エピソード5【きみの未来を守るために】⑤




* * *




――30分後。


家に帰ってきた僕は、さっそく『リターン』に火をつけ、久々のタバコを味わった。


「ゲホッ、ゲホッ!」


ま、まいったな。

何だか、むせてしまうな。

どうも、体がタバコの吸い方を忘れているようだ。

僕は初めて吸った時を思い浮かべて、徐々に体に慣らしていった。

ゆっくり吸い込んで、また吐き出す。

この動作を何度か繰り返すと、自然とタバコのうまみが広がってきた。


「あぁ……」


懐かしい。

禁煙が当たり前の時代、たまに吸うタバコは、どうしてこうも美味しいんだろう。


うらら、ごめんな。

今日だけ、大目に見てくれよな。

僕は、壁にかけてある、うららの写真を見ながら、ニコッと微笑んだ。


――すると、その時。


「え……?」


ど、どういうことだ!?

僕は、一瞬、何が起こったのか理解できなった。

なぜなら、気づくと、タバコの煙がモクモクと視界一面に広がっていたからだ。


「ま、まずい!」


僕は焦って、とにかく煙を手で払おうとした。

もしかしたら、知らないうちに、タバコの火が何かに燃え移ったのかもしれない。


「ど、どうしよう!」


パニックになった僕は、両手を左右上下に大きく振り回しながら煙を払い、何から出火しているのか必死で探した。


何だ?

何が燃えてるんだ??


一面がグレー色の視界の中、いくら目を凝らして探しても、出火の原因は分からない。

だが、少し落ち着くと、それがはっきりと分かってきた。


煙の出所は、タバコそのもの。

タバコから出る煙が、まるで火事のような勢いで部屋中に充満し始めていた。


「ゲホッ! ゲホッ!」


僕は、両手で口と鼻を保護しているが、何の効果もなく、一層むせ始めた。

煙は、どんどんと僕の周りを覆っていく。

まるで、僕を閉じ込めるように。


「ゲホッ! ゲホッ!」


ダ、ダメだ!

運が悪いことに、窓も完全に閉まっている。

このままじゃ、一酸化炭素中毒で死んでしまう。


「ゲホッ! ゲホッ!」


出たい!

とにかく、この煙から外に出たい!


出たい!

出たい! 出たい!


僕は、何度も心の中でそう叫びながら、無我夢中で煙を力いっぱい振り払った。

――すると。



ドテン!──



「い、痛っ!」


僕は、前のめりになり、顔から床に倒れてしまった。


「あ、あれ……?」


そして、すぐに気がついた。

そう。

あれだけ部屋中に溢れ返っていた煙が消えていた。

あとかたもなく、全て綺麗さっぱり無くなっていた。


「よ、良かった~!」


僕は、ヘナヘナとそのまま床に座りこんで胸を撫で下ろした。

そして、そのあとすぐだった。

うつむいている僕の肩を、誰かが強くつかんできたのは。


「春野くん、大丈夫かい!? 怪我はなかったかい!?」

「う、うわっ!」


僕は、自分でもびっくりするぐらいの大声をあげてしまった。

目の前にいるのは、マンションの管理人さん。

いつもお世話になっている管理人さんが、僕の肩をつかみ心配そうに声を荒げてくれていた。


あぁ。

なんていい人なんだ。

やっぱり、管理人さんは面倒見がいいな。

何か異常を感じて、すぐに部屋に来てくれたようだ。


「もう、管理人さん~」


僕は、胸を撫で下ろしながら言った。


「びっくりするじゃないですか~、驚かさないでくださいよ~」

「何を言っとるんじゃ」


管理人さんは、僕の頭をポンポンと軽く叩いた。


「春野くんに何かあったらどうするんじゃ。わしには、管理人としての責任があるんじゃ」

「いや、でも……」


僕は申し訳なさそうに首を横に振った。


「仮に事故になっていても僕のせいなんで……責任は全部、僕にありますよ」


そして、頭をポリポリと掻きつつ、少し笑いながらこう答えた。

あぁ、本当に良かった。

あのまま、火事にでもなっていたら、管理人さんや他の部屋の人にすごく迷惑をかけていた所だ。


「管理人さん、ご迷惑をおかけしました」


僕は立ち上がり、深く頭を下げた。


「もう大丈夫なんで、帰ってもらっていいですよ」

「いやいや、そういうわけにはいかんよ。今から、業者を呼んでエレベーターを点検せにゃならんからの~」

「え?」


エレベーター?

何を言ってるんだ?


「あの、いったい何の話を……」


僕は、キョトンとした顔で首を傾げ、管理人さんに質問を投げかけようとした。

――すると。


「え……?」


僕は、今になってやっと気がついた。

そう。

ここが、僕の部屋じゃないということに。


ここが、マンションのエレベーターの前だということに。


「あ、あれ……?」


今、僕は……部屋でタバコを吸っていたはず……なのに、何でエレベーター前に……?


「あっ、そういえば……」


エレベーターの故障って……似たような状況が3日前にもあったな。


「あれ?」


その時、僕は、自分の服の違和感に気がついた。


「確か、今日は……」


モスグリーンのジャンバーに、ベージュのチノパンのはず。

でも、全く違う。

上下の服が全く違う。


「ちょっと待てよ……今着ている服って……」


グレーのパーカーにジーパン……白のスニーカー……


「あっ……」


僕はすぐにピンときた。

この組み合わせには見覚えがある。


3日前。

この服装は、3日前と全く同じだ。


「えっ……この袋って……」


さらに右手には、コンビニで買ったビニール袋。

中身は、新聞とチョコクロワッサン、ヨーグルトに缶コーヒー。

それは、3日前の朝に、コンビニで買った物と全く同じ商品だった。


「ど、どういうこと……?」


分からない。

全く状況が分からない。


僕の頭は、考え過ぎてすでにキャパシティーオーバーになっていた。

――すると、その時。


「え!?」


たまたま、僕の目に、袋の中の新聞の日付が飛び込んできた。

それは、まぎれもなく3日前の日付だった。


な、何だ??

どういうことなんだ??


「か、管理人さん!」


僕は新聞を見せながら、慌てて尋ねた。


「これ、今日の新聞ですか!?」

「え?」


管理人さんは新聞を覗き込み、いたって真面目に答えた。


「どうしたんじゃ? 当たり前じゃないか」

「え……」


僕は目を見開いたまま硬直し、言葉を失ってしまった。

なぜなら、僕の中では『3日前の新聞』なのに、管理人さんは『今日の新聞』と言っているからだ。


う、嘘だろ……ちょ、ちょっと待てよ……

この状況と管理人さんの言葉を聞くと1つしか考えられない。


「も、もしかして……」



タイム……スリップ……?



そう。

僕は3日前にタイムスリップしたんじゃないのか?

にわかには信じられないが、それしか考えられなかった。


でも、待てよ……おかしいぞ。

それだと、1つ納得いかないことがある。

いや、タイムスリップのことが1番納得いかないのは分かっている。

だが、それ以上におかしなことがある。


困ったな……何か、もっと確かめる方法はないのかな……


「あっ、そ、そうだ!」


僕はあることが頭に浮かび、急いでパーカーの首の後ろを手で探ってみた。


「や、やっぱり!」


するとそこには、値札がついてあった。

このパーカーは、3日前に初めて着た服。

その時、値札を取り忘れていて、首元でプランプランと揺れていたのをよく覚えている。

だが、この値札は、コンビニから部屋に帰ってすぐにハサミで切った。

ということは、つまり、値札付きのパーカーを僕が着ていたという状態は、あの時、あの場所でしか存在しないことになる。

さらに、手元には、3日前にコンビニで買ったのと全く同じ商品。


「と、ということは……」


僕の頭の中では、1つしか考えられなかった。



「た……まし……い……?」



魂──



そう。

魂だけがタイムスリップしたということ。


2016年5月16日の記憶を持った魂が、3日前の有給休暇の僕の体に、時を越えて乗り移っている。

どう考えても、それしか考えられない。


「で、でも!」


ど、どういうことなんだ!?

何で、僕はこんなことになってしまったんだ!?


「あ、あの、管理人さん! ちょっと用事があるんで、これで失礼します!」

「春野くん、本当に迷惑かけてすまんかったの~」

「いえいえ、とんでもないです!」


僕は、軽く頭を下げて部屋へと急いだ。

あっ、そうだ。

その前に、あれだけ言っておかなきゃな。


「管理人さん!」


僕は、くるっと振り返り慌てて言った。


「修理は、レインボーメンテナンスに頼んだほうがいいですよ!」

「え? わしは、川崎エレベーター整備に……」

「ダメです!」


僕は首を横に振り、さらに強く念を押した。


「仕事も丁寧だし、絶対お徳ですから!」

「そ、そうかい? 春野くんがそこまで言うのなら、そっちに依頼してみるわい」

「絶対、割安ですから安心して下さい! では失礼します!」


そして、部屋へ急ぐべく、さらにスピードを上げ、息を切らしながら階段を駆け上がった。



ふう。


これで管理人さんに、少しは普段お世話になってる分の借りが返せたかな。






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