エピソード4【シンデレラは恋をする】⑪
* * *
――翌日。
現在時刻は、午後7時。
俺は、家で少し仮眠を取ったあと、また『ラブ&ホープ』を訪れていた。
今日の明け方、俺が元の姿に戻ってすぐだった。
クラブで知り合ったあの女性が目を覚ましたのは。
女性は俺を見るなり、ひどく驚いていた。
理由は簡単だ。
横にいたのが、見たこともない中年のおじさんだったからだろう。
その狼狽する姿を見た俺は、さりげなくこう言った。
「目が覚めましたか? たまたま通りかかったら、あなたが地面に寝ていたので介抱していたんです」
すると、女性はこう言った。
「あの……若い男の人はいませんでしたか……?」
当然、この質問が帰ってきた。
だから、俺は何も知らないふりをしてこう言った。
「さあ、誰もいませんでしたが」
「そうですか……」
そう言った直後だった。
「あっ!」
自分の右手が目に入った女性が、いきなりびっくりした声を張り上げた。
おそらく、この時に気づいたのだろう。
自分の手が若々しくないことに。
薬の効果が切れていることに。
だから、パニックに近い状態で慌てていたのだろう。
幸い、女性は、俺には全く違和感を持たなかった。
服が一緒だったり、声の質感や話し方、そういう細かい所まで気が回らなかったようだ。
ともかく、俺がクラブの青年と同一人物ということには、女性は全く気づかなかった。
――と、まあこんな感じだ。
結局、あの女性からメールがくることはなかった。
おそらく女性は、自分の年老いた姿を、クラブの青年に見られたかもしれないと思ったのだろう。
ということで、偽りの恋物語は、あっけなく終わりを迎えた。
「とりあえず……マスターに昨日のことを話しておくか……」
俺は、ドアを開けて中に入った。
すぐさま「いらっしゃいませ」と、いつも通りにマスターは、やさしく出迎えてくれた。
「いかがでしたか? 楽しめました?」
そして、相変わらず穏やかな笑みを浮かべ話しかけてきた。
「実はですね、マスター……こんな事があったんですよ……」
俺は、夕べの出来事を事細かに説明した。
すると、内容を理解したマスターから、興味深い話を聞くことができた。
やはり、昨晩の中年女性は、シンデレラのお得意様らしい。
使い始めたのは、3週間ほど前。
かなりの資産家らしく、この短期間でもう4回も若返りを行っているようだ。
あぁ、そうか……
いま思えば、昨日クラブで、俺が引き止めても帰りたがっていたのは、薬の効き目がそろそろ切れる時間が分かっていたからなんだろうな。
そうか……そういうことか。
「ふう……」
俺は、ため息を1つ吐き出したあと、疲れたように言った。
「やっぱり……偽って恋をするなんて、俺には無理ですよ」
「なるほど……」
マスターは、俺の肩にそっと手を置いた。
「でも逆に言えば、偽ってでも恋をしたいというのが、強い恋心の表れでもあるんですよ。難しいものですね」
マスターは、首を傾げ少し笑った。
それにつられて、俺も思わず笑ってしまう。
何だか、今の笑いがきっかけで、俺の中のモヤモヤが全て吹っ切れたような気がした。
さてと……もう、俺がシンデレラを使うことはないだろうな。
とりあえず、マスターへの報告も終わったし、今日は帰るとするか。
「よいしょっと……」
俺は酒を口にすることもなく、ドアに向かおうと席を立った。
――すると、その時。
「こんばんは」
ドアが静かに開くと、そこには、1人の中年の女性が立っていた。
俺はその姿を見るやいなや、すぐに気がついた。
そう。
目の前にいる中年女性は、昨晩、この店の一番奥の席に座っていた女性だった。
「どうも、こんばんは」
俺は、そう言って軽く会釈をした。
昨日、少し話した相手だから、挨拶をするのは当然の礼儀だった。
「また、お会いしましたね」
女性もそう言って、丁寧に頭を下げた。
あぁ、すごい偶然だな。
また会えるなんて思っていなかったのに。
「良ければ、少し話しましょうか」
俺はそう言って、もう一度、席に座り直した。
それから俺たちは、酒を飲みながら話をした。
内容は、ごくごく、ありふれた話。
好きな料理のこと。
昨日の天気のこと。
おすすめの旅行地のこと。
そんな、何気ない会話だった。
だが、俺にとっては、この時間が最高に素敵なひと時だった。
昨日も思ったが、なぜだかこの女性とはすごく話がしやすい。
やっぱり、俺にはこういう恋が合っているかもしれない。
年も近くて素でいられる。
何も肩肘を張る必要がない。
本当に居心地がいい──
その女性は、そう思わせてくれる暖かさを持っていた。
何だろう。
何だか、昨日初めて会った気がしないな。
俺は、にこやかに話をしながら、頭の中でその理由を考える。
すると、すぐにその答えは導き出された。
おそらく、こういう感覚が恋なんだろう──
不思議だ。
昨日、今日、初めて出会った女性なのに。
俺は、その女性に特別な好意を早くも抱き始めていた。
そして、女性はカシスオレンジの入ったグラスを、少し無言で眺めたあと、
「あの……」
と、蚊の泣くような小さな声で言った。
「あのですね……」
「どうしたんですか?」
「実は……」
女性は言った。
「私……あなたのことが好きです」
「え?」
な、何だって……?
俺のことが好き……?
それは、全く予期していない突然の愛の告白だった。
当然ながら、俺は一瞬、何がおこったのか全く理解できない。
よって、どういう態度を取ればいいのか分からず、
「あ、あの……今、何て……?」
と、しどろもどろで尋ね始めた。
「俺のことが好きって……そう言ったんですか……?」
「はい……大好きです……」
女性は言った。
「私は……部長のことが好きです」
「え……?」
な、何だって!?──
俺は一瞬、呼吸が止まり、同時に目を大きく見開いた。
ど、どういうことだ?
この女性は、俺のことを知ってるのか??
じゃないと、絶対にそういう呼び方をされるわけがない。
俺は、脳内の全ての機能を最大限に働かせ、よつば銀行に勤務している女性の顔を思い浮かべてみた。
さらには、仕事上で付き合いのある銀行外の中年女性をも必死でリストアップしてみた。
だが、いない。
やはり、俺の記憶の中に、この女性はいない。
一方、隣に座っているその女性はというと、よほど恥ずかしかったのか、うつむいたままずっと黙り込んでいる。
何だ!?
いったい、どういうことなんだ!?
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