視界が暗闇を作る。


 このまま睡魔に身を任せて眠れば気持ちが良い筈だ。そう想うのに、心は眠ることを拒み、自分の。

 立浪たつなみ一騎いっきの意識を起こそうとする。

 自分の中で、楽に逃げる自分と苦に歯向かう自分が闘う。起きろと叫び続ける心と、眠れと誘う身体。


「ぁっ……」


 あぁ、これは知っている。



 あの時の、自分の運命を変えた試合。



 駄目だと分かっているのに、薄れ行く意識は止まってくれない。



 結局、また自分という男は抗うことすらせず―



「――ッ」



 少女が自分の胸を叩く。

 






 自分の腕には、命がいる。

 護ってくれと望んだ少女が、助けてくれと手を伸ばしてすがる少女が。


 なに気を抜いているんだ、立浪一騎。


 此処はリングじゃない。

 此処は地球じゃない。

 此処は死んでいい場所ではない。


 己の腕に抱く彼女を道ずれにして言い訳がないんだ。


「―――ッ!!」


 急激に意識が反転した。声にならない咆哮を上げ、歯を食い縛り、目を見開く。

 ウルティアの身体を抱えあげ、視界を巡らせた。濁りに濁った水の中でも光の輝きは真上から降り注いでいることに気付く。


 一騎がとった行動は、真上へ空気を求めて逃げることではなかった。


 名一杯の力で真下へと潜り込む。

 上へ逃れるよりも容易く身体が動いた。川底を視界に捕らえ、脚に全力を込め、


「………ッッッ!!」


 川底を蹴り飛ばす。

 身体にのし掛かる水を弾き飛ばし、爆音と共に水面へと飛び出したのは一瞬の出来事だった。


「っしゃあぁああぁあぁあーーーァッ!!」


 ずっと求めていた息を吸い込み、二人の身体は死の滝壺から抜けることに成功したのだった。求めていた空気をもう一度だけ無理矢理に吸い込み、身体は重力に従って再び川の水面へと叩き付けられる。まだ大滝の近く荒れ狂う水流は一騎達を襲う。

 だが、動けないほどではない。


「ぐっの……ッ!」

「ごっほッ……」

「ウルティッ!! そのまま捕まってろ、岸まで行くぞッ!!」


 腕や足の感覚がまるでない。だがそれでも、素直に流されてやる訳にはいかない。体を捻り、左腕にウルティアを抱えたまま、右腕と足だけで泳ぎ、二人は川岸を必死に目指した。







「ハァ゛ー……ハァ゛………」


 べしゃりと水に湿った身体を川岸に投げ出せたのは、それから二十分後の事だった。腕に抱えていたウルティアを無言で地面に投げ捨てるように置き、顔を向けると。


「し、死ぬかと想ったね……ッ」


 自分と同様に乱れに乱れた息を吐き続ける彼女が身体を川岸に倒して言う。指先を動かす体力すら惜しいと言わんばかりの消耗だ。


「お、おい……無事か……ッ」

「ビッシャビシャに濡れてる以外は、無事、だよ……ごほッ……ありがとう。正直、君がいなかったら美少女の水死体が浮いてた……ッ」

「余裕そうだな……痛っーーぁあ……此処に来てから怪我してる記憶しかねぇな……」


 鈍痛が痛む脇腹を抑えながら、身体を起こす。

 回りを見渡してみると、遥か向こうに巨大な滝が見える。彼処から飛び降りたとしたら、かなり流されたようだ。今でも自分が無事なのが不思議で仕方ない。


「イッ君と姉さん居たあぁあぁああッ!!」

「あぁあぁああ良かったッスぅうぅッ!! 死んじゃったかと想ったッスよぉッ!!」


 川のずっと向こう側から、聞き慣れた叫びが聞こえてきた。ウルティアと共に顔を向ければ、其処には同じ様にびしょ濡れになったサリバンとツバキが此方に駆け寄ってくる姿。


「彼奴らも無事みてぇだな……」

「……とりあえず一安心だね」


 濡れた服をそのままに身を起こすウルティアはそのまま座り込んで、身体を落ち着けるように空を見上げて息を吐く。


「……あぁ、厄日だねぇ。今日は」

「もう終わりだろ……これ以上なんかあったら、俺ぁマジで運気とか考えるぞ……」

「…………」

「……ウルティア?」


 突然、空を見上げたまま呆然と無言になるウルティア。そんな彼女に眉を潜め、自らも空に視界を向けるが、僅かに曇っている以外の可笑しさはない。

 一体、どうしたというのか。まさか、怪我でもと浮かぶ心配に口を開こうとした時、


「終わりじゃないみたいだね……」

「あ?」


 ポタリと一騎の頬に冷たい何かが触れた。髪から垂れた水滴かと思い、頬を拭う。

 だが、今度は手に冷たい何かが触れる。


「……あ?」


 ふわりと、一騎の顔の前に過ぎる白い粒。

 綿のように風に揺られ、地面に落ちていくソレ。


「お疲れなところ、すんごく言いたくないんやけど、寒波やァッ!! ダスクリアの大寒波が、¨豪雪の霞涙ラルイナナーマ¨がきよったッ!!」

「………おい、マジかよ」


 ソレは見間違うこともない。

 勘弁してくれと吐き捨てた言葉は冷えきった空気に消え去り、ウルティアはもはや自らの不運に笑ってしまうかのよう苦笑をこぼす。


「参ったね、これは後三十分くらいで猛吹雪・・・・が来るよ――」


 ぽつぽつと降り注ぐ大粒の雪。風はいつの間にか強まり、周りの木々を靡かせる。


「ハッ……」


 思わず笑い、



「マジかよ」



 数分で雪景色と変わり果てた樹海を唖然と見つめた。

 深々とでも言うべきか。雨のように降る雪は地面にほんのりと残って溶けていく。雪に見慣れてない一騎でもこれは積もる雪だと分かるほどだ。


「姉さん、イッ君!! 怪我は!?」


 唖然としていた一騎にツバキが駆け寄り、心配そうな瞳で二人を窺う。ズキズキと脇腹が痛んでいたが、それを悟らせまいと苦笑を浮かべる。


「節々は痛ぇが、別になんともねぇよ。それよか、テメェは?」

「うちは風魔術で上手いこと降りれたから平気や。正直、サリバンが居らんかったらヤバかったけどな」

「俺っちとツバキ姉さんで魔術組み合わせたんス。風魔術と炎魔術は相性良いッスから」


 詳しい方法までは分からないが、二人は疲労はあっても怪我はしていない。律儀に滝壺に突っ込んだのは自分とウルティアだけなのだろう。


「ウルティ、テメェは?」

「たらふく水を飲んだけど、平気だよ……ごほっ…」


 噎せるように水を地面に吐き捨て、ふらつきながらもウルティアは立ち上がる。

 そんな時だった。



『――ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォォォォオォオォォォォォッ!!』



 雷鳳の雄叫びが滝壺に響き渡った。

 だが、素人の一騎でも分かるように、それは遥か遠くから聞こえてくる。近くにはいない。滝の真上で脚を止めた雷鳳は、四人に続いて滝へ飛び降りることはしなかったようだ。


「とりあえず、俺らは逃げられたで良いのか?」

「どうかな。雷鳳の嗅覚は七キロ離れていても臭いの判別が出来ると研究で分かっている……あの化け物が律儀に僕達を諦めるとは思えないな」

「つうことは……追い掛けてくんのか」

「そう想って動いた方が良いのは間違いないね……とりあえず、全員が無事って事で良いのかい?」


 ウルティアが無事を確かめるように面々の顔を見渡す。服が濡れたりしているが、大きな怪我をしているのは肋骨にヒビが入った自分くらいだ。

 怪我がバレたら余計な心配をかける。

 ウルティアの視線を誤魔化すように口を開いた。


「で、これからどうすんだ?」

「その前に謝りたい」

「あ?」


 怪我がバレなかったのか。

 ウルティアは三人の真正面に立つと、真剣な表情でおもむろに頭を下げる。

 驚きのあまりに目を見開く。


「ごめんなさい」


 ウルティアのイメージとはかけ離れた素直な謝罪。予想外の行動に、ツバキやサリバンまでもが言葉を失う。


「……いきなりなんだ?」

「もっと上手くやれた筈だ。僕がツバキやサリバンの魔術を確認しなかった、僕の、過ちだ」

「い、いやいや、姉さん。うちは…」

「滝に飛び降りると言ったのは僕だ。それで皆を殺しかけたのは事実……だから、謝らせてくれ。この責任はちゃんと果たす」


 それは己の不甲斐なさなのか。ウルティアは頭を下げたままピクリとも動かない。


「………ったく」


 本当に似ている。

 世界に自分とそっくりな人間は三人いるなど眉唾な逸話があったが、信じたくなるほどに、ウルティアは自分の幼馴染みである優花に似ていた。


「テメェ、謝ってると不細工だな」

「ぶっ殺すぞ」

「変わり身速すぎんだろ……まぁ、そっちの方がテメェらしいか。良いぜ、許す。次は完璧な作戦たてろよ」

「なに?」

「あ? だから、良いっつってんだろ。俺は許した。ツバキ達は知らねぇけどな」


 話しは終わりだと言うように、一騎は濡れた翡翠の羽織を脱いで雑巾のように水を絞り出す。まるで、子供を叱る兄のような言い草だ。自分を殺しかけた作戦を提案してしまった女に向ける感情は一切ない。そんな一騎を信じられないと見つめるウルティアに、


「くひひっ! イッ君は相変わらずやなぁ……えぇよ、うちも許す。ちゅうか、会ったばかりのウチ達が完璧な作戦行うっちゅうのも無理やろ」

「……良いのかい? 正直、殴られるくらいの覚悟だったんだが……」

「此処でうちが姉さん殴ったら、うちは嫌な女になるやろ。それはイヤ。うちはええ女で痛いからね。ちゅうか、イッ君。そないな絞り方したら羽織がダメになるで!」

「あ? マジで?」


 ツバキが独特の笑い方で長し、一騎へと駆け寄る。そんな二人を尻目に、ウルティアは戸惑ったままサリバンに視界を向けるが。


「いや、此処で俺っちが許さないとか言ったら、俺っちイヤな奴過ぎないッスかっ!? 無理でしょ、此処で俺っちが許さないとか言うのっ!?」

「僕は殴って貰っても構わないが」

「イヤッスよ!! 大体、俺っちもツバキ姉さんと兄さんに同意ッスから! そもそも、ウル姉さんに責任押し付けるつもりもないッスし……」


 この男も男で、何故かウルティアが謝っているのにイケない事をしているような子供のように困っていた。


「つかよ、雷鳳がまだ俺らを追い掛けてくんならくっちゃべってる暇なんざねぇだろ。これからどうすんだよ?」


 確かにそうなのだが。

 本当に良いのかと戸惑いながら三人を見ても、全く気にもしていない。


「……君達、僕が言うのもなんだけどお人好しだねぇ……分かったよ、ありがとう。この話は終わりで良いさ」


 話を蒸し返しても、この三人相手では堂々巡りだろう。調子が戻ったようにウルティアは演技染みた苦笑をこぼしながら首を降る。


「で、どうするんや、姉さん?」

「……普通、盛大に作戦を間違えた僕に聞くかな」

「でも、ウル姉さんに聞いた方が俺っちは確実だと思うんスけど」

「ちなみに言っとくが、俺には聞くんじゃねぇぞ。頭使うの頗る苦手だかんな」


 ウルティアは自分で考えるのは無理だと言い切った一騎に呆れた顔を向け、顎に手を添えて何かを考え出した。行動が一々と演技臭いのは彼女の癖なのだろう。


「……とりあえず」


 数秒の沈黙の後、ウルティアは自身のびしょ濡れに塗れた黒いローブを摘み、


「凍える前に服を乾かそうか」


 当たり前の回答を言った。




 

 

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