エピソード3【愛、買いませんか?】⑥
そして、その豪華な部屋で5分ほど経過したのち、
「おまたせいたしました」
ゆっくりとドアが開き、この銀行のおえらいさんであろう人物がやってきた。
少しぽっちゃりした、オールバックの似合う50代の男性。
だが、ブランド物の高価なスーツをぴしっと着こなすその姿は、やはり威厳をかもしだしていた。
「初めまして」
おえらいさんは、私に向かって深々とお辞儀をした。
「島田マイコさんでいらっしゃいますね?」
「は、はい、そうです」
「この度はおめでとうございます。私は、当選者特別愛情課の春野誠司(はるのせいじ)と申します」
「え?」
当選者特別愛情課……?
それは、全く聞いたことのない単語。
私は一瞬、何と言ったらいいのか分からず、言葉が出てこなかった。
すると、そんな私の空気を察したのか、
「当選者の方たちに今後の展開をご説明するのが、私の主な業務です」
と、春野さんはにっこりと付け加えた。
へぇ……初めて知ったわ……銀行って、そういうのを専門にやる部所があるのね。
こんな身近な場所にも、知らない世界が広がっているのね。
私は『寝耳に水』ともいうべき、いきなり飛び込んできた思いがけない事実に、ただただ関心するばかりだった。
「ところで、島田さん」
春野さんは、変わらず丁寧な柔らかい口調で言った。
「5千万円のお渡しなんですが……」
「は、はい」
き、きた!
ついに本題に突入なのね!
私の胸の鼓動は、再びそのスピードを速め始めていた。
「あ、あの!」
そのせいか、気がつくとまくし立てる様に、早口で質問を投げかけていた。
「そ、その、お金って、現金で受け取ることができるんでしょうか? それとも一度、こちらの銀行の定期にでも預けることになるんでしょうか?」
「そうですね。そのお話は、またおいおいさせていただきますが……実は……お先に見ていただきたいものがあるんですよ」
「え?」
見ていただきたいもの……?
「いったい、何ですか?」
「それはですね……あなた様に、愛を買っていただきたいのです」
「あ、愛!?」
「とりあえず、お部屋にご案内いたします。一度、ご覧になっていただけると幸いです」
「は、はあ」
私は、話の意味が全く理解できなかった。
『愛を買ってほしい――』
愛?
愛って何なの?
その言葉の意味が、私の中の知識をいくらフル活用しても全く分からなかった。
すると、私が思考を巡らせている時、春野さんが壁のボタンに手を伸ばした。
それは、絵画の側にある小さな小さなボタン。
壁と同じ色のフタで覆われている。
この部屋に詳しい者でなければ、まず、ここにボタンがあるなんて思わないでしょう。
ウイーン――
「え……?」
私は、自分の目を疑った。
と同時に、驚きが強すぎて体が硬直するのを感じていた。
おそらく、先程のボタンを押したからでしょう。
自動ドアのように壁の一部が静かに開き、地下へ下りる階段が現れた。
す、すごいわ!
すごすぎるわ!
ハリウッドのスパイ映画なんかでありそうな秘密の部屋。
まさに、そこに繋がる階段を連想せずにはいられなかった。
「薄暗いので、段差にお気をつけくださいね」
「は、はい」
コツ――
コツコツ――
私と春野さんの足音だけが、その空間に小さく響き渡っていた。
『私に愛を買ってほしい』
分からない。
やっぱり、分からないわ。
階段を一段一段と下りていく間、春野さんの言葉の意味をずっと考えていたが、いくら考えても全く答えを導き出すことは出来なかった。
「こちらのお部屋です」
やがて、階段を下りきった私たちは、地下室に辿り着いた。
そこは、何も見えない状態の暗い暗い部屋だった。
「いま、電気をつけますので」
パチッ――
ま、眩しい!
いきなり飛び込んできた眩い光に、しばらく目を開けることをためらう自分がいた。
「ここは……?」
目が慣れてきた私は、急いで首を左右に振り、その部屋の全貌を確認。
そこは、だいたい10畳ぐらいの、思っていたより小さな部屋。
そして驚くべきは、先程の豪華な部屋とはうって変って、家具も何もない殺風景な空間ということだった。
「あれ……?」
ちょっと待って……部屋の右奥に何か置いてあるわ……いったい、何かしら……
「え……?」
な、何!?
あれは何なの!?
その光景が両目に飛び込んできた私は、全身に雷が落ちるような感覚を覚えた。
なぜなら、そこには、椅子に座ってうつむいている4人の男性の姿があった。
顔は、あまりはっきりとは見えないが、服装は、全員、黒のタンクトップにジーパン姿。
そして、彼らの首には、番号の書かれたプレートがぶら下げられている。
それは、アルファベットと数字を合わせた6ケタの記号だった。
「な、何、これ……」
私は自然に、一歩二歩と思わず後ずさってしまう。
一目でこの部屋の違和感を察知したからだ。
異様だわ……異様すぎるわ……
私の危険信号は、敏感に察知し始めていた。
「では、島田様」
だが、春野さんは、当たり前のように淡々と話を進めた。
「ご説明いたします。これらは現在、麻酔で眠っている状態です」
「は、はあ……」
「今回は、島田様が女性のため、男性タイプをいくつかご用意いたしました」
「男性タイプ……?」
「ええ。ここに置いている4体は全て、特殊な装置を使い、頭脳をまっさらな状態に仕上げています」
「まっさらな状態……?」
「はい。過去の記憶はもちろんのこと、自分の性格がどうだったのかすら、何もかも持ち合わせていない状態です」
要するに、と春野さんは言った。
「頭の中を大掃除して綺麗にしたという感じですね。いわば、赤ん坊と同じということです」
「赤ん坊……」
「あなたのお好きなように育てることができますよ。性格も外見もあなたの思いのままでございます」
「……」
春野さんは、まるで新製品のおもちゃをアピールするかのように、事細かに説明してくれた。
だが私は、呆然とその話を聞くしかできなかった。
理解できない。
この現状が理解できない。
私は、現実に起こっているこの状態を受け入れるのに、少なからず時間を費やしてしまった。
そして、10分ぐらい経ってからでしょうか。
徐々に、頭の中が落ち着いてきた私がそこにいた。
とりあえず、いま分かることは、ここに4人の男性がいる。
彼らは、商品として扱われている。
人間が商品として売られている。
この現実を受け入れる態勢が、やっと整い始めていた。
そして、さらに春野さんと話をするうちに、彼ら4人の素性が少しずつ分かってきた。
彼らは、いわば、人生を捨てた人間のようだ。
通称『クリアラバーズ』と呼ばれている。
意味は『透明な恋人』
なるほどね。
完全に、自分好みに作っていけるんだから、うってつけの名前だわ。
では、彼らがなぜここにいるのか?
それは、様々な事情によって人生を続けられなくなり、この銀行に売られてきたということだ。
その大半は、金銭トラブルが原因。
彼らのような人間は、頭の中をまっさらな状態にしたあと、こういう銀行などの一般機関でも、裏取引として売られていくらしい。
裏取引だ。
決して表には出ない。
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