誤魔化しの安らぎを

「ほ、本当に本当に本当に本当に大丈夫? 大丈夫なの? イッキちゃんが落ち着くまで、お姉ちゃんと此処に居て良いんだよ? お姉ちゃん、イッキちゃんの為に色々と頑張るから。ねっ? ねっ? やっぱり、一緒に…」

「貴女、気持ち悪いですね」

「気持ち悪いっ!? え、えっ? お、お姉ちゃん、気持ち悪いっ!? 吐いちゃうっ!?」

「えぇ、吐き気を誘います。そもそも、自分で自分をお姉ちゃんとか名乗る時点でかなり際どい。イッキは貴女の弟ではないでしょう。どのポジション狙ってるんですか? 爆乳チビ」

「辛辣だよっ!? 辛辣過ぎるよっ!? ユキヒメちゃん、何か私怨が混ざってないっ!? 」


 病院の前で仲良き事かな。二人のじゃれつきを他人事のように眺めながら、一騎は、アイシスとユキヒメから貰った服の着心地を確かめていた。

 ユキヒメの着ていた翡翠の羽織に黒シャツ。ジーパンのような材質のズボンは、実用的な収納が施され、軍人が着ているような物だ。正直、タダで貰うには良い素材が使われており、申し訳ない想いを感じる。

 しかし、自分が着ていた服は爆発でボロボロになってしまい、アレを着ると唯の露出狂になってしまうのだから仕方ない。今は、二人の好意を素直に受け取るしかないのだ。


「だって、ユキヒメちゃんっ! イッキちゃんは完治したって訳じゃ無いし……や、やっぱりまだ、入院してなきゃぁ…」

「少しの切り傷くらいなんです。男の子なんですから、平気でしょう」

「き、切り傷は痛いんだよっ?」

「傷が痛くない無い訳ないでしょう……イッキ、貴方からも言いなさい。こうなったこの娘は頑固で面倒臭いんです」


 二人の視線が一騎に集まる。


「うぇっ? 俺っすか!?」

「ほら、イッキちゃんもまだ駄目って言ってるよっ!」

「耳が腐ってるのですか? 一言も言ってないでしょう。イッキは私と来ると言っています」

「い、イッキちゃんはお姉ちゃんとまだ居たいよね? ね?」


 二人から詰め寄られ、想わず後退る。二人共、自分を心配してくれてるのは身に染みて分かるが、やはり女性が苦手な一騎は、年上の、しかも美人の女性に近寄られると戸惑ってしまう。


「ま、まぁ、確かに身体のあちこち痛いっすけど、平気っすよっ! 昔は腕の骨折れても遊んでたりしてたっすから!」

「ほんとうっ……? や、やっぱり、お姉ちゃんも着いてい…」

「貴女には仕事が山ほど残っているでしょう。せめて、片付けてから来なさい」

「うぅっ……」

「いや、本当に大丈夫ですって! ほら、身体もこの通り……フンッ!」


 両腕を曲げ、力瘤をアイシスに見せ付け笑う。チクチクと痛みは残るが、三日前の死にかけていた時に比べれば断然にマシだ。身体は言う事を聞く上、シャドーボクシングをしても違和感はない。


「や、やっぱりダメだよっ! 身体が痛すぎて笑いも起こらないほど凄くつまらない動きしてるもんっ!?」

「身体より今は心が痛いっすけどねっ!?」


 それでも心配が抜けないのか、アイシスは一騎の手を握り締め、ウルウルと瞳を濡らす。


「お、お姉ちゃん、直ぐに仕事終わらせるからねっ。傷が痛くなったら戻ってくるんだよっ?」

「うっす!」

「では、私達は行きますよ。もう良い時間です。寒くなる前に家に向かいましょう」


 ユキヒメはバックを曲線型の車らしき乗り物に投げ込み、運転席へと乗り込む。車らしきと着くのは、その乗り物が一騎の知る車と掛け離れているからだ。ゴムのような、それでいて鉄の質感を持つタイヤとフォルム。これだけでも、此処が地球ではないと一騎に教えてくれた。

 

「……イッキちゃん、大丈夫?」


 心配そうな瞳で一騎を見つめるアイシスに、イッキは笑みを浮かべ真っ直ぐと見つめ返す。


「……正直に言えや、あんま大丈夫じゃねぇっすよ。訳分かんねぇ事ばっかりで、頭がパンクしそうで……」

「イッキちゃん……」

「でも、まぁ。悄げててもなんにもなんねぇし……それに、悲観ばっかりじゃねぇっす。ユキヒメさんの親父が、俺の現状を詳しく知ってそうっすし」

「……あのねっ。私はイッキちゃんの味方だからね?」


 まるで子供に言い聞かせるように、アイシスは言う。一騎は、そんな彼女の手をゆっくり解くと、そのライトブルーの優しい瞳を見つめ返した。


「……アイシスさん。見ず知らずの俺に此処までしてくれて、恩の返しようがねぇくらいに感謝してるっす」

「そんなっ、当たり前のこと、しただけだよっ!」


 当たり前のことをしただけと彼女は言うが、その“当たり前”が出来る人は中々居ない。必死に自分の命を救ってくれて、救った後も、自分の事のように心配してくれる。

 彼女の優しさに、自分はどれだけ救われているか分かった物じゃない。ワタワタと手を振り慌てるアイシスに、一騎は背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。


「マジで……いや、違ぇか……本当に。助けてくれて、ありがとうございました」


 こんな礼で返せる恩ではないが、下げなければならない頭だ。


「……うんっ」


 その姿に何か感じたのか、アイシスは表情を微笑みに変えて頷く。

 

「イッキ、速く乗りなさい。アイシスに付き合っていたら本当に日が暮れますよ」

「もうっ、ユキヒメちゃんは冷たいなぁっ! し、仕事終わったら、イッキちゃんに逢いに行くからねっ」

「好きになさい。どうせ断っても来るのでしょう?」


 頬を膨らませるアイシスに笑みを返し、ユキヒメは窓を閉める。喧嘩しているように見えて、そうでもない。これが二人の距離感だとすれば、二人は相当に仲が良い。まるで姉妹のようだ。


「じゃあ、俺も行きます」

「うんっ。ま、また後でね?」

「うっす。本当にありがとうございました」

「良いのっ。ね?」


 もう一度だけ、アイシスに頭を下げ、車らしき乗り物のドアを開けて乗り込むと、車両は間髪を入れずに車は動きだす。

 窓の外では、アイシスがまだ心配そうに手を振っていた。


 本当に、優しい人だ。


 揺れもなく動く車。乗っている感想としては、普通の車としか想えない。本当に異世界なのか、余計に分からなくなってくる。


「イッキ。右を見てなさい」

「右?」

「直ぐに、ダスクリアの夕焼けが綺麗に見えますよ。ダスクリア百景の観光ブックにも載ってるとっておきの光景です」

「夕焼けって――」


 だが、一騎の考えは車が公道に出た瞬間、意図も簡単に消え去った。

 

「うぉ―――っ」


 目の前を横切る巨体の翼竜。道には二足歩行で歩く獣人や、背中から天使のような翼を生やす人物。何も無い筈の宙には映像が浮かび、ニュースを淡々と流していた。近代的なビルは夕焼けを眩しく反射し、朱色の美しい光景を際立たせる。

 更には、ユキヒメと似たような格好をしている者が、物語でしか見ない杖や、機械的な剣を腰に差し、真剣な眼差しで街を巡回していた。


 それは、正に幻想としか言えない光景だった。


 現代と呼ぶには幻想的で。空想と呼ぶには、あまりにも現代的で。


「すっげぇ……」


 さっきまで感じていた不安は、一瞬で感動に埋め尽くされる。


「ふふっ……」


 馬鹿みたいに口を開けて眺める一騎をおかしく想ったのか、ユキヒメが笑う。少しの気恥ずかしさで、口を閉じるが、目は外の光景から話せない。綺麗だとか素晴らしいとか、そんな陳腐な感想じゃない。文字通り、新世界を見ている気分だ。


「はぁぁー……」

「母が昔の父を話している時、良く言ってました。父がこの国に来て初めて光景を目にした時、馬鹿みたいに口を開けて呆けていたと」

「ユキヒメさんの親父さんも?」

「えぇ……母はそんな父が可愛かったと言っていましたが」


 ちらりと横目で一騎を見つめ、ユキヒメは微笑する。


「確かに、可愛い物ですね」

「ぐっ……良く恥ずかしげなく言えるっすね……」

「ふふっ。まぁ、仕事柄、貴方みたいな人は珍しいので。すいません、気を悪くしたなら謝りますよ」


 悪気は全く感じていないだろうにと心で呟きながらも、一騎はまた外を見る。夕暮れ時にも関わらず、街は人の賑やかさで溢れかえっていた。子供と手を繋いで歩く親子や、恋人らしき若者。中にはアイシスと同じように、亜人と呼ばれる者も。


「……差別じゃねぇけど、顔が完全に犬の人も居るんだな……マジで異世界かよ……漫画と全然違ぇ……」


 一騎が知る異世界は、中世的な世界観や、旧ローマのような世界観が普通だった。弓や槍、剣に魔法。古い世界がファンタジーのお決まりだが、この世界は真逆。下手をすれば、一騎が住んでいた地球よりも科学が進んでいる気がする。

 いや、気がするではないのかも知れない。

 事実、一騎は一生寝たきりでも不思議ではない重傷を負ったのに、その怪我は僅か三日で治っている。ある意味、異世界で治療したのは現代で治療するより良かったのかも知れない。

 しかし、改めて風景を見ていると、所々に気になる箇所があった。

 似ているのだ。一騎が知る地球にあった物の形や利用方法が。


「ユキヒメさん、ちょっと聞いて良いっすか?」

「なんですか?」


 ハンドルに似た操縦桿を握るユキヒメは、此方を見ずに言葉だけで答える。


「これ、今乗ってる乗り物。なんて言うんすか?」

「なにって。車ですが? あぁ、車種ですか? JMT47。陸水両用型の軍用車ですよ」

「……車っすか。そりゃそうっすよね」


 車。確かに車で正しいのだが、違和感が拭えない。

 異世界に何故、車が存在しているのか。

 流石に、異世界の人間は食べ物を焼くことすら知らない馬鹿とは想わない。異世界にだって異世界の技術力があってしかるべきだろう。車に似た乗り物があってもおかしい話じゃ無い。

 一騎が気になるのは、形や名前がまるで地球の車とソックリと言う点だ。


「どうやら、色々と分からないことがあるみたいですね」

「まぁ、かなり」

「父も母と出会った時は赤ん坊並みに常識を知らない人だったと言っていました。貴方も同じみたいですね?」


 赤ん坊か。確かに、今の自分は理性のある赤ん坊と例えるのが良いのかも知れない。なんせ、この世界の常識に関しては何一つ知らないのだ。


「あの……」

「ふふっ……良いですよ。好きに聞きなさい。私が知っている事なら何でも教えてあげます」

「マジっすか」

「えぇ、まじです」


 微笑し、からかうように同じ言葉を返した。

 聞きたいこと。考えれば考えるほど、それは多種多様に想い浮かぶ。全てを一から聞いていては日が暮れても終わらない。絞るべきだ。本当に聞いてみたい事だけを。


「それならば、スリーサイズを、知りたいな」

「………」


 立浪一騎、渾身の一句。わりと本当に聞いてみたい。


「デコピン」

「痛ぁあぁああぁぁあああッ!?」


 まるでバットで想いっきり殴られたような衝撃が額に走り、仰け反る。そんな一騎に呆れた表情を浮かべたままハンドルを切るユキヒメは、静かに肩を竦めた。


「……本当、嫌なほど父に似てますね、貴方。チキュウに住んでる方は皆、女誑しなのですか?」

「ユキヒメさんッ……やっぱりこれ、デコピンってレベルじゃッ……実はゴリラの亜人だったりしないっすか……ッ…」

「しません。私は居たって普通の人間ですよ」


 普通の人間にしては、些か力が過剰過ぎる。もしこれが異世界人の普通の身体能力なら、自分の倍近い握力を持っていることになる 。


「まぁ、確かに。お前が子供を叩くと子供を殺すと友人に言われたことは何度もありますが」 


 訂正だ。やはりユキヒメの腕力がおかしい。ひりひりと痛む額を抑え、涙目になる一騎は改めて口を開く。


「……今度はマジな質問して良いっすか」

「最初からそうしなさい」

「じゃあ――」


 外の光景を指差し、浮かんだ疑問を投げ掛ける。

 結局、ユキヒメの自宅に着くまで、一騎が知りたい全ての疑問を聞くことは無理だった。




◆◆◆◆



 アイシスが勤めていた病棟から三時間ほど車で移動した先。人で賑やかだった商店街を抜け、自然豊かな公園や住宅が並ぶ地区へと景色は変わっていった。


 ユキヒメから聞いた話で幾つか分かった事がある。

 一つが、亜人の存在。

 二足で歩く人型の犬や、物語の決まりらしく獣の耳を生やす者。それにアイシスのような龍の尻尾を持つ者や、背中から鳥の翼を生やす者。それぞれ、種族の名前はあるらしいが、全てを引っくるめて亜人と呼ぶ。

 

 もう一つが、国家観。

 この異世界。名前はアルマと呼ぶらしい。

 地球と違い、この異世界アルマは民主制では無く王政が基本。つまり、王国だ。一騎やユキヒメが居る国は、ダスクリア王国と呼ばれており、世界でも名だたる技術の大国らしい。事実。ダスクリアは国境の周りに巨大で透明な壁に覆われ、外からの外敵から国を護っているとか。


「外敵……外敵? 外敵ってなんすか?

他国の侵略とか?」

「確かにソレもありますが、戦争なんて此処数百年は起きていませんよ」

「じゃあ、外敵って……」

「魔物ですよ。私達は一般的にアレを魔物ガルドと名称しています」


 魔物。

 ゲームや漫画で良く見る怪物だ。呼び方は違うが、認識としてあって居るだろう。


「国に壁……なんでしたっけ」

「球状透明型・魔動力式バリア。通称、天使の翼エンドゥルです。空気中の魔力を動力に変え、半永久的に透明なバリアを展開する機械……いえ、システムと言った方が正しいでしょうかね」

「ソレっす、ソレ。魔力とか正直分かんねぇっすけど、凄いバリアなんすよね。それで魔物から国を護ってると」

「完璧ではありません。事実、貴方も体験したでしょう?」

「……俺が?」

「三日前の夜。ダスクリア王国は魔物の侵入を許してしまいました……あの魔物、“雷鳳らいほう”。現代の技術では加工しか出来ない頑固な一角に、雷鳴を轟かせ雷の魔力を操る“稲妻の化身”に」


 瞬間、脳裏に記憶が蘇る。

 黒煙と焔。瓦礫と血溜まり。殺意と恐怖。

 化け物と呼ぶしかない姿を、今でも鮮明に想い出せる。


「アレが……魔物?」

「えぇ。貴方を殺しかけた化け物ですよ。覚えているでしょう?」

「忘れたくても忘れられねぇっすよ……」

「そうでしょうね……魔物は大きく仕分け、小型級ポルポ中型級ナルド大型級バルムに分けられます。まぁ、これに当て嵌まらない覇王種が居ますが、これは例外です」

「俺が会った化け物、雷鳳らいほうでしたっけ。彼奴は……大型級バルム?」

「いいえ―――限りなく小型級ポルポに近い中型級ナルドですよ」

 

 あの化け物が中型級ナルド

 真ん中。しかも、魔物の最下位に近いクラス。ユキヒメの口振りからすれば、まだ上の存在が居るのだ。つまり、アレより凄まじい化け物が、まだまだ山ほど。


「……ん? ちょっと待って下さいよ。中型級でアレなんすか!?」


 あの雷を纏った化け物――雷鳳は外壁を打ち破って国に侵入した。外壁が中型級すら抑えられないのならば、更に上、大型級が国に攻め入れば外壁など意味を成さない。


「だから私達、“狩り人”がいるのです」

「……“狩り人”」

「貴方に分かりやすく言うなら、魔術師ですかね。国軍に所属し、治安及び外敵から市民を護る対魔特殊部隊、通称、“狩り人”……まぁ、この話はまた今度にしましょう。我が家に着きましたよ」


 赴に車はゆっくりと道の脇に停車する。

 ふと、目線を再び外に向けると、其処は人通りが全くない裏道の隙間だった。穴場、とでも言うのか。人気の無さにしては道はちゃんと整備され汚さの欠片も見られない。寧ろ清潔感さえ感じる。日も全く入らない訳では無く、影の夕日が合わさり綺麗な景色を道で造っていた。

 その中央。

 コンクリート製の住宅が多い中、唯一木製の屋敷が目の前に姿を見せた。入り口の看板には“民宿 白雪”の黒文字。


「おぉ。日本風……街の景色にビックリするくらい似合ってねぇな……」

「父のデザインが元になってますからね。見た目は完全に怪しい屋敷ですよ……さぁ、降りましょう」


 ドアを開けて降りるユキヒメに一騎も続き、外へ出る。綺麗な夕焼けだった空は、段々と暗くなり、疎らに電灯が光っていた。人通りが少ないのは夜という理由もあるのだろう。


「此処に、俺と同じ地球から迷い込んだ人がいんのか……」


 唾を飲む。

 自分でも緊張とは無縁の性格と分かっているが、この時ばかりは違う。ユキヒメの父親と話さねば何も分からないが、彼から告げられる言葉が一騎の期待する地球への帰り方が分かるとも分からない。


「緊張しているところすいませんが。今日は父は不在ですよ」

「あ? いねぇのっ!? あ、いや……い、いないんすか?」

「えぇ。言ったでしょう? 多忙な人と。私の見立てでは後一週間は帰ってきませんね」

「え、えぇ……」


 一週間は長い。幼馴染みの優花と逢う約束をしていたのは二日前。しかも、地球では自分は連絡すらとらずに三日間も姿を消している男だ。警察沙汰になっていても不思議じゃない。

 速く帰りたい想いは強いが、今の一騎に出来るのは、ユキヒメの父親と話す以外に道は無い。


「出来れば早く帰るように私も連絡してみますが……そもそも連絡をとれるかも怪しいところでして。すいませんね。貴方も色々と不安でしょうに」


 申し訳無さそうに言うユキヒメに、一騎は首を振る。


「……いや、今の俺には充分過ぎるっすよ。 金も身元も分からねぇガキを家に泊めてくれて、尚且つ助けてくれるんす。ユキヒメさんには感謝してもしきれねぇくらいなのに、贅沢言うつもりはないっす」


 頭を下げる。アイシスやユキヒメが居なければ、実際は道ばたで野垂れ死にしていただろう。そもそも、あの化け物――雷鳳らいほうに殺されかけた時もユキヒメが助けに来なければ自分は死んでいたのだ。

 我が儘をいう資格など自分にはない。この人には常に頭を下げなければいけない人なのだ。


「……顔はテロリストやヤクザなのに、貴方は随分と義理堅く律儀な子ですね。そう何度も頭を下げなくて構いませんよ」

「顔は言わないで下さい。顔は」

「ふふっ。その強面で弄るなと言うのが無理な話です。良いんじゃないですか? 私は細い男よりタイプですよ」

「マジっすかっ!?」

「かと言って甲斐性どころか一文無しのヒモ男に靡くほど駄目な女ではありませんが」

「クソ、正論だから何も言えねぇッ!!」

「まぁ、女性を口説くなら稼ぎを持ってからにする事です。さぁ、行きますよ。そろそろ冷え込んでくる時間帯です」


 バッグを背負い、屋敷の中へと歩いて行くユキヒメの背を追う。

 ユキヒメは妙に古臭い、もとい味のあるデザインの引き戸を開ける。ギシギシと独特の音を鳴らす入り口は懐かしい年代を感じさせた。


「田舎のばっちゃんがこんな家に住んでたな……」

「別にハッキリ古臭いと例えても良いんですよ。私自身、そろそろ建て直さないと台風で崩れそうだと想ってますし」

「いや、嫌いって訳じゃないんすよ。変に小綺麗な家より、俺はこっちの方が好きっすから」


 母一人で働いていたせいか、一騎は一軒家や新築とは無縁の生活を送っていた。ボクシングを始めてからは自分の稼ぎで余裕は出来たが、そもそも母もあまり浪費するタイプではなかった。

 築年数が高い家は、一騎にとって馴染み深い。洋風の豪華な家よりずっと安心出来る。


「そう言って貰えるなら助かります……さて、私は貴方の部屋を準備してきますね」

「あ、俺も手伝うっすよ。力仕事ならユキヒメさんより俺がやんなきゃ…」

「結構。有り難いですが、勝手を知ってる私がやった方が速く終わりますから。貴方はリビングで寛いでなさい」

「いや、でも……」

「忘れてるのでしょうが、貴方はまだ怪我人ですよ……そうですね、アイシス風に言うなら」


 ユキヒメは良く見なければ気付かないほどの小さな微笑を表情に浮かべると、一騎をからかうように拳をあげ、


「お姉さんに任せなさい」


 額を小突いてきた。 


「痛ァアアあぁぁぁああッ!?」


 物凄い轟音が響く。


「あら、すいません」

「やッ……やっぱり熊とかの亜人じゃ……ぉッ……ぉぉ……ッ!?」

「れっきとした人間です。寛いでるのが嫌ならお風呂でも入ってなさい。右側にありますから……貴方、ちょっと臭いますよ」

「え゛っ。マジっすか……」


 言われるがまま自分の臭いを嗅いでみると、確かに汗の匂いが強かった。それも、そうか。三日も寝たままだったのだから、臭くて当然だ。


「後で軽い食事も作ってあげますよ」


 ユキヒメはそう言い、一騎の返事を待たず近くの階段を登っていく。その背を見つめ、一騎は何とも言えないまま後頭部を乱雑に搔いた。

 何か恩返しでもしないと気がすまないのに、今の自分に出来ることは子供のようにされるがままで居ることだけ。仕方がないと言えば仕方ないのだが。


「はぁ……情けねぇな……」


 自分の不甲斐なさを溜め息で誤魔化し、一騎は言われるがまま、リビングの向こうにある風呂場へ向かった。



◆◆◆


 ユキヒメの言った通り、広めのリビングを通り過ぎると暖簾が掛かった引き戸が直ぐに現れた。中に入れば、其処は正に銭湯。異世界の風呂場事情は知らないが、これが異世界の普通の風呂場ではないのだろう。


「やっぱり変だろ、これ。確かに見慣れてる方が気楽だけどよ……異世界で銭湯に入るって違和感がやべぇな……」


 サッパリと汗を流し風呂を上がった一騎はパンツ一枚の姿で脱衣所に立っていた。側には扇風機らしき機械と体重計。微妙な顔を浮かべたまま、一騎は頭を拭く。


「……やっぱり、変だよな。これ」


 また呟いた。

 今度は風呂場に関してではない。身体・・・に関してだ。

 率直にいえば、軽い。自分の身体が軽過ぎるのだ。腕を上げれば自分の腕ではないくらいにフワリと動き、脚を上げれば抵抗なく上がる。腕を回しても全力ではないのに、まるで全力で回しているように速く動く。


「自分の身体が綿みてぇな……ぶっちゃけ気持ち悪いくれぇだ……」


 想い出すのは、三日前の夜。

 あの一角の化け物――雷鳳に襲われた時。あの時、無意識とはいえ、雷鳳の動きに反応し、自分でも不思議なくらいの力で雷鳳を殴り飛ばした。

 体長は優に四メートルあった化け物を、軽いジャブで殴り飛ばしたのだ。アレはどう考えてもおかしい。人間の力で成せる事じゃない。

 首を回し、目線は体重計に止まる。


「……計ってみるか」


 幼馴染みの優花と似たような事を話したことがある。空想上の馬鹿話だったが、優花は異世界に渡って身体能力が上がるのには理由があると語っていた。

 その一つが、異世界の重力が極端に低い案。

 恐る恐ると体重計に乗ってみると、


「体重九十二キロ、前と変わってねぇ」


 見慣れた数字が現れる。

 筋肉質で身長も百九十四と高い一騎には平均的な体重だ。思わず額を抱える。初っ端から詰まりだ。


「んんー……そもそも、身体能力が上がってんのか……? 確かめようにも、サンドバッグとか道ばたに落ちてるモンじゃねぇしなぁ……」

「何をパンツ一枚で唸ってるのですか」

「いやー、もしかしたら夢のギャクティッカマグナムが出来るんじゃ……ん?」


 ふと背中から聞こえてきた透き通る声に返事を返す。

 だが、待て。

 この家に居るのは、自分を除いて一人しか居ない。ゆっくりと振り向くと、入り口から此方を見つめているのは白いジャージを着込んだ白髪の美人。


「うォオおぉオォオッ!? ユキヒメさんっ!? えっちっ!?」

「生娘ですか貴方は……」

「い、いや、ついビビって……お、俺、裸っすけど……?」

「全裸なら兎も角、その程度で悲鳴を上げる女じゃないですよ。兎も角、アイシスが来ましたので速く顔を見せなさい」

「アイシスさんが?」


 アイシス・ユーナナ・ナルミナン。彼女もまた、一騎にとってユキヒメと同じ命の恩人だ。確かに仕事が終わったら顔を見せに来ると言っていたが。


「えぇ、あの子、もう五月蝿くて……」

「五月蝿いって……」


 どこかウンザリとした表情で溜め息を吐くユキヒメに首を傾げた。五月蝿いとは、


「――い、イッキちゃんがいないよっ!? いないよっ!? 部屋で倒れてないっ? 泣いちゃってないっ!? イッキちゃんっ!? イッキちゃぁんっ!?」


 この事だろう。呆れにも似た苦笑を溢し、一騎は体重計から降りると脱衣籠に折り畳んで置いておいた服を手に取り着込む。

 入り口に寄り掛かるユキヒメは、声がするリビングを覗き見ながら、小さく肩を竦めた。


「すいませんね。貴方にしてみれば喧しいでしょう?」

「んなこたぁないっすよ。あぁやって純粋に心配してくれる人なんか周りに居なかった……訳じゃねぇっすけど、珍しいっすし。心配されて嫌に感じる奴はいないっすよ」

「そう言ってくれるなら助かります……あの子も一人なんですよ」


 徐に呟いた言葉に、一騎は目を見開いて驚く。

 一人。

 それが今だけの話出ないことくらい、鈍感と優花から言われ続けてきた一騎にも分かる。


「それって、その」

「まぁ、私が此処で全てを語るのは不誠実でしょう。知りたいならあの子に聞きなさい……私から言えるのは、あの子は一人の怖さを誰よりも知っているのです」

「一人の怖さ……」

「怖いですよ。家族も友人も、頼れる人が世界に誰も居ない孤独は。あの子はそれを知っているから、貴方を一人にさせたくない……勝手に重ねてるんですよ。過去の自分を貴方に」

「………」

「ですので、友人として言うなら。あの子に付き合ってあげて下さい。但し」

「……但し?」

「あの子が何でも聞いてくれるからと不誠実な願いをしたら。その顔面の形を変えますからね」


 微笑で笑い、ユキヒメはアイシスが慌ただしく戸惑っているリビングへと戻っていく。

 ユキヒメの力で想いっきり顔面を殴られる? デコピンで人の骨を砕きそうな力を持った彼女に、もし全力で殴られたらどうなるのか。


「いやそもそも、恩人のアイシスさんにエロいことなんか頼まねぇよ……恐ろしくて出来るか」


 しないと分かっているが、もし、しそうになったらユキヒメの顔を想い出そう。そう心に決め、ズボンのチャックを締めた。

 

 服を着込み、脱衣所からリビングに出ると鼻に食欲を誘う匂いが漂ってきた。香辛料の効いた肉の匂いや、魚の良い生臭さ。無意識に鳴る腹と増える涎に釣られ、広間に脚が向かうと、

 

「い、イッキちゃんっ!!」


 其処に居たのは艶やかなウェーブがかった紫髪をポニーテールに纏めたアイシス・ユーナナ・ナルミナンが泣きそうな瞳を潤ませて立っていた。


「うっす。アイシスさん。ひ…」

「イッキちゃぁんっ!!」

「うぉおぉぉおおッ!?」


 軽く頭を下げた瞬間、目の前に飛び込んできたのは彼女の豊満な胸。避ける間もなく頭を抱えられ、口を強制的に閉じられる。


「大丈夫? 恐くなかった? 怪我は痛くない? ユキちゃんに殴られてない? ユキちゃんに殴られて額を割っちゃった子がいっぱい居るんだよ? 泣いてない? 寂しくない?」

「失礼ですね。小突いただけです」

「ユキちゃんの小突きは電柱を壊すんだよっ!! 全然、小突きじゃないよっ!? やったの!? 怪我してるイッキちゃんを小突いたの!? あぁっ……大丈夫、イッキちゃぁん……!?」


 龍の尾をブンブンと振り回し、あわあわと慌てふためくアイシスは両手で一騎の頭を撫で回し怪我がないかを確かめる。が、当の一騎はアイシスの恵まれたスタイルに呼吸を遮られ、悶えていた。

 

「貴女がイッキを抱き締めるのは勝手ですが、人の家で死人は出さないで下さいよ」

「へぇっ?」

「イッキを殺す気ですか?」

「殺す気って……ひぅっ!?」

「………」


 胸元に視線を降ろすと、其処には青白い顔で幸せそうに俯く一騎の姿。


「へやぁっ!? あにゃ、な、だ、大丈夫、イッキちゃぁんッ!?」

「お……おっぱいで……死ぬとは……ぐふっ」

「イッキちゃぁああぁんっ!?」

「何時までもコントやってないで食卓に付きなさい。折角、作った料理が冷めては台無しです」

「ユキヒメさんの手料理ッ!? これ全部ッ!?」

「あ、起きた……」


 勢い良く跳び上がり、テーブルに並べられた数々の料理を見る。三人で食べるにはかなり多い量。それに種類も中々。サラダや肉料理。魚料理にスープやツマミ。三人のテーブルの前にはワインらしき飲み物も置かれている。


「不服ですか?」

「すっげぇ美味そうっす!!」

「ふふっ……なら全部平らげて証明してみなさい。男の子の為に多く作りすぎましたからね」

「うっす!」

「ユキヒメちゃんって料理で人殺しちゃう見た目だけど実はすっごく美味しい料理を作るんだよ!!」

「貴女は貶してるのか褒めてるのかどっちですか……」


 和気藹々とテーブルに座る三人。皆が座るのを待ってから、一騎は直ぐ様に箸を掴むと両手を素早く合わせ、頭を下げる。


「いただきますッ!」

「どうぞ」


 見覚えのない料理に箸を延ばし、感想を言うまでもなく口いっぱいに頬張る。口に広がる肉の脂と旨味。少し辛い程度の香辛料が絶妙に合わさり。と、長々語るまでもない。

 何故なら、


「はぐっ……はぐっはぐっ……」


 頬を張らし、笑みを浮かべて黙々と食べる一騎の姿は、その料理をどう想っているかを語るからだ。

 

「少しは落ち着いて食べなさい……」

「んふふっ。イッキちゃんも男の子だもん。いっぱい食べなきゃね?」


 そんな一騎に対して仕方なさそうに微笑するユキヒメと笑顔で笑うアイシスは、ゆっくりとワインを飲む。

 彼女達の苦笑に幾許かの恥ずかしさを感じながらも料理を頬張り――


『――アンタ、おかわりは?』


 ふと、口を止めた。 いや、止まった。

 脳裏に思い浮かんだたった一人の肉親。


「…………」


 自分が今此処で一人でいるなら、母は地球で一人孤独。愛した男は一騎が幼い頃に他界し、駆け落ちと今時見ない結婚を果たした母に親戚や頼れる人は居ない。

 自分以外、母の頼れる存在はいない。


「イッキちゃん?」

「はい?」

「どうしました。いきなり手が止まって。嫌いなモノでも?」

「あぁ、いや……」


 心配そうな瞳に首を振る。

 何を、弱気に。例え此処が異世界だろうと、自分には地球で待っている人が居るのだ。悄げている暇なんてない。

 今は、飯を喰って寝て、ユキヒメの父親に地球の帰り方を聞くのが先だ。


「なんでもねぇっす!! いや、かなりの美味さにビビっただけっすよ! ユキヒメさん、マジで料理上手いんすね!」


 脳裏の姿を心の奥に押し込め、笑顔を見せる。


「あら、心外ですね。母も父の仕事に付いていくのが殆どでしたから、一人で家に居ることが多かったんです。それに、いい歳した女なら料理くらいは出来ませんと……ねぇ? アイシス」

「うんっ!」

「……貴女には自覚というのが必要ですね」

「料理へたなんすか、アイシスさん?」

「へ、へたじゃないよ!? 私は――」


 料理を前に語る三人。

 時に笑顔を見せ、時に驚きを見せる。そんな一騎に笑いかけるアイシスと、二人を見て微笑むユキヒメ。

 まるで、本当の家族の団欒は街が眠り付くまで続けられた。それが、例え本当の想いを隠して見せた笑顔だったとしても、一騎は確かに異世界で初めて心から笑った時だった。


 

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