雷鳳と三人の魔術師

 立浪一騎が目覚めた時、身体に感じたのは最悪の激痛だった。


「づぁ……ッ……あァッ……チクショウ……ッ」


 ズキズキと痛む頭に、鈍痛を訴える身体。紅い血が土を濡らし、服は身体に張り付く。血が流れる頭を抑えながら、身体を無理矢理に起こして、辺りを見回した。


「……クソッタレ……」


 言葉が出ない。 

 周りは正に地獄絵図だった。


 深紅の炎で燃え盛る木々と、無惨に散った瓦礫と地面。電灯や自動販売機は見る影もなく、何処を見ても人の姿は見えない。それどころか、凄まじい勢いで黒煙が立ち上り視界を遮ってくる。

 悲惨な光景を前に奥歯を噛み締めた。

 最悪の気分だ。

 もう二度と経験したくなかった。こんな悲惨な光景は、二度と見たくなかった。

 三日前に比べて、大きな外傷がないだけマシと想うべきなのか。あの時に比べ、身体は想うように動いてくれる。頭も二回目とあっては冷静だ。

 しかし、心はそうもいかない。 

 もう一度だけ奥歯を噛み締めて、くるりくるりと辺りを見渡し、


「……ツバキ……?」


 其処で気付く。

 一緒に彼女の姿が何処にもない。首をぐるりと回し、近くに居る筈の少女を必死に探した。


「黒髪の奴は? 金髪の奴はッ!? 死んでねぇよなァ……ッ!! クソ、おいッ!! ツバキィッ!? 居るんだったら返事しろッ!!」


 目元を汚す血を腕で拭い、黒煙の中を目まぐるしく見渡す。自分を置いて、街中へ逃げ出したのならば良い。だが、まだ気絶していたり、大怪我を負って倒れているなら話は別だ。この黒煙。意識があっても、真面に煙を吸い込めば唯ではすまない。もし身動きがとれないなら、直ぐに助けなければ。


 なぜなら。


 あの化け物は――雷鳳らいほうはまだ近くにいる。


 ツバキだけじゃない。他にも黒髪の美人や、金髪の頼りない青年が側に居た上、この公園には沢山の人達が自分の時間を過ごしていた。


「探さねぇとッ……生きてる人が居る筈だ……誰かッ!! 動けない奴はいるかッ!?」


 これだけの被害なら、怪我人は絶対に居る。既に一騎は自分の事など、どうでも良かった。見知らぬ他人であろうと、助けなければならないという使命にも似た想いで声を荒げ続け――


『コォルルル――』


 息を飲む。


 ドサリと音を鳴らして地面を歩くこの音。鉄を擦り合わせたような不快な鳴き声。まるで暴力を体現した身体を震わせ、白き一角から雷を散らせる“稲妻の化身”


「……テメェ」


 黒煙に混じり、一騎の悲痛な叫びを聞き、近付いてきたのは一匹の化け物。


 牙を立て、ボタリと欲望のまま地面に涎を垂らす雷鳳らいほうは、一騎の目の前に姿を現した。美しさすら感じる白き一角を天に掲げ、姿勢を低める化け物は、ただ低く唸っていた。


「……逃げろって頭が叫んでんだがよォ……逃げられねぇよな……」


 額から垂れた血をまた拭い、髪を掻き上げた。

 雷鳳は愚鈍な見た目をしているが、実際はかなり機敏な素早さを持っている。走って逃げれば、直ぐに追い付かれて殺されるだろう。背を向けた瞬間、あの大爪で切り裂かれるのは分かっている。あれは、例えるなら熊のようなモノだ。

 だからこそ、一騎は動けないでいた。恐怖に竦んでいる訳では無く、震えから脚が動かないのではない。一騎は冷静に判断し、動かないでいたのだ。


『コォルルル……』


 一方の雷鳳は何故か一騎を目の前にしても、飛び掛かってこなかった。ただ唸るだけで、一騎を睨んだまま動かない。

 だが、ユキヒメを前にして怯えていた様子とはまた違う。雷鳳にとって、一騎はただのエサ。逃がす義理もなければ、怯える意味も無い。


 なら、何故、雷鳳は動かない?

 

 此方から動く訳にも行かず、じっと雷鳳の様子を睨んでいると、その答えは雷鳳の動きによって証明された。


「……あ?」



 グチャリ。



 まるで、濁り泥となった下水を掻き混ぜるような不快極まる音が耳に届く。不快なんて話では無い。寧ろ、吐き気すら催す程の気分を害するモノ。


『コォルルル……』


 ソレは本能が拒む醜悪な音色だった。

 血に浸った肉を鋭利な刃物でズタズタに裂くような。最低で最悪の音色。

 見るなと訴える心に抗い、一騎の目線はその音色に釣られるがまま視線を落とす。

 雷鳳の足下。

 黒煙に薄く隠れているが、見間違いようがなかった。グチャリ。グチャリと雷鳳が大爪で切り裂く物体。スプラッター映画なんて比じゃない現実が、一騎の視界を支配する。

 赤黒い血溜まりに倒れる、一人の肉塊・・・・

 もはや、ソレが男性なのか女性なのかすら分からない程、細切れになった人間だったモノ。人がステーキを食べやすく切るように。化け物はエサを食べやすくする為に大爪で切っている。淡々と。それが当たり前のように。


「―――やめろ」


 擦れる声で一騎は呟いた。

 ソレは、人がなっていい姿ではない。例え、肉塊が見知らぬ他人であろうと、肉塊なっていい理由なんて存在しない。ある想いが胸に込み上げ、頭を染めていく。

 ふつふつと沸き上がる抑えきれない衝動が身体を支配していく。


『コォルルル……』


 邪魔をするなと喉を震わせる雷鳳は、大爪を肉塊に突き刺す。弄ぶように、無意味に。化け物にすれば当たり前の行動なのだろう。食べると言う本能は生き物にとって自然の摂理だ。


 あぁ、だが。


 立浪一騎は――それに堪える事が出来なかった。


「―――」


 前のめりに一歩を踏み出す。


 爆発。

 一騎が蹴り抜いた地面が弾け、土塊が飛び散る。数メートルは離れていた雷鳳との距離を一瞬で詰めた一騎は流れる動作で自然に右拳を引く。丸めた身体は振り子のように回し、腰の捻りを加えた渾身の右ストレートが、


『パギャ――ッ!?』


 雷鳳の右頬を完全に捕らえた。

 振り抜いた拳に合わせ、さながらゴムボールのように打っ飛ぶ雷鳳は、大木を勢いのままへし折り、地面に転がり落ちる。反射から身体を起こす化け物だが。


「ッ――」


 ゆらりと、また地を蹴り抜いた一騎は、再び数メートルの距離を瞬きの間で詰める。

 その勢いを乗せ、雷鳳の顔面目掛け、身体を横倒しながら掬い上げる超低空からのアッパー。獣の悲鳴を上げて、宙に身体を浮かす鳳を一騎は逃さない。


 一秒にも満たないステップで体勢を変えると、左右からのジャブ。空気すら置き去りにする高速の二連打は雷鳳の身体を波打つ。

 タンタンと軽快なリズムでスイッチ。


「ヂィ……ッ」


 唾と血を無意識に吹く程に力を込め、左リバーブロー。


『ゴォッ……ルォオオォォオォオォォオオオオォォオォオォォオオッ!!』


 脇腹を抉るような一撃の痛みに悲鳴を鳴きながら、雷鳳は一騎を振り払うように大木のような腕を薙ぐ。


「ふっ……ッ」


 神速のダッキング身を屈める

 再び腰を捻り、目にも止まらぬワンツーの後から放たれるのは一撃の必殺。数多の敵をリングに沈め、“破拳”と畏怖された根本たる原因。


「ァ――ッあぁあぁアァァラァッ!!」


 渾身の右ストレート。


 鋭き刃の一撃は雷鳳の肋を砕き、肺を抉りめり込む。


『ギギィッ……』


 空気が弾け飛ぶ爆音。

 歯軋りのように牙を噛み締める悲鳴を鳴く雷鳳は、その破壊を体現した一撃に為すがまま吹き飛び、地を滑り転がった。同時に一騎の拳が割れ、血が吹く。常人なら藻掻き苦しむ激痛をものともせず、一騎はただ目の前の雷鳳を冷酷な激情の顔で睨む。


「もう辞めだ」


 拳に流れる血を払い、一歩を踏み出す。


「もうウンザリだ」


 その瞳の奥底に宿るのは深い感情。

 耐えてきたモノが溢れ、耐えきれない想いがこぼれ落ちた。

 

『コォ……コォルォ……』


 雷鳳は殴られた痛みを一騎と同様に堪え、身を起こす。


「目が覚めたら異世界だァ……挙げ句、爆発で死にかけ、起きりゃ目の前に化け物テメェだァ? 理不尽も良いとこだぜ? 有り得るかよ」


 ずっと、耐えた。

 何ら変わりない日常を過ごしていたのに。何ら変わりない毎日を楽しんでいたのに。

 説明も無く死にかけ、異世界だ。

 車に轢かれて死にかけたなら納得した。爆発事故に巻き込まれて死にかけたなら納得した。

 あぁ、だが。

 これはあまりにも非情過ぎる。

 

 ずっと耐えてきたのだ。

 ユキヒメに当り散らしても意味はないと。アイシスの優しさに漬け込み、自分を地球に返してくれと喚き散らしても意味はないと。


 自分が愛する彼女が居た世界に自分がいない。

 自分を愛してくれたたった一人の家族がいない。


 友を。仲間を。家族を。


 彼女を自分から引き離した現実に、耐えてきた。


 あぁ、だが。


 今、目の前でもっとも立浪一騎が許せないことをやった化け物がいる。


「もう辞めだ。もう我慢なんざしねぇ。テメェは苛立ちを堪えてきた俺の前で人を喰いやがった。テメェからすれば普通なんだろうがよ。それだけは駄目だ。それだけは許せねぇ……」


 この想いを言葉にするのは簡単だ。

 見知らぬ場所に飛ばされ、悲しむのではない。自分が護るべき存在が周りに居らず、逢いたいと願う悲痛でもない。


 耐え難い理不尽に。

 自分の前で人を喰らった化け物に。

 人をアリのように殺した怪物に。

 

「あァ……ッ……俺の前で人を殺しやがったなァ……」


 一騎は――


「――クソ化け物がァアァアアアァアァァアアアァッッ!!」


 最高にムカついていた・・・・・・・・・


『ルォオオォォオォオォォオオォォオオオオォオォォオオォォオオオオォオ――ッ!!』


 一騎の咆哮に、己の咆哮を返した雷鳳。

 大地を震わせる威嚇のやりとりを切っ掛けに、ソレは始まった。


 バチリ、バチリと雷が弾ける。

 雷鳴と共に、凄まじい稲妻が地を弾け飛ばす。

 身に纏うは絶対的な自然の破壊。

 大地を破壊し、水を穿つ。轟く唸りは人々に恐怖を植え付け、降り注ぐ力は木々を破壊した。目映い光は夜を照らし、描く形は畏怖を示す。


 その名をイナヅマ。

 その名をイカヅチ。

 その名はカミナリ。


 龍の顎はエサを喰らい。大熊の爪は敵を斬り殺す。鉄の肉体は鋼の肉に膨張し、丸太のような手足はであろうと吹き飛ばす。

 人はこの化け物をこう呼んだ。



『コォルルルルォ……』



 “稲妻の化身”と。


 余波だろうと触れただけで命の危険すらある稲妻を前に、一騎は両手を顔の前に構える。

 雷鳳は本気だ。

 エサを前に舌舐めずりしていた獣はもういない。目の前に居るのは、魔物と恐れられる異常な怪物。怒りに身を任せて殴り飛ばせば、死ぬのは此方。


 想い出せ。さっきの感覚を。

 

 雷鳳を殴り飛ばした時、ハッキリと自覚した。

 自分の身体能力は十中八九、数段は上がっている。何故、身体能力が上がっているのかなど、今はどうでもいい。重要なのは、自分が雷鳳を殴り殺せると言う事実。

 

 雷鳳は身体に稲妻を纏っている。先程のように、何も考えず殴れば感電死は免れないだろう。

 狙うは稲妻を纏っていない腹。

 臍に当たる部分を睨み、血だらけの拳を握り締めた。

 一欠片の油断もない。

 一瞬のミスが命取りだと分かっている。


 しかし。


『コォルルル』


 油断しなくとも、雷鳳と言う魔物の恐ろしさを直ぐに思い知らされた。


「あ?」


 消えた。

 比喩ではない。文字通り、一騎の視界から雷鳳が消え去った。四メートルはある化け物が、まるで最初から其処に居なかったように。


「……ッ!?」


 刹那、雷鳳は一騎の目の前に現れる。


『ルォオオォォオォオォォオオォォオオオオォオォォオオォォオオオオォオ――ッ!!』


 奇しくも、一騎が雷鳳にしたように同じ。何メートルと離れていた距離を一瞬で詰めた雷鳳はその勢いのまま、大爪に雷を纏わせ、薙ぎ払うように振るう。


「速――ッ!?」


 もはや反射の域。さっきまで見えていた雷鳳の動きを欠片も見れない一騎は本能が警戒するままダッキングを行うと、頭の真上で竜巻が通り過ぎたような轟音が響く。

 冷や汗なんてレベルではない。躱せた事が奇跡に近かった。こんなモノ、真面に喰らえば真っ二つに切り裂かれるどころか、肉片にされるだろう。


「……ッテメェ」


 駄目だ。

 カウンターなんて考えてる暇はない。雷鳳に先手を譲っていては此方が持たないのは明白だ。握った拳の連打を浴びせ、自分が主導権を握らなければ殺される。

 腰を捻り、左拳を引く。


「……ッ」


 其処で本能が再び、躱せと訴えてきた。

 腕を振り抜き、誰が見ても隙だらけになっている雷鳳の眼光は決して鈍ってはいない。それは、何かを狙う戦鬼の瞳。

 コイツは、攻撃を外したと想っていない。むしろ、一騎が避けると核心していたのだ。


『ルォオオォォオォオォォオオォォオオオオォオッ!!』


 雷鳳の身体が振り抜いた腕に合わせて廻る。一騎に背を見せた雷鳳。狙いは、雷鳳が持つ一騎にはない部位による攻撃。


「ッ……尻っ尾…」


 気付いた時には遅かった。

 雷鳳の腰から生えるシャベルのような尻尾は、遠心力を全開まで乗せ、一騎の腹目掛けて、


「ゴォッ!?」


 振り抜かれた。

 鈍い打撃音ではなく、雷鳴のような爆音が轟き、一騎を数十メートルと打っ飛ばす。

 初めから腕の薙ぎ払いを当てるつもりなどなかった。雷鳳は一騎が自分の薙ぎ払いを躱すと分かっていたのだ。故に、相手の実力を理解し、理性を持たぬ獣は尻尾を全力で振り抜いた。一騎が躱す事を誘い、まるで人間のようなフェイントを雷鳳は仕掛けてきた。


「ガァギィ……ッ!!」


 何十回と地面を転げ回り、外壁に背中を強打する。外壁が陥没した様子を見れば、どれだけの力で尻尾の打撃を食らったか想像に難くない。

 

「グッ……のっォッ!!」


 吐き気を催す痛みを堪え、身体を立たせる。

 あれが獣のやることか。人の強さを理解して対応してみせるなど、それは人が人にやることだ。

 これが。


 これが、国に大掛かりなバリアを張らせ、討伐する軍隊まで作らせる原因となった怪物―――魔物。


 戦慄を隠し切れない一騎だが、現在は地面に寝転んでいる間は待ってくれるリングとは違う。命のやり取りに待てはない。追い打ちは直ぐ様やってくる。

 

『コォルルル』

「おい……」


 顔を上げ、血の気が引いた。

 背中を向けていた雷鳳は、また廻る。尻尾を振り上げ、大口を開きながら。口元に集まるのは雷の塊。

 それは正しく雷鳳が撃った破壊の砲弾。


「ゴジラか、テメェはッ!?」


 マズイ。

 この雷の砲弾は、先程まで平和な公園だった場所を地獄に変える威力を持ったエネルギーの塊だ。避けなければ、自分は数秒で蒸発するだろう。

 身を起こし、脚に力を込める。


「ヅァッ!?」


 瞬間、激痛を伴う痺れが身体を襲い、地面に着いた手からは静電気が何度も起こる。


「脚が痺れ……ッ!?」


 稲妻だ。

 雷鳳は自らの身体に雷を纏っている。その雷に触れてしまった後遺症か。全身が震えて上手く動かない麻痺が一騎をその場に留めさせた。


『ルォオオォォオォオォォオオォォオオオオォオ――ッ!!』


 雷鳳はその致命的な隙を見逃さない。

 大口から放たれた光り輝く雷の砲弾は真っ直ぐと迫り来る。


「クソ野郎がァッ!!」


 避けるのは無理だと悟った一騎は素早く腕を上げて顔面を護る。


 アレに耐えられるか? 

 自問自答で帰ってくる答えは不可能の三文字。だが、耐えられねば死ぬのみ。

 脳裏に浮かぶのは、幼馴染みの微笑み。走馬灯のような映像を、奥歯を噛み締めて消した。


「……ッ」


 耐えてやると砲弾を睨む。


「――その侠気は感服やけど、耐えきれる訳ないやろッ!!」


 凜とした声が真上から響く。


「……おまっ!?」


 折れ欠けた木の枝を蹴り飛ばし、空からふわりと一回だけ廻って降り立つのは一人の鬼。 


 黒と緑の着物。

 腕には数珠。

 額から生やすは二本の赤角。

 幼さに見合わぬ赤化粧と妖艶さを醸し出す雰囲気。


 自分よりも遙かに小さな身体で、満ちる自信を笑みに浮かべて彼女は―


「ツバキッ!?」


 ――ツバキ・ナミヤナは一騎の前に姿を現した。

 彼女の手に握られていたのは、平和な場所に似つかわしくない武具。左手に握る大盾を突き出し、右手に握る大槍は手前に引く。まるで、中世の戦士のような構えからツバキは大盾を軽く振るった。


風魔ふうま装填そうてんやァッ!!」


 耳を劈く銃撃音が一回だけ鳴り響く。

 それが合図だった。

 まるで風に愛されているように。まるで、風が彼女を愛しているように。土煙を巻き上げ、目に見える程の風圧を持った風がツバキの手に集う。


「魔力には魔力でしか対応出来へん」


 パンっと乾いた音を鳴らして、ツバキは手を胸の前で合わせる。


「せやから、魔術師うちら魔物貴様の天敵でいるんやッ!! ――風印ふういん正方障壁陣せいほうしょうへきじんッ!!」


 例えるなら、風圧の壁。

 ツバキが自らの前に盾として作り出したのは、風の嵐で形成される暴風の障壁だった。透けているのに、確かに其処にあると目に見える正方形の壁。

 迫る雷の砲弾は風壁に激突。魔力と魔力がぶつかり合った凄まじい衝撃は突風を唸らせ、辛うじて残っていた木々を吹き飛ばし、大地を抉る。 その衝撃に一騎はたまらず顔を覆う。

 だが、防いだ・・・。 

 風壁は雷の砲弾を見事に防いだのだ。余波の欠片も残さず、丘を更地に変える威力を持ったエネルギーの塊を。


「痛っつー……腹にズシンとくる魔術を防いだのは久しぶりじゃ。なんちゅう威力じゃ、化け物め……ッ」


 この小さな少女が生み出した壁に防がれたのだ。

 風壁を作り出したツバキは、まるで軽い震動に痺れたと言わんばかりに手をぷらぷらと揺らす。


「……お前」


 思わず我を忘れ、呟いた。

 これが魔術。大地を消し飛ばす魔術を、何もなかったように防ぐ魔術師。目の前に広がった非現実的な光景は、一騎に呆ける以外の選択肢を与えてはくれない。


『コォルルル』


 一方。新たに現れた第三者に対し、雷鳳は警戒を抱いて唸っていた。それはユキヒメを前にして怯えていた三日前と同じ。

 雷鳳は獣ながら、魔術師という天敵を自覚している。


「って、そうだ。テメェ、なんで逃げてねぇんだッ!?」

「逃げる? なんでうちが逃げなきゃあかん?」


 身体の痺れが依然とれない一騎はハッと気付き、声を荒げる。だが、ツバキは妖艶さを現す苦笑を浮かべ、まるで不思議なことを聞くと言いたげに首を竦めた。


「うちが無傷なのはイッ君が庇ったお陰や。命張って庇った男を見捨てる女は屑じゃけ。うちはそんな屑にはなりとうない」

「だからって…」

「それに――助けに来たのはうちだけやないで!!」


 なにを、と口にしようとした瞬間。


「炎魔――装っ填だッァアァ!!」


 銃撃音が真横から響いた。

 釣られるように目を向ける。其処に居たのは、金髪の青年。間違いない、雷鳳に襲われた時、側に居た頼りなさげな青年だ。


「彼奴ッ!?」


 彼は脚だけの鎧、グリーヴを展開すると、地を蹴り飛ばし、雷鳳へと駆ける。

 その時、炎が吹き荒れた。

 まるで彼の背中を押すように、さながら巨大なガスバーナーのように噴出する炎の波に乗り、彼は地をロケットのように疾走する。

 その速さは、雷鳳をも凌駕した。


「あぁぁっ……!? なんで逃げないのかなぁ、俺っちはッ!! 滅茶苦茶怖いっ……でもッ……おぉおぉぉおおぉぉおおぉぉおッ!!」


 瞬きの間に。いや、瞬きをする前に。彼は一瞬で雷鳳の懐に潜り込み、身体を捻る。それと同時に脚部から炎が吹いた。


「おぉおラァッ!!」


 脚を振り上げる。と、認識した時には、既に彼の回し蹴りは二回振り抜かれていた。

 速いなんて話じゃない。あの速度はまるでマッハで走る戦闘機にすら想えるほど。速さに慣れている一騎ですらまるで目に見えなかった。

 勿論。


『コォ……ッ!?』


 それは雷鳳も同じ。

 為すがまま炎の嵐に弾け、後方に打っ飛び、外壁に激突すると瓦礫に飲まれていく雷鳳。ソレを尻目に、金髪の青年は再び脚から炎を噴出すると、その勢いに乗って、一騎の側に降り立つ。


「離ァァ脱ッ!! 怖っ!? 彼奴、怖すぎッスよっ!? 見たッスか!? あの牙っ!? 剣かッ!?」

「……て、テメェは?」

「俺っち? ――サリバン・レオルフード 。大丈夫ッスか?」


 金髪の短髪に、整った顔立ち。中肉中背、金髪以外には特に目立った特徴が見当たらない。そんな彼は、恐怖に怯えた表情を裏に隠しながらも、一騎に手を差し伸ばした。


「あ、あぁ……」

「よっとっ! まっ、見た目よりかは無事そうッスね。つうか、凄いッスねっ!? 魔装具ナシで普通、雷鳳に歯向かうッスかッ!?」

「いや、つい……」

「つい、で命張る男がほいほいおるか。ほんま、無謀っちゅうもんや……無謀な男は嫌いやないけどな」 


 一騎を庇うように前に立つツバキと、金髪の青年―サリバン。二人はそれぞれの魔装具を構えたまま、似たような苦笑を浮かべる。確かに、改めて考えてみたらどうかしていたのか。怒りに飲まれると自分の安全を考えられなくなる癖は昔から直らない。


『ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォ――ッ!!』


 安心したのも束の間。

 外壁の瓦礫に埋もれていた雷鳳は、身体から雷を放ち瓦礫を消し飛ばすと、まるで何もなかった様子なく立ち上がる。


「……サリー。なんや、雷鳳の奴、全然痛がってないやん」


 爆弾を至近距離で喰らったも同然の攻撃に見えたが、雷鳳は全く痛がった様子もない。ジト目でサリバンを見るツバキに、彼は誤魔化すように頭を搔いた。


「サリーって……まぁ、好きに呼んで良いけどッスけど……いやさ。生憎、俺っちって脚は自信あんスけど、攻撃に関してはアレでして……ぶっちゃけ、ちょっと強い蹴りくらいでして……」

「見た目は炎撒き散らして凄そうだったぜ?」

「アレは演出ッス。炎撒き散らした方がカッコいいから、そうなるように魔術造ったんス。実際、撒き散らした炎はロウソクくらいの熱さしかないッス」

「えぇ……」

「えぇ……」


 真顔で情けないことを断言するサリバンに二人が呆れる。大袈裟な程に狼煙を上げた炎は全部が見栄。  


『コォルルル――』


 独特の鳴き声に三人はすかさず体制を低めて構える。


「くっちゃべってる暇はねぇな……どうする、魔術師さんよ」


 雷鳳は依然、殺意を剥き出しにしていた。サリバンが自分で言った通り、あの炎を纏った蹴りは然程のダメージは入っていない。ようは、腰の入ってないラッキーパンチが当たって倒れた程度だ。

 そして、残念な事にツバキは自らが言い切るほど攻撃に関しては才能がない。恐らく、雷鳳に手痛い攻撃が出来るのは魔力を操る魔装具を持たない一騎のみ。

 それも高々知れているだろう。どうにか状況を打開しなければならないと、二人に横目で問い掛けると、ツバキは余裕な態度で軽く首を振った。


「時間稼ぎは十分やろ」

「まぁ、言われた時間は稼いだッスね」

「時間稼ぎ? なにを…」


 言っていると言葉を続けようとした時。


「――十分も十分。化粧直ししている暇も貰ったよ」


 ふわりと、“天使”は一騎の前に舞い降りる。

 汚れなき純白の翼を腰にはためかせ、背中を大きく露出させた身体に張り付く服装を臆面なく晒す。自分の容姿に絶対の自信が無ければ、絶対に着ることがない。

 

「優花……?」


 黒く艶やかな長髪を一つに纏め、首に括り付けていたローブを勢い良く脱ぎ捨てる彼女。


「誰だそれは。僕の甘美な名はウルティア・シルヒリット・ヒースクロフトっ!! 間違えるなよ、ヤクザ君」


 それは、自意識過剰が直ぐに分かるほど絶対の自信が隠った発言。

 幼馴染みである桜井優花と重なる絶世の美女。

 

「相変わらず姉さんはナルシストじゃ」

「僕が自意識過剰だって? それはそうだろう。自分に自信が無い奴が成せることなんてない。だから根拠がなかろうが。無理だと分かっていようが――」


 彼女は、シルヒリットはまるで舞いを踊るように廻る。腰から生えた翼から羽根が散る。

 ベルトから引き抜くのは二つの機工杖。

 浮かべる表情は舞台に上がる稀代の女優のような道化の微笑み。


「――僕は何時だって自意識過剰さっ!! 水魔すいま二重にじゅう装填そうてんッ!!」


 響く銃撃音は二回。

 その瞬間、シルヒリットの持つ二本の杖から、白き粉が舞う。否、それは粉ではない。


「氷……?」


 火の灯りに反射して煌めく氷の礫。


『ルゥォオオォオオォォォォォ――ッ!!』


 その光景に危機感を抱いたのは雷鳳だった。

 雷を放ち、地面を蹴り飛ばして飛び掛かろうとする化け物に対してもシルヒリットは余裕の態度を変えず、両手に握る杖を器用に回しながら真上に振りかぶり、


「“氷鎖ひょうさ牢獄ろうごくを汝が承り、断罪の束縛を”ッ!!」


 地面に突き刺す。


『コォッ!?』


 それは一瞬だった。

 何十もの氷で造られた鎖が、何もない空中から出現し、雷鳳の体中を雁字搦めに捕縛して宙吊りにする。

 正に魔術。いや、魔法としか言えない光景だ。一騎が知る地球では有り得ない、世界の法則を無視した現象。それを引き起こしたのは目の前にいる自分より遙かに小柄な一人の少女。


「すげぇ……な、んだ、これ……?」


 次々と氷の鎖は彼女の魔力によって造られ、雷鳳の身体を捕縛していく。丸太のような腕を地面に結び、筋肉の動きを阻害するように関節を巻く。


「五分で造った魔術にしては上出来だね。名付けて氷の亀甲縛り。我ながら何とも見たくない縛りだねぇ」

「下ネタかよッ!? このタイミングでッ!? 嘘だろお前ッ!?」

「いや、実際ね。亀甲縛りって本当に優れた捕縛術なんだよ……僕だって出来ることならあんな化け物の亀甲縛り見たくないわッ!! でも他に捕縛する方法が思い付かなかったんだよ、しょうがないだろうっ!?」

「うーん……需要はないやろなぁ……」

「そもそも魔物の亀甲縛りに需要があったら、俺っちドン引きッスよ……」


 完全に鎖で身動きを封じられた雷鳳を前に余裕が生まれたのか、軽口を言い合う四人。

 だが。


『――ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォォォォオォオォォォォォッ!!』


 鎖で封じられる雷鳳ではない。

 身体から放つ雷の勢いが更に激しくなり、氷の鎖を簡単に砕いていく。それどころか、身動きがとれない筈の雷鳳は力任せに身体を震わせ、捕縛を解いていく。


「おい……オイオイオイッ!! 全然捕まえられてねぇじゃねぇかッ!?」

「ちょ、まッ!! 力強ッ!? 痛たたたたァッ!? お、鬼っ娘っ!? お前、風印ふういん術の使い手だろう!?」

「そう言われてもなぁ。うち、防御以外に才能あらへんし」

「良いからさっさとやれ、鬼っ!! ちょ、速くっ!! 鎖が砕けるからっ!!」

「さっきまでの自信はどうしたんや……それに鬼やない、ツバキじゃ、ツバキ。あんま期待せんと……風魔二重装填―風印ふういん長方ちょうほう障壁式しょうへきしき


 大盾から銃撃音が二回響き、魔力を取り込んだツバキは両手を胸の前で合わせる。ソレに合わせ、


「捕縛術・一式ッ!!」

『ゴォル…ッ!?』


 長方形の風で造られた障壁が、雷鳳の手足を地面に抑え付けた。

 

『ルゥォオオォオオォォォォォオォオオォォ――ッ!!』


 しかし、雷鳳の勢いは変わらない。それどころか、雷の力は更に増し、目映い閃光が絶えずに弾け続ける。ツバキが造り出した障壁もメキメキと音を鳴らしていた。


「ぬぅ……ッ……た、く、馬鹿力の魔物じゃけ……ッ!」

「ふぅ……よし、頑張れ鬼っ娘」

「手ぇ休めるなドアホっ!! なに、ちょっと休憩しとんじゃっ!?」

「安心しろ、僕が造ったのは氷点下の氷鎖。もう雷鳳の皮膚にくっついているさ。つまり、僕が頑張ってもあまり意味がない。後は君の頑張り次第さ」

「こっの、図太い姉さんや……っ!!」


 自らを抑え付ける結界を暴力のままに砕こうと藻掻く雷鳳と、顔を顰めて腕を震わすツバキ。何が起きているか分からないが、何等かの力で雷鳳の動きを止めているのだろう。


「さて、諸君。此処からが問題だよ」


 規格外の力である魔術に目を見張る一騎を他所に、ナルシストの美少女――ウルティア・シルヒリット・ヒースクロフトは親指を立てて口を開く。まるで学者のような語り口調だ。それがウルティアの癖なのか、彼女はそのまま、雷鳳を指差す。


「問題だァ?」

「”狩り人”が緊急通報を受けて此処まで来る時間は……そうだね、十五分と言ったところか。さて、雷鳳を討伐してくれる”狩り人”が来るのは十五分後。その間、雷鳳が民家街に行くのを止めなければならないだろう?」


 雷鳳は人食いの魔物だ。今でこそ、町から離れている場所だから良いが、雷鳳が市民のいる場所にいってしまえば、予想されるのは大量殺人の阿鼻叫喚だ。ウルティアの言葉にハッと気付く。

 そうだ。今、一番避けるべきなのは、雷鳳を街中に行かせない事だ。


「此処で疑問がひとつ。雷鳳を市民街に行かせないにはどうすればいいと思う? はい、そこの金髪!!」

「お、俺っち!? え、えーと……雷鳳を倒す?」

「無理。中型級ナルドに該当する雷鳳を付け焼刃なチームである僕達が討伐するのはまず不可能。よって却下。はい、次は鬼っ娘!!」

「ぬぎぎッ……う、うち、いま雷鳳を縛り付けてるの分からんかッ!? 話してる余裕ないんやけどッ!!」

「残念。僕的には君から回答を得られると思ったんだけどね。じゃあ、ヤクザ!!」


 なすがままに見ていたが、ウルティアから指を指されてから考えを深める。


 雷鳳を市民街に行かせないためにはどうする?


 まず思いついたのが、このままツバキの魔術によって、雷鳳を縛り付けていることだ。しかし。横目で除き見るツバキの額は大量の冷や汗を流しており、端正な顔立ちを苦痛に歪めている。おそらく、縛り付けているのも数分程度で限界が訪れる。

 二つ目、サリバンと同じく雷鳳を倒すこと。これはすぐに無理だと答えに辿り着いた。

 自分は魔術が扱えず、足手纏い。サリバンの攻撃も通じない。ツバキも攻撃に関しては才能がないと自分で言っていた。そして、ウルティアに至っては自分自身で雷鳳を倒すのは無理だと言っていたからには、有効打はないのだろう。


 となれば、三つ目。


「雷鳳を引き付けて、市民街とは正反対の方向に逃げるしかねぇだろ」

「ほう」


 一騎の回答が意外だったのか、ウルティアは目を見開いてわざとらしく驚く。


「んだよ」

「いや、人は見かけによらないねぇ。君の答えに同意だよ。さて、という訳で、雷鳳を引き付けて市民街とは正反対の場所に逃げるのだけども、此処で問題がひとつだ」

「問題まだあるんスか……?」

「市民街に当たる場所はこの公園の周りなんだよね」

「マジかよ……」


 ふと周りをみてみれば、立ち上る黒煙に混ざり、確かに民家が見えた。アパートやマンションのような建造物は右にも左にも真後ろにもある。


「逃げる場所なくねッ!?」

「ひとつだけあるよ」

「……あぁ……俺っち、分かったかも……分かりたくないけど……」

「はぁ……? って……おい……ッ」


 右も左も真後ろにも雷鳳を行かせてはならない。

 だとすれば、道はひとつ。


 真正面だ。


 しかし、真正面には問題だらけの逃げ道。


 それもその筈。

 一騎の真正面。雷鳳の真後ろ。其処には、薄桃色の割れたバリアが残り、果てしない樹海が広がっている。


 ユキヒメに聞いたことがある。ダスクリア王国の外はどうなっているのかと。

 帰ってきた答えは「樹海」の一言だ。整備されている道以外、天使の翼エンドゥルの外側は人が立ち寄らぬ樹海。木々に覆い隠され、魔物が徘徊している場所だと。

 つまり、ウルティアはこう言う。


「そう、雷鳳を民家街に行かせないための引き付けて僕たちが逃げる場所はひとつ。バリアの外側―――――魔物が住み着く樹海さ」


 市民を守るため、雷鳳を国外へと引き付けて逃げると。

 その答えに、ウルティアを除いた三人の顔が強張る。当たり前だ。国外は魔物の住処と言っていい。魔物によって人の手が入る余地もなく、人が立ち入ることが考えられていないそんな場所に、ろくな準備もしていない青年少女が飛び出すように向かうのは自殺と同義だ。


「ぶっちゃけ、これは自殺染みた方法だ。一応、国外に飛び出して上手い具合に雷鳳を撒いた場合のことも考えているけど、僕一人では絶対に無理だと断言出来る。さて、此処で、君達に選択肢を与えよう」


 ソレを分かっているのだろう。ウルティアは一切の誤魔化しを含めずに三人の顔を確かめるように見回して、一息ついてから道化染みた笑みを浮かべると、出会ったばかりの他人である三人へ、


「他人を見殺してでも生きたいと思う奴は今すぐ逃げ出してくれ。僕は別に非難しないよ」


 選べと告げた。

 確かに、市民街に雷鳳が向かい、知りもしない他人が殺されるのは構わないならば、此処で尻尾を巻いて逃げ出せばいいだけの話だ。

 これは、「知りもしない他人を命を懸けて救うつもりはあるか」という問い。

 沈黙を貫いた金髪の青年、サリバンとツバキ。無理もない。こんな唐突に命の選択を迫られてすぐに回答出来るのは馬鹿か、考えないの愚者だ。自分の命を考えない奴はただの狂人だろう。自分だって即決など出来ない問いだ。


 ゆっくりと息を吐く。


「テメェは?」

「うん?」


 頭を乱雑に掻いて、ウルティアの隣に並んだ。


「テメェは逃げたくねぇのか」

「まぁ、正直なところを言えば逃げたいんだけどね」

「じゃあなんで逃げねぇんだよ?」

「気持ち悪いだろう」

「はぁ?」


 一騎の言葉に、ウルティアはまた道化染みた笑みを浮かべてわざとらしく肩を竦める。


「別に知りもしない他人がどうなろうと構わないけど、僕が頑張ればどうにか出来た問題で他人が死んだりしたら気持ち悪いだろう。あの時、やっておけば良かったって後でウジウジ思い返すのは大嫌いなんだ……だから、まぁ。僕はやるよ。後でやっておけば良かったなんて思いたくないから」


 単に後悔したくないからという訳でもない。ウルティアの言い訳は自分本位の考え方だ。それが、脳裏に掠める幼馴染と重なり、不思議と見捨てる気の欠片もおきない。その考え方は自分と似ているからなのか。自己満足だけの考え方。


「ハッ……んだよそれ」

「僕も上手く言えないんだ。あまり深く突っ込まないでよ」

「そうかよ……んなら、悪ぃけど、付き合って貰うぜ」

「……来るのかい?」


 純粋な疑問だったのか、行動一つ一つに演技臭い動きが混じるウルティアも今回ばかりは素の表情で問う。だからこそ、一騎は嘘の欠片もない言葉でこう返した。


「此処で尻尾巻いて逃げて、助けられた人を見殺しにしろってか? ざけんな。そんなことするくれぇなら、首掻っ切られて死んだ方がマシだ。それに……」

「……それに?」


 立浪一騎はどうしようもない男だ。自分でもそう思う。

 考えるより手が出るタイプで、頭は頗る悪い。口は悪く、礼儀も知らない無作法。敬語すらろくに喋れない。

 だが、人として譲れないモノは持っている。


「俺は人生でやぶらねぇと誓った親父との約束があんだよ」


 それは、記憶のかすかにしか残らぬ父の姿。病室のベットで寝込む姿しか記憶がない。 それでも、大きく見えた父親の姿と、交わした約束。


「約束?」

「おう。今回はその約束に引っ掛かるってだけだ」

「聞いても?」


 今度は演技染みた動作で聞いてくるウルティア。そんな彼女を指差し、からかうように、


「――良い女は死んでも護れってな」


 予想外だったのだろう。

 ウルティアは目を丸くして、マジマジと一騎を見返す。

 聞いてみれば単純で、馬鹿かと言えるほと簡単な言い訳だ。


「――――くくっ――――くははははははははッ!!」


 何がおかしかったのか。ウルティアはこれまたわざとらしく額を片手で押さえながら、大口を開いて笑い出す。これまで、容姿を気遣っていた動作とは真逆。見事に笑われた一騎は恥ずかしさを誤魔化すようにそっぽを向いて、顔を顰めた。


「臭い台詞で悪かったな」

「くはははっ!! いやはや、良いねぇ。僕は君みたいな単純な男は嫌いじゃない!! いや、むしろ好感触さ!! では、決まりだ。僕と君で国外の樹海へと逃げようか」


 まだ笑いが込み上げているのか、噛み殺しながら言う。


「はい!! はぁーい!! なんか姉さんとイッ君だけで行く流れやけどうちも行くで!!」

「あ? お前は逃げても良いんだぜ?」

「ふざけんなや!! 此処で逃げたら、うちかて自分を許せんわ!! うちやってな、知りもしない他人がどうなろうと知ったことやないんが本音やけど!!」


 両手を合わせ、雷鳳を縛り付けるツバキが声を荒げる。


『―――――ルゥオオオオオオオオオオオオッ!!』


 それを好機と見たのか、雷鳳が唸りを上げてもがく強さをあげた。ミシミシと音を上げ、壊れかける風の結界。


「じゃっかいしいわ、こんボケェエエッ!!」

『ルゥオォォォオオォォオ――――ッ!?』


 裂帛の叫びと共に、再び雷鳳が地面へと縫い付けられた。

 ツバキの顔は苦しみと汗に濡れ、その押さえつける行為がどれだけ彼女に負担を強いているかが見て分かる。だが、それでも、ツバキは苦しみの中に人懐っこい笑顔を浮かべる。


「イッ君みたいなええ男が気張ってる時に、一緒に気張れん糞みたいな女に成り下がるのはだけは死んでも御免じゃぁッ!!」


 魂からの叫びか。梃子でも譲らないと身体で示す。

 ツバキと、ウルティア。そして一騎が答えを出した。ツバキの様子から、もう雷鳳を縛り付けているのは限界だろう。

 残る一人。

 

「……ッ」


 怯えた瞳を惑わせる青年。

 答えは聞かなくても分かっていた。だが、それを言う勇気がないのだろう。


「サリバンつったか」

「ッ……」


 一騎が名前を呼ぶとその怯えを前面に出した。

 来いと言われるのが怖くてたまらないのだろう。それは決して駄目なことではない。これは命を賭ける選択だ。彼の言いたい答えは、当たり前で、それが普通の答えだ。

 だからこそ。


「お前は逃げろよ」

「え……?」


 一騎は笑みを彼に見せた。

 

「別に卑怯だとか意気地なしだとか罵ったりしねぇよ。俺だって逃げてぇのが本音だしな」

「……お、俺っち……」

「おっ。そうだ。そうだよ。俺達が雷鳳を引き付けるからよ、テメェは誰か助けを呼んでくれよ」


 サリバンの肩を叩き、町の方面へと軽く押す。彼の身体は恐怖ゆえか、簡単に動いてしまった。


「そうだね。それも大事な役目だ。樹海に迷い込む僕達を救助する人を呼ぶ奴も必要だ」

「だろ? な? つう訳だから……」


 頼むと口を開こうとした瞬間。


「あ、あかんっ!! ごめんーーーっ!! もう限界やぁああぁぁっ!!」


 爆音とツバキの悲鳴が劈いた。

 暴風が弾け飛び、地面が割れる。目を向ければ、雷鳳を縛り付けていた風の結界は見事に砕け散り、イカヅチが空へと唸りを上げて放たれた。

 対いに雷鳳を抑えていたツバキに限界が訪れたのだ。


『ルゥオオォォオオオオオオぉぉオオオォォオぉぉオおおぉオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!』


 まるでよくもやってくれたと言わんばかりの方向は四人へと向けられる。

 ひしひしと身体に感じる明確な殺意は、獲物は貴様らだと答えているような物だ。ぶるりと身体が震える。平気な顔をしているつもりだが、はたから見れば引きつった笑みを浮かべる悪人面だろう。


「洒落になんねぇくれぇにキレてんな……」

「好都合だろう。アレなら僕達を地の果てでも追いかけてくるぞ。ツバキ、大丈夫かい?」

「せやから鬼っ娘じゃないわッ!! ていうか名前で呼んでるやないか!?」

「……大丈夫そうだね。では、駆け抜けようとしようか」

「ダッシュか」

「ちなみに僕は魔力による身体強化をしない状態だと、十メートル走った時点で過呼吸になる」

「それ日常生活でもヤバくねぇかッ!?」

「一番速くリタイアするのは間違いなく僕だ。喜べ、ヤクザ君。絶世の美少女を抱えるチャンス到来だ」

「素直に助けてくれって言えねぇのかテメェは……」


 身を起こし、まるで解放されたと言わんばかりに水を切る犬のように身体を震わせる雷鳳。その眼光は確りと一騎を睨んでいた。雷鳳からすれば更に因縁が深まった怨敵なのだろう。これなら、自分だけが国外の樹海に行っても追いかけてきそうな有様だ。


「―――お、おおおおお俺っちも行くッス!!」


 そんな時だった。三人の真後ろから震えた叫びが上がったのは。


「サリー、此処は無理する時じゃあらへんよ!! 正直に言ったらサリーを庇う余裕あらへんし!!」

「もっと正直に言えば、足手纏いはいらないって話なんだけどね」

「そりゃ正直に言い過ぎじゃねぇか!?」


 問答をしている時間はない。少し焦った様子でツバキとウルティアは遠慮の欠片もない辛辣な言葉を言い放った。言い過ぎだとは思ったが、内心では一騎も同意だ。恐怖のあまりに震えて動けない奴を助ける余裕はない。それでも。


「なな、なら俺っちは無視して良いッス!! 捨てても良いッ!! 俺、俺ッ!! ――――弱虫だけには死んでもなりたくないッスからぁッ!!」


 まるで悲鳴だ。

 それでも。それでも。ウルティアにもツバキにも分からない、男としての叫びだった。気概だけだろう。本当は怖くて怖くて逃げだしたいのだろう。だが。それでもと叫ぶのは一人の男だ。

 どんなに情けない姿であろうと。足がガタガタと震えていようと。


『ルゥオオォォオオオオオオぉぉオオオォォオぉぉオおおぉオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!』


 時間はない。

 雷鳳は大爪を地面に突き刺し、鋭い一角を一騎へと突き出すと姿勢を下げだした。まるでクラウチングスタートの構えだ。それは本能ゆえか。あの姿勢が一番早く動き出せると自覚しているようだった。


「来るぜ、サリバン」

「へ、へ?」


 真横に並んだサリバンの肩を叩き、一騎は不敵に笑う。呆けた顔を返すサリバンを前に出すように背中を押し、自らも拳を構えた。


「行くぜ」


 言葉は短く先決に。

 だた思いを込めて。


 その言葉に。


「う、ウッスッ!!」


 サリバンは強く頷いた。


「来るよッ!! ヤクザ君、攻撃に関しては君がこの中で一番だ!! 一発ブチかましたら後ろを振り返らずに全員で樹海に突っ込むぞッ!!」


 ウルティアの叫びに全員の表情が引き締まる。

 その叫びに触発されたのは一騎達だけではなかった。


『ルゥオオォォオオオオオオぉぉオオオォォオぉぉオおおぉオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!』


 雷が轟音と共に弾ける。

 それは一瞬の出来事。再び視界から消え去った雷鳳。正しく雷と言っていい速度と思わせる移動を捉えることは、一騎を含めた全員に不可能なことだった。聞こえるのは巨体が風を切る音響だけ。


「参ったね……ッ」


 ウルティアは一人、言葉を吐き捨てる。

 あまりに速過ぎるのだ。元々、中型級ナルドに該当する魔物はプロの“狩り人”ですら、八人係りで討伐にあたるほど危険極まる魔物だ。その雷鳳を相手にとる自分達はプロにすらなれていないセミプロ程度の集まり。そんな自分達が雷鳳相手に真正面から一発当てるのは困難なこと。もし此処で雷鳳の攻撃を真面に食らってしまえば、引き付けて逃げるどころの話ではない。

 どうやって一騎の一撃を雷鳳に当てると思考を加速させた瞬間、


『コォルルル―――――ッ』

「……ッ!!」


 ウルティアの目の前に雷鳳が現れた。

 大爪を振り被る化け物に、ウルティアは息を飲んだ。

 

 避けられない―――


「――――ビンゴってなァッ!!」


 空気を切り裂く爆音。


『パギャッ!?』


 悲鳴にも似た雄叫び。

 ウルティアの目の前にいた雷鳳はさながらゴムボールのように弾け飛び、焼け野原となった公園の地面へ跳ね転がる。まるで砲弾を食らったかのようだ。

 目を見張るウルティアの視界へ次に映り込んだのは、拳を振りぬく一騎の姿。


「ハッ!! バカの一つ覚えみてぇに真正面に来るなら、真正面殴れや当たんだろうよッ!!」

「……はぁ?」


 思わず素で呆けた声を漏らした。

 一騎の言っていることは子供の答えるような回答だ。

 相手が見えないほど早く真正面に来るから、真正面を殴れば良い。

 言うのは容易い。それを実行するのがどれだけ難しいことなのかを理解しているのは当人である一騎を除いた三人だけ。

 一瞬でもタイミングが早ければ拳は空を殴る。

 一瞬でもタイミングが遅ければ雷鳳の大爪に切り裂かれる。

 絶対に間違えてはならないタイミングで、死ぬかもしれない恐怖を飲み込んで絶妙なタイミングで躊躇いなく拳を振りぬける者がどれだけいるのか。


 神業だった。


 誰が見てもそう答える事を、この男は平然とやったのだ。


「行くぜ、テメェ等アアアァッ!!」


 呆然としていたウルティアがハッと気付く。

 地面を転がっている雷鳳に、一騎の攻撃で堪えた様子はない。だが、完全に体制を崩していた。

 対し、此方は万全。国外の樹海へと続く真正面は、天使の翼エンドゥルが砕け、がら空き。だとすれば。


「全員、魔力を装填して走るよッ!! 水魔装填ッ!!」


 ウルティアが魔装具である機械杖を片手で廻す。


「かけっこの気分やなァッ!! 風魔装填やッ!!」


 ツバキが魔装具である大盾と大槍をぶつけ合わせる。


「あぁああぁあッ!! スッゲェ怖いッスけど、炎魔装填ッスぅうううッ!!」


 サリバンが震える脚を誤魔化すように、魔装具であるグリーヴで地面を踏みつけた。


 銃撃音が三回。


 一騎を除いた三人の体に魔力が装填されると、全員が地面を蹴り飛ばして走り出した。後ろを振り返る余裕など捨て去り、後悔などを抱かずに。


「駆け抜けろォォオオオォオォオオォオォッ!!」

「明日は絶対に筋肉痛だよ、最悪だな、もうッ!!」

「ウチなんか駄菓子で稼いだ金、全部置いていくハメや。さいっっっあくやあぁあぁッ!!」

「あぁああぁあぁあ、やっぱ逃げて良いッスかね、俺っちいいぃいいぃいッ!?」


 全員が、国外へと走り出した。





『ルゥオオォォオオオオオオぉぉオオオォォオぉぉオおおぉオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!』




 化け物を引き連れて。

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