エピソード3【愛、買いませんか?】⑧
な、何で?
何で、タカヒロがここに!?
「あ、あの!?」
私は後ろを振り返り、慌てて尋ねた。
「この人は、いったい何でここに……?」
「あぁ、こちらは……」
春野さんは、手元にある資料を見ながら言った。
「最近、入荷したばかりですね。借金で首が回らなくなり、新しい人生を選択したようです。それを、当店で買いとって販売いたしております」
「あ、あの……」
私は恐る恐る、もう一度尋ねた。
「商品番号ではなくて……彼の……元の名前は何ですか?」
「申し訳ございません」
春野さんは、ゆっくりと首を横に振った。
「そこまではお答えできません。守秘義務がありますので」
「そうですか……」
ちなみに、と私は言った。
「彼のお値段は……?」
「そちらは、1億2千万円でございます」
1億……2千万円……
「いかがですか? 島田様」
「…………」
私は両手をギュッと握りしめたまま、うつむき何も答えなかった。
いや、答えられなかった。
目の前にいるのは、明らかにタカヒロ。
それは間違いない。
左目の下の小さなホクロ。
少し細めのまゆげ。
まつげの長い、くっきりとした大きな二重の目。
鼻筋の通った高めの鼻。
笑うとえくぼが出来る、唇がふっくらとした口。
触ると柔らかく気持ちのいい耳。
全て、私が愛したタカヒロそのものだった。
手を伸ばせば、タカヒロがそこにいる。
だが、タカヒロは、今は商品として扱われている。
1億2千万円――
買えない。
買えるわけがないわ。
私の宝くじの当選金が5千万円。
それで支払っても、借金が7千万円も残ってしまう。
買えない。
買えるわけがないわ。
そんな大金、払えるわけがないわよ。
「島田様、いかがですか? お気に召した物はございましたか?」
「……」
「もちろん、無理にとは言いません」
ですが、と春野さんは言った。
「せっかく当たった当選金です。普通に物を買ったり貯金したりするより、こういうお買い物もたまにはいいものですよ」
「……」
「愛、買いませんか?」
「…………」
私は先程と変わらず、その問いかけには、うつむいたまま何も答えなかった。
今の私には、どうすることもできない。
できるわけがないわ。
そして、そのまま様々な考えがグルグルと頭をよぎり、およそ10分が経過したのち――
「いえ、結構です……」
一言だけポツリとつぶやき、ゆっくり振り返ると、地上への階段に続く扉へと向かった。
私に、そんなお金は払えない。
何より、タカヒロは私を裏切った。
私とコウタを裏切った。
だから、私に買う義理はない――
「すみません……」
私は、軽く頭を下げながら言った。
「丁寧に説明していただいて申し訳ありませんが……私は……買いません」
「かしこまりました」
では、と春野さんは言った。
「先程のお部屋で、当選金の支払い手続きに入りますね」
「はい……よろしくお願いします」
私は多少、後ろ髪をひかれる思いもあったが、素直に頷いた。
春野さんは、やさしい笑顔だった。
あくまでも、私の意思を尊重してくれるようだ。
商品の説明はするが、押し売りはしない。
そんな感じだった。
そして、その部屋の扉は静かに閉められていく。
4人の彼らを残して。
タカヒロを残して。
彼らは、電気が消された部屋で、うっすらとその姿を消していく。
タカヒロも、その姿を消していく。
私の借金を作ったタカヒロ。
人が良くてやさしくて、私の大好きなタカヒロ。
そのタカヒロが、姿を消していく。
いずれ、誰かに買われるかもしれない。
そして、その誰かのために、一生、一途な愛を捧げるのでしょう。
「タカヒロ……」
私は、ゆっくりと閉まっていくドアの隙間から、最後までタカヒロの姿をじっと見つめていた。
そして、ドアが完全に閉まった時、
「実はですね……」
春野さんが、地上へと続く階段を上がり始めながら言った。
「あの右端は、最近では1番高値で買ったんですよ。迷ったんですが、かなり出来が良かったもので」
「そうなんですか……」
「確か……借金の肩代わりに売られてきたんですが、本人が自ら望んだそうなんです」
「えっ……?」
自ら……望んで……?
「あっ……」
その瞬間、私は、今までと違う考えが頭に浮かんだ。
それは、タカヒロがあの日、家を出ていったのは逃げたんじゃないということ。
私たちを助けるためだったんだわ。
おそらく、タカヒロは、あの闇金からこのクリアラバーズのシステムのことを聞かされていた。
だから、自分を1億で売ったんだわ。
私たちに危害が及ばないために。
そして、この銀行が、闇金から1億でタカヒロを買った。
だから、私の借金は無くなった。
私の家に、借金完了の領収書が届いたんだわ。
「あぁ……そっか……そういうことか……」
タカヒロは、私たちを守ろうとしてくれたんだわ。
自分の身を犠牲にして、私たちを守ってくれたんだわ。
「タカヒロ……」
何で……何でよ、タカヒロ……一言、言ってくれればいいのに。
本当に、大馬鹿で人が良いんだから。
でも……でもね……
私は、そんなタカヒロが好きだよ――
大馬鹿で人が良くて、そんなタカヒロが私は大好きなの。
私の愛している人は、タカヒロ、ただ1人なんだ。
だから……だから……
だから!――
「待ってください!」
私は、自分でも驚くほど大きな声で叫んだ。
その声は、トンネルのような階段の中に響き渡り、春野さんの足がピタッと止まった。
振り返った春野さんが私を見る。
何も言わずに私を見る。
私の言葉の続きを待っている。
「あの……」
私は、迷いのないはっきりとした口調で言った。
「愛、買います」
タカヒロ
あなたの愛
私が買ったよ――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます