エピソード4【シンデレラは恋をする】④



 * * *




――午後8時30分。


地下鉄の駅の側にあるファミレスで、俺達は一通り食事を済ませた。

あぁ、いいもんだ。

誰かと一緒に食事をするのは、やはりいいもんだ。


食事の間、俺達は色々な事を話していた。

まあ、そのほとんどは仕事の話題だが、彼女は本当に楽しそうだった。

不思議だな。

俺みたいなおじさんと楽しそうに話してくれる若い女性なんか、そうそういるもんじゃない。

いい子だ。

この子は、本当にいい子だ。


そして彼女は、食後のコーヒーに2、3回、口をつけたあと、


「あの……」


真剣な口調で、話を切り出した。


「それで、ご相談なんですが……」

「あっ……そうだったね」


俺も彼女と同様に、コーヒーを飲むのを止め、少し身を乗り出した。

そうそう。

今日は、これが本題だった。


「え~と……何か悩みがあるのかい?」

「はい……実は私……」


彼女は、長く綺麗な髪を指でいじりながら言った。


「いま、好きな人がいるんです。それで、気持ちを伝えるべきかどうか悩んでいて……」

「なるほどね……」


俺は腕を組み、2回ほど深く頷いた。


「でも、どうして俺にそんな相談を?」

「部長は、亡くなった父親に雰囲気が似ていて……その……何でも話せちゃうんです」


あっ、と彼女は慌てて口を押えた。


「すみません……迷惑ですよね」


そう言うと、彼女はうつむいたまま黙り込んでしまった。

これは、彼女の癖なんだろうな。

恥ずかしいとうつむいてしまう。

彼女の癖なんだろうな。


「何言ってるんだよ」


俺は少し笑みを浮かべ、彼女の肩を軽く叩いた。


「何でも話してごらん。今日は、君の父親になってあげるよ」


俺は、めいいっぱいの笑顔を作ってやさしく言葉をプレゼント。


「ありがとうございます」


すると、彼女の最高の笑顔が返ってきた。

笑うと三日月のように細くなる二つの瞳は、彼女の素敵なチャームポイントだった。


うん、いいもんだ。

笑顔は、笑顔を産みだすんだな。


それから、約30分――


俺は、彼女の恋の相談に乗った。

彼女は、本気で恋をしていた。

好きで好きでたまらない。

まさしく、そんな感じだった。


でも、彼女は告白をためらっていた。

自分が告白することで、相手に迷惑をかけるんじゃないか。

そればかりを考えているようだ。

だから――

だから、俺は彼女の背中を押すことにした。


「近藤さん……」


俺は、さとすように言った。


「自分が本当に好きなら、何も考えずに告白してごらん。あとで後悔したら嫌だろ?」

「はい……」

「いいかい。迷っている時は、とにかく一歩踏み出してごらん。すると、今まで見えなかった風景が見えてくるから」


そして、と俺は言った。


「もし、一歩踏み出して疲れたなら、またその時、立ち止まって考えればいいよ」

「はい……」


彼女は、黙って俺の話を聞いていた。

実は、この言葉は俺にとっても思い入れが深い言葉だった。

そう。

この言葉は、昔、結婚する時に、俺が女房に贈った言葉だった。

結婚に踏み切れない女房に、俺がやさしくプレゼントした言葉だった。


あぁ。

いま思えば、女房は一歩踏み出してくれたんだよな。

色々考えるのをやめて、俺との生活に向けて人生の一歩を踏み出してくれたんだよな。

そして、疲れたから立ち止まって考えた。

その結果、離婚に踏み切った。


あぁ。

そうか。

あいつに離婚を決意させたのは、俺の言葉があったからかもしれないな。

いま思えば、遅かれ早かれこうなる運命だったんだよな。


そうか……そうだよな……


不思議だった。

俺は、近藤恵子の恋の相談を受けていながら、別れた女房のことを考えていた。

まいったな。

もう、2年も経つっていうのに。

そろそろ、俺も本気で、一歩前に踏み出さなくては。

だが、とにかく今は、近藤恵子の恋の話だ。

俺が背中を押してあげなくては。

彼女の恋を応援してあげなくてはな。


「とにかく、後悔しないように頑張ってごらん」

「はい……分かりました」


彼女は、微笑みながら小さくお辞儀をした。

うん、いい笑顔だ。

その笑顔があれば、相手の人も、きっときみの気持ちを受け入れてくれるさ。

俺は、勝手にそんなことを考えていた。


そして、10分後――


俺たちは、ファミレスの玄関前にいた。

幸い、そのファミレスは地下鉄の駅の側。

帰りの夜道を付き添うこともないので、俺の父親役もこれで終わりだ。


「じゃあ、帰るか。きみとは電車は反対方向だったね」


地下鉄のホームへと続く地上の階段横で、俺は腕時計で時間を確認しながら言った。

この辺りは、平日の夜は人通りが少ない。

階段を下りる俺の足音だけが、小さく響き渡っていた。

――すると、その時だった。


「あ、あの!」


彼女が裏返ったような声で、俺を呼び止めた。

俺は、階段を下りる足を止め、クルッと振り返る。

すると彼女は、まだ階段を一歩も下りていなかった。


「どうした? 帰らないのか?」


ひょっとしたら、何か別の用があるのか?

だから、ここで『さようなら』という事なのだろうか?

俺は、そんな他愛ないことを考えていた。

――だが、次の瞬間。


「あ、あの……」


彼女は震えるような声で言った。




「す、好きです……」




え……?




「わ、私……部長のことが好きです」

「え……」




時が止まった――



俺は、地球上の全ての時間が完全にストップしたような感覚に襲われた。

通り過ぎる車の音も、何も耳に入ってこない。

俺の目に映るのは、階段の上にいる近藤恵子。

俺の耳にこだまするのは『好きです』という言葉だけ。


時間にして、12秒――


俺の中の思考回路は、全てフリーズして端から端まで凍りついていた。





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