エピソード5【きみの未来を守るために】⑥



* * * *




――翌日。



「良かった! あった!」


僕は、例の自販機の場所に、また足を運んでいた。

そして、その自販機には、タイムスリップする前と同じように、確かに『リターン』のタバコも置いてあった。


昨日はあれから一晩中、ベッドに潜りこんだまま、あることを考えていた。

それは、こういうこと。

僕の魂がタイムスリップしたのなら、いったい、元の僕はどうなっているのだろう?

抜け殻みたいになっているのだろうか?

それとも、魂が半分に分かれて、同時進行しているのだろうか?

もしかして、存在自体が完全に消滅?


分からない。

こんなこと、いくら考えても分かるわけがない。


この状況で、僕が分かることは1つだけ。

それは、今ここにいるのが、まぎれもない自分だということ。

だから、おそらく、僕はこのまま人生を歩いていくことになる。

でも、だからと言って悲観することは何もなかった。

というのは、とりわけ、生活に不便になることが何もないからだ。


「とにかく、もう1度……」


試してみたい。

あのタバコを試してみたい。


そう。

僕はもう1度、タバコの効力を確かめたく、この自販機の場所に来た。

本当にタイムスリップしたのが『リターン』の不思議な力なのか。

これで、はっきりするはずだ。



――30分後。


「あれ?」


誰もいない小さな公園のベンチに座ったまま、僕は首を傾げていた。

なぜなら、タバコを吸っても何も変化が現れないからだ。


なぜだ?

なぜなんだ?


「あっ」


もしかして……前のように、煙が充満する場所じゃないと駄目なのか?

確かに、部屋で吸っていた時は、窓も閉め切っていたから煙の逃げ道がなかった。

おまけに、7畳の小さなワンルーム。

だから、煙に覆われることができたのかもしれない。


いや、そうだ。

そうに違いない。


「じゃあ……」


今、僕がいる公園みたいな場所は、駄目ってことか。

煙が逃げちゃうから、いくら吸っても意味がないのか。


「よし……」


いったん、家に帰ろう。

そして、前と同じ状況で吸ってみるか。



――10分後。


「これでよし……と」


部屋に戻った僕は、すぐに窓を閉め切った。

7畳一間の部屋は、前と同じく小さな密室と化していた。

そして、火を灯したリターンのタバコからは、前回同様、再び煙がモクモクと上がってきた。


「き、きた……」


これだ。

この現象を、僕は待っていたんだ。


「ゲホッ! ゲホッ!」


うっ!

や、やっぱり、すごい煙だ!


僕は、服の袖口ですかさず口を覆ったが、案の定、煙の勢いは凄まじいものがあった。

そして、それからは、あっという間。

ものの1分もしないうちに、僕は全身を煙に覆われてしまった。


「ゲホッ! ゲホッ!」


ダ、ダメだ!

大丈夫だと分かっていても、やっぱり息が苦しくなる。


出たい。

早く、この煙から外に出たい。


「ゲホッ! ゲホッ!」


僕は、もうろうとする意識の中、必死で両手を使い煙を振り払った。


出たい!

出たい!


ここから出たい!


僕は、強く願った。



「ゲホッ! ゲホッ!」



強く強く願った。



「ゲホッ! ゲホッ!」



出たい!

出たい!


ここから出たい!


全神経を集中させて、心の中で願い続けていた。



――すると。



ドン!!



「あっ!」



僕の手が、いきなり、何かの壁に当たるのを感じた。

そして、それと同時に、煙も完全に無くなっていた。


「やった!」


僕はガッツポーズをしながら、思わず声をあげてしまった。

どう考えても、ここは自分の部屋じゃない。


やった!

やったぞ!

タイムスリップが、また成功したぞ!


どこだ?

ここは、どこなんだ?


僕は四方八方、周りを見渡した。


「あっ、ここは……」


そして、その答えはすぐに導き出された。

なぜなら、壁から視線を後ろに向けると、そこには洋式の便器があったからだ。

そう。

ここは、まぎれもなく、トイレの個室。

最初に僕の右手が当った壁は、トイレのドアだった。


「トイレ……?」


当然の流れから、僕は今いるこのトイレが、どこのトイレなのかを考えた。

すると、ドアの壁にひとつの落書きを発見した。



《ゆうこ愛してるぜ!》



あれ……?

この落書き、どこかで……?


「い、痛い!」


な、何だ!

左手に激痛が!


それは、少し動かすだけで、鋭く尖って響くような激しい痛み。

僕はすぐさま、恐る恐る左手に視線を移した。


「包帯……?」


すると、左手には丁寧に包帯が巻かれてあった。

それを見た瞬間、僕の曖昧な記憶が一気に繋がり始めた。


トイレの個室──

落書き──

包帯──


「あっ!」


分かった!

このトイレは!


「あの病院のトイレだ!」


僕の脳内に、ピースが組み合わさり完成された1つの記憶が、完全に姿を現した。

あれは今から、1年ぐらい前。

ホームセンターで買ってきた本棚を組み立てようとして、カッターで左手の甲を切ってしまった。

その治療のために、この病院に来たんだ。


そうだ!

そうだよ!

そして、ドアノブ式のトイレに入ったら、ドアの立てつけが悪く中から開かなくなったんだ。


「あの時は確か……」


トイレに入ってきた男の人に、外からドアノブを回してもらったんだよな。

ということは……この外には、その男の人がいるはず。


よ、よし!──


「すみません! 誰かいませんか! 開けて下さい!」



ドンドン!──

ドンドン!──



僕は内側から何度もドアを叩き、切羽詰まった声で助けを求めた。

──すると。


「どうしたんですか!? 出られなくなったんですか!?」


僕の耳に、かすかに聞き覚えのある声が飛び込んできた。


やっぱり、そうだ!

あの時の男の人だ!


「そうなんです! ドアが開かなくなったんです!」


僕は必死で懇願した。


「外からドアノブを回してください! きっと、開くはずです!」

「分かりました!」


男の人が慌ててドアノブを回すと、いとも簡単にドアは開いた。


よし!

これで出られる!


僕は、即座に勢いよく飛び出し、深々とお辞儀をした。


「ありがとうございます。本当に助かりました」

「いえいえ、災難でしたね」

「2回も助けていただいて、何とお礼を言ったらいいのか……」

「えっ? 2回?」

「あっ、い、いえ!」


僕は目を泳がせ、頭を掻きながらごまかした。


「な、何でもないです! では、失礼します!」


そして、何度もペコペコと小さく頭を下げ、逃げるようにトイレから飛び出した。



ふう、危ない危ない。


これからは、発言に気をつけなきゃな。





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