エピソード4【シンデレラは恋をする】⑩
* * *
「また、空車じゃないのか……」
店を出てから少し歩いてみたが、タクシーは中々つかまらなかった。
「ふう……」
月明かりの綺麗な深夜、俺達はシャッターの閉まった洋服店の玄関前に座りこんでしまった。
ハハッ……おじさんのいつもの俺なら、こんなとこに座るなんて考えられないな。
少しは、俺の心も若くなったかな。
俺はそんな事を思いながら、左隣に座る彼女にチラッと目を移した。
──すると。
「あれ?」
彼女は俺にもたれかかったまま、気持ちよさそうに眠っていた。
それは、とても綺麗な寝顔。
まるで、天使のような寝顔だった。
「困ったな……」
さてさて、どうしようか。
彼女は早く帰りたいと言っていたが、寝てしまってはどうしようもないな。
「しょうがない……」
すぐ起きるだろうから、もう少しこのままでいるか。
俺はそう思い、彼女の肩に手を回した。
そして、少しでも寒さがやわらげるように、そっと肩を抱き寄せた。
彼女の天使のような寝顔が、俺の心を癒してくれる。
ただ、ただ、月明かりにも勝るその寝顔だけを、微笑ましく眺めていた。
──だが。
「え……?」
――その時だった。
「こ、これは!」
俺は、思わず声をあげてしまった。
「う、嘘だろ……」
なぜなら、みるみるうちに彼女の顔に変化が現れたからだ。
それは、ほんの数秒の出来事。
シワが増え、髪が白髪混じりになり、頬や首筋の皮膚のたるみも出始めた。
確実に、彼女は老化し始めていた──
「な、何ということだ……」
そう。
使っていた。
彼女も、若返りの薬、シンデレラを使っていた。
「あぁ……そんな……」
俺は、彼女が年をとっていく姿を、ただ呆然と眺めているしか出来なかった。
俺の目に映るのは、若さに溢れたみずみずしい天使ではない。
しわくちゃの年老いた普通の女性。
彼女も俺と同じ──
もう一度、あの頃のような恋がしたい。
そう思う中年の1人だった。
「あぁ……」
それにしても、何て皮肉な結果なんだろう。
今では決して手に入らない、若かりし頃の恋がしたいと思って、あの薬を飲んだのに。
俺からしても、彼女からしても、結局、自分と同じ中年をひと時の恋の相手として選んでいるのだから。
「やっぱり……」
やっぱり、恋は、若い人間だけの特権なのか。
ホロリ──
あぁ……くそっ……何だか、涙が流れてきやがった。
俺は、いったい何をしているんだ。
恋がしたいなら、逃げないで自分の気持ちに正直になればいいんだ。
余計なことを考えずに、心の感じるままに進めばいいんだ。
あぁ……気持ちに正直に……か。
心の感じるままに……か。
「そうだよ……そういうことなんだよ……」
やっと気がついたよ……俺は間違っていた。
恋は、若さの特権なんかじゃない。
自分の気持ちしだいなんだ。
強い気持ちがあれば、年齢なんか関係ない。
70になっても80になっても恋はできるんだ。
俺は、ただ逃げてただけなんだ──
今になって、近藤恵子がいかに、自分に正直だったか分かる。
恋がしたいという強い気持ちを持っていたか分かる。
彼女は、何も考えずに俺にぶつかってきた。
思いを伝えてきた。
それは一見、簡単なように見えるが、とても難しく勇気のいることだ。
今になってすごく分かる。
「あっ……」
あぁ……そうか。
こんな状況になって初めて、もう1つ分かることがあるな。
「俺は……」
俺は、彼女が好きだ──
娘のようにしか見れないと思っていたが……心の奥底では、彼女の存在はとても大きなものだったんだ。
それは、1人の女性として──
それは、恋心を抱く相手として──
とても大きく、かけがえのない大切なものとして、ずっとずっと心の中にあったんだ。
今まで、年が離れているとか、会社の部下だからとか、逃げ道ばかりを考えていた。
恋をしない理由ばかりを考えていた。
でも、それは間違っていた。
逆の理由を考えるべきだった。
どうすればうまくいくのか、未来に向かって考えるべきだった。
でも……今となってはもう遅い。
遅すぎるんだ。
「近藤さん……」
ありがとう。
ありがとうな。
きみと恋をすることは無理だったけど、俺は大切なものを見つけることができたよ。
もう一度、恋をする──
その気持ちさえあれば、人間はいつだって恋をすることができる。
そのことに、やっと気がついたよ。
俺はそれから朝方まで、クラブで知り合った名前も知らない中年女性と寄り添っていた。
いったい、どれぐらいこうしていただろう。
おそらく、3時間ぐらいだろうか。
そして、朝7時13分──
「あっ……」
ついに、俺に変化が出始めた。
そう。
自分の左手がしわだらけになっていくのを見て、強制的に気がつかされた。
魔法のとける時間が訪れたということを。
それからは、あっという間だった。
顔、髪の毛、筋肉や皮膚の質感。
全て、数秒のうちに年老いた姿に変化していった。
いや、元に戻ったというべきだろう。
人通りの少ない裏通り。
シャッターの閉まった店先に座り込んだまま、2人の若い男女が、朝方には2人の年老いた男女に変わっていた。
でも、これでいい。
これでいいんだ。
この姿で恋をするから意味がある。
今を精一杯生きて、恋に一生懸命になるんだ。
そうすれば
もっと人生は、素晴らしいものになるだろう
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