エピソード5【きみの未来を守るために】⑧




* * *




――13分後。



「や、やった。間に合いそうだ……」


ゼェゼェ──

ハァハァ──


僕は、両手を膝につき肩を上下に揺らしながら、激しく息をきらしていた。

『ゼェゼェ、ハァハァ』とスピードの上がった呼吸を落ち着かせるのに必死だった。


「よし……もう大丈夫だ……」


ゼェゼェ──

ハァハァ──


あの看板の事故があった現場までは、あと歩いても3分ほど。


「今の時間は……」


ゼェゼェ──

ハァハァ──


僕はもう1度、腕時計を見てみる。

今は、6時11分。


よし。

歩いてあと3分で、看板事故の現場に着いたとして、9分の余裕がある。


良かった。

間に合った。

あとは、看板が当たらないように、うららを守るだけ……



ゾクゾク!――――



え?



ゾクゾク!――――



な、何だ!?

突然、僕の背中に、強烈な悪寒が走り始めた。

呼吸の乱れがおさまってくるのと入れ代わるように、嫌な未来を感じさせる『ゾクゾク!』とした悪寒が出現し始めた。


それは、何かの合図。

僕に一刻も早く何かを伝えようとする、神様からのメッセージのように思えた。


でも、何だ!?



ゾクゾク!――――



いったい何なんだ!?



ゾクゾク!――――



この嫌な感覚は、どういう意味なんだ!?



ゾクゾク!――――



「あっ!」


その時だった。

僕の頭の中に、あることが電流が走ったように思い浮かんだ。

それは、左手につけているデジタルの腕時計に関してのことだった。


「そ、そういえば、この腕時計は!」


ま、まずい!──


全身の血を一気に抜かれたように、一瞬で顔が真っ青になった。

そう。

タイムスリップする前の僕は、うららにプレゼントしてもらったアナログの腕時計を愛用している。

でも、今つけているのは、それではなくデジタルの腕時計だ。


「ちょ、ちょっと待てよ……」


僕は気持ちを落ち着かせながら、ゆっくり正確に、記憶の糸を辿っていった。

確か、このデジタルの腕時計は壊れているはず。

そうだ、そうだよ。

故障で、いつも10分遅れていたあの時計だ。

何度、時刻修正しても、決まって10分遅れていたから、僕はそのままにしていたんだ。


だからだよ。

だから、うららが僕に新しい腕時計をプレゼントしてくれたんだ。



《マコト、これからもよろしくね。今のようなデジタルじゃなくてアナログだけど、良いデザインでしょ。ていうか、10分も遅れるような壊れた腕時計をつけてたら、社会人失格だぞ》



こういうメッセージカードと共に、あの日、僕のためにプレゼントする用意をしてくれてたんだった。



ゾク!──

ゾクゾク!──



「と、ということは……」


激しさを増す悪寒と共に体の奮えが大きくなり、心拍数も落ち着く気配は全く見えなかった。


「と、とにかく、正確な時刻を割り出さないと……」


簡単な計算なのに、緊張感が邪魔をして中々うまくできない。

落ち着け……落ち着けよ……今の時刻に、10分足すだけだ……

僕は、デジタル時計が示す時間に10分をプラスした。



すると、現在時刻は、6時21分――



「し、しまった!」


僕は両手で顔を覆い、人目もはばからず声を荒げた。

事故現場までは、ここからあと3分。

いや、急げば2分で可能だ。

で、でも!



看板事故の発生が、6時23分──



まずい!

時間がない!

このままじゃ、間に合わない!


「くそっ!」


僕は、自分の持てる力を全部出して走り始めた。

体が壊れたっていい。

とにかく、必死で走った。

走って走って走りまくった。


「あっ!」


すると、あの看板の場所が、僕の目に飛び込んできた。


うららは!?

うららはどこにいるんだ!?


息を切らしながら、慌てて首を動かし周りを見渡した。

――すると。



「見つけた!」



うららの見慣れた後ろ姿が目に入ってきた。

そして今まさに、ちょうど、看板の真下を歩こうとしているではないか。



「ま、待て!」



ダメだ!

そこに近づいちゃダメだ!




「うららぁぁぁぁぁ!!」




僕は叫んだ。

力の限り叫んだ。

30メートル離れた場所から、大声でうららの名前を叫んだ。


走り続けて僕の体力は限界だった。

もう、ここから看板の場所まで、走れそうにない。

だから、叫んだ。

僕は叫んだ。

それは、うららに対する愛情を全てのせた叫びだった。


――そして、次の瞬間。


「マコト~」


うららは、くるっと振り返り、笑いながら手を振りつつ、僕に駆け寄ってきた。


「何よ~、大きな声出し……」


――その時だった。




ガンッッ!!──




鈍く激しい大きな音と共に、看板は勢いよく落下した。


「え……?」


呆然と立ち尽くしたまま、その状況を眺めるうらら。

周りには、事故の現場を見るために、やじ馬もわんさか集まってきた。

でも、落下した看板の下には、うららはいない。

うららは、やじ馬の中の1人に混じっている。


「あぁ……」


僕は、急激に溢れてくる安堵感によって全身の力が抜け、その場にへたりこんでしまった。

助かった。

うららは助かった。

僕は、うららの未来を変えたんだ。



うららの命を守ったんだ──



「マコト~」


そして、駆け寄って来たうららが、僕の頭をポンポンと叩きながら言った。


「もう~、恥ずかしいからあんな大声で叫ばないでよ~」

「ご、ごめん……」

「あっ、ねえねえ、あそこ見て。看板が落ちてきたみたいだよ」

「そ、そうだね……」

「マコトが声かけてくれなかったら、ちょっと危なかったかも。ほんとびっくりしたよ」

「…………」

「どうしたの?」

「…………」

「お~い、マコト?」

「…………」


うららは、何も答えない僕の顔の前で、おどけながら手の平を横に振ったり、手をパンと叩いて驚かそうと試みていた。


あぁ、うららが生きている。

普通に笑って、普通に喋っている。

僕は、ただただ、呆然とうららの顔だけを眺めていた。



ポロリ──

ポロリ、ポロリ──



そして自然と涙が溢れてきた。

2度と会えないと思っていたポニーテール姿のうららを目の前にして、涙が止まらなくなった。


「ちょ、ちょっと、マコト! 何で泣いてるのよ!」


うららは、目を丸くして少し焦っていた。

当然だよな。

いきなり、訳も分からず、人前で泣き出すんだから。


でもね、うらら、僕は最高に幸せなんだ。

だって、また、きみに会えたんだから。



僕は、最高に幸せなんだ――――



「うららぁぁぁ!」



僕は大きな声で名前を呼びつつ、おもいっきり、うららを抱きしめた。

勿論、さっき以上の大量の涙を流しながら。

子供みたいに、くしゃくしゃな顔で泣きながら、うららを抱きしめていた。


「良かった、本当に良かった……」

「ど、どうしたの? 今日のマコト、何か変だよ」

「当たり前だよ」

「え?」

「僕は大仕事をしたんだから」

「大仕事?」

「あぁ……」




きみの未来を守るという


最高の大仕事をね




「さあ、うらら、行こうか」

「うん! フランス料理、楽しみだね!」

「あぁ、そうだな」


僕は『ほら』と右手を差し出した。

うららは、にっこり微笑み僕の手を握った。


僕たちは手を繋いだ──


ありふれた当たり前のことなのに、嬉しくてたまらなかった。

2度と触れることができないと思っていた、うららの柔らかな手の平。

もう離さない。

何があっても離さない。

この手は、これから先、何年経っても2度と離さない。

僕は、自分の心に固くそう誓っていた。


そして、僕たちはそのまま横並びに歩きながら、アムール・エトランジュに向かった。

すると、その途中で「あっ、ちょっと待って」とうららが僕の服をクイクイと引っ張った。


「あのお店のショーウインドーに飾っているワンピース見て。あれ、前から欲しかったんだ。値段だけ見て来るからちょっと待ってて」

「あぁ、いいよ」


うららは、2車線の道路を挟んだ向かいにある服屋に、小走りで駆けて行った。

横断歩道を渡るうららの後ろ姿を、僕はまだ不思議な感覚で眺めていた。


あぁ、本当に助かったんだ。

うららは、やっぱり生きてるんだ。

だから、こうして好きな服を眺めることもできるんだよな。

うん、今度、あの服を買ってやろうかな。

サプライズプレゼントも、たまにはいいもんだよな。


僕とうららには、これから先、素晴らしい未来が待っている。

でも、元をただせば、悲しい現実を変えることができたのは、あのタバコのおかげなんだよな。

だけど、もう必要ないや。

だって、これからは過去じゃなく未来のことだけを考えて生きていけばいいんだから。

2人だけの明るい未来を胸に描いて、毎日を過ごしていけばいいんだよな。


これからも続いていく。

僕とうららの素敵な未来は、これからもずっとずっ……




「きゃあぁぁぁぁ!!」




え……?




ドンッッ!!――――




「う、うらら!」



嘘だろ!?――


気づくと僕は、目を見開き道路に飛び出していた。

それは、一瞬の出来事。

横断歩道を渡っていたうららが、自動車に衝突してしまった。




「うららぁぁぁぁぁぁ!!」




僕の悲痛な叫び声が、大きく響き渡った。


そのあとは、ずっとずっと、何度も何度も、声が枯れるまで叫び続けていた。



叫び続けていた。









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