エピソード4【シンデレラは恋をする】⑨
* * *
――30分後。
「よし……ここに入るか」
俺は、あのバーから少し歩いた所にあるディスコの店の前に移動していた。
いや、違うか。
今は、クラブって言うんだよな。
とにかく俺は、新しい冒険の世界へ、再び足を踏み出していた。
そしてもちろん、今回もあのカクテルを飲むことによって、若返りは成功した。
まあ、前回よりも、恋をしたい気持ちが強いんだから、成功しないわけがないが。
「少し緊張するな……」
俺はゆっくりと、店内へと続く地下への階段を下りていく。
一歩、また一歩と足を進めるたび、俺の緊張もそれに比例するかのように、どんどん高まっていった。
「す、すごい……」
1回深呼吸をしたあと、店のドアを開けクラブの中に入る。
すると、そこはまるで異世界のようだった。
激しい音楽。
服を振り乱して踊る若者。
全てが、俺にとっては新鮮だった。
「よし……」
失った青春を味わおう。
ここで素敵な出会いを見つけて、一夜限りの素晴らしい恋を体験しよう。
――40分後。
「ダメだ……」
俺は、隅にある小さな丸テーブルに両肘をついて頭を抱えていた。
灰皿の上の吸い殻が増えるだけで、ここに入ってから、ずっとこの状態だ。
そう。
俺は、激しい曲に合わせて踊る若者をただ見ているしかできなかった。
本当なら、ナンパの1つでもしたい所。
だが、俺は自信がなかった。
なぜなら、外見は若々しくても、中身は中年のおじさん。
若者に合わせた話題ができるかどうかが不安だったのだ。
そして、さらに2時間ほど、そのままの状態が続いた――――
「ダメだ……」
ダメだ、ダメだ。
こんなことをしていたら、高い金を払って得たこの若さが無駄になってしまう。
それに、シンデレラの魔法がとける時間も迫ってくる。
「よし……」
俺は頬をパンパンと叩き、意を決して立ち上がった。
「あ、あの……」
そして、ある女性に近づき、丁寧に声をかけた。
「よかったら……俺と一緒に飲みませんか?」
声をかけた相手は、同じように端に座っている20代の女性。
実は、この女性も長い間、椅子に腰をかけたままだった。
そして、この女性、見た目がかなり美しい。
だからだろう。
俺の前にも、数人が声をかけていた。
でも彼女は、全て断っていた。
俺はそういう光景を見ていたから、なんとなく、断られてもしょうがないかみたいな感じになっていた。
当たって砕けろ。
ダメで元々。
まさしく、そんな感じだった。
「どうですか? お一人なら、一緒に飲みませんか?」
俺は女性の瞳を見つめ、もう一度誘いの言葉をそっと投げかけた。
すると、女性は、
「じゃあ……お言葉に甘えて」
と言って軽く会釈をしたあと、俺を隣に座らせた。
よ、よし。
とりあえず、一歩踏み出すことに成功したぞ。
俺は、こんな些細な事でも、心臓が張り裂けそうなぐらいの緊張感を味わっていた。
そして、激しい音楽が鳴り響く中、
「実は……」
女性は、俺の耳元で嬉しそうに言った。
「私……こういう所、初めてなんです」
「へえ」
その空間の音楽に負けないよう、俺も同じく彼女の耳元で言った。
「そうなんですか。俺と一緒ですね」
「アハハ、何だか私たち、気が合いそうですね」
彼女は、とても嬉しそうだった。
どうやら、自分と似た人間を見つけることができて、ホッとしたようだ。
だからだろう。
彼女はダムが決壊したように、さらに饒舌に喋り続けた。
「色んな人に声をかけられて断ってたんですけど……何だかそれじゃ、私、ここに何しにきたんだろうって感じになっちゃって」
それで、と女性は髪をかきあげ、少し照れながら言った。
「あなたからのお誘いに乗ったんです」
「そうだったんだ。本当にありがとう」
「それに……何だか、あなたは私と同じ匂いがしたんです。だから、一緒に居てもいいかなって」
「へえ……」
俺は2回ほど頷き、目を丸くして驚いた。
まだ信じられないが、もしかしたら、こんな俺と気が合うのかもしれないな。
あぁ、そうか。
ひょっとしたら、こういうのが恋の始まりなのかもしれないな。
こういう偶然の出会いが、最高の出会いに変わるのかもしれないな。
でも、俺には、ありえないけどな。
だって、あと何時間かで、若返りの魔法がとけてしまうんだから。
あぁ。
ずっと、このままで居られたらどんなに楽しいだろう。
俺は、ボンヤリとそんなことを考えていた。
――それから、彼女と2時間ほど飲んだ。
自分でも驚くほど、面白いように会話は弾んだ。
不思議だ。
俺が、こんな若い女性と楽しいひと時を過ごしている。
今の自分の状況を、自分で客観的に見た時に不思議でたまらなかった。
そして、さらに30分ほど経過した時、
「あっ、私……そろそろ帰らないと」
と、彼女が腕時計を気にしながら席を立った。
しかし、すかさず「もう少しだけダメですか?」と、俺は引き止めた。
すると「じゃあ……ちょっとだけ」と、彼女はもう一度、席に座った。
あぁ、良かった。
これで、もう少し、楽しい時間を過ごすことができる。
俺は彼女と一緒にいられると思うと、何だかさらに心がウキウキし始めた。
できるだけ長い時間、若かりし青春を楽しみたい。
そう思っていたからだ。
──しかし、さらに15分後。
「あの……すみません、私やっぱり帰ります……」
彼女は、再び腕時計をチラチラと見ながら焦り始めた。
そして、今気づいたことだが、彼女は少し酒に酔っているようだ。
なぜなら、頬は赤く、ろれつもちょっと回っていなかった。
あぁ、やってしまった。
体調が悪いから、帰りたがっていたのか。
悪いことをしたな……これは、俺の責任だ。
「すみません……こんなになるまで気がつかなくて……俺、送りますよ」
「いえ、そんな……ご迷惑になりますから……」
彼女は両手を胸の前で小さく振り『結構です』というジェスチャーを見せた。
「1人で帰れますので……お気を使わないでください」
「そうですか……では、せめて、タクシーだけでも止めます」
「じゃあ……お願いします」
俺は彼女を支えながら、店の外にでた。
正直に言うと、俺はまだ彼女と一緒に居たかった。
もっと話したい。
もっと、若者の恋の感触を味わいたい。
そう思っていた。
でも、しょうがない。
少しの間だけでも、恋を味わったのだから、これでよしとしよう。
すると、赤い頬を浮かべた彼女が、
「あの……」
と小さな声でつぶやいた。
「明日……また、この店に来れますか?」
「え?」
「もう少し、お話がしたくて……」
「あっ……」
俺は言葉に詰まり、反射的に目を逸らしてしまった。
まいったな……そりゃ、普通に考えれば、この流れは嬉しいだろう。
だが、偽りの姿をした今の俺には、とても困った展開だ。
明日は、ここには来れない。
あさっては仕事もあるし、何より連続でまた30万を払うなんて厳しいものがある。
とにかく、今はこの状況をどうにかして切り抜けなくては。
このまま無言で黙っていたら、不審がられるかもしれない。
「えっと……」
俺は、手帳の紙を1枚破りながら言った。
「明日は、ちょっと都合が悪くて来れませんが……」
そして、その紙にペンを走らせた。
「ここに、俺のメールアドレスを書いておきます。良かったら連絡ください」
そう言って、俺はその紙をそっと手渡した。
だが、今後、彼女に会うかどうかは分からない。
でも、ここで断るのもどうなんだろう。
彼女を傷つけてしまうんじゃないか。
俺は、そういう必要のないやさしさのために、アドレスを手渡してしまった。
まあ、いい。
とにかく、彼女をタクシーに乗せよう。
しっかりと、家に送り届けなくてはな。
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