【Episode:07】 不確かな記憶

目覚め

 藍が目を覚ますと、そこには白塗りの天井があった。

 微睡みから覚めないまま周囲に目を配ると、どうやらそこが病室であることが分かった。窓から差す中天をすぎた陽が投げかける眩しい光が、ベージュ色をした床に伸びている。

 記憶が混濁していて、なぜ自分が病室に寝かされているのか判然としないままでいると、入り口の扉を開けて、ナース服姿の若い看護師が入って来た。

 その看護師から事情を聞く中で、あの惨劇の夜が、藍の脳裏に甦ってきた。

 多くの血が流された忌まわしい幾つもの殺人が犯された夜――なんとか覆面の男の意表をついて脱出を計ろうとしたものの、建物から出るための扉に鍵がかけられていたため、どうすることもできず、後を追ってやって来た覆面の男に銃で撃たれた――そうだとばかり思っていたが、藍はどこにも怪我を負ってはいなかった。その看護師によると、意識を失って倒れたのは、自ら傷つけた怪我からの出血が酷く、貧血状態になってしまったためだろうとのことだった。

 その後についてだが、藍はどういうわけか、意識を失ったまま殺されることなく監禁されていた建物から外に運び出され、人気のない山中のバス停のベンチに寝かされていたところを、朝方自宅近くの畑へと向かうために通りがかった付近に住む老人男性に発見され、病院へと搬送されることになった次第らしい。

 記憶にないそれらの事実を看護師から聞いた後は、安静にしておくようにとの看護師の指示に従った。

 だが再び瞼を閉じたものの、眠ることはできなかった。そうしようとすると、瞼の裏に、あの忌まわしい惨劇が蘇ってきてしまう。そのため、落ち着けない藍はそのまま、窓外の景色を眺めて気を紛らわすなどしてすごした。

 窓外に眺めていた空が、茜色を帯びて来た頃、刑事達がやってきて、色々と事情を聞かれることになった。

 その刑事達に、藍は、あの覆面の男が誰なのかは分からないが、自分達を拉致した犯人が、監禁場所として使っていた建物の場所なら分かるはずだと話した。

 藍は、自宅にいるところを、密かに忍びこんでいた覆面の男に襲われ、あの牢獄のような建物まで車で拉致されることになったわけだが、目隠しをされながらも、身体に感じる慣性力を頼りに、そこまでに辿った経路を脳裏に描いていた。

 途中から、自分の住んでいる街を離れてしまったため、把握している地理情報の範囲外へと出ることになってしまい、それから先どこへと向かったのかは分からないが、車がどういう進み方をしたのかは、全て記憶していた。

 それを聞いた刑事達が、それならばと急いで用意して渡した地図に、藍は、自分を連れ去った車が辿ったであろう軌跡を、赤いペンを使って、その道路上に一本の線で描いていった。その到達点は、意識を失っていた藍が発見されたバス停のある山を下りてすぐのところだった。

 その後は、卓抜した藍の記憶力のおかげで、事件解決の重要な手がかりが得られるだろうと考えられたが、どういうわけか、その場所へと刑事らがすぐに向かってはみたものの、そこには長閑な田園地帯が広がるだけで、周囲のどこにも、それらしき建物は見つからなかった。

 そのため、藍の記憶に不確かな点があったのだろうと、捜査は振り出しに戻ることになったのである。


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